33 いざ出航
クライヴは椅子に座り、帝国艦隊の動きを見ていた。
あの五十嵐大将がいなくなった以上、狂気の指揮は終わり、理性的な行動を取ってくれるはずと信じたい。
あるいは上官の弔い合戦に燃えてしまうのか?
しかし、そんなクライヴの不安は杞憂に終わり、空母と二隻の駆逐艦は転進し、ケーニッグゼグ領から離れようとしていた。
「よし。敵艦隊が見えなくなったら戦闘終了だ」
「主殿。本当に見逃すのカ?」
コルベットが不思議そうに尋ねてくる。
「ああ。俺は向かってくる敵を倒すのを躊躇しないが、背を向けた相手を撃つのも好まん。彼らに怨みがあるわけでもないしな」
クライヴは朧帝國そのものを嫌っているが、だからといって、そこに住まう人々まで根絶やしにしようとは思わない。
いや、それ以前に帝國それ自体も、存続してくれて構わなかった。
ようは、こっちの邪魔をしなければ、それでいい。
「主殿がそう言うのであれバ」
昨日まで鋼鉄兵のAIだったコルベットにとって、敵を殲滅するチャンスを逃す愚に違和感があるかもしれない。
しかし、クライヴたちは軍隊ではなかった。
街と人を守るのが目的。それが達成されたからには、戦闘終了だ。
「さて。クライヴには聞きたいことがあるのだが……その前に琥珀。お前の足元にいる黒いのはなんだ? なにやら、にゃーにゃー鳴いているが……」
「こ、これはその……連れてきちゃったんです!」
例の黒猫は、琥珀の袴の中に隠れ、尻尾だけを出している。
そして、たまに「にゃーん」と声を出す。
「まあ別にいいけど。ちゃんと自分で世話をするんだぞ」
「はい!」
ミュウレアはなにやら偉そうな態度で、しかし琥珀は素直に頷いた。
「ねえ、それよりも。そこにいる殿下とそっくりなメイドさんは誰……?」
レイがコルベットを見つめながら、不思議そうに呟く。
「ああ、そうだ! 妾もそれを聞きたかったんだ。おいクライヴ。これは一体、どういうことなんだ!?」
ミュウレアもまた、ムスッとした表情でクライヴを睨んできた。
確かに、ミュウレアとコルベットは同じ顔だ。
そのように作ったのだから当然である。
「姫様の影武者アンドロイドを改造したものですよ。コルベットから説明がありませんでしたか?」
「いや、それは聞いたが……妾が聞きたいのはそういうことではなく――」
ミュウレアがなお食い下がろうとした、そのとき。
正面スクリーン、及び、レーダーに警報が表示された。
そして危険を知らせるアラームが響く。
「コルベット、何事だ!?」
「海底に、禍津の反応アリ。帝国艦隊の進行方向。距離三百、二百八十、二百六十……」
禍津、だと?
その言葉に、ブリッジに緊張が走る。
ミュウレアも琥珀もレイも。
そしてクライヴですら拳を握りしめた。
「禍津、浮上」
コルベットの機械的な声とともに、それは海を隆起させて現われた。
帝国艦隊の進行方向、すなわちケーニッグゼグ領とは逆方向の沖合に。
毒々しい七色に染まった、軟体生物。
八本の触手を持つ蛸――。
ただし、空母を叩き割るほど巨大な触手を持った蛸だ。
「空母を一撃か! クライヴの対艦刀並だな!」
ミュウレアはクライヴを引き合いに出した。
それはつまり、最大級の賛辞。最大級の脅威。
こうやって見ている間にも、蛸はその触手で二隻の巡洋艦を海に引きずり込んでしまった。
つまり、敵艦隊の全滅。
クライヴたちにとっては勝利であるが、同時により強大な敵が現われたのだ。
微塵も喜べない。
「おいおい! まさかあの蛸、十年前の白龍よりデカイんじゃないだろうな!?」
「いえ……確かに触手を含めた全長は百メトロンを超えていますが……あの触手は実態がない。そうだなコルベット?」
クライヴの問いに、コルベットは答える。
「肯定。スキャンの結果、あの触手は灮輝力で作られた疑似物質。本体の大きさは、七十メトロン級と推定されル」
「七十メトロン級か……つまり雑魚だな」
クライヴがそう断言すると、レイがギョッとした顔を作る。
雑魚? それマジで言ってるの? と問うような顔だ。
なにせ、七十メトロン級といえば、一般的な基準からすれば超大型だ。
十年前にケーニッグゼグ領を襲った百メトロン級がむしろ規格外であり、五十メトロンを超えれば、それはもう艦隊決戦を挑むべき相手だ。
現に今、目の前で、三隻の軍艦が沈められたばかり。
その事実を踏まえてクライヴは断言する。
雑魚である、と。
仮に、百メトロン級が現われても同じことを言ってやる。
