23.愛は世界の裏側まで
「愛音、お前、どうして?」
「ああ、学校のことなら大丈夫です。ちゃんとお休みの電話はしておきましたから!」
無邪気に笑う愛音が、今は悪魔に見える。
俺は震えそうになる手をもう片方の手で押さえて、何とか言葉を絞り出す。
「そう意味じゃないよ。よく『お前はそんな平気な面をして俺の前に顔を出せるな』って意味の『どうして』だったんだがな。伝わらなかったか?」
「なっ……。ひ、ひどいです……。賢兄様……。……どうしてそんなこと言うんですか? 私達――家族じゃないですか……。な、何か気に障ることがあったなら額を地面に擦りつけて謝ります……。何か私に対して気に喰わないことがあったのならどんなことだってなおします……。だから、だから私のことを嫌いにならないでください……」
もう話したくない。
今すぐ扉を閉めて鍵をかけて寝てしまいたい。何もなかったことにしたい。だけど、逃げたくない。俺じゃなきゃ、きっと愛音を救うことができないから。今、話しておかなきゃ、愛音が決定的に壊れてしまう気がする。
「お前だろ、愛音。お前が『暴食』インフィアの同居人で、あいつをけしかけた張本人だろ?」
「な、なんで……」
「なんでもなにも、お前しかいないだろ。俺はお前以外に親しい人間なんていない。それにもかかわらず、インフィアは俺のことをよく知っている風だった。誰かから俺の話を聴いている風だった。俺のことを詳しく説明できるのは、お前しかいないんだよ」
「なに、言っているんですか? よく分からないんですけど?」
「インフィアは異世界からの追手なんだろ? だったら、インフィアがこの世界に転移してきたのは、オリヴィアが転移してきた後ってことになる。つまり、ここに来てそう日が経っていないことになる。その短い期間で俺のことを調べるのは不可能なんだよ。スキルで調べた可能性もあるが、あくまでインフィアの口調は自発的に調査したんじゃなく、伝聞推定だった。どれだけしらばくれても、お前が黒幕ってことは分かりきっている。お前だって俺に看破されることが分かっていたから、ここに来たんじゃないのか? 少しでも誠意を見せるために、なるべく早く俺に謝りに来たんじゃないのか?」
ただの消去法だが、だからこそ確実だ。
どこぞの名探偵が不可能なことを消していけばどれだけ不可解なことでもそれが真実だとかなんとか語っていた気がするが、その通りだ。俺の見立ては間違っていないはず。
「……ははは。流石、賢兄様ですね。私が指示したことだけじゃない、私が今日ここに来た目的、心の内まで読みとるなんて……。流石は私の愛した賢兄です!」
愛音は企みが露見してむしろ嬉しそうだった。
悔しがったり恥ずかしがったりするそぶりは一切なかった。
「どうして、あんなことを?」
「どうして? 賢兄様なら説明しなくてもいいと思ったんですが。あの女――オリヴィアは罪人なんですよ。無許可の異世界転移は処刑されてもおかしくないぐらいの罰なんです。罪には罰を。それは異世界だろうが、現代社会だろうが変わりません。私はただ人助けがしたかっただけですよ。大義あるインフィアの手助けをしただけなんですよ」
「だからって、お前が協力することないだろ! 愛音はあいつのことを何も知らないだろ!」
「……賢兄様だって、あの人のこと知らないじゃないですか……。それなのに、どうして、どうして賢兄様の傍にいるのが、あの人なんですか!?」
「そんなことを気にして、あんなことをしたのか……。それがお前の本音か?」
どうして、分かってくれないんだろう。
傍にいるだけが大切な存在なのか。ヤマアラシのジレンマみたいに近くにいるだけで、傷つけあってしまう存在だってあるはずなのに、どうしても愛音には俺の想いは伝わらないようだった。
「そんなことって……賢兄様には分からないんですよ! 私がどれだけ賢兄様のことを愛しているかを! 賢兄様は、私のことがそんなに嫌いなんですか?」
ああやっぱりそうだ。
