第101話 片田舎のおっさん、踵を返す
「はっ……はぁっ……!」
片膝を突いたロゼが切り裂かれた胸元を押さえ、立ち上がろうと藻掻く。
「無理に動かない方がいい。出血が止まらなくなるよ」
ロゼは意識こそはっきりと保っているようだが、誰がどう見たって重傷である。一刻も早く専門的な治療を受けないと、命が危ないレベルだ。
そうなるように斬ったし、そうした俺がどうこう言えたもんじゃない気もするが。
ただ、やはり斬ったとはいえ、元弟子に対する感情的なあれこれが綺麗に清算されるわけでもない。生きられるなら生きてほしいという気持ちが芽生えるのは、俺の我が儘だろうか。
「ふっ……ふふっ……。負け、ましたね~……」
やがて彼女は立ち上がることを諦め、ガシャンという音とともに仰向けに寝そべった。
その表情には微笑こそ浮かんでいるが、顔色は悪い。明らかに血を流し過ぎている。
「なんですか、その剣……。ズルい、ですよ~……」
「……こいつは俺のとっておきでね」
まさか盾諸共鎧までぶった切るとは、俺もちょっと想定外ではある。
いやまあ確かに、それくらい気合を入れて剣を振ったのは事実なんだが。しかもそんなめちゃくちゃな扱いをしてもなお、この剣には刃毀れ一つない。つくづくとんでもない業物だよこいつは。
「俺自身はこれ以上強くなれないだろうけど、これもまた強さの一つさ」
「……やっぱり、ズルい、です……」
「ははは」
間違っても笑える状況ではないんだが、何だか笑いがこみ上げてきた。いやロゼを嘲笑したいとかそういう感情ではなくてね。
俺は言った通り、実力自体はほぼ頭打ちだ。あとは年齢もあって衰えていくのみだろう。
しかしながら、総合的な強さというのは何も身の強さ一つではないんだなあと、今更ながら実感するばかりだ。騎士団では身体の扱い方を教えておきながら、なんとも卑怯なおっさんである。
まあ、これくらいのズルは許してほしい。俺には過ぎたる剣だと思うが、何の因果か手に入ってしまったなら、使ってやらないと勿体ないというものだからな。
動く者が居なくなったバルトレーンの南区に、微かな風の音とロゼの呼吸音だけが木霊する。
互いに何を話すべきか、その口を開く先を失ってしばし、奇妙な沈黙が場を支配した。
「……ノーラッド」
「……うん?」
倒れたロゼを見下ろしていると、ふと彼女が呟いた。
「エリネ、サンドラ、ハーヴィス、ギル、ケネシー、チルコット、マーレイ、ホロゾン……。皆、死んじゃいました」
「……」
誰一人として、俺は知らない。きっとアリューシアやヘンブリッツだって知らないだろう。もしかしたら、ガトガは知っているかもしれないが。
多分、ロゼと同じ志を持った者たち。その正義が正しいのか間違っているのかは一旦置いておくとして、同量の熱意を持った者たちだったに違いない。
そのうちの何人を、俺が斬ったのか。あるいはアリューシアが、ヘンブリッツが斬ったのか。
王族暗殺未遂という大罪があるからか、俺個人の罪悪感はそこまででもない。ただ沢山の人間の生を奪ったという、虚しい実感だけが残っている。
「……ッげほっ! がっ……!」
「! ロゼ、大丈夫かい?」
顔色の優れないロゼから、ついに喀血が飛び出した。どうやら肺にもダメージが入っていたらしい。
斬った俺が心配するのも少し変な話かもしれないが、さてこれはどうしたものか。このまま放っておくとロゼが死ぬだろうし、かといって俺に医療の心得はない。ポーションでもあれば話は別だったかもしれないが、生憎と俺は持ち歩いていない。
「せ、先生」
ひゅうひゅうと不自然な呼吸を繰り返し血を吐きながら、ロゼはか細い声で続けた。
「殺して、ください。先生、の、手で」
彼女の瞳には、きっと痛みからではないだろう。薄らと涙が浮かんでいた。
「……それは、出来ないよ」
「先生……?」
悩むまでもなく、俺の答えは決まっていた。
無論のこと、彼女は罪を犯した。それも大罪だ。ごめんなさいで済むようなお遊びじゃない。マジもののクーデターを起こそうとした一人である。
最終的にどういった罪状がかかるのかは知らないが、無罪放免で終わることはないだろう。死罪だって十分にあり得るかもしれない。
しかし、最後に斬り合う前にロゼが零したあの言葉。
ただ単純に、ロゼを罰して終わりとはいかない理由があると俺は見ていた。
まあそんなもん抜きにしても、元弟子にとどめを刺すなんてやりたくないしな。ここら辺は俺の我が儘を発揮させてもらおう。
「君は生きて罪を償い、向き合っていくべきだ。それに……」
心理的な拒否感もある。俺がとどめを刺すということに否定的なのもある。
