20、祝祭の予感
新章です
レティシアは王宮での療養を終え、屋敷へ戻ることになった。
エリアスもまた、同じように療養を終えて帰宅する手筈が整えられている。
けれど彼とは別々に帰ることが決まっていて、言葉を交わす機会はほとんどなかった。
それでも、レティシアはふとした瞬間に思い出してしまう。
あの謁見室で見た、氷のように澄んだ瞳。
目を逸らされながらも、そこにわずかに揺れていた“何か”を。
レティシアは馬車に乗り込むと、薄く開いた窓の外を見つめた。
外の景色が流れていくたびに、胸の奥に残る余韻が波紋を広げていく。
「……ただの夢、じゃないわよね……」
小さく呟く言葉は、馬車を引く馬の蹄の音にかき消されてしまった。
馬車がゆっくりと屋敷の門をくぐり、やがて玄関前に停まった。
御者がそっと扉を開けると、馴染み深い屋敷の香りが鼻をくすぐる。
足を地につけると、石畳のひんやりとした感触が革靴越しに伝わった。
その瞬間、まるで現実に引き戻されたような心地がした。
「お帰りなさいませ、レティシア様」
専属侍女のマリーが駆け寄り、深く頭を下げる。
穏やかな笑みと共に、レティシアを迎える声は、どこかほっとする響きを持っていた。
「ただいま、マリー」
小さく微笑み返しながらも、胸の奥のざわめきはまだ完全には消えない。
マリーの案内で屋敷の中へ進むと、木目の美しい廊下がどこまでも続いている。
昼下がりの柔らかな光が、窓越しに廊下を金色に染めていた。
(……やっと、戻ってきたのね)
けれどその“やっと”という言葉には、あの瞳の残像が、どこかにまだ溶け残っていた。
***
数日後の昼下がり。
クラウゼ公爵家の屋敷に、思いがけない来客が訪れた。
「……殿下がお見えです」
扉の外に立つマリーの声に、レティシアは一瞬きょとんと目を見開いた。
まさか、あのリオン殿下が突然やってくるなんて思いもしなかった。
戸惑いを隠すように、そっとドレスの裾を整えて扉を開けると、リオンはにこりと笑っていた。
その柔らかい笑みと優しい声色に、レティシアの胸の奥がほんの少し、ほっと和らぐ。
「元気そうだね。……顔色も良さそうだし、安心したよ」
「はい。ありがとうございます。……リオン様こそ、お変わりなく?」
「うん。ちょっと顔を見に来ただけだから、気にしなくていいよ」
穏やかな口調でそう言われて、レティシアは小さく息を吐いた。
けれど同時に、唐突な訪問に胸が少しだけ高鳴ってしまう。
「でも……突然の訪問に、驚きました」
「そうだよね。ごめんね。ちょっと気になってさ。……あの時のことも、ちゃんと話を聞けなかったし」
リオンの瞳がふっと真剣さを帯びる。
その視線に触れられた瞬間、レティシアは思わず息を呑んだ。
ほんの一瞬だけど、胸の奥がざわりと揺れる。
けれどリオンはすぐに微笑みを戻し、ふっと息をついた。
「まあ……何か話したくなったらでいいよ。無理に聞き出すつもりはないから」
「……ありがとうございます」
その優しい言葉に、レティシアは小さく微笑んだ。
リオンの気遣いに、胸の奥が少し温かくなる。
「それでね。数日後に街でお祭りがあるんだ。屋台も出るし、音楽隊も来るらしい。……一緒に行かない?」
リオンの突然の誘いに、レティシアは思わず目を瞬かせた。
体調を気にして訪ねてくれただけかと思っていたのに、まさか祭りに誘われるなんて___。
「……私でよろしければ、ぜひ」
少し頬を染めながら、レティシアはそう答えた。
リオンは嬉しそうに目を細め、にこりと笑った。
「決まりだね。楽しみにしてる」
ふわりと和やかな空気が流れ、レティシアの胸には小さな期待が灯った。
「お祭りの時に……もしよかったら、あの日のことも少し話してほしいな」
リオンは穏やかに微笑むけれど、その瞳はどこか真剣で、まるで心の奥を見透かすようだった。
レティシアは視線を逸らし、微かに息を呑む。
胸の奥に、まだ形にならない言葉が揺らいでいる。
「……はい。その時に」
リオンの目がふっと緩み、彼女を見つめる視線が優しく和らいだ。
けれどその一瞬、レティシアの胸に不思議な不安と期待が同時に広がる。
___きっと、お祭りの夜は忘れられない時間になる。
そんな予感が、ふわりと胸を震わせていた。
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