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20.交錯の剣

 俺は周囲の人間に教えられたのだ。

 誰かを助けることなんてできない。

 できるのは助けることで満たされる自分の心ぐらいのものだろう。

 助けることができたとしても、それは無意味で無価値なんだと。

「うあっ!」

「おっと――」

 空いている左手で顔を殴りつける。効くは分からないが、条件反射的にインフィアは避ける。俺の右腕に貫通していた剣もついでに引き抜いて。

「――ぐっ」

 栓の役割をしていた剣が抜けたせいで血が噴き出す。

 血が足りないせいでいつ倒れてもおかしくない。

「剣聖様、私がなんとかします! だから、逃げてくださいっ!」

 立ち上がるオリヴィアがあまりにも滑稽だった。俺のためにインフィアと戦おうとしている。絶対に勝てないし、そもそも何で戦わないといけないんだ。そもそも誰のせいでこんなことになったと思っている。俺は何度も言ったはずだ。出て行けと。


「うるせぇよ」


 もう何もかも嫌になった。

「…………剣聖様?」

「なんなんだよ、お前。誰のせいでこんなことになっていると思ってんだよ! お前だろうが! 勝手にやってきて、勝手に家に住みついて! お前が俺の傍にいたせいで、こんな傷だらけになってんだろ! 死にそうになってんだろ! 邪魔なんだよ! お前は!」

「そんな、私こうなるなんて……」

 同情を引くように顔を伏せる。

 だけど、思い出せ。

 ずっと信じてきた親友に裏切られたことを。

 助けた相手に梯子を落とされたことを。

 ここでオリヴィアに少しでも同情したら、俺は助からないんだ。過去の思い出を一生懸命思い出だし、憎しみを込めて突き放してやる。

「頼むから、消えてくれよ。うざいんだよ、弱い奴は存在するだけで罪なんだ! お前なんかいなくなっちまえ! 弱い奴がいてもいい場所なんてこの世のどこにもないんだよ!」

「そんな……」

「消えろ! これを持ってさっさと消えろ!」

 その辺に落ちている剣をオリヴィアに投げつける。そうすることによって、ようやくオリヴィアは視界から消えることを選んでくれたようだ。

「……うっ」

 涙の粒を溢しながらオリヴィアは踵を返す。

「逃がすと思うか?」

 逃げることで隙だらけになった背中に、インフィアは剣を突き刺す――その直前――俺は間に剣を入れた。鈍い金属音が響く。

「……なんのつもりだ?」

 ギリギリ、とお互い剣を握る力が強い。オリヴィアの影が遠くなっていく。俺を無視して脇を通ろうとするが、俺がそれを剣で阻む。

 キン、キン、ガキィン! と、何度かお互いに剣を交わせる。俺は一歩も退かずに喰らいつく。傷を負わずとも剣を合わせているだけで、もう限界だ。せめて、オリヴィアが安全なところまで逃げ切るまでは、倒れるわけにはいかない。

「お前がオリヴィアを襲うのを止めているんだよ。分からないかな?」

「邪魔者だったんじゃないのか、あいつのことが」

「邪魔だよ。今からあんたを倒すためには、あいつがここにいちゃ困るからな」

「足手まといは切り捨てる。確かにそれは良案だが、少しばかり遅かったな。あいつを戦いに巻き込まないために、徐々にオリヴィアから距離を取るように私を誘導していたみたいだが、その代償は高かったな……。もう傷だらけじゃないか」

「…………」

 やはり、その程度気がついていたのか。

 視線や攻撃によってある程度人間の動きをコントロールする。剣道は間合いがかなり重要な競技。詰めるのも離すのも自在でなければならない。

「お前のその傷では何もできない。残念だよ、お前を殺すのは私の本意じゃない。殺すにしても最初からお前の全霊で戦いたかった。強い奴は無駄死にさせたくないんだよ。生かせば将来もっと強くなるかもしれないからな」

「ああ、そうかよっ!」

 俺は剣を投げつける。唯一の武器を手放したせいでインフィアは虚を突かれる。

 そう。これで俺の勝機はない。

 これからどうやって逆転して俺が勝てるか? 答えは単純明快。


 絶対に勝てないから逃げるっ!


 俺は腕をめいいっぱい振り、そしてなるべく大股で走りだした。

「なに?」

 オリヴィアが逃げていった方向とは逆方向へ駆けだした。剣の技術で劣っていても、体力ならば男であるこちらの方が有利なはず。逃げて逃げまくってとにかく距離を稼いでやる!


