第115話 片田舎のおっさん、講義を終える
「ふぅ、少し疲れたな」
「ふふ、先生お疲れ様」
次の授業に向けて席を立って行った生徒たち五人を見送った後、俺とフィッセルも教室を後にする。
たかだか一時間程度の教練とはいえ、慣れない環境に慣れない相手では気疲れも起こるというもの。それに流れとは言えフィッセルと打ち合いまでしてしまったからな。流石にちょっと体力と精神力を持って行かれた。
騎士団で剣を教えるのとはまた違った感触に疲労感を覚えながらも、概ね満足感の方が強いのはまあ、そこそこいい結果ではあるだろう。出来ることなら彼ら五人の成長を見届けたい欲もちょっぴり出てくるが、それは俺の役目じゃないしなあ。
「やっぱり生徒の数は多いね」
「うん。剣魔法科が少ないだけ」
行き交う者たちを見ながら一言。やっぱり総勢六百人という生徒数は道場で教えていた頃と違って、かなり多く感じるね。
今は丁度授業の合間の時間なのか、ぱたぱたと慌ただしく動く生徒たちをよく見かける。
ここに居るのはほとんどが魔術師を志そうという者たちだ。当然ながら学ぶべきこと、知るべきことが膨大な量に及ぶことは想像に難くない。
剣術だってただ剣を振っているだけではないしね。実践は勿論大事だが、それと同等以上に座学……知識も身に付けていかなきゃならない。それが魔法なら余計にだろう。
「そう言えば、フィッセルはうちを出た後ここに入ったんだっけ」
「うん。すごく頑張った」
「偉いなあ」
「えへへ」
素直に褒めてあげると、彼女にしては珍しく柔らかな表情を見せる。
フィッセルが魔法を使えることは、俺も知らなかった。少なくとも俺の道場に通っていた五年間でそのことを聞いたことはない。
彼女が魔法の才能に目覚めたのがいつなのかは分からないが、本格的に魔法の勉強をし始めたのは間違いなく俺の道場を卒業した後。つまり、割と最近のことになる。
一度は志し、そして俺視点では順調に伸びていたはずの剣の道から脇に逸れてまで新たな道に進む、というのは並大抵の努力ではない。仮に今の俺に突如魔法の才能が顕現したとしても、じゃあ一旦剣を中断して魔法を学びましょう、とは多分ならないからな。
まあそこは、若さも多分に作用しているのだろうと思う。たとえ俺に何らかの才能があると認められたとしても、この年で新しいことに踏み込むには勇気が要る。それが必ずしも花開かないものであるなら尚更だ。
「でも、俺がやったことはほとんど道場のまんまだったけど、よかったのかい?」
「うん。それで問題ない」
今更ながら確認を取ってみると、特に問題はないらしい。
剣魔法とやらがどこまで剣術をベースにして動くのかは分からないが、フィッセルの動きを見る限り基本はほとんど剣だろうな。
彼女は魔術師でありながら、魔法を主とせずあくまで剣術を主体としている。補助や補強の意味合いで魔法を使っているようにも感じた。
「剣魔法科は今年から出来たけど……人気がないから」
「まあ確かに、五人はちょっと少ない気はするね」
フィッセルが少し表情を落としながら呟く。
うーん、やっぱり魔法自体を補助的に使う科目というのが人気が出づらい部分だろうか。そりゃ魔術師学院に入学するくらいなら、純粋に魔法を学びたい者が多いだろうし。
「人気がないと……講義自体がなくなる」
「えっ、そうなの」
それはおじさん知らなかった。というか、ルーシーもそんなことは一言も言ってなかったぞ。
「すぐなくなることはないと思う。けど、受講する人数が少ないままだと学院的にも継続する意味が薄いって判断される」
「それもそっか……」
そりゃまあ、学院の運営が完全な慈善事業でもない限りはそうなるだろう。
ここは確かに学びの場ではあるが、それ以上に国益に繋がる方針を取るはずだしな。採算の取れない部署はいずれ淘汰されていく。それは剣術道場だって変わらない。
「だから、ベリル先生なら人気を取り戻せる……はず」
「ははは……期待が大きいね」
いきなり授業科目の再建とかいう重責を肩に乗せられた気分だ。
いやまあ出来る限りはやってみるけれども、それでも人気が出るかどうかは正直分からない。俺は魔法についてはまったく無知だし、教えていることだって剣術道場の延長でしかない。
ただ、少ないながら折角教わってくれるのなら、その体験を良いものにしてあげたいなという気持ちもある。背伸びしても仕方ないから、俺なりに出来ることをやっていくとしよう。
「それにしても、魔法って使う側はどんな感じなんだろうね?」
「最初に何となく、『あ、これが魔力か』みたいな気付きがある。私もそう。多分大体の人はそうだと思う」
「へえ……」
あまり長引かせるような話題でもないので、ちょっとした疑問を振ってみる。
