第140話 片田舎のおっさん、家を発つ
「……よし、こんなもんでいいかな」
「ん、大丈夫……だと思う」
ヘンブリッツ君との話し合いから幾日か経った後。
俺は今、ミュイとともにビデン村へ出立するための荷物について、最後の確認を進めていた。
これが俺一人だけならめちゃくちゃ気楽な里帰りになっていたんだろうけど、ミュイが居るとなると話が変わってくる。
俺は最低限剣と路銀があれば大丈夫なんだが、彼女の場合は日数に応じて着替えの枚数も必要だったり、自主勉強のための魔術師学院の教科書だったり、とにかく荷物が増える。別にこれは苦と感じているわけじゃなく、男一人では味わえなかった新鮮な気持ちの方が大きい。
きっと、世の中の妻子持ちは遠出する時にはこういう苦労を買っているんだろうなあと、何だかよく分からない感慨にも耽ってしまう。
幸い服に関しては、イブロイから貰った箱の中に結構な点数が入っていたし、ミュイ自身もそこまで着飾るタイプではないから助かっている。
こちらとしてはいい服の一つや二つくらい買ってあげたいものだが、肝心の彼女がそこに食指を動かさないのだ。あまりに派手な服や可愛過ぎる服は割と渋い顔をするが、それでも着ないということはない。
我が家にある一番仕立てのいい服が魔術師学院の制服だったりするので、その点でも学院の予算は凄いなと思ったりする。
「忘れ物はない?」
「ん」
相変わらず強烈な陽射しが朝から降り注ぐ中、最終の確認を終えてすっかり馴染んだ我が家を発つ。
馬車での長距離移動は、ミュイにとって恐らく初めての経験になるだろう。道中は彼女の体調にも注意しつつ、場合によっては休憩を多めに取ってもいいかもしれないな。
無論のこと、荷物はほとんど俺が持つけどね。ミュイに重たい旅荷物なんて背負わせるわけにはいかない。
ちなみに馬車の手配に関しては、ヘンブリッツ君に話の流れで相談したらそのままやってくれるとのことだった。なので、ありがたく甘えさせてもらっている。
勿論、アリューシアに連れられてきた時のような招待ではないから、お金はしっかりと俺から払う。そしてその段になってこれも初めて知ったんだが、馬車の手配って案外値が張る。
これがバルトレーン内の乗合馬車だとか、他都市へ定期的に出ている連絡便ならそう高くはない。ほとんどの人が気兼ねなく乗れるような手頃な価格だ。利用者の利便性を重視したものだから、安く沢山乗せるのが正義になる。
一方、ビデン村のような片田舎にこちらの指定した時期で、となるとちょっと事情が変わる。
時期の指定さえなければ、商人なんかの交易便にお安く乗せてもらうことが出来るのだが、今回の場合は日程がある程度決まっている。ビデン村に向かう商人の存在を待つとなれば、一体いつ出発出来るのかが分からない。第一、その馬車が運行される保証もなければ時期も知りようがない。
自然と貸し切りの専用馬車みたいになってしまうので、その分お値段も吊り上がってしまうのである。
まあ今回はミュイも居るから貸し切りは逆に都合がいいんだけど、その代わり結構な金額がぶっ飛んだ。数回なら問題ないものの、日常的に支払うにはちょっと憚られる金額である。
そこら辺、なんだかんだと支払いが出来てしまう今の収入は結構ありがたい。ルーシーにもちょっと前にどうせ金はかかると言われたが、結局その通りになってしまったな。
別に世の中金が全てだとは思わないが、金があることで選択肢が増えるのはいいことだ。
なまじ自分自身がその意識を最近まで持っていなかっただけに、今更ながら不自由のない程度の金銭が如何に大事か身に染みる次第であった。
「そうそう。前も言ったけど、待ち合わせ場所にはヘンブリッツ君が居るから」
「……騎士団の人だっけ」
「うん、副団長さん」
道すがら、ビデン村への同行を申し出たヘンブリッツ君の情報を改めて共有しておく。
彼のことはかなり信頼している。ミュイはお年頃も事情もやや複雑な少女だが、彼ならきっと上手く馴染んでくれるだろう。少なくとも邪険に扱うことはしないはずだし、仲良くとは言わないまでも最低限、嫌われるような言動は慎むはずである。
「……どんなやつ?」
「そうだね、実直でいい人だよ。俺も個人的に信頼してる」
「……ふぅん」
こうやって、他人に興味を示すようになったのも良い傾向だ。
今までの彼女は、自分と姉以外は心底どうでもいいみたいな感じだった。生きている世界が非常に狭かったから、精神的にはそれで充分だったのである。
しかし俺とともに暮らすようになって、魔術師学院に通うようになり、否が応でも目に入る世界は広がっていった。今のところその環境の変化は、彼女にとって良い変化を生んでいるようで何よりだ。
「……何だよ」
「いや、別に。なんでもないさ」
「ふん」