こいつは俺のことを何も分かっちゃいない。
だから、俺のことなんて本当は好きでもないのだ。
それでも、俺は言わなきゃいけない。
ちゃんと向き合わなきゃいけない。
ずっと逃げてきたけど、俺はようやく勇気が持てた。
真正面から自分の気持ちに向き合えるようになったのは、きっとあいつのおかげだ。あいつに出会えたおかげで、俺は自分から逃げないですむ。
だから。
俺は叫ぶ。
世界の裏側まで届くように大きな声で。
「そんなの――好きに決まっているだろ!」
愛の言葉を。
「――え?」
予想もしていなかったような顔をされる。
やっぱりそうだ。
愛音は何も分かっていない。
好きで、好き過ぎて俺は愛音の傍から離れることしかできなかった。もしも、ずっと傍にいれば俺は家族としての一線を越えてしまう。愛音のことを愛してしまう。今まで以上に好きになってしまう。だって、俺のことを認めてくれたから。
全てを失った俺を、愛音は好意を持ってくれた。
オリヴィアよりも先に、一番最初に俺のことを肯定しれくれたのだ。
同世代の異性にそんなことをされて、好きにならない方がおかしい。
特別な存在にならない方がおかしい。
でも、それはきっとだめなことなんだ。
いくら義理とはいえ、俺達は家族だ。
だから、愛し合うことはできない。
これ以上好きにならないように、俺はあの家を出ていくことしかできなかった。家族としてではなく、一人の女の子として愛音のことを見ないようにしなくちゃいけなかった。愛音のことを家族と思えるように必愛する人と離れたのだ。心が引き千切れそうになりながら、俺は愛音のことから逃げた。自分の気持ちから逃げた。
「だけどさ、お前の『好き』と俺の『好き』は重みが違うんだ……」
赤面していた愛音の顔がサッと青ざめる。
「そ、そうですよね……分かっていましたよ、私は……」
愛音は平然と俺に好意を伝えてくる。それを額面通り受け取るほど、俺は鈍くはない。いつだって俺のことを好き! 好き! 愛している! と連呼してくれている。くれてはいるが、それだけ軽々しく愛を語れるのは、きっと軽いからだ。
俺のことを家族としか見ていないから、愛の安売りができるのだ。
それが決定的な俺と愛音の違い。
俺は、愛音とだだの家族になんかにはなりたくない。
今でも俺は愛音のことが本当は好きなのだ。
家族と女の子の間で揺れている。
「私は諦めませんよ……。私の『好き』と賢兄様の『好き』が同じ重みになるまで、絶対に諦めませんから」
「愛音……」
それは、その言葉は――はっきろとした拒絶の言葉だった。俺のことを振る言葉だった。ここまで分かりやすく言って、こんなにも分かりやすく俺は振られてしまった。
悲しいな……。
泣きそうになってくる。
「ですが、賢兄様に好きって言ってもらえたし、本気で嫌そうなのでオリヴィアのことを排除することで賢兄様の心を取り戻すことはもう止めにします」
……まるで、オリヴィアを傷つける以外のやり方ならまだまだ試すような言い方だった。
「それじゃあ、賢兄様。お怪我を治してまた学校に来てくださいね。もしくは、私達の家に帰ってきてもいいですからね」
バタン、とドアを閉じられる。
足音がなくなってから、俺はズルズルと壁に背を預けながら座り込んでしまう。
「はあ……」
オリヴィアほど頭が回るならば、あのインフィアを処刑人に選んだことが何を意味するか分かるはずだ。インフィアは誇り高く、一度決めたことは実行する。その障がいとなるものは全力で取りのぞこうとする。実際、俺は殺されてもおかしくなかった。
愛音ならば、当然その可能性に気がつかないはずがない。
それでもインフィアを使ったのは、俺の強さを信奉していたから? それとも例え俺が死んだとしても良かったから? むしろ俺が死ぬことで、俺の存在は愛音の中で永遠になる。それこそ、愛音が望んでいた最高の展開だった? いや、まさかな。そこまで狂っているとは思いたくない。誰よりも好きなあいつのことを、俺は信じているから。