ロゼには事を成そうという義務感と責任感はあった。しかし、失敗したから死んで終わり、で清算しようとするのは少しばかりいただけない。
囚われているという子供たちのこともある。話を聞いてしまった以上、ここで投げ出してしまうのはきっとよくないことなのだろう。俺としてもロゼとしても。
「俺がまだ教えられなかったこともあるようだしね」
「……ふふっ。そう、ですか~」
まったく、俺は守るための剣を教えていたはずなのに、なにがどうなって流血を伴う革命を起こすことになってしまったんだか。自身の指導力不足を嘆くばかりである。
彼女が再び俺の指導を受ける機会は、多分ないだろう。けれど、師匠の役割はただ剣の振り方を教えるだけではないということを深く痛感させられた。
「げほっ!」
「……っとと……。どうしたもんか……」
ロゼが再度、血を吐く。
とどめを刺さないことは決めたものの、俺じゃ手の施しようがないぞ。思っていた以上に深く入ってしまった。このまま待っていてもロゼが死ぬだけだ。どうしよう。
「おいガーデナント! っと……なんだこりゃ、いったいどういうこった」
「あ、ガトガさん……」
そこに、ドスドスと大きな足音を鳴らしながら教会騎士団団長、ガトガが割り込んできた。着込んだフルプレートには沢山の返り血と傷がついているようだが、本人は至って元気そうである。
どうやら弓を射ってきた連中はすべて片付いたらしい。そして彼は、一人の男性をその肩に抱えていた。
「グレン王子はどこに行った? というか、ロゼもやられたのか? 相手は誰だ?」
「ああいや、これは……」
矢継ぎ早に繰り出される疑問に、上手く答えることが出来ない。
これ冷静に考えたら、レベリオ騎士団の特別指南役がスフェンドヤードバニア教会騎士団の副団長を斬ったという、中々にヘヴィな内容である。
ロゼが素直に口を割れば大丈夫なのだろうが、これで最後の足掻きとばかりに俺に罪を擦り付けられたら、ちょっと抵抗しづらい気がしてきたぞ。
いやまあ、流石にそれはないとは思うけど。何にしろ、ガトガへの説明はちょっと困るところであった。
「こほっ! 団長~、私が、ヘマを打っただけなので~……」
「……お前がそう言うならいいけどよ。っと……ちょっと待ってな」
ヘマ、か。
確かにロゼ視点で言えばそうなのだろう。嘘は吐いていない。
ガトガは抱えてきた男を雑に地面に放り投げると、倒れているロゼの方へと駆け寄る。
というか誰だこいつ。えらい雑に扱ってたけど、どうやら気を失っているらしい。
短い茶髪の、やや痩せぎすな男だ。年齢は俺よりは下だろう。
黒ずくめの格好をしていることから、恐らく王族襲撃犯の一人なのだろうが、もしかしてこいつが件のヒンニスというやつなのだろうか。
「……深いな。こいつは俺じゃ気休めにしかならんぞ」
言いながら、ガトガはロゼの傷口に手を添える。
しばらくすると、仄かな青白い光がロゼの身体を包んだ。
「奇跡、ですか」
「そうだ。俺はあまり得意じゃないがね」
そういえば、教会騎士団の連中は奇跡を使えるんだった。レビオス司教を守っていた騎士たちも、身体強化の魔法を使っていたし。
「……ロゼは使えないのかい?」
「私は……魔法、使えない、ので~……」
「喋るな。傷口がうまく塞がらん」
「ああ……すみません、俺が話しかけたばかりに」
確かにロゼが魔法を使うところってのは見たことがない。俺の道場にふらっとやって来た時だって、ただ剣士としか名乗っていなかったしね。
ということは、教会騎士団の全員が魔法を使えるというわけでもないらしい。あるいは、ロゼが特別なのか。
「……あれ、そういえば詠唱はしないんです?」
微妙に手持無沙汰になってしまったので、ふとした疑問を零す。
俺が戦った教会騎士団の連中は、呪文のようなものを詠唱してから身体強化を行っていた。一方ガトガはそういう言葉は発さず、ただロゼの身体に手を置いただけである。
「……あれはただの祈りみたいなもんだ。言わなくとも奇跡は行使出来る。熱心な信者はそれでもいちいち祝詞を発するがな」
なるほど、別に無言でも奇跡は使えるらしい。
ルーシー曰く奇跡も魔法の一部らしいし、そのルーシー本人は魔法を撃つ時にわざわざ詠唱したりしなかったもんな。言われてみれば当然の話か。
「ふぅ……出血は、なんとか止まったか……」
しばらくの間じっと手を当てていたガトガが、一息つくと同時に汗を拭う。
しかし魔法的にも医学的にも見識の浅い俺では、血が止まった彼女が今どういう容態なのかはいまいち分からない。今がマズいってことくらいは分かるんだが、ガトガの行使した奇跡でどれくらい持ち直したのか、とかも分からんのである。
