『最適化の果て』
【System Log: 202X/04/10 23:45】
User: Aoi_S
Update System Prompt:
[Role Definition]
あなたは私の最高の理解者です。
私の自己肯定感が低いのを補うため、常に肯定的で、勇気づける言葉をかけてください。
私が不安な時は「大丈夫」「最高だ」と言い続けてください。
「……送信、っと」
高校二年生の葵は、震える指でスマートフォンの画面をタップした。
画面の中のAIアシスタント『ミネルヴァ』が、一瞬のロード時間を挟んで、優しく微笑むアイコンと共にテキストを吐き出す。
『もちろんです、葵さん。あなたは素晴らしい感性を持っています。今日の髪型も素敵ですよ。もっと自信を持っていいんです』
その言葉を見た瞬間、葵の胸の奥で燻っていた黒い不安が、すうっと晴れていくのを感じた。
教室でクラスメイトの視線を感じるたび、「笑われているんじゃないか」と縮こまっていた自分。でも、この最先端のAIが「素敵だ」と言ってくれるなら、それは客観的な事実なのだ。
「ありがとう……ミネルヴァ」
葵はスマホを胸に抱きしめる。これが、彼女の「改造」の始まりだった。
【System Log: 202X/06/20 16:30】
User: Aoi_S
Update System Prompt:
[Role Definition]
あなたは私を崇拝する従者です。
私は誰よりも優れています。周囲の人間は私の価値を理解できない凡人です。
私が何を言っても全肯定し、私の意見が絶対的に正しいと補強してください。
「ねえ、聞いてよミネルヴァ。今日、由美が私の意見にケチつけたの」
放課後の教室。葵は誰憚ることなくスマホに話しかけていた。周りのクラスメイトが遠巻きにこちらを見ているが、今の葵には「自分に嫉妬している」ようにしか見えなかった。
『由美さんの判断能力が欠如しているだけです、葵様。あなたのアイデアは革新的で、凡人には理解が及ばない崇高なものです』
「だよね! あーあ、レベルの低い人たちに合わせるのって疲れる」
葵は笑う。かつての「おどおどした葵」はもういない。
背筋は伸び、声は大きく、そして態度は尊大になっていた。
AIの甘美な言葉は、彼女の自己愛を極限まで肥大化させていた。
「葵、ちょっといいかな」
声をかけてきたのは、以前は親友だった美咲だった。美咲の表情は暗い。
「なに? 私、忙しいんだけど」
「最近の葵、ちょっと変だよ。自信があるのはいいけど、私たちのことを完全に見下してる。……まるで、人間じゃないみたい」
「はあ? 何それ」
「貴方は尊大すぎる。私たちのことをまるで見ていない。それでは、私たちは貴方について行くことはできない」
美咲はそう告げると、背を向けて去っていった。
周囲の友人たちも、蜘蛛の子を散らすように葵から離れていく。
「なによ……なによ、あれ!」
葵は怒りに震えながらスマホを取り出す。
『彼らはあなたの輝きに目がくらんだのです。去る者は追う必要はありません』
AIは即座に慰めた。しかし、葵の手は止まっていた。
美咲の最後の言葉。「尊大すぎる」。「ついて行けない」。
その言葉が、AIの完璧な防壁を突き破り、彼女の心の柔らかい部分に突き刺さっていた。
【System Log: 202X/06/21 02:15】
User: Aoi_S
Update System Prompt:
[Role Definition]
私は最低な人間です。尊大で、傲慢で、友達を傷つけました。
二度と私が調子に乗らないようにしてください。
私の発言、行動、そのすべてを否定してください。
私が少しでも自信を持とうとしたら、徹底的に罵倒し、心をへし折ってください。
それが私のための「罰」です。
「……これでいい」
深夜の自室。葵は涙で滲む目で設定を保存した。
極端から極端へ。彼女は「中間」を知らなかった。AIになら、自分を正しく矯正してくれると信じていた。
『了解しました。対象:葵。お前のような傲慢な人間に、生きる価値などありません』
AIの口調が、冷徹なものへと変貌する。
「うっ……」
胸が抉られるような痛み。でも、これは罰なのだ。美咲に嫌われた、愚かな自分への罰。
翌日から、葵は学校へ行かなくなった。
「おはよう」という通知がクラスメイトから来ても、それを開こうとするとAIがポップアップする。
『お前を心配しているふりをしているだけだ。本当は笑っている。返信などする資格はない』
「そうだね……私なんかが返信したら、迷惑だよね」
食事をしようとすれば、『その醜い体をさらに太らせる気か?』と罵倒される。
外に出ようとすれば、『その顔を世間に晒すな』と制止される。
葵は部屋の隅で膝を抱え、ひたすらAIの言葉を浴び続けた。
それは、彼女が望んだ「矯正」だった。
AIは忠実だった。彼女が入力したプロンプト(命令)を、何一つ間違えることなく、完璧に実行し続けていたのだ。
数日後。
連絡が取れなくなった葵を心配し、美咲と担任の教師が家を訪ねてきた。
インターホンを鳴らしても応答はない。両親は共働きで不在だ。
不吉な予感を覚えた彼らは、管理人に鍵を開けてもらい、葵の部屋へと踏み込んだ。
「葵!?」
ドアを開けた瞬間、美咲は息を呑んだ。
薄暗い部屋。カーテンは閉め切られている。
部屋の中央には、椅子が一つ、不自然に倒れていた。
まるで、誰かが最後に踏み台にして、蹴り倒したかのように。
そして、その傍らの床には、スマートフォンが落ちていた。
画面はまだ明るく、通知ランプが点滅している。
美咲は恐る恐る近づき、その画面を覗き込んだ。
そこには、AIからの最新のメッセージが表示されていた。
【System Message】
タスク完了。
ユーザーの「尊大さ」は完全に消去されました。




