変わっていく日常
ミレーヌと父の処遇を話し合った日から、二月あまりが経った。
実家のことが片付いた後は、私とエドモンの結婚式の準備が本格的になった。エドモンとラシェル様の式が半年後と決まったのを受けて、私とレニエ様のそれは四か月後になった。既に一緒に暮らしている上、私が姉だから先にした方がいいだろうとレニエ様が言って下さったからだ。
「ああ、ジョセフ君から手紙が来ていたよ。お父君が……領地に着いたらしいね」
夕食の後、サロンでお茶を頂いているところでレニエ様が教えてくれた。その手には日中ジョセフ様から届いた手紙があった。
「そうですか。これでジョセフ様の負担も減るといいのですが……」
一月前にジョセフ様とミレーヌの婚姻が成立していた。書類だけなのに時間がかったのはシャリエ家と縁続きになるのを弟の妻とその実家が反対したためだ。そこでジョセフ様はミオット侯爵家の分家に形だけ養子に入り、そこからシャリエ家に婿入りしていた。
だが、当主交代は結構揉めたと聞く。いざ爵位をジョセフ様にという段階になると父が難色を示したからだ。
「心配はいらなかったね。使用人たちはジョセフ君の味方だったから」
「ふふっ、父が使用人を大事にしなかったお陰ですね」
父の横柄な態度と子どもたちへの差別は使用人の反感を買っていた。能力のある者は早々に辞めていったけれど、そうでない者や代々仕えてくれていた者たちは不満を抱えながらも残るしかなかった。そのため、ジョセフ様の婿入りは使用人にとっては希望の星だったのだ。
「使用人を大事にしなければ家は栄えないのにね」
「父にはいい薬になったでしょう。今までの自分のやって来たことの結果ですから」
気の毒にとは少しも思わなかった。全て自業自得なのだから。
「ミレーヌ嬢も大人しく離れで暮らしているそうだよ」
「そうですか。このまま大人しくしていてくれるといいのですが……」
正直言うとそこは期待していない。ミレーヌの性格がいきなり変わる筈がないのだ。そのうち軟禁生活に不満を漏らして抜け出そうとするだろう。これは予感ではなく確信だった。
「勝手に抜け出したらそこで終わりだ。その時は養子を迎えるだけだ」
「ええ」
ミレーヌには話していないけれど、もし彼女が勝手に抜け出したりしたらその時点であの約束はなかったことになる。あの子とロイは領地に送られて軟禁、そのうち流行り病でこの世を去るだろう。その後は私かエドモンの子が後を継ぐ。ミレーヌを生かしているのは私やラシェル様が一人しか子が産めなかった時の保険でしかない。
「ああ、早速ジョセフ君から事業提携の話が来ているよ。シャリエ領でブドウを育ててワインを作ろうと考えているみたいだね」
「まぁ、シャリエ領で、ですか?」
「うん。でも、隣の領地はワイン作りが盛んだから出来るんじゃないかな。穀物には適さないけれど、ブドウならよく育つだろう」
「ええ、さすがはジョセフ様ですわね」
ワイン作りの話は祖父の代でもあったが、保守的な祖父は断ったと聞いている。父もきっと同じ考えだっただろう。彼らは変化を嫌っていたから。
「ワインが出来れば税収が増えますわ。本当にジョセフ様は優秀なのですね」
「ああ、彼なら文官としてもかなり出世したと思うよ」
「勿体ないですわ。もうじき辞めてしまわれるなんて……」
ジョセフ様は爵位を継いだのもあって、三か月後には文官職を辞めてしまう。さすがに傾きかけたシャリエ伯爵家を立て直すには専業でないと無理だと判断したらしい。文官職は狭き門だし、上からも引き留められたと聞くだけに勿体ない。
「ああ、彼がジゼルの婚約者になったと聞いた時は焦ったよ。彼ならいい夫になっただろうからね」
「まぁ、レニエ様ったら。でも、ジョセフ様は最初から白紙にするおつもりでしたわよ」
「でも、ジゼルの人柄を知って考えが変わっただろう?」
「まさか」
「そのまさかだよ。彼、ミレーヌ嬢と距離を置き始めただろう?」
「え? ええ……」
そう言えばそんなこともあった。ミレーヌと懇意になってそれを理由に白紙にすると思っていたけれど、いつからかミレーヌに厳しい態度を取るようになっていて、不思議に感じていたのだ。
「まさか、あの時……」
「そのまさかだよ。まぁ、彼は私の気持ちに気付いていて、譲ってくれたけどね」
「ええっ!?」
レニエ様とジョセフ様は仲がいいと思っていたけれど、そんなことまで話していたのだろうか。
「彼も勘がいいからね。私が嫉妬していたことも気付いていたよ」
「ええっ? レニエ様が嫉妬? まさか……」
「嫉妬していたよ。隠していたつもりだったけど、周りにはバレていたらしいね」
そっと手が伸びてきて私の頬を撫でた。きっと私の顔は赤くなっているだろう。触れた手が熱い……
「ふふっ、でも彼のお陰でジゼルとこうして一緒にいられるんだ。彼への援助は惜しみなく行うよ」
「あ、ありがとう、ございます……」
実家のことよりもレニエ様の手を意識してしまった。最近こうして触れてくる機会が増えて、その度にレニエ様に翻弄されている気がする……
「ああ、もう直ぐ異動なのだね。離れ難いよ……」
「私も、です」
レニエ様の宰相府への異動は残り一月を切っていた。新しい上司はカバネル様だから何の心配もないけれど、レニエ様と離れてしまうのが寂しい。それに宰相府は今と同じかそれ以上に機密事項を扱うからきっと大変だろう。それに高位貴族ばかりの職場なので気を使うことも増えるだろうし、無理をされないかが心配だった。
「異動前に十日の休みを頂いたんだ。どうかな、少し遠出してみないか?」
「遠出、ですか? でも、休みは……」
「ジゼルは殆ど休暇を取っていないだろう? 私の仕事はカバネル先輩がいるし、オドラン君もグリニー嬢も随分慣れてきた。大丈夫だと思うよ」
「そ、そうでしょうか」
確かに仰る通りだけど、今まで普段の休み以外で休暇を申請したことはなかった。人が足りなかったのもあるけれど。
「ミオット領に湖が美しい別荘があるんだ。今の季節は特に美しいだろう。是非ジゼルとボートに乗りたいな」
「ボート、ですか?」
「乗ったことは?」
「あ、ありません」
「そうか。だったら是非乗ろう。ああ、今の季節なら花もよく咲いているだろう」
「まぁ、素敵ですね」
異動したら暫くは休めないだろうし、結婚式も控えている。その後もエドモンのが続くから、ゆっくり出来るのは今しかないかもしれない。思いがけない素敵な提案に、心はすっかり湖に向かっていた。




