第109話 片田舎のおっさん、汗を流す
「やあ皆、やってるね」
「先生。おはようございます」
「うん、おはよう」
ルーシーとフィッセルの来訪があった翌日。
俺はいつもと変わらず、騎士団庁舎の修練場へと顔を出していた。俺の到着に気付いたアリューシアが挨拶を返してくれる。
魔術師学院でのことがどう転ぶとしても、俺の普段の業務が変わるわけじゃない。なので、やることと言えば日々変わらず、騎士たちの鍛錬なのである。
あと俺自身の鍛錬な。この歳になると食っちゃ寝してたらすぐに身体に出てきてしまう。ただでさえ冴えないおじさんなのだ、見た目くらいは最低限気を遣っておきたい。
「先生、剣はどうされたのです?」
俺の姿を見て、アリューシアが不思議そうに言葉を落とす。
うーん、なんだか知り合いに会う度に剣のことを突っ込まれている気がする。やっぱり俺みたいなおじさんに、あの赤い剣は目立つのだろうか。
「ああ、ちょっと研ぎに出しててね。明後日には戻るよ」
「そうですか」
答えを返せば、特に何事もなく問答が終わった。まあ別に膨らませる類の話題でもないしな。
時刻はまだ朝日も昇って間もなくといった頃合いだが、修練場には早くも何人かの騎士が熱心に木剣を振るっていた。俺も大概早起きな方だが、俺よりも早く来ているというのは素晴らしいと思う反面、ちょっと心配になることもある。
特にアリューシアなんて、団長としての業務もあるだろうに。いったいいつ休んでいるんだろうかと疑問に思うくらいだ。
以前それとなく聞いてみたんだが、無理はしていないので大丈夫です、とだけ告げられて話は終わってしまった。まあ、元々無理を押して何かをこなすタイプでもないだろうから、本人が大丈夫と言うのならそうなのだろうが。
「しかし、早いね」
「今日はたまたまです。護衛任務も終わって、執務も落ち着きましたので」
「そうか。それは何より」
前にも思ったが、騎士団長であるアリューシアとか魔法師団長であるルーシーとか、そういう高い位置にいる人が適度に暇をしている方が、やっぱり世の中としては良いのだろうと思う。ルーシーはちょっと自由人過ぎるきらいはあるけども。
戦闘力を持つ団体のトップが忙しくないということは、それだけ平和だということである。
他方、平和過ぎるとそれはそれで練度や士気の低下も懸念されるものだが、少なくともレベリオ騎士団に関してはその心配もなさそうで何よりだ。
「そう言えば昨日、ルーシーとフィッセルがうちに来たよ」
アリューシアにも話は通していた、とのことなので、これは別に言っても問題はない類の話題のはずである。木剣を振る前の準備運動として手足を伸ばしながら、雑談の一環で声を発した。
「フィッセルも一緒ということは、魔術師学院の関連ですか?」
「そうそう。剣を教えて欲しいって。ルーシーから聞いてない?」
なんだかアリューシアのリアクションが若干怪しいぞ。ルーシーがどこまで話を詰めたのか、少し不安になる反応であった。
「ええと……学院の方で先生を借り受けたい、という話は受けましたが、それ以上は……」
「そっかあ……」
あの野郎、やっぱり細部を伝えてなかった。
そういうところだぞルーシー。結局俺が喋ることになるんじゃないか。
「いや、魔術師学院の剣魔法科で教鞭を執ってほしいと頼まれてね……」
「良いのではないでしょうか。先生の名声にも繋がりますし」
内容を端的に伝えてみれば、アリューシアから返ってきたのは肯定的な感想であった。駄目ですとか言われるよりはマシなんだろうが、俺の名声とかどうでもいいところを気にしているのは若干気になる。そんなの気にしてるの君だけだよ多分。
「名声か……別に俺はそこら辺はどうでもいいんだけど……」
「先生が気にしなさすぎなだけだと思いますよ。普通は喜びますから」
「そういうものかな……」
「はい。そういうものです」