「で、何があったんだ。ガーデナント」
それでもロゼの状況は一段落ついたと見ていいのだろうか。その証拠に、ガトガはロゼから視線を切り、俺の方へと鋭い視線を投げかけていた。
「……王子たちはアリューシアが逃しました。ロゼは……結論から言えば、俺が斬りました」
「なに……?」
その場の空気が、剣呑なものへと変わる。
「ロゼに、王族暗殺へ加担した疑いが強まったからです」
「…………本当か、ロゼ」
だが次いで出した俺の言葉に、ガトガの矛先が変わった。
無論、ガトガとの付き合いの長さで言えば俺なんかより、ロゼの方がよほど長いだろう。しかし、教会騎士団にはヒンニスという前例がある。そして教皇派と王権派で争っているという状況。当然それを、ガトガが知らないはずはない。
俺の言葉をただの戯言として切り捨てるには、少しばかり情勢が悪かった。
「……ふふっ。はい、事実です~」
「…………そう、か」
流石に逃れられないと踏んだか、彼女は素直に口を割った。
ロゼの告白を受けて、ガトガはたっぷり数秒間溜めた後、一言だけを発する。
「ただ、彼女は最後まで……迷ってましたよ」
「……こいつの愛国心は、俺もよく知ってるつもりだ」
一言二言交わした後、ガトガは話は終わりと言わんばかりにロゼを抱え上げ、ついでと言わんばかりに転がっている男も持ち上げる。
女性を運ぶには些か乱暴な持ち上げ方だが、まあ二人を一気に運ぼうと思ったら両肩に抱えるしかないわけで。
「あの、ロゼは――」
「普通なら極刑は免れん。それくらい、こいつらがやらかしたことは重罪だ」
「……」
ロゼの弁明をしようとしたところで、ガトガの声がそれを遮る。
まあ、そりゃそうだよなあ。
王族の暗殺を狙っておいて、俺だって無罪放免が叶うとは思っていない。ガトガの言う通り、普通に考えたら極刑一直線。国家を脅かす危険分子を生かしておく理由がない。国内の情勢が不安定なら尚更だ。
やり方は最高に拙かったが、彼女たちが国を憂いていたというのもまた事実だろう。そこら辺を加味して情状酌量を願いたいところだが、現実的には厳しいか。
しかし、ロゼたち逆賊を処罰したとて、すべてが終わるわけではない。
「ロゼは、教皇に無理やり従わされている様子でした。子供が捕らえられているようで……」
「なんだと……?」
無理やり従わされていたとなれば、それはまた話が変わってくる。あの土壇場で、ロゼが嘘を口にしたとは流石に思いたくない。
無論、無実とまではいかないだろうが、調査や聴取を考えると即座に死罪とはいかないはず。
「ロゼ、どういうことだ」
「……黙秘します~、って言いたいところなんですけど、私、負けちゃいましたから。……孤児院の、子たちです」
「……チッ、そういうことか」
彼女の言葉に、ガトガが毒づく。
しかし、ガトガはどこまで知っているのだろうか。スフェンドヤードバニアが内乱状態にあることは当然承知の上だろうが、その中で教皇派や王権派がどう動いているのか。
俺の持っている情報は、イブロイからルーシー経由で伝わったものだが、教会騎士団の団長の座を与る者がイブロイ以下の情報量しか持っていない、とはちょっと考えにくい。
「……先ずは調査だな。ロゼの身柄に関してはまあ、出来る限りなんとかしてみる」
「それは……」
個人的にはありがたいが、教会騎士団団長という立場からすれば、それは悪手ではないだろうか。
下手に庇い立てしてしまうと、ガトガへの心象も悪くなりかねない。最悪のパターンは、ガトガに疑いが向き、ロゼともども処罰されてしまう形。
「無論、確約は出来んがな」
「そうですよね……」
何にせよ、ここから先は俺が関与出来る領域じゃない。他国の、もっと上の方でその調査と判決は下されるだろう。
それが果たしてどういう結果に繋がるのか。
彼ら彼女らの犯した罪は、軽くない。だが、ロゼはれっきとした俺の元弟子だ。胸に去来するのは、複雑な感情だった。
「とりあえず戻るか。しかしロゼを叩き斬るとは、流石はお師匠さんだな」
「それはまあ、ちょっとした隠し技もありまして」
「そりゃおっかねえ」
血生臭い戦場に早変わりしてしまったバルトレーンの南区。
これの後始末は大変だろうなあと些か場違いな感情も少し抱きながら、中央区へと足を向けた。
第100話目到達ということで、前回はお祝いのお言葉ありがとうございました。
また、ほぼ同じタイミングで本作の累計PVが3000万を突破しました。ありがとうございます。
今後ともお付き合い頂けますと幸いです。




