14、目を覚ましたのは
夜の静寂に包まれたバルコニー。
微かに揺れる蝋燭の明かりと、遠くで響く音楽。
月明かりに照らされたリオンとレティシアが、肩を並べて佇んでいた。
「今夜の君は、本当に綺麗だよ」
リオンの言葉に、レティシアは少しだけ視線を逸らし、口元に微かな笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます。でも、昔の私なら、もっと堂々としていたはずなんです。なのに今は……少しだけ、自信がなくなる時があって」
月明かりの下、その瞳にはわずかな迷いと、真っ直ぐな誠実さが宿っていた。
「……ううん、それでいいと思うよ」
レティシアの言葉を受けて、リオンはゆっくりと首を横に振る。
「昔の君も、今の君も、きっとどちらも本当のレティシアだ。変わっていくのは、悪いことじゃない」
月明かりに照らされた彼の横顔は、どこまでも優しかった。
「……最近ね、君と過ごす時間がとても心地よくて。こんなふうに話せるのが、すごく嬉しいんだ」
リオンの声は静かで優しく、レティシアの胸の奥に柔らかく染み込んでいく。言葉を返そうとしたそのとき____
リオンの表情が、ふと曇った。
「……っ、待って」
彼が一歩、レティシアの前に出る。月明かりに照らされた碧い瞳が、夜の帳の向こうを鋭く見据えていた。
「今、何かが……」
空気が変わった。確かな魔力のうねり___しかも、異質な気配。
まるで底知れぬ深淵が、ゆっくりと目を覚ますような。
「闇の……魔導書……?」
リオンの喉奥から、信じられないというようなかすれ声が漏れた。
何かが起きる。直感が、そう告げていた。
「ここにいて。すぐ戻るから」
リオンがレティシアを庇うようにして、振り返りざまに低く告げる。
その瞳は今までにないほど真剣で、どこか焦りすら含んでいた。
「リオン様……?」
「何が起こるかまだ分からない。でも、これはただ事じゃない。だから君はここに___」
その言葉の途中で、レティシアの心にふとした衝動が湧き上がった。
____行かなきゃ。
理由は分からない。ただ、胸の奥が強く、強く引き寄せられていく。まるで、そこに“何か”が自分を待っているかのように。
「……ごめんなさい、リオン様。行かなきゃ、いけない気がするの」
そう呟いた瞬間、彼女の足が自然と動き出していた。
「レティシア……っ!」
リオンが思わず手を伸ばすも、その手が届く前に____
重く、湿ったような気配が周囲を包み込んだ。
「――っ!」
そして次の瞬間、何かが爆ぜた。
轟音。光の閃き。足元が砕け、空間が歪む。
レティシアの身体がふわりと宙に浮かび____
誰かの腕が、彼女を強く抱きしめた。
「……レティシア嬢!」
聞き覚えのある声。氷のような冷たさを孕んだ、優しい響き。
それは、エリアスだった。
***
意識が戻ったとき、レティシアは冷たい石の床に倒れていた。
ぼんやりとした視界の中、天井は低く、無骨な石積みで覆われている。空気は重く、湿り気を帯びており、どこかから水音がぽつり、ぽつりと響く。
(……ここは……王宮の地下……?)
王宮の地下に、緊急時の避難場所として使われる区画がある___そんな話を聞いたことがある。
レティシアはそっと声を漏らす。
「リオン様……?」
返事はない。
代わりに微かにうめき声が耳に届いた。
「……!」
慌てて身体を起こし、声の方へ駆け寄る。
そこに倒れていたのは、黒衣の男。冷たい銀の髪が散らばり、氷のような瞳を思わせるその姿を、彼女は知っていた。
「エリアス様……!!」
彼は額から血を流し、左腕を押さえてうずくまっている。意識は朦朧としているようだった。
「大丈夫ですか!? しっかりして……!」
レティシアは震える手で、エリアスの顔を覗き込む。彼の呼吸は浅く、額に滲む汗がその苦痛を物語っていた。
(どうしよう、こんな……!)
彼女は焦る気持ちのまま、左腕の傷口へと手を伸ばした。裂けた袖の下から覗く、血に濡れた皮膚___その近くにそっと触れようとした、まさにその瞬間。
まるで、それを待っていたかのように___彼女の手のひらが、淡い光を放ち始めた。
「......え?」
レティシアは目を見開く。戸惑いの声が漏れた。
思い当たる理由はない。魔導書の知識にも、彼女自身の魔法にも、この“光”は存在しないはずだった。
けれど、確かに感じる。温かな光が、彼女の内側から滲み出るように流れ、そっとエリアスの傷口を包んでゆく。
次の瞬間、彼の額の傷が、まるで最初からなかったかのように、すうっと塞がった。
「……これは……」
信じられないものを見るように、彼女は自らの手を見つめる。
今、自分が使った力が何なのか___わからない。
けれど、不思議と怖くはなかった。
頭では理解できなくても、身体がその“使い方”を覚えている。まるで、ずっと昔から知っていたかのように。
その何かは、確かに彼女の中で、静かに目を覚まし始めていた。
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