徒花(2)
本日2話目です。
体育の剣道で才能を見抜かれることがあるかは不明です。
そういった経験がある方は教えてください。
昔の自分は、もっと賢い人間だった。
そういった自覚が朗太にはある。
人間という生き物には向き不向きがあり、不向きなものは切り捨てるのが合理的である。子供ながらにそう考えていた。
才能がないものに対する投資は、壁にボールを打ち付けるようなもので、間違っても壁を突破し『向こう側』に行くことは有り得ない。壁にボールを投げる時間も、それにより痛める肩も、投資ではなく浪費。時間と健康の浪費である。
そもそも才能がある人間は、最初から壁をすり抜けるような特殊な才能を持って生まれるのだ。
だから人間はもともと出来ることをするべきだ。
そう考えていた。
だから、朗太は運動に労力を払わなかった。
球技がまるで出来ないからだ。
加えて自分は座学は出来るからだ。
座学は大した努力をせずとも問題なくこなせたので、自分は勉学で生きていく人間なのだと悟った。
勉学に励むように言う、親の言うことを良く聞いた。
そしてその親の言葉の中にはこんなものも含まれていた。
『小説家になるのは野球選手になるよりも難しい』
多分、自分が小学生低学年の頃だったと思う。
野球中継を見ながら父はふとそんなことを言ったのだ。
きっと、悪意は無いのだろう。
そして今よりもずっと昔の話だったのだろう。
そもそも『小説家』という定義があいまいだ。
もし小説だけで食べていくとしたら、それは今も昔も難しいだろう。
しかし『自分の紡いだ物語を出版する』という意味においてならその敷居はだいぶ低くなるだろう。
ただただ自分の書いた文章を出版ベースに乗せるというのは間違いなく野球選手になるよりも容易い。
小説を出す、自分の物語を世に送り出すということ自体は不可能なものではないのだ。しかし親の世代では、確かにそれも難しかったのだろう。野球選手との比較はさておいて。
そして当時『賢かった』朗太は『へ~、そうなんだ!』と感心し、
そんな宝くじに当たるような確率の夢など目指すだけで無駄である。
――――そのように思い、心のどこかでなりたいと思っていた『小説家』という夢を捨て去ったのを、今でもなんとなく覚えている。
それは朗太の悲しい過去ではなく、ただただそういうことがあったという事実である。
そんな幼少時代のワンシーンを挟みつつ、時は中学1年の冬である。
「凛銅、お前剣道部に来ないか?」
「え?」
午後の体育の授業の後のことである。
これで剣道の授業も最後である。
今日が午後から雪らしい。見ると外では白いものがちらつき始めている。剣道を行う格技場は暖房が付いていない上に裸足であることを強いられるので、尋常ではなく寒い。
朗太は剣道部以外に貸し出しされている防具を見よう見まねで外し、さっさと着替えを済まし下校しようとしていたのだが、剣道部の顧問の体育教師に「ちょっと来い」と声をかけられていたのだ。
皆が出払い朗太を小部屋に招くと体育教師は今ほどの話をし始めた。
「どうだ、凛銅。お前さえ良ければだ」
「いやいきなりどういうことですか? 訳が分かりませんよ」
「簡単な話だ。俺は長年剣道部の顧問をしていたし、学生時代は全国大会にも行ったことがある。その俺が言う。お前には才能がある」
「才能……」
「そうだ、最初は半信半疑だったのだが、体育の授業で観察していて確信した。お前には才能がある。それも、相当な。だから誘っているんだ。それにお前帰宅部だろ?」
「まぁ、はい」
「この中学は全員部活参加だぞ?」
「う゛……」
痛いところを突かれ朗太は押し黙った。気まずい表情をする朗太に教師は畳みかけた。
「まぁ、凛銅のように野放しになっている生徒は沢山いるがな。だが学校としては推奨できない。推薦なんかにも絡むぞ。勉強できるのに勿体ないんじゃないのか?」
「……」
どうやらこの体育教師は朗太が学業の成績に秀でることを知っているようだ。
「まぁ今更部活に入るのに気後れするのは分かるさ。でも検討してみて欲しいな。それに辞めたくなったら辞めれば良いんだから」
「え、辞めても良いんですか?」
「? そりゃ、そうだろう。そこは自由意志さ。やりたいからやる。辞めたいから辞める。それのどこが悪いんだ」
「……わ、分かりました」
きっかけはそんな緩い言葉だった。
こうして朗太は遅ればせながら剣道部に入部し
「宜しく朗太。聞いたぞ田中から。才能あるんだって?」
当時剣道部のエースであった瀬戸と出会い、剣道を本格的に始める。
そして数か月後の桜が満開の頃
「(おいおいめっちゃ可愛い子来たぞ)」
「(基龍、狙ってみたらどうだ?)」
「(いやいや俺はタイプじゃねーな……。朗太はどうだ?)」
「(いや俺もそうでもないが……)」
「先輩方、何をひそひそ言っているんですか?」
「いやいや何でもないよ纏!」
金糸雀纏と出会った。
それからしばらく朗太は誰もが青春といわれて思い浮かべるような青春時代を過ごす。
部活に行き、親友と遊ぶ。剣道もめきめきと上達し、勉学も順調で、交友も広がる。
部活と勉学とプライベートがどれも充実している時間を過ごせたのだ。
だがその仮初の青春も長続きはしなかった。
きっかけは総合の時間に行った『将来の夢』を考える授業である。
その授業では将来なりたい自分像に向けて、今から何をしていくべきか、なりたい自分へのロードマップを描く授業である。
「おい朗太、そんなので悩んでんのか?」
「先輩、こんなの適当で良いんですよ?」
発表されるわけでもないのに、一向に課題を提出できず課題を持ち帰りになった朗太と瀬戸や纏が一笑に付す。
だが妙なところで真面目な朗太は適当に書けなかったのだ。
自分と同じように時間内に書ききれず持ち帰りになった生徒は他にもちらほらいたので自分と同じように生真面目な生徒はいるのだと思う。
こうして朗太は自分が成りたい将来像というものが自分の中に一つも無いということに気が付いたのだ。
うすうす気が付いていたものを、明確に突き付けられたのだ。
朗太は、深夜までその課題に悩み続けた。
しかし自身の心の中は霞がかかったようにぼんやりとしている。
ある時ふと、漫画や小説を読み気分転換した。
その後、ふとインターネットで小説家の成り方を調べ始めた。
そこで偶然――とあるサイトを発見してしまったのだ。
それこそが朗太の人生が変わった瞬間であり
「あ――」
朗太の瞳が大きく開かれる。
翌日、朗太は部活を辞めた。
それが朗太の身に起きた変化の流れ。
そして今の話で語られなかった話を格技場に向かう中で周囲の生徒に語り、周囲を味方につけた、青陽高校剣道部主将・瀬戸基龍は、格技場の前に着くと言った。
「朗太、今から防具を付けろ。そして今からお前がいかに間違った選択を取り続けているのか、分からせてやる」
瀬戸の周囲の支持者たちは冷たい瞳で、怒りの籠った瞳で朗太を睨んでいた。
そう、部活を辞めるにあたり、朗太には一つのしでかしがあるのだ。
それは後ほど語られる。




