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望んだのは、私ではなくあなたです  作者: 灰銀猫


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月夜の下で

 今宵は満月だった。夜になると月明かりが森の奥まで照らし、昼間とは違った姿を見せていた。別荘の周りは開けているから余計にそう見えるのだろう。暗いのに明るくて不思議な感じがする。


「ジゼル、起きている?」


 湯あみを済ませてホッと一息ついた頃、ドアがノックされて声をかけてきたのはレニエ様だった。ドアを開けていいのかと迷ったけれど、ドアを開けないのも失礼だろう。自分の格好に戸惑うけれど、着替える時間がないので慌ててガウンを羽織って少しだけドアを開けた。そこには簡素な服装のレニエ様がいた。普段はきっちりまとめられている髪がそのままで、いつもよりも若く見え。


「レニエ様? どうなさいました?」

「うん、夜這いに来たんだ」

「……へ?」


 突然現れた単語にはてなと首をかしげた。よばいって……四倍? 四杯? いや、読み方が違う……レニエ様を見上げながら頭をフル回転させたけれど……まさか、夜這い? じわじわと言葉の意味が浸透していく後から思考が止まっていくのを感じた。


「な、な……!」

「ふふっ、冗談」


 混乱する私にレニエ様は悪戯っぽい笑みを向けた。その笑みが凄く艶っぽくて心拍数が益々上がった。


「ちょっと付き合って貰いたくてね。少しいい?」

「え、ええ……それじゃ、着替えますね」

「うん、待ってる」


 ドアを閉めて急いでクローゼットを開けた。レニエ様の服装に合わせてワンピースに着替える。髪も広がらないように一つに結んであるからこれでいいだろうか。


「お、お待たせしました」


 見苦しくない程度に身なりを整えてドアを開けると、手を取られた。そのまま廊下を歩き、上階に向かう。


「あの、レニエ様、どちらへ?」

「ん~ 着いてからのお楽しみ、かな。見えるかわからないし」

「見える?」

「うん。見えなかったらごめんね」


 何かを見せたいらしいレニエ様に引かれて上階の一室に入った。真っ暗な中レニエ様が持つランプだけが頼りだ。そのまま部屋を突っ切り、向かったのはバルコニーだった。


「……ああ、よかった」


 バルコニーの手前でランプを棚に置いて外に出る。その先にあったのは広めのバルコニーで、月明かりで思ったよりも明るかった。


「ほら、ジゼル。あっちを見てごらん」

「あっちを?」


 指で示された方に視線を向けると、その先に見えたのは……樹木の間から輝く湖の水面だった。半分ほどは木の葉が隠しているけれど、それでも水面が月を反射して青銀色に輝いていた。


「あれは……湖?」

「うん、昼間行ったあの湖だよ。さすがに夜に行くのは危険だけど、ここから少しだけ見えるんだ」

「凄く……綺麗、です……」


 水面が揺れる度に光の帯も揺れる。街の明かりも届かないここでは暗闇のせいか一層幻想的に見えた。


「空も見てごらん」

「空? あっ!」


 天には無数の星が煌めいていた。重ねた手が熱い。


「月が出ているから星は見えないけれど、王都とは比べ物にならないだろう?」

「ええ……」


 きっと月がなければもっとたくさんの星が見えるのだろう。それでも、今までこんなに星を見たことはなかった。湖のせいもあるのか、知らない世界に紛れ込んだみたいだ。


「……ジゼル」


 不意に名を呼ばれたので見上げると、黒い瞳が見下ろしていた。


「私と……結婚してくれてありがとう」


 まだ婚約者だけど、と思ったけれど、それを言える雰囲気ではなかった。それに、それを言うなら私の方こそだ。


「お礼を言うのは、私の方です。もう、結婚出来ないと思っていましたから……」


 フィルマン様だけでなくジョセフ様との婚約もダメになった時、もう結婚は無理だと諦めた。適齢期をとっくに超えていたし、実家はこれ以上ないほど落ちていたから。それにまた婚約してもミレーヌに壊されると思ったのもある。彼女にとってはあれも自分自身のあり方への抵抗だったのかもしれない。そうじゃないかもしれないけれど。


「それを言うなら私もだよ。色々と曰く付きだったからね。王太子が即位したら我が家は冷遇されるだろう。だから結婚にも躊躇していたんだ。忙しくてそんな余裕がなかったのもあるけどね」


 重ねていた手をぎゅっと握られて腰を引かれ、レニエ様に抱きしめられた。突然のことで言葉も出ない。


「ジゼルのお陰だよ。ジゼルに出会ってから、ずっと気になっていた。真面目で失敗しても叱られても俯かずに前を向いて……謝りに来るたびに、抱きしめたいと、思っていたんだ」


 腕に力が籠った。レニエ様の胸に耳を付ける形になったけれど……伝わる鼓動は私と同じリズムだった。


「両思いだと知った日は、人生で最高の日だと思った。あの晩は嬉しくて眠れなかったよ」

「……わ、私も、です……」


 あの日の夜のことは私も鮮明に覚えている。恥ずかしくて居た堪れないけど、泣きたくなるくらい嬉しかった。


「ジゼル」


 すっと私を囲っていた腕が離れて、レニエ様の手で両手を包み込まれた。少し離れた距離から真っ直ぐに視線を向けられた。直視するのが恥ずかしいのに、目が離せない……


「順番が逆になってしまったけれど……ジゼル、死ぬまであなただけを愛すると誓う。どうか私と結婚して欲しい」


 黒い瞳の中に映る自分が泣きそうな顔で私を見ていた。


「もちろんです。私も、レニエ様だけを愛します。死ぬまでずっとです」


 次の瞬間視界が白くなった。見えるのはレニエ様のシャツだけだった。


「嬉しいよ、ジゼル。ああ、今夜のことも一生忘れられないな」

「私もです」


 さっきよりも鼓動が早くなっているのが伝わってきた。でも、きっと私の方が早い。鼓動を合わせるようにそっと目を閉じた。






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