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2,1 時間が止まる場所 Relativity・承


「田舎だな」

「田舎ですねー」

「マジで田舎だぞ、ここ。ほら見ろよ、木の上にひっかかってるアイツ。蜘蛛だ。クソデカい蜘蛛だ。蜘蛛がマジでクソデカい。虫が異様にデカい地域は総じて田舎だと相場が決まってる」

「先輩の田舎の定義、全力で偏ってません?」

「逆にイオンがあったら田舎じゃないんだ。これ、豆知識(まめ)な」

「『うちの地元はイオンあるから田舎じゃない』は田舎者の常套句(じょうとうく)十年連続No.1なんですけど? モ○ドセレクション金賞受賞しちゃいますけど?」

「ああ、金を出せば誰でも金賞受賞と噂の……」


 他愛無い話をしながら、ぼくと先輩は山の中を歩いていた。

 ここは依頼文にあった”神社の裏山”だ。

 ”時間が止まる場所”の調査依頼を受けたぼくたちは電車で一時間ほど揺られ、降車するやいなや早速例の”五角形のしめ縄”を目指していたのだった。

 依頼人がメールに添付してくれた手書きの地図は正直心もとない。

 絵心がなくて直線が直線になっていない上に、縮尺も曖昧。

 なにより文字が全部「THE・女子☆」て感じの丸文字で、女子のぼくですらとんでもなく読みにくかった。

 とはいえ、なんとか地形図と照らし合わせつつ進むことはできていた。

 道筋はぼくが手持ちのビデオカメラで記録し、定期的に目印を残しているから遭難対策はバッチリだろう。


「――とはいっても、山に入った時はまだ日が高かったハズなのに、もう暗くなってきてますね」


 暗くなるとさすがに危険そうだし、夜になったら引き返そうかな――なんて考えていた。その時だった。


「知ってるか、時間停止系AVの9割がヤラセなんだってよ」

「は?」


 は?

 先輩の爆弾発言に素の声が出てしまった。

 いやでも、は? 何? いきなり? 下ネタ? 後輩女子に対してぶっこんでくる? どういう神経してんの?


「先輩……見てるんですか、その……エッチなビデオ(そーゆーの)


 可能な限り軽蔑を込めた目つきでじとーっと先輩を睨みつけた。


「やめろ、その2週間放置した生ゴミを見るような目で俺を見るんじゃあない」

「せんぱい、フケツです」

「やめろやめろ! わかったって、いきなり下ネタをぶっこんだのは俺が悪かったよ! そもそも俺は二次元専門だから実写AVは観ない。俺が言いたいのはそこではなく――」

「つまり、その――時間停止系の……アレ、の1割が本物ってコト……ですか?」

「そうだ」


 あー……なるほどね?

 バカなんだな、この男は。ぼくはついに確信した。

 ぼくの先輩は学園一の頭脳を持つと言われている超秀才だ。

 授業中いつも寝てたり人付き合いは面倒だから拒んでるような一見ダメ人間だけど、テストの成績は常に学年トップ。しかも彼が真面目に勉強しているところを誰も目撃したところがない。謎だ。

 一説には改造人間とか企業のスパイとか、天才の遺伝子から産み出されたデザイナーベイビーだとか、根も葉もない噂が飛び交ってるけど……ぼくだけは正体を知っている。


 結論。この男はクールな秀才などではなく、陰キャでぼっちでアニオタの変態野郎でしかない。

 Q.E.D.証明終了。


「でも……でも彼女いない、友だちいない、人望ない、デリカシーもない、ないものだらけの陰キャな先輩が唯一の長所だった頭脳まで当てにならないってなったらどうすればいいんですかぁー! 先輩がかわいそうです、秀才かと思ったらただの変態で……あまりにもダメすぎて生きてるのがかわいそうです……」

「おいおい、さすがに俺もそこまで言われたら泣くぞ。泣いちゃうからな? いいのか、年上の男がトイザらスでおもちゃ買ってほしくて暴れる子どもみたいに泣きわめいてもいいのかよ? それはもう痛々しい姿だろうよ」

「なんで変態発言して責められてる側が開き直って今世紀最大級に情けない脅迫を始めてるんですか……年下女子に向かって……」


 本気の軽蔑の視線に耐えかねたのは、先輩は両手を上げた。

 降参のポーズだった。


「すまない、俺の負けだ。そろそろ本題に入ろう、俺が言いたかったのはつまり――時間を止めるってのはかなり難しいってことだ。現代自然科学をベースに考察するとな。”熱力学第二法則”って聞いたことくらいはあるだろう?」