魔力。魔力かあ。そりゃ魔法が一大体系を成している以上、当然ながら存在しているものではあるのだろうが、さっぱり使えない身からするとやっぱり不思議なものだ。
とは言ってもルーシーやミュイの魔法、フィッセルの剣魔法なんかは実際に見ているし、それを否定するわけではないのだけれど。
「しかし、遠距離で魔法が使えて剣術も使おうってのは贅沢だねえ、羨ましいや」
剣は当たり前だが近距離で使うものだ。
それに加えて遠距離も戦える手段を持つってのは、俺からしたら大分羨ましい。弓なんかも持ったことはあるが、ああいう面倒臭い武器とはまた違うだろうし。
「そうでもない。皆知らないけど、魔法は案外遠距離で使えない」
「あれ? そうなの?」
とか思っていたら、フィッセルからは予想外の言葉。
魔法が遠距離で使えない、というのはどういうことだろう。明らかに遠距離向きだと思うんだけどな。魔力という残弾はあるにしろ、弓や砲台などよりは余程使い勝手がよさそうだが。
「んっと……魔法は媒体……身体から離れるほど、制御が難しい。それに威力も落ちる。遠くに飛ばそうと思ったらすごく疲れる。なのに威力はほどほど。弓の方が多分強い」
「そうなんだ……」
これははっきり言って意外であった。
話し方から察するに、これは魔法の才能を持ち、学んでいる人なら誰でも気付く類のものである。それほど魔力の操作、というものは難しいのだろう。
俺の勝手なイメージでは、なんか見えないパンみたいなのをこねこねしてぶっ飛ばす感じだったんだけど、そんなに雑なものではなかった模様。
「例えばだけど、魔法で作った火を遠くに飛ばしたらどうなるんだい?」
「魔力の操作が出来なくなった時点で霧散する。発現させるのは才能さえあれば出来るけど、規模の拡張と維持はすごく難しい」
「なるほどね……」
となると、魔術師を並べて固定砲台にする、みたいな作戦は取れないわけか。
いやはや、意外と融通が利かないものである。その点で言えば、魔法を雨霰のように打ち出せるルーシーはやっぱり凄かったんだなという感想が出てくるな。
それに話を聞くと、ミュイの件についても何となく納得出来た。
ミュイには、魔法の才能がある。それは実際に魔力で火を起こせたことから間違いはない。
しかしその火を大きくしたり、維持したり、飛ばしたりするには専門的な知識と技術が要る。だからミュイは、今は発火させることしか出来ない。そういうことだろう。
「となると、剣魔法っていうのはそもそも……?」
「厳密に言えば剣じゃなくても出来る。だけど、依り代があった方が術者もイメージしやすい。それに、魔法に『切れ味』を持たせるのは斬新。私は知らないけど、定義だけで言えば杖魔法も本魔法もありえると思う」
「ふむ……」
本を片手に魔法を撃つってのは魔術師のイメージぴったりだ。だがそれに比べると魔法を扱う剣士、というのは剣士の身からすれば中々にそそるものがある。端的に言って格好いい。
ルーシーが以前言っていたが、今人間が扱うことの出来る魔法は推定で魔法全体の一割にも満たないらしい。となると、これから研究が進めば剣魔法以外にも、どんどん新しい魔法と体系が増え続けていくはずである。
その中でも剣魔法は、かなり新しいもの、ということだろうか。
「じゃあフィッセルは、剣魔法の第一人者というわけだ」
「……どうだろう。私以外にも使い手は居るし、教えてくれたのは団長だから」
俺の言葉を受け取ったフィッセルは、若干嬉しそうな素振りを見せながらも、その言葉全てを肯定はしなかった。
しかし魔法を教えた張本人であるルーシー曰く、フィッセルは剣魔法の一番の使い手でもあるらしい。となれば、彼女が第一人者と言っても過言ではないんじゃなかろうか。
「でも、君が優秀な使い手であることに変わりはない。頑張らないとね」
「……うん」
これから剣魔法が躍進して、どんどん使い手が増えて、魔術師にとっての一大勢力に……なるのかな。なったらいいなと少し思う。今のフィッセルと剣魔法科の現状を見ていたら、道は険しそうではあるけれど。
「……む。君は……フィッセルかね」
「あ、教頭先生」
そんなことを話しながら学舎を歩いていると、先ほどまで行き交っていた生徒たちとは明らかに違う、年季の入った老人が歩みを進めてきていた。
どうやら学院の教師の一人らしい。教頭先生ということは、教師陣の中でもお偉いさんであろうか。
「そちらの方は?」
フィッセルとの挨拶もそこそこに、その老人は年齢を感じさせない瞳を俺の方へと向けた。
「初めまして。学院長の依頼で剣魔法科の臨時講師を務めております、ベリル・ガーデナントと申します」
向けられた視線に、挨拶を返す。
咄嗟に臨時講師なんて名乗ってしまったが、まあ間違いではなかろう。
第一印象としては、かなり年を取っている。俺のおやじ殿よりも大分年上だろう。真っ白になってしまった頭髪と髭、顔に深く刻まれた皴がその年齢を伝えてくれる。
