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(やばーい! かっわいいんですけど!)
フェルナンドと一緒に、美味しい物をたくさん食べさせたい。
一生懸命もぐもぐしているところを、アレクシアは眺めたい衝動に駆られた。
「アレクシア・ロシェットですわ」
できるだけ怖がらせないように、穏やかな口調で微笑んで名乗る。幼い子には遠巻きにされることが多い――と考え、今日は縦ロールを装備していなかったとアレクシアは思い出した。今のアレクシアの見た目なら、そう悪い印象を与えないはずだ。
手には買ったばかりの、ミニカステラの詰まった紙袋を持っている。これは、とひらめいた。
「キャフリー様」
まずは、ミニカステラをカイルにあげてもいいか、保護者のイアンに確認すべきだ。そわそわしながら声をかけると、思いがけず大小二人のキャフリー公爵令息が反応した。
うっかり失念していたが、兄弟なのだから当然家名で呼べばどちらに声をかけているはわからなかった。
「俺のことはイアンと呼んでくれ」
ええ、とアレクシアは心の中で、驚きと不満が混じる声を上げる。名を呼ぶなど、この世界では特別感があった。心の中では散々呼び捨てているけれど、それとこれとは別だ。
「あの、ぼくのことはカイルとお呼びください」
はい喜んで! と、アレクシアはハートを飛ばしたくなる。緩みそうになる表情を引き締め、二人からの提案を受け入れることに決めた。
イアンだけなら遠慮しますで通すが、小さな紳士に対して断るのは大人げない。何より、カイルをしょんぼりさせたくなかった。
「では、私のこともアレクシアとお呼びください」
「アレクシア様」
ぱっと、カイルの表情が明るくなり、可愛らしい幼い声が名前を呼ぶ。自然と、アレクシアは表情が緩んだ。
「はあい」
きゅんきゅんと、胸がときめく。フェルナンドのツンとした生意気な可愛らしさとは違って、直球どストレートな可愛らしさだ。
仏頂面で感情があまり顔に出ないイアンと本当に兄弟なの? と思わないでもないが、容姿はそっくりで面影がある。見比べると、完全にビフォーアフターだ。
公爵夫妻を思い浮かべて、アレクシアは得心がいく。
父親と母親、それぞれに印象が重なった。
「カイル様、露店で買った物ですが、ミニカステラ食べます?」
色々思考が逸れたせいで、ついうっかりイアンに確認しないまま勧めてしまう。しまった、と思ったが、駄目なら止めるだろうと、アレクシアは開き直ることにした。
「いいんですか?」
「はい」
声を弾ませたカイルは、イアンを見上げる。頷くのを待って、「いただきます」と手を出した。
公爵家の子息として、きちんとしつけられている。えらいなぁと、アレクシアは微笑ましくなった。
「アレクシア様、美味しいです!」
ぱあっと、カイルが表情を輝かせる。公爵家で常に高級な菓子を食べていて、本来比べものにならないのだろうが、今のこの雰囲気がきっと廉価のものでも美味しく感じさせていた。
「俺も」
おとなしく成り行きを見守っていたフェルナンドも手を出す。紙袋ごと渡して、二人で仲良く食べてもらうことにした。
「慣れているんだな」
「いえ、子どもに接する機会がないのでどちらかといえば苦手な方かと」
髪をくるくる巻いて化粧も強めにすると、遠巻きにされるのがアレクシアの常だった。
「こういう場に」
(そっちか!)
確かにイアン視点で考えると、公爵令嬢が市場で買ったミニカステラの紙袋を手に、食べ歩きをしている驚くべき光景になる。疑問が口を出るのも当然だ。
「事前に学んできましたので」
前世ともいうが、その辺は割愛だ。
肉串に齧り付いているときに遭遇しなくて良かったと、アレクシアは胸を撫で下ろした。
「今日はお二人で市場に遊びに来られたのですか?」
あまり突っ込んで訊かれると困る話題は逸らしてしまうに限る。
「ああ、カイルにねだられて連れて来たがすごい人だな」
「ええ、ですから人混みの中を歩くときはカイル様と手を繋いであげてくださいね。はぐれてしまうと悪いので」
「そうか」
今気づいた、という顔だ。
どこかにキャフリー家の護衛はいるのだろうが、はぐれないのが一番だ。
「あの、アレクシア様、フェルナンド様、この後ご予定がないのでしたらご一緒しませんか?」
思いがけない、カイルからの誘いだった。
即答できない。了承すれば、カイルだけでなくその兄イアンももれなくついてくる。ヒロインのカモであり、熱狂的なファンのいる男だ。面倒事が付随する。以前ブランシュの前で遭遇した、厄介事が良い例だ。
「兄上、駄目ですか?」
「俺は構わない」
「いいんじゃないか、アレクシア」
渋りそうなフェルナンドも、あっさり了承する。ルビーのような赤い瞳が、面白がっていた。
三対一であり、カイルの期待がこもった真っ直ぐな瞳に、アレクシアが嫌だなんて言えるわけがなかった。
「……では、ご一緒させていただきますね」
ため息は、ぐっと呑み込む。実際、攻略対象者だとか面倒事に遭遇しそうだとかの前提条件がなければ、同行するのは嫌ではない。カイルは可愛いし、案外イアンと過ごす時間は気楽だった。
「ああ。アレクシア嬢、俺は勝手がわからないからよろしく頼む」
一瞬、息が詰まる。ただ名前を呼ばれただけなのに、軽く動揺した。
本当に、顔の良い男は性質が悪い。空想の世界でアレクシアは叫び、頭を抱えた。
「はい、イアン様」
淑女の表情を崩さず、えいっと名を呼ぶ。
ただの名前だ。名前でしかない。前世では散々、同級生の名前も同僚の名前も呼んでいた。
それなのに改めてイアンの名を声に出すと、妙にくすぐったい気持ちになった。
本当は身分を隠すのならば様ではなく、さんあたりがいいのだが、イアンさんと呼ぶのはためらわれる。なのでもう、貴族のお忍びの体でアレクシアはいくことにした。
爵位もピンキリだ。むしろ、公爵家の者が三人市場にいるなど普通は想像もしないはずだ。有事の際には、隠れている二家の護衛騎士たちを召喚して、対処を丸投げすることに決めた。




