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想定外なことが起こるせいで、好奇心もぺしょんと萎んでいる。攻略対象者だのヒロインだの、アレクシアの中で優先順位が一気に下がっていた。
「先日ガラッシ様がおっしゃっていた方ですけど、ヴェルネ男爵令嬢のようですわ」
それなのに存在をアピールするかのように、こうして耳に入ってくるのは悪役令嬢の業なのかもしれない。以前アレクシア様がハンカチを受け止めた方ですと、ジェイニーが補足も入れてくれたので間違いなくヒロインだと確信できた。
「キャフリー様にも、持っていかれたようなのです」
「キャフリー様にも、ですか?」
ヒロインとはいえ、攻略が進んでいるとは思えない中では、なかなかにチャレンジャーといえた。
編入してきたばかりで知らないのかもしれないが、イアンは差し入れを絶対に受け取らない。愛想もあるとはいえず徹底しているので、イアンが本命で、一か八かで挑む者を除き軽い気持ちで近づく女生徒はいなかった。
そう考えると、よくアレクシアが持参したものを食べたなと驚く。目の前で皆が食べていれば、自分だけが手を出さないのは失礼だと思ったのかもしれない。
「ええ。いつもと変わらず、受け取る理由がないと相手にされなかったそうですわ」
「キャフリー様ですものね」
この一言にすべてが込められている、女生徒の共通認識だ。
「その、ヴェルネ嬢は殿下と親しげにしているのを見かけた人も多く……」
「ええ、私もお見かけしましたわ」
気を遣ってなのか、少し言いにくそうにしたジェイニーに大丈夫だとアレクシアは笑顔を向ける。学園では多くの目があるのを自覚してうまくやってほしいと、そんな感想以外浮かばなかった。
「ガラッシ様、キャフリー様と、次々に目立つ方々へ渡そうとしているので、悪い意味で注目を浴び始めているようです」
ああ、と呆れた声がこぼれそうになる。攻略対象者イコール他の令嬢にとっても理想的な嫁ぎ先だ。
娯楽小説のようにナタリーが立ち回りを間違えれば、当然敵対視され対処される。現実世界で成り上がるのは、創作物のように簡単ではない。
隣国の子爵令嬢が甘い考えを持ち、分不相応に皇族に嫁ごうと目論見、アレクシアの存在であっという間に計画が破綻したのが良い例だ。
「ジェイニー様。ヴェルネ嬢は自信がおありなようですので、どなたのお心を射止めるか見守っていましょうね」
手出し無用とアレクシアはクギを刺しておく。
ヒロイン周りに関わっていいことはない。
「そうですわね」
さらりと同意が返る。察してくれてなによりだ。高位貴族のアレクシアやジェイニーが些細なことでも何かしら言えば、周囲は忖度して動くので間違いなく大事になる。それこそシナリオ通りに、悪役令嬢へと仕立て上げられそうだった。
度を越えた虐めは許されないとして、嫌味や多少の嫌がらせをうまくかわせなければ、高位貴族の当主夫人の座にはつく素質はない。王妃などもってのほかだ。
親しげに話していた目撃情報が多いことから、今のところ好感度が高いのはジェフリーだけのようだが、攻略対象者全員と接触はしていそうだった。
(逆ハールート狙いなのかな)
少ない情報では判断はできない。ただ編入したばかりで、交流もないだろう人たちに自分から近づいていくのだから可能性は高かった。
(まさか、記憶持ちとか言わないわよね)
ふっと浮かんだ疑問だが、可能性を完全に否定はできない。アレクシアという例がある。仮にそうだとすると、面倒くささ、厄介さの確率がどんと跳ね上がるのは確実だった。
意図してではないが、イベントの発生をアレクシアが阻止している。本当に些細な会話、やりとりで、状況が変化するのだから仕方がない。
(ん? あれは……)