「なるほどな」


 だが、気がつけばインフィアは既に横にいた。

「ぐあっ!」

 剣の柄で頬をぶん殴られ地面をバウンドする。だめだ。運動性能が根本から違う。逃げ切ることなんてできない。

「自分が逃げ出すことによって、さらにオリヴィアと私の距離を離して安全を確保したか。……理解できないな。あのできそこないのために、どうしてそこまでする? 自分だけ助かろうと思えばいくらでも助かったはずだが?」

 耳が削れてしまって血が止まらない。

 頬からも零れる血を止めるために、俺は出血箇所を手で抑え込む。

「あいつはな、うざいんだよ。いつも、勝手に俺の傍にいようとするぐらいにな。独りでいたい俺に、迷惑も考えずにな」

「弱い奴は強い奴の足を引っ張り、同じ奈落へと誘うというが、まさにあいつは典型例だな。迷惑なんだろ? どうしてお前が傷を負う。切り捨てればいいだけの話だろ? お前は孤高になるべき強者だ。弱い奴ほど群れようとする。強者は孤高であることこそが最低条件だよ」

「違うんだよ」

「……なにが?」

「俺はあんたが評価してくれているほど強くない。弱かったんだ。人間の善意を信じられないぐらい弱かったから、誰かと一緒にいることが耐えられなかった。いつ裏切られるか怖いから独りであろうとした。……でも、そんなの逃げているだけだ。怠惰なだけだ。――でも、でもさ、『誰かに裏切られるのが怖い』って、裏を返せば『誰かを信じたい』って気持ちが俺にあるってことなんじゃないのか……」

「…………」

「あいつが家に来てから俺は変わったよ。心配性な愛音でさえも遠ざけることができていたのに、あいつは土足で他人の心に踏み込んできて居座った。俺のためを想ってくれた。ずっと傍にいてくれた。みんなから見放された俺のことを、あいつは見捨てなかった。そのおかげで強くなれたよ。他人を信じる気持ちを思い出せた。あいつとだったら一緒にいてもいいって思えたんだ」

「…………」

 誰からも認められない。

 信じてもらえない。

 裏切られる。

 そんな過程があったから、今の俺がいる。

 より強い意志でオリヴィアのことを大事だと思える自分がいる。

「弱い奴がいてもいい居場所なんてないのかもしれない。俺はずっとそうだった。生きていてもいいことなんてない。誰かを助けても無意味で無価値だと思っていた。だけど、あいつがいたから、思い出せたよ。他人と一緒にいることの楽しさを。助けることの尊さを。あいつがいるから俺はここにいられる。生きていける。また立ち上がることができる」

 居場所なんてなかった。

 誰かに認められなきゃ、人は生きる意味を見つけられない。

 でも、あいつは、オリヴィアは、俺のことを認めてくれたのだ。主だろうがなんだろうが、俺のことを必要としてくれた。一緒にいてくれた。

 だから。

 俺は生きていていいと思えたのだ。


「俺にとって、いつの間にかあいつが俺の居場所になっていたんだ」


 オリヴィアがいたから、俺は自分の居場所を見つけられたんだ。

「だからまだ俺はあんたと戦うよ、インフィア。俺の居場所を守るために!」

「……どうやって戦うと言うんだ? お前じゃ私に勝てない」

「ああ、勝てないよな。だから助けを呼ぶんだ」

「それは――」

 耳を押さえていたのは流血を防ぐためじゃない。隠すためだ。密かに連絡していたのを悟らせないために。

「スマホだよ。あいつにも……オリヴィアにもこれを持たせていてな。通話していたんだよ、今この時まで……」

「まさか、さっきの演技は逃がすためじゃなく――私を攻撃できる場所まで誘導させるための――」

「既にオリヴィアはお前から半径二十五メートル外まで移動している! あいつの攻撃をお前は感知できていないってことだ。今だ! やれ! オリヴィア!」

 真正面から戦っても勝てないことは身に沁みている。

 勝てる見込みが少しでもあるとなれば、それはもう、不意打ちしかない。

 半径二十五メートル以外にオリヴィアがいるのならば、インフィアが存在を察知することはできない。遠距離攻撃の一撃。虚を突けば一撃は当たるはず。俺の通話を聴いていたら、俺が嫌悪のあまりオリヴィアを排除しようとしたわけじゃないことは分かったはず。既に準備万端なはずなんだ。これで、インフィアを倒せるかもしれない。

 だけど――。

「…………」

「…………」

 何も起こらない。

 インフィアは後ろを振り向きさえしない。

「まさか、そんな稚拙な嘘をつくとは思わなかったよ……」

「な、なんで?」

「他の人間なら引っ掛かって後ろを振り向いて隙をみせたかもしれない。だがな、私には通じないんだよ。半径二十五メートルの範囲外にオリヴィアが逃げれば、私のスキルが通じないとでも思ったか? 残念ながら半永続的に私のスキルは発動し続ける。オリヴィアのスキルを暴食した私に、オリヴィアのスキルは二度と通じないんだよ。仮に、だ。他の第三者――『色欲』の奴が私を裏切ったと仮定しても同じこと。半径二十五メートル以内に入ってしまえばどんなスキルだろうと私には攻撃できない」