「コルベット。超重力砲、用意しろ」
「警告。あれは神滅兵装に多大な負荷ヲかける。主様とはいえ無事では済まなイ」
「案ずるな。俺はついさっき、覚醒したばかりだ。なあ琥珀」
「は、はい!」
クライヴは琥珀の血を舐めたことにより、過去最大の灮輝力を生み出した。
もちろん、あれが限界というわけではない。
琥珀にもらった血はまだ体内に残っており、これからいくらでも戦闘続行が可能だ。
「了解。超重力砲スタンバイ。目標、禍津」
コルベットの演算により、重力制御装置が優先順位を、船体制御から攻撃へと切り替えていく。
同時にクライヴは、街を覆っていた蒼い壁を消失させる。
そのせいで無防備になり、禍津に領地をさらす形になった。
しかし、全く問題ない。
一撃で屠ればよいのだ。
「ちょ、ちょっとクライヴ! あの蛸、こっちに来るわよ!」
「わわ……大きいです……!」
レイと琥珀は慌てふためき、ミュウレアも唇を噛み締める。
それを見てクライヴは思った
度胸のない三人だ、と。
ここをどこだと心得ている。クライヴが造った船の中だぞ。
ゆえに――一撃必殺に決まっている。
「超重力砲、エネルギー充填完了」
「発射!」
その瞬間、景色が歪んだ。
矢尻のような形のスティングレイの先端から、まるで空間が歪んだかのような異変が起きていく。
いや。
まるで、ではなく。本当に空間を歪めているのだ。
その歪みは線のように伸びていき、やがて沖の禍津へと至る。
歪みはそこで最大級となった。
真夏の陽炎のように禍津の姿がぼやけ、湾曲する。
すると、悲鳴が上がった。
禍津の断末魔だ。
文字では表記できないような、甲高い、不協和音。
それでも超重力砲は、更に空間を歪ませていく。
ぐにゃりと折り曲げ、引き裂いて、潰して、折りたたむ。
もはや耐久力など関係ない。
空間ごと破壊されるという現象に対し、防御など全くの無意味。
なればこそ、超重力砲は完全無欠の一撃必殺を実現する。
禍津は周囲の海水ごと圧縮され、破片一つ残さず、消え失せた。
本当に、この世界から、痕跡残さず。
一体どこへ? さあ? 細切れになって別の次元でも漂っているのでは?
超重力砲とは、そういう領域の兵器なのだ。
「おおお! 凄いぞクライヴ! あのデカイ禍津を一撃か! お前が凄いのはもちろん知っていたが、月に一度は驚かしてくれるな!」
「ふぇぇ……私は一時間ごとに驚いていますよ……」
「はぁ……私も三十メトロン級なら単騎で倒したことあるけど……七十メトロン級を一撃でね……琥珀様、私のほっぺ、思いっきり抓ってくれませんか?」
「え!? こ、このくらいですか……?」
「いででで!」
「わっ、ごめんなさい!」
琥珀は赤くなってしまったレイの頬を心配そうにさする。
「いいえ……おかげで夢じゃないと分かりました……ありがとうございます」
どうしてレイと琥珀は、クライヴが何かするたびに夢ではないかと疑うのだろう。失礼な話だ。
まあ、そうはいっても、超重力砲が桁違いであるという自覚くらい、クライヴにもある。
そもそも禍津の強さは、十メトロン違えば五倍になると言われていた。
つまりレイが倒した三十メトロン級と、今死んだ七十メトロン級の間には、六百倍以上の差があるという計算になる。
自分が倒した禍津の六百倍を、兵器を使ったとはいえ一撃で倒されては、誰でも複雑な気持ちになるだろう。
「帝国艦隊は沈んだ。禍津も滅びた。さてクライヴ。これからどうする? 妾はこのまま帝國本土に攻め込んでもいいと思っておるぞ!」
さっきまで泣きべそをかいていたくせに、ミュウレアはそんな勇ましいことを言い出した。
クライヴもこのスティングレイで帝國の全軍を相手取る自信はあるが――別にミュウレアほど反帝國に染まっていないので、必要性を感じない。
そもそも、ミュウレアだって本気で帝國を滅ぼそうと思っているわけではないだろう。
「それよりも姫様。白の大陸に行きたいと思います。レイが戦った灮輝発動者が、興味深いこと言っていたらしいのです」
「あ、そうそう! 帝國軍はついに白の大陸侵攻を決めたって。そのために琥珀様を作ったって!」
「ほう……ならば、その作戦のため、是が非でも琥珀を取り戻そうとするわけか」
レイの話を聞いたミュウレアは、腕を組んで考え込む。
そして自分を守るという話を聞いた琥珀は、申し訳なさそうに押し黙った。どうやら、まだこちらに遠慮があるようだ。