しかしそこまでの高齢でありながら、腰はほとんど曲がっていない。杖などを突いている様子もないから、足腰はそれなり以上にしっかりしている印象を受けた。
「……そうか。儂はファウステス・ブラウン。この魔術師学院の教頭だ」
アレッ。なんかこの人今溜め息吐かなかったか。俺の言葉に何か拙いことでもあっただろうか。
「あまりこの場を荒らすようなことは控えてもらいたい」
「はぁ……」
俺の挨拶を受け取ったブラウン教頭はそれだけ言うと、さっと踵を返す。
うーん。場を荒らすってなんだろう。俺としては普通に剣を教えているだけのつもりなんだけどな。
「……一つ忠告しておくが」
「……なんでしょうか」
ブラウン教頭はふと思い立ったように足を止め、こちらへと振り向いた。
「学院長が認めた以上、学院への出入りをどうこうは言わん。ただ、地下には近付かないよう」
「……肝に銘じておきます」
彼はそれだけ伝えると、今度こそ立ち去っていく。
残されたのはいきなり齎された忠告に対する、奇妙な空気感であった。
「フィッセル、この学院って地下があるの?」
「うん。私も何があるかまでは知らない。ただ、私たちにも近寄るなって言われてる」
「なるほどね……」
ここの出身でかつ、教師でもあるフィッセルも内容を知らないということは、かなり上位に値する機密があるということか。
この辺りルーシーに聞けば教えてくれるかもしれないが、そこまで深入りするつもりもないしなあ。変に目を付けられるのも嫌だし、ここは素直に従っておくとしよう。
それに、ルーシーが俺に伝えなかったということはつまり、俺には必要のない情報ということだ。下手に気にするだけ無駄というものである。
「……教頭先生ってどんな人?」
「教頭先生は魔法第一主義。魔法に対してはすごく真摯。あと結構厳しい」
「ふむ」
俺の質問に対し、フィッセルが答える。
魔法第一主義。言葉だけを聞けばあまり穏やかではない響きだ。魔法の中でも剣魔法はかなり新しい上に、剣術の補助として魔法を使うからあまり受けがよろしくないのかもしれない。
「もしかして教頭先生って」
「うん。剣魔法自体をあんまりよく思ってない……と思う」
「そっかあ……」
確かにさっきはあからさまに反応悪かったもんなあ。
しかも教頭先生という立場のある人が音頭を取っているとなると、現状のままでは先行きは厳しいだろう。
何とかしてはあげたいが、こればっかりはお上の判断もあるだろうし難しいところだ。
「……魔術師にも派閥とかってあるの?」
あわせて、ちょっと気になってしまったので聞いてみた。
つい最近まで、隣国の教皇派やら王権派やらと関わっていたばかりに、どうにもそこら辺も気になってしまう。
流石に内戦にまでは発展しないだろうし、しないと思いたいが、俺だって訳の分からないうちに何かに巻き込まれるのは出来れば御免被りたいからな。
「派閥っていうほどのものはないと思う。魔法も沢山ある。人によって好みは違うけど。だけど、反魔術派は居る。神秘の魔法を人間ごときの手で歪めるとは何事だー、みたいな人たち」
「そ、そういう人も居るんだね……」
流石に魔術師学院の中に反魔術派は居ないと思うが、それでもそういう人が居ることが分かっただけでもマシである。
まあ何事でもそうだが、賛成派と反対派ってのはどこにでも存在するものだ。剣術だって野蛮なものとして批難する人だって居るだろうしな。
反魔術。あえて魔術と称していることから、反魔法というわけではないのだろう。
つまり、魔法の存在自体は認めているが、それを人間の手で再現するようになった魔術に関しては認めかねる、と。
「世の中色んな人が居るもんだなあ」
ビデン村に篭っていた頃には、そんなことまで考えが及ばなかった。考えることすら出来なかった。村の中が俺の生活のほぼ全てだったからである。
俺の見識が広まったという意味で言えば、バルトレーンに出てきたことは正解ではあるのだろう。地元の道場が今どうなっているのか、決して気にならないわけではないが。
ただ、ビデン村で剣を教えていた時と比べれば、今の生活は随分と新鮮で、また随分と刺激的だ。今回のことだって、片田舎に引っ込んだままでは絶対に経験できない類のものではあるだろう。
アリューシアに半ば無理やり就かされた仕事とはいえ、いざやってみれば実態はそう悪くはないものだ。
「……どうしたの、先生」
「ああ、いや。バルトレーンは凄いなと改めて感じていただけさ」
「……? そう」
ちょっと郷愁に耽っていたらフィッセルに突っ込まれた。
いかんいかん、しみじみ感じ入っている場合ではなかった。今から騎士団の教練もあるんだ、シャキッとしていこう。
おっさん剣聖、書籍版第4巻は今週7/7に発売です。
よろしくお願い申し上げます。