噂をすれば、ではないが、アレクシアはナタリーを見つける。一緒にいるのはディアナだ。接点などなさそうな二人で、意外だった。
ジェイニーもナタリーに気づくと、表情に苦みが混ざる。どうにも、心証が悪いようだった。
関わる気はないのに、ふっと顔を上げたナタリーがアレクシアを見て顔を歪めた。
怪訝に思っていると、小走りで距離を詰めてくる。さりげなくジェイニーが前に出たところでナタリーは足を止め、アレクシアを睨んできた。
「ロシェット様、酷いです!」
唐突に責められ、困惑する。初対面に近く、心当たりは皆無だった。
「ヴェルネ男爵令嬢、学園内とはいえアレクシア様に失礼な態度は許容できません」
「酷いことをする方が悪いんです」
正統なジェイニーの苦言にも態度を改める気がないナタリーに、貴族の常識を教え込んでから学園に入れろ! と、ヴェルネ男爵家の心証が一気に下降する。追いかけて来たディアナも戸惑っていた。
これは直接相手をしない限り埒があかないとアレクシアは察し、注意を促そうとするジェイニーを軽く手を上げ制す。すぐに意図を汲んでくれた。
「ヴェルネ様、なんのお話でしょうか」
「裏で手を回して、私が差し入れるお菓子を拒否するようにしているのでしょう!」
荒らげた声に、策略でなく力業でなぎ倒していく系なのかとアレクシアは分析する。さすがにこんなにわかりやすい冤罪を公爵家の者にふっかけて、無事でいられると思うところがお花畑思考だ。
「そんなことをして、私になんの益がありまして?」
「身分を利用して、素敵な方々を侍らしたいのでしょう!」
「は?」
うっかり呆れたような声がこぼれる。この学園では、アレクシアがジェフリーに傾倒していて、他の者は誰であろうと等しく空気のように接していたのは有名だ。
「これ以上権力を私的に使用するのはやめてください!」
一方的に言うだけ言うとぱっと踵を返し、ナタリーは走り去っていく。
なんともいえない空気がその場には流れていた。
「レーマン様、彼女と親しいのですか?」
静かに怒りを湛えたジェイニーが、ディアナに尋ねる。困ったように眉尻を下げ、緩く頭を振った。
「ロシェット様のことを尋ねられて、ちょうどお見かけしたのでお教えしたのですが、まさかこんなことになるとは……申し訳ありません」
「レーマン様が謝罪することではありませんわ」
「あれは、誰にも予想できない行動ですわね」
「お二方にそう言っていただけると、心が軽くなります」
一件落着、そんな空気で微笑み合う。
「ディアナ様」
自然と、声の方へ視線が向く。
ラウル・ファール伯爵令息だ。もしかすると、二人は一緒にいたのかもしれない。
仲が良いなぁとアレクシアが和んでいると、不意にバチッと近い距離で空気が弾ける音がしてぎょっとする。馴染みのある不快な静電気を思い出し軽く身構えると、ディアナが右手の指先を反対の手で覆っていた。
「失礼しました。ゴミが付いていたので不躾にも取ろうとしてしまいました」
一歩下がり距離を取ると、ディアナが頭を下げる。同じように、驚いた顔をしていた。
「お気遣いありがとうございます。指先は大丈夫かしら。空気が乾燥していると、時々パチッとしますものね」
「はい。少し驚いてしまって」
「不快ですものね」
このくらいの季節になると、不意にバチッとくる。地味に不快な現象は、この世界でも健在だった。
「レーマン様、ファール令息が待っていますわよ」
どうしたのかと、窺う表情だ。
虐めていないから大丈夫よ、とアレクシアは心の中で念を送っていた。
「ではロシェット様、スコット様、失礼します」
「ええ、ごきげんよう」
先ほどの指先を見せたのか、ラウルが心配そうな表情を浮かべる。その手を取り繋ぎ、寄り添い歩く二人をアレクシアは微笑ましく思った。




