19.積み上がる詰み
両親は交通事故で死んだ。その原因はいきなり車道に飛び出してきた子どもを避けるために、ハンドルを切ったことが原因らしい。子どもは無傷ですんだらしいが、そいつを助けるために俺の両親の命は潰えたのだ。
何やら加害者側の親族やらが代わる代わる葬式に来て謝罪してきたが、何を言われたのか憶えていない。どれだけ涙を流されても、他人を助けたために死んでしまった俺の家族は二度と戻ってことないのだ。
問題は俺がこれからどうなるかだった。
叔父夫婦や祖父母などは俺を 難色を示した。お金がないのよね、うちは。あなたのところのいい会社に勤めてたわよねー。馬鹿言わないでくださいよ! うちだって新しい家を買ったばかりなんですよ! とか金の問題でひたすら俺の家族の遺影の前でうるさく言い争いをしていた。
そんな雑音の中、俺は一人の少女の声を聴いた。
「私の家に来ますか?」
愛音だった。
後ろに控えている愛音の両親もそのつもりだったのか、柔和な笑みを浮かべていた。俺は思考する気力もなく、愛音の後ろをついていった。
そして。
遠い親戚である愛音の家に引き取られてから、俺は引きこもりになっていた。
みんな気を遣って俺に極力話しかけることはなく、それから数ヶ月が過ぎていった。涙という涙を流し、飯も食わず、本当に自分はこのまま死んだ家族のところに行くんじゃないかってと思うぐらいに追い詰められた。夜寝ることができずに、ジッと暗い部屋の中体育座りしていたが、慣れてしまった。
親が死んだ悲しみが薄れていくのを感じ、どうして自分はそんなに薄情なのかと内罰的になった。愛音、その両親に心配をかけたくない一心で、俺は学校へ半年ぶりくらい登校できるようになった。愛音には、まだ家にいてもいい、と執拗に言われたが、それでも俺は身体に鞭打ってなんとか家から出られた。
愛音が悲しい顔をしながら俺を制止していた理由が分かったのは、そう時間がかからなかった。
俺が学校へ行くと噂がまことしやかに流れていた。いわく、俺は凶暴で不良。先輩たちが気にくわないから体育館で暴れた。そのせいで病院送りにされた先輩も大勢いた。あいつには関わらない方がいい――と。
「福永――」
訳が分からなくて、俺は助けを求めるように廊下を歩いていたら福永がいた。福永は親友で、昔からの仲。どんな辛い練習も福永がいたから乗り越えることができたのだ。だから手を上げて喜んだのに、福永はうわっ、と露骨に顔を顰めると、下を向く。俺のことをみなかったかのようにすると、すれ違いざまに舌打ちする。
「チッ。話しかけるんじゃねぇーよ、糞が」
よせばいいのに、俺は福永の方を思い切りつかんでこっちを向かせる。頭に血が上っていた。福永なら、少しは頭を冷やしてくれると思っていた。少しすれ違ったけど、それは時間が解決してくれる。俺達はまだ親友だと信じていた。それなのに、福永は俺を切ることに決めたようだ。
「お、おい」
「うわっ! やめろよ! 黒木、いや、黒木さん! こ、こわいです、やめてくださいっ!」
「な、何言ってんだよ、福永……」
「勘弁してください! 俺、黒木さんのこと悪くなって言ってないです! 他の奴ですよ! 黒木さんが先輩たちを一方的に嬲ったなんて俺言ってないです! だから、助けてください! 先輩たちみたいに無抵抗な奴を竹刀で殴ったりしないでください! お願いします!」
「や、やめろよ! 福永! 何冗談言って……」
屈みながら、うるせぇな、まだ何も分かってないのかよ、自分の立場ってもんを理解しろよ。しゃべりかけんなよ、クズがよ、と福永はこそこそと話す。ぶん殴りそうになったが、それを止めたのは周囲にいる名前も知らない奴らだった。
「うわっ、噂って本当だったんだ」
「俺、レギュラー欲しさに先輩たちを恫喝したって聴いたんだけど」
「俺も聴いたわ。無抵抗の奴らを竹刀でやったらしいな。こっわ。なんであんな奴まだ学校にいるんだよ。さっさと学校側は対処しろよ。退学しちゃえよ、あんな奴……」
福永は俺にしか見えない角度で舌を出していた。しめしめうまくいった、といったところか。