確かに何かを教える身として、栄誉と歴史ある魔術師学院で教鞭を執るというのは立派なステータスになるのかもしれない。
だがしかし、言った通り別に俺はそこを大して気にしていないのである。なんなら余計な注目は浴びたくないくらいに思っている。
「それは抜きにしても、毎日学院の方へ、などでなければこちらは問題ありませんよ」
「ああ、そう言ってくれると助かるよ」
仮にこの話を本格的に受けるとして、じゃあいったいどれくらいの頻度で魔術師学院に通うことになるのかは、まだちょっと分からない。
ルーシー曰く週一回程度と言っていたが、それくらいならレベリオ騎士団としても、特に問題はないのだろう。俺だって、こっちの業務をほっぽり出してあっちで教えるわけにもいかないからね。
それに頻度もそうだが、具体的な期間についても今のところ不明だ。そこら辺はルーシーが書面で用意してくれるといいんだけどな。
「じゃあ、少し身体を動かしてから指南に入ろうかな」
まあその話は一旦横に置いておこう。この場所に来るからには、俺は特別指南役である。ちゃんとお役目は果たさないとね。
「でしたら、お付き合い致します」
「ああ、ありがとう」
微笑みを湛えて、アリューシアが準備運動に付き合ってくれることになった。
皆の訓練の邪魔にならないよう、修練場の端で目を瞑る。
「――……」
やることは、そう難しいものではない。
まずは精神統一。これから剣に向き合うことに対し、心身ともに整えていく。
このルーチンは道場で剣を教えていた頃から続けているものだが、アリューシアも慣れたものだ。まだ早朝、疎らに人が揃った修練場に、鍛錬を行っている騎士たちの掛け声と木剣がかち合う音が響く。
この精神統一に使う時間は日によってまちまちで、短い時で五分ほど。何か嫌なことがあっただとか、いまいち気分が乗らないだとか、そういうテンションの時は三十分くらい使うこともある。
「……ふむ」
目を閉じて集中してから多分、十分くらいは経過しただろうか。
今日の乗りは、普通からやや上向き程度、といったところかな。
常日頃、心身を絶好調にとどめるというのはかなり難しい。何より、毎日そんなことをしていれば精神が疲弊し切ってしまう。
命を懸けた戦いの最中などであればそれでいいのだが、日々の鍛錬となると話はちょっと変わってくる。平常から少し上向き、くらいの気持ちが一番バランスがいいのだ。少なくとも俺はそう思っている。
あらゆる状況下で、常に一定以上の力が出せることが重要なのだ。まあ、実際に実戦となると悠長に精神統一なんてしてる暇はないんだけれども。
「アリューシアはどうだい?」
「……整いました。悪くはない、といった具合でしょうか」
「それは重畳」
同じタイミングで目を開いたアリューシアも、どうやら俺と大体同じような仕上がりらしい。
彼女は俺よりも遥かに年下だが、剣の道を歩む者としての貫禄というか、そういう雰囲気が既に出来上がりつつある。これはやっぱり、彼女の尋常ならざる才能と、それに裏付けされた努力の結果だろう。
つくづく、素晴らしい弟子を取ったものだと感じる。俺の教えが彼女の才能を潰すようなことになっていないか、そればかりが気がかりだ。
「よし、それじゃあやろうか」
「はい先生」
ただ、それを改めて聞くようなことはしない。彼女の性格だ、仮に俺の嫌な予感が当たっていたとしても、それを素直に言ってはくれないだろう。
なので今俺に出来ることは、与えられた特別指南役という役目を全力で果たすことである。突然降りかかってきた指南役ではあるが、流れとは言えやることになった以上はちゃんとやらないとね。
とりあえず皆の動きを見ながら、掛かり稽古や打ち込み稽古を中心にやっていくか。
ここは道場ではないから、型の稽古なんかはほとんどやらない。騎士たちは別に俺の弟子ではないわけだし。