彼女の変化を喜びながら眺めているとその視線に気付いたのか、ミュイがぶっきらぼうに問いかけてくる。
大分棘が抜けてきたとはいえ、こういう遠慮の要らないやり取りにおいてはまだまだ勝気というか、言葉の鋭さを感じさせる。
いずれ時間が経ち大人になって行けば、彼女のこういう面も変わってくるのだろうか。それは確かに喜ばしい成長なのかもしれないが、同時に少しばかり寂寞の情を持ってしまうね。
「……まだ?」
「もう少しだよ。中央区の大通りにあるから」
待ち合わせ場所は、中央区にある馬車停留所。
うちは中央区の中では割と端の方に位置しているので、大通りに面した馬車の乗合場所までは少し歩く。
我が家から近くはないが、そこまで遠くもないといったところ。これくらいの距離ならいい運動だったなで収まる範囲である。
早朝にバルトレーンを発つことになるので、ビデン村に着くのは途中の休憩も加味して大体日が沈む前後、どれだけ遅く見積もってもトラブルが起きない限りは今日中に着く見込みだ。
道中の護衛を頼めなかったのは少し不安になるところだが、俺とヘンブリッツ君が居れば余程のことが無い限り問題はないだろう。
どちらかと言えば俺は、実家に帰った後の両親からの攻めをどう回避するのかを考えなければならない。
初日はまだいい。ミュイも居るし、最初はその話題で持ち切りになるはずだ。
だが、地元に滞在している間ずっとミュイの話だけをするのはかなり無理がある。自然と、俺がビデン村を離れることになった切っ掛け、嫁探しについての言及があるはずだと俺は睨んでいた。
今回出来れば帰って来いと言われたのは、無論サーベルボアのこともあるしミュイのこともあるだろう。しかしやっぱり本命は、俺の嫁探しの進捗を探るところじゃないだろうかと俺は考えている。
そんなもん俺が手紙にわざわざ書くわけがない。その辺りは俺の両親、特におやじ殿は分かり切っているはず。
しばらく帰ってくるなと自分から言った手前、軽々とやっぱり帰ってこいというのはおやじ殿からすればかなり言い出しにくいだろう。
そこで都合よく、ミュイに関する一報とサーベルボアの繁殖期が重なった。これを機に一度呼び戻して進捗報告を聞いてやろうというのは、いかにもおやじ殿が思いつきそうな手であった。
これはあくまで俺が勝手に考えた想定なので、実際はそうじゃない可能性も大いにある。
ミュイとともに暮らしてみて初めて分かったことだが、保護者になると被保護者のことはどうしても気になってしまうからね。そう考えると、おやじ殿やお袋が俺を心配して、という線も捨て切れないとは思う。
ただまあ、俺はミュイと違っていい年こいたおっさんなわけで、そんなやつに親とは言えそこまで心配するのかどうかって疑問は湧いて出てくるが。
「お、見えてきた。あそこだね」
「ん」
そんなことを考えながら歩いていると、目的地である馬車停留所が近付いてきた。
早朝、そしてここがバルトレーン内の乗合馬車が止まる場所でもないということもあって、そこに集まっている人影は結構疎らだ。
バルトレーンで暮らしている人にとっては当然と言うべきか、仕事や生活の範囲をバルトレーン内で完結させている者がほとんどである。
人口に比して仕事も多く、わざわざ都会に住んでおいて田舎に働きに出る人はそう居ない。仮に居たとしても、毎日田舎村に通勤する人はもっと居ない。なんのために首都で暮らしているんだという話になる。
基本的に人は、住んでいる場所と働く場所は同じところになるのだ。俺だってビデン村に住みながらバルトレーンに毎日通えと言われても無理だし、その逆もまた無理である。
「お、居た居た」
集合場所に近付くにつれ、疎らに集まった人影の区別が付くようになってきた。
その中でほどほどに背の高い金髪のイケメンを探せばいいのだ。ヘンブリッツ君を見つけるのは割と簡単であった。
「おお、ベリル殿! おはようございます」
「うん、おはよう」
彼もほぼ同じタイミングで俺に気付いたのか、やや大きめの声で挨拶を投げてくる。
「先生! おはようございまーっす!」
「おは……うん?」
そしてもう一人。
ヘンブリッツ君の横では同じく旅支度を整えたのであろう、茶髪の快活な女性がこれまた大きな声で俺に挨拶の言葉を発していた。
「……なんで?」
なんでクルニがここに居るのかな?
クルニは勢いでなんとかなると思っているフシがあります。
先日、SQEXノベル様よりシリーズ全巻の重版告知がありました。ご購入頂いた皆様ありがとうございます。
webから支え続けてくださった皆様のお陰です。書籍版の方は書き下ろしもそこそこ頑張っていますので、よければそちらも是非ご検討ください。
あと、来週は元旦なので更新をお休みする予定です。何卒ご了承ください。
皆様良いお年を。