 変態的ジョークから一転して真面目モードになった先輩。

 おそらく目的地が近いというコトなのだろう。

 夕日に照らされた眼鏡がキラリと妖しく光った、気がした。

 ぼくもおふざけはやめにして、”時間が止まる場所”の謎を考察し始めた。


「”熱力学第二法則”……聞いたことがあります。たしか、”エルコンドルパサーの増大”みたいなヤツでしたっけ?」

「そうそう、凱旋門賞二着に輝いた日本競馬史上屈指の名馬――じゃねえよ! それを言うなら”エントロピーの増大”だ」

「ええと、エントロピーってつまり、時間が経てば部屋は散らかっていく……みたいな話でしたよね」

「極限まで簡略化するとそうなる」

「ぼくの部屋がすぐに散らかっちゃうのも熱力学第二法則のせいなんですね!」

「それは単にお前が片付けられない女だからだ」


 先輩が無慈悲に言い放った。


「要点は、『時間は不可逆である』ってコトだ。現代自然科学の原則で言うなら、時間とは過去から現在に、現在から未来に向かって流れ続けてゆく。あるいは、前に向かって放たれた矢のように方向性を持っていると捉えられている。量子力学的には少し考え方が違うが……それは今はおいておこう。この件は素粒子の世界とは関係なさそうだからな」

「いろいろ頭がバクハツしそーな話が出てきましたけど、先輩が言いたいのは『時間が止まる』なんてあり得ないってコト……で、いいんですよね?」

「そうだな。無論、あり得ないなんてことはあり得ないし、この世には決まりごとなんてないんだが。とはいえ依頼の状況からして、時間が本当に止まるなんて仮説は飛躍が過ぎるだろう」

「うぅーん、でも依頼人の文章を素直に読み取るなら、その場所だけ時間が止まっていたとしか思えないんですよねぇ。不思議ですねぇ……」


 ぼくはこめかみに指を当ててうんうん唸った。

 先輩はぼくが悩んでいるのを横目で見ると、小さくこう言った。


「不思議なことなど、この世には何一つない。時間は相対的なものであり、体験は全て主観でしかない。故にあらゆることが起こりうる」

「ぇ――?」


 不可解な発言にぼくは思わず先輩の顔をまじまじと見た。

 それはどういう……?

 だけどいつもの先輩だった。さらりと話を続ける、


「そもそも時間って何だと思う?」

「え……っと、たぶん、時計が一定のリズムで示す間隔のコト……ですかね」

「悪くはない答えだが、最良ではないな。そいつはちょっと古い考え方だ。時間は常に未来に向かって一定間隔で進む、ってな。等速直線運動みたいな捉え方だが、現代の解釈は違う。重力や速度の影響で時間の流れが違って見えるという現象が確認されている」

「それ知ってます! ”そーたいせいりろん”ってヤツですよね!」

「そう。時間とは相対的なものだ。身近な例で言うと、そうだな――新幹線には乗ったことがあるか?」

「ありますケド」

「光速に近づくほど時間の流れは遅くなる。つまり時速約200kmで走る新幹線に乗った人間にとっての時間の流れは、静止した人間と比較して1秒間に100兆分の2秒ほど遅くなるということだ」

「は、はへぇ〜」

「だが今回の事例では依頼人にそれほどの速度が出ていたとは思えない」

「ってコトは……」

「そう――重力だ」


 先輩はカメラに向かって指を一本立て、芝居がかった口調で言った。


「しめ縄の内側の重力ポテンシャルが特殊だったんだよ!」

「な、なんだってー! って……全然意味わかんないんですけどォ!?」


 もはや話に全然ついていけない。

 けれど先輩は構わず話を続けた。


「簡単に言えば、重力が強すぎて時間が遅れたってことだ。しめ縄内部は極度にゆっくりとした時間の流れ。外部は通常の時間の流れだったとしたら、依頼人が内部で過ごした一瞬が外部では三日に延長されることもあり得る」

「嘘でしょ!?」

「ああ、嘘だ。嘘っていうか、ただのこじつけでしかない。だいたいそんな高重力下で人間が生きていられるわけがないからな。つまりこの依頼、『時間が止まった』と解釈するのは無理がありすぎるって結論になる」

「ですよねー」

「結局は事前にあれこれ理屈をこねくり回すより、現場を見たほうが早いってことだ」


 先輩は立ち止まって言った。


「着いたぞ」


 そこは、神社の裏手の森の中でも奥の奥だった。

 彼の視線の先には五本の巨木が円状に並んでおり、それぞれがボロボロのしめ縄に繋がれていた。

 五角形だ。まるで呪術的な意味合いを示すような。

 依頼人の言う通り、日差しが当たらないから本来は地面の草花が育たないはずの環境だっていうのに、その場所だけは背の高い草花が青々と生い茂っていたのだった。


 ぞくり。

 どう見ても尋常じゃない光景。威圧感が背中をビリビリと刺すような感覚になって襲ってくる。

 その場所こそがまさに、依頼文に示された”時間が止まる場所”に違いなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 先輩の科学的理論は聞いていて楽しいですね。 反証の為の考証というのも、可能性を一つずつ消していく過程なので面白いです。 [気になる点] そして実写は見ないと言う先輩、やはり二次元ものは見て…
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