その辺はクライヴが口を挟むより、レイとミュウレアに任せた方が上手くいくだろう。
「にゃーん」
あの黒猫もいることだし。
「ならば、帝國が作戦を決行する前に、妾たちで白の大陸を制覇してしまえばいいわけだな。別に帝國が禍津を滅ぼしてくれるならそれでもいいんだが、琥珀を犠牲にするというのは許せんし。それに白銀結晶を帝國に渡すと色々面倒になりそうだからな」
「ええ。俺も同じ意見です。レイと琥珀もそれでいいか?」
クライヴは二人に顔を向ける。
そこには、ある種、あきらめのような表情が並んでいた。
「アナタたち二人とも、出来て当然って感じねぇ。ええ、いいわよ。私はクライヴを信じてここに来たんだから。アナタの決断なら、どうなっても後悔しない」
「わ、私もクライヴさんを信じます。というか、私は皆さんについていくしかないので……」
琥珀はうつむき、発言したことそのものを恥じるような仕草をする。
「琥珀。神滅兵装は君の血によって動いている。つまり、このスティングレイが君の血で動いているのだ。ある意味、一番の功労者なのだぞ。存分に意見を言ってくれてかまわないんだ」
クライヴはつい、琥珀の態度をたしなめてしまう。
また言い過ぎてしまったか、と不安になったが、しかし。
「あ、ありがとうございます! でも、それでも私はクライヴさんを信じていますから!」
同じ回答。
されど、今度は自信をみなぎらせて。
言葉の意味が同じでも、伝わる感情はまるで違う。
「あはは。けど、琥珀だってちゃんと主張するようになったじゃないか。勝手に猫を連れ込んだりとかな」
「え、だって……どうせ断られないだろうなぁと思って」
「ほら。言うようになった!」
ミュウレアは「あはは」と笑って琥珀の肩をバンバン叩く。
それをレイが「叩きすぎです!」と言って引きはがし、琥珀を抱き寄せる。
そんな日常を尻目に、クライヴはコルベットに命じた。
「では、出航だ。目標、白の大陸。帝國に見つかりたくない。海に潜って進め」
「了解」
潜行も出来るのか――という三人のツッコミを受けながら、スティングレイはケーニッグゼグ領を離れ、海へと潜った。
△
あーあー、マイク、テストテスト。
聞こえていますか父上。
ミュウレアはこれから友人たちと白の大陸までピクニックに行って来ます。
クライヴも一緒ゆえに心配には及びませぬ。
それから……どうせ傍受しているのだろう、朧帝國よ。
妾は残虐にして非道なる海賊、キャプテン・ミュウレアだ。
お前たちの大切な琥珀は妾が人質に取ったぞ。
ゆえにガヤルド王国に手出しは今後一切認めん。
もしまた攻撃を仕掛けたら……そのときは琥珀を妾の好きなようにしてしまうぞ。
いやそれどころか……ばらまくぞ、設計図を。
もう分かっているはずだ。
こちらには人造神と同等以上の装置がある。
その設計図が流出したら……愉快なことになりそうだ。
そういう未来が嫌なら、妾の国に触れるな近づくな。
ああ、それからな。
このことは妾が趣味でやっていることだ。
ガヤルド王国も王室も、一切かかわっていないから父上を締め上げても無駄だぞ。
では、さらばだ!
△
面白い――。
通信を聞いた彼はそう思い、笑みを浮かべる。
まるでじゃれついてくる小動物を愛でるように、圧倒的な高みからの笑み。
朧帝國皇帝である彼は、ミュウレア・ガヤルドの通信を、愛おしいとすら思った。
よい気概である。
それでこそ蹂躙しがいがあるというもの。
だが、設計図をばらまかれるのは困る。
よって、彼女の勇気に免じて、ガヤルド王国には手を出さないでおこう。
もともと、あのような島国、取るに足らない存在だ。
というより、設計図が人質では実際、手が出せない。完敗と言えよう。
それよりも――気になるのはクライヴ・ケーニッグゼグという男。
人造神と同等の装置を造り上げたことから、自分と同じく『遺跡』の知識を有しているのは確かのようだ。
問題は、どこまで知っているのか、ということ。
白の大陸の真の価値が分かっているのか?
たんに禍津を倒したいだけなのか?
なんにせよ、渡さない。
アレは自分のものである。
ゆえに――
「水陸両用双胴戦艦『纐纈城』抜錨せよ」
天幕すら備えた豪奢なブリッジで、皇帝はそう命ずる。
そして、排水量百万トンという化物が、鋼鉄の咆哮を上げた。
ここで第一部完結です。
第二部はある程度書きためてから始めます。
なお三部構成の予定です。
プロットは最後まで出来上がっているのでご安心を。