「そ、そんな……」

 当たり前だ。

 敵が情報全てを漏らすことなどしない。

 漏らすとすれば、勝ちを確信した時ぐらいのもの。俺がさっきドヤ顔で電話をつないでいたことを吐露した時のように。

「私に不意打ちは通用しないんだよ」

「振り向かなくて、いいのか?」

「なに?」

「本当に振り向かなくても後悔しないのか?」

「くどいな。さっさと死ね」

「そうか――」

 やっぱりインフィアは『最強』だった。ここで振り向いてさえくれれば、隙が生まれる。その間に何かできたかもしれない。だけど、俺には何もできなかった。


「だったら『俺達』の勝ちだな」


 でも、だからこそ俺達は勝ったんだ。最強で油断も慢心もないインフィアだったからこそ刺さった。オリヴィアは後者の屋上に上って、スキルで製造した大型弩砲バリスタのようなものを使った。打ち合わせもせず、こちらの意図を組んでくれたのはひとえに俺達が同居していたからだ。積み重ねてきたものがあったからだ。


 ザスッ! と、射出された剣はインフィアの腕を貫通した。


 俺がインフィアに向かって自暴自棄に投げた剣を使ってくれたようだ。あれにはちゃんと意味があったのだ。貫通した剣が突き刺さったまま、インフィアは絶叫する。

「なっ――ばかなあああああ!」

「逆立ちしたって『俺』じゃ勝てない。だけど『俺達』ならあんたに勝てる」

「ど、どうやって? 私にはどんな奴の攻撃もきかないはずなのに!?」

「例外ならあるだろ。お前は確かに最強なのかもしれない。だけど、最強なお前自身の力なら通じるんじゃないのか?」

「なに?」

 オリヴィアが生成した剣は通用しなかった。

 だが、インフィア自身がオリヴィアのスキルで生み出した剣ならばどうだ?

「お前はどんな攻撃も効かないといったけど、その『攻撃』の定義はかなり曖昧なものじゃないのか? 攻撃が全て効かないと言うのなら、重力はどうだ? 酸素だって、太陽光だってある意味では攻撃だ。武器を握って生じた『衝撃』と『抵抗力』なんかはどうだ? それを全て失くしてしまったなら、お前は剣を振ることすら満足にできないんじゃないのか?」

「くっ――」

「お前が戦うためには、自分のスキルの『攻撃』は受けなきゃいけないってことになるよなあ? だったら、お前の力自身はお前に刺さるんだ。なら、お前の剣を使ってお前を倒せばいい。最強に勝つためには最強をぶつけるしかないだろ?」

「お前はそれだけの理論で賭けにでたのか?」

「それに、俺がさっき拾ってお前の剣を投げた時、お前は弾いたよな。もしも全く効かないのなら弾く必要はないはずだろ?」

「そうか、あの時のアレは最終確認だったのか……。フッ、やるな剣聖。まさかここまでやるとは思わなかった……だが、もう二度と同じ手は通じないぞ」

「分かっている。ここからはもう小細工なしだ」

「そうか。なら、私もこの一刀に全てを賭けよう」

 感心したようにインフィアは微苦笑すると、剣を構える。

 インフィアも貫通した剣を抜くが、出血の量が酷い。当たり所が悪いのか。それとも遠くから武器を使った射出のせいで、傷が深かったのか。さすがのインフィアも苦痛が顔に滲み出ている。だが、俺の方が明らかに傷が多いし、出血の量が多い。不利なのは覆らない。

 俺も拾った剣を握って対峙する。勝負は一瞬で決まる。

 お互い、戦いを放棄するつもりはないようだ。

 俺も血を流し過ぎた。

 これがおそらく、最後の剣になる。

「「あああああああああああ!」」

 二人同時に叫んで突進する。最早技術もスキルもない。ただ気合いだけの勝負。最後の最後。ここまでくれば、思いの力が勝負を左右することを俺は知っている。技術では圧倒的にあちらが上。もしも長期戦になればインフィアに軍配が上がるだろう。

 だが、インフィアはそのつもりはないようだった。

 この一撃に全てを賭けるようだった。

 自分に一撃を与えた相手の全霊に全霊で答える。

 それが剣の道に生きる者であるインフィアの応え方だったのだろう。全てにおいてねじ伏せなければ最強の資格なしとでもいうように。

「――がっ」

 そして、この勝負は決まった。

 二人の全身全霊が交錯したその結果、

「くそっ――」

 俺は膝をつく。

 血を吐きながら、振り返る。

 インフィアもこちらを見ていて、フッと笑った。満足そうに、今まで観たことのないような表情をしていた。この戦いができて本当によかったと思っているような顔をして、


「この勝負――『お前達』の勝ちだ」


 倒れた。

 最後の最後まで武人らしいインフィアに俺も笑って倒れた。


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