「そんなわけないだろ!」
しまった。
必死になればなるほど周りが引くのは分かりきっているのに、叫んでしまった。
「こっわ……」
「やめとけって、俺達まで襲われるぞ」
「迷惑なんだよ。剣道部の問題を俺達にまで持ってこないでほしいよな」
不愉快そうな声をしながらも、どこか愉快そうだった。俺は勉学も部活動も順風満帆で家族関係も良好。人並み以上の結果を残している。人生に何の不安もなかった。そのせいでやっかんでいる連中、良く思わずに噂話をしている連中がいるのを俺は知っていた。
嬉しいのだろう。
やっと自分達の土俵、いや、それ以下に転落した奴がいて愉快で愉快でしょうがない。もっと貶めてやろうと嘲っている。
俺がいない間に、地盤は固められていたようだ。
何の反論も挟みようがなかった。例え俺の潔白が証明されても、どうせこいつらは謝らない。俺を排斥していた罪悪感で、態度を翻すことなんて一生しない。にこやかに話す時は、同窓会で酒を呑みながら高校の時は大変だったなあ、と白々しく自分は関わってませんよアピールする時ぐらいの物だろう。そういう空気を作ったのはきっと、福永で、それから波風立てたくない大人達だった。
「先生! 俺――」
「うん、分かってる。分かってるぞ。お前は悪くない」
俺は剣道部の顧問に全ての望みをかけた。だって、先生はいつも言っている。困ったことがあれば子どもは大人を頼ればいい。先生は先に生まれるから『先生』なんだ。生徒達を絶対に助ける。何でも相談しろと、そんな思ってもいないくだらない戯言をいつだって言ってくれていた。俺達に諭してくれていた。
「そうなんです! 俺はただみんなを守ろうとして!」
「うん、そうだな。俺は分かってる。――ただな、今のままじゃお前も落ちつかないだろ。家庭のこともある。だからな、少しばかり部活を休んだらどうだ? うん?」
「は? なんですか、それ? 俺を剣道部から追い出すつもりですか?」
「そうじゃない、そんなわけないじゃないか。ただな、先生はお前のためを思って言っているんだよ。辛いだろ? 今の空気で部活をやることなんてできないだろ?」
だからお前はさっさと俺の視界から消えろ。俺の昇進に響くんだよ、こんなが餓鬼一人のせいで俺の人生が狂ってたまるか――そんな心の声が聞こえてきそうだった。
「あいつらはどうなっているんですか?」
「あいつら?」
「二年、三年のことですよ! あいつらはちゃんと処罰受けたんですよね!」
「……彼らは部活を辞めたいと言い出したそうだ」
「部活を辞めたい? は? もしかしてお咎めなしですか? 汚いものには目を瞑れってことですか! 先生だって、あいつらが何をやってきたか分かっていますよね!」
「いい加減にしろ! 教師に向かってなんだその口は! 本来ならな! お前にはもっと重い処分が下ってもいいんだ! だが、私の口添えで処分なしなんだぞ!」
肩に手をかけられる。
ギリギリと服に皺が寄せられるぐらい力を込められる。
いいから黙って言うことを聞けと言外に命令される。
「ふざけんな! 学校側が何も認めたくないだけだろ! お前ら、本当に腐ってるな……」
「……はあ。うるさいなあ。こんな屑に育つってことはお前の両親も、相当なクズだったんだな」
「なっ――ふざけんなよ、糞教師!」
「大人に向かってなんだ、その口に聴き方は! ……お前は停学処分だ!」
俺は押さえつける教師の手を振り払った。そしてそのことを先生に暴力を振るったということにされた。別に聴こえていたはずだ。先生たちだって目撃していたはずだ。俺が暴力なんて振るっていないことを。職員室にいた周りの先生たちだって、剣道部顧問の言動を――証言しなかった。いきなり俺が殴りかかったことにされた。
教師には何の非もないことになって、俺は一ヶ月の停学処分を下された。
再び学校から戻ってくると生徒はおろか教師でさえも俺を避けるようになっていた。事情も知らない奴らも、俺が全部悪いという噂を信じきったようだ。寄ってたかって俺を否定し、そして俺は独りに慣れきってしまった。