なので、実戦的な動きを中心に教えていくことにしている。皆やはりレベリオ騎士団に所属するだけあって、基本的な資質は素晴らしいものだ。そこに俺の経験や技術を少しずつ加えていく感じである。
剣の道は一日にして成らず。
まあこれは剣に限らずだが、どんな道であっても短時間で極めることが出来るのなら誰も苦労はしない。一日一日の積み重ねが何より大事なのである。
そんなことを思いながら騎士たちに指導をしつつ、また打ち込み稽古もしつつ汗を流していると、時間は結構すぐに過ぎ去っていくもので。
「……よし、一旦この辺で終わろうか」
「はい。お疲れ様でした」
気付けばお日様は既に真上を過ぎ去った後、間もなく西方向に傾こうかと言った頃合い。
そこそこにいい汗をかき、疲労感も丁度良いところで一旦区切ることにする。
あまりこういうのは、毎日根を詰めていいこともないしね。適度な負荷と適度な休息がやっぱり成長には必要なんである。
元々道場で教えていた時も、一日まるっと使って指導、なんてことはしていなかった。まあその時の相手は子供が多かったから、そんな体力も集中力もなかったという事情もあるが。
「邪魔するぞー」
「……うん?」
さて、今日のお役目も無事果たしたし、後はどうするかなと思った矢先。
この場にはあまり似つかわしくないやや横暴な、そして幼い声が修練場に響き渡った。
「……ルーシーじゃないか」
「お、おったおった」
姿を現したのは、昨日俺の家に上がり込んでいたルーシー。俺の姿を見つけるやひらひらと手を振りながらの登場である。
「ルーシーさん。こちらまで来られるのは珍しいですね」
「うむ、こないだ話をした件でな」
ルーシーの来訪に気付いたアリューシアも、汗を拭いながら対応する。
こないだ話をした件、というのは恐らく魔術師学院絡みの例のあれだろう。あの話をしたのは昨日だから、そこから丸一日経つか経たないかくらいになる。随分と早いお出ましだ。
「早速じゃが、明日ベリルを借り受けたい。構わんかの?」
「いきなりだなあ……」
こいつもうちょっとスケジュールとか考えろよ。俺も暇じゃないんだぞ。
「構いませんよ」
そんな俺の思いを他所に、アリューシアはさらっと了承を出していた。いいのかよ。おじさんちょっとずっこけそうになっちゃったぞ。
相変わらず、本来俺が主導権を握るべきものについて、俺以外の人が握っている感じはする。もうこっちに来てからこんなことは何回も繰り返されているから、俺もいい加減慣れたけどさ。
「というわけじゃ。ベリル、明日の九時頃に魔術師学院前に来てもらえるかの?」
「それはいいけど……意外とゆっくりだね」
そんなわけで、明日の俺の予定が決まってしまった。
しかし、朝九時は結構のんびりである。ちょっと騎士団庁舎に来て軽く運動しようかなと思うくらいには、起きてからの時間に余裕があった。
「お主らが早起きなだけじゃろうが」
「ははは、ルーシーもちゃんと寝て朝起きた方が気持ちいいよ」
「わしにはわしのリズムがあるんじゃよ」
小言を交えて雑談を交わす。
まあ俺も、人の生活リズムにまで茶々を入れるつもりはそんなにないけどね。言った通り、ルーシーにはルーシーの生活があるんだろう。研究とかで夜更かししまくってそうだけど。
「学院前ではフィスを待たせておく。それじゃまたの」
「ああ、分かった」
言いたいことだけ言って、ルーシーはさっさと修練場を後にしてしまった。
本当に彼女は嵐のような人物である。近くに居るとこっちにも被害というか、余波が及んでくるのはちょっとした弊害だが、まあ今のところ退屈はしていない。諸々勘案しても、一応プラスにはなっているんだろう。多分。
さて、明日とはいっても別に準備するものもないしなあ。庁舎に向かう時と変わらず、剣を片手にお伺いするだけだ。
あ、一応ミュイには今日帰ったら伝えておこう。あまり良い顔はされないかもしれないけどね。




