愚妹の乱入
足音の主は案の定ミレーヌだった。今日はデュノア伯爵もいらっしゃっているから部屋から出ないように言われていただろうに、使用人の中に情報を漏らす者がいるのだろう。
「ジョセフ様! お会いしたかったですわ!」
そう言ってジョセフ様に抱きつこうとしたけれど、それは寸でのところで止められた。ジョセフ様の前にデュノア伯爵夫人の姿を認めたからだ。これまでも散々デュノア伯爵夫妻には苦言をいただいていたから、さすがのミレーユも今はマズいと思ったのだろう。
「ま、まぁ、デュノア伯爵様……」
「ご令嬢、相変わらずですな」
冷たい視線を向けられたミレーヌは顔を引き攣らせて視線を彷徨わせた。そこに私の姿を認めて目を見開いたが、直ぐに笑顔を浮かべた。
「まぁ、お姉様じゃありませんか。お帰りになっていたのなら一言仰って下さればよかったのに」
相変わらず何も考えていないし、何もわかっていないらしい。ある意味ここはミレーヌによって迷惑を被った者が集まっているのに。
「ミレーヌに用はないから言う必要はないでしょう?」
「そんな! 酷いわ、お姉様ったら。いつだって私をそうやって仲間外れにして……」
途端に表情を曇らせて涙を溜めた。自由自在に涙が出せるなんて器用だなと思う。私には絶対に真似出来そうにない。
「そうやって被害者ぶれば、同情して貰えると思っているのか?」
「え?」
低く唸るような声で尋ねたのはデュノア伯爵だった。この部屋では父以外が冷たい視線を向けていた。ミレーヌはお得意の技が通用しなかったことに戸惑いを見せた。
「被害者ぶってなんか……」
「へぇ、でも今の言い方だといかにもジゼル嬢が悪いように聞こえるよね。呼ばれてもいないのに、許可なく部屋に乱入してきた君の方がずっと非常識なのに」
「え?」
ジョセフ様の辛辣な言葉にミレーヌが固まった。デュノア伯爵と夫人がジョセフ様を驚きの表情で見ている。彼がミレーヌにこんなことを言うとは思わなかったのだろう。
「申し訳ございません、ジョセフ様。妹のせいでよからぬ噂を立てられてしまって……」
そう言って頭を下げたのはエドモンだった。
「全くだよ。私はジゼル嬢を気に入っていたんだけど、こんな妹がいては安心して眠れないからね」
「ええ、仰る通りです」
「な……エドモンったら酷いわ!」
「そう思うなら淑女のマナーくらい弁えろよ。恥をかくのはこっちなんだから」
「ひ、酷いっ!」
そう言って両手で顔を覆ったけれど、誰もミレーヌを慰める者はいなかった。
「まるで幼児、いや、それ以下ですな。ではシャリエ伯爵、失礼しますよ」
そう言うとデュノア伯爵は入り口に向かって歩き出し、夫人とジョセフ様がそれに続いた。ミレーヌは泣き真似を続けていたけれど、父はデュノア伯爵の言葉に項垂れてしまい気にかけなかった。
「ジゼル嬢、大して力になれなかった。ごめんね」
すれ違いざまにジョセフ様が私にだけ聞こえるような声でそう言った。
「いえ、私こそ何も出来なくて……それに妹が申し訳ありませんでした」
こんな形ではなくもっとちゃんと謝りたかったけれど、婚約が破棄されてはそれも難しいだろう。ジョゼフ様によからぬ噂が立ってしまうから。ドアに向かう後ろ姿に頭を下げた。
「ミレーヌ、観客は帰ったよ。もう泣き真似しなくてもいいぞ」
ドアが閉じられてデュノア伯爵家の姿が見えなくなると、エドモンがため息と共に声をかけた。
「酷いわ! 泣き真似だなんて!」
「どうでもいいよ。で、何しに来たわけ? 今日は部屋から出るなって言われていたんだろ」
「ジョセフ様がいらっしゃっていると聞いたからよ! どうして教えてくれなかったの!」
「そりゃあ、姉上との婚約を破棄する話し合いだからな。元凶のお前を呼んでどうするんだよ」
「え? 婚約解消って……やだ、お姉様、本当?」
急に笑顔になった。人の不幸が大好きなのだから質が悪い。でも、そんな風に言っていられるのも今の内だ。
「ええ、あなたのせいでデュノア伯爵家と次男の婚約者の生家がお怒りでね」
「まぁ、私のせいだなんて! お姉様に魅力がないからでしょう?」
見下すようなミレーヌの物言いにイラッとはしても腹は立たなかった。世間的にもミレーヌの価値はゼロどころかマイナスだ。それがわからないのはミレーヌと父くらいだろう。
「ジゼルに魅力がない? そんな筈はないだろう」
ドアが開く音と共に聞こえたのは、レニエ様の朗々とした声だった。デュノア伯爵家が帰ったのでレニエ様とリサジュー侯爵が戻って来たのだ。
「え? だ、誰?」
若くて見栄えのいい令息しか記憶に残らないらしいミレーヌにはお二人が誰かわからなかったらしい。夜会などで会っているはずなのに。それでも整った顔立ちをしているレニエ様を見て目を潤ませた。年は離れているけれど、若い令息にはない落ち着きや優しい顔立ちは十分魅力的だ。案の定というべきか、節操がないというか……
「こ、これは閣下。お待たせして……」
「いや、ミオット侯爵と話したい事があったのでね。ちょうどよかったよ。だがデュノア伯爵が帰られたようなのでね。出て来たんだ」
そう言ったのはリサジュー侯爵だった。
「は、初めまして! ミレーヌと申しますの! お名前を伺っても?」
父と話すリサジュー侯爵を無視し、レニエ様に話しかけた妹にげんなりした。そんな話し方を可愛いと言って貰える時期はとうの昔に過ぎているのに。久しぶりに見た姿は痛々しさが更に増していた。
「ミレーヌ、あなた、ちゃんとした挨拶も出来ないの? だったら出て行ってちょうだい」
「全くだよ。これ以上恥を晒すなよ? 見ててこっちが恥ずかしい」
耐えかねて諫めると、エドモンは更に辛辣な言葉で同意した。
「酷いわ、二人共!!」
「酷いのはどっちだよ。お前みたいに挨拶一つ出来ない身内がいるせいで、俺たちがどれだけ肩身の狭い思いをしていると思っているんだ?」
「そうね。少なくとも今はあなたに用はないわ。部屋に戻りなさい」
「嫌よ!!」
とうとうミレーヌが癇癪を起こした。思い通りにならないと直ぐにこれだ。面倒だし、諫めれば父に余計なことをするなと言われてきた。その結果がこれだ。
「全くこれのどこがジゼルよりも魅力的だと言うんだ? 平民の娘でももう少し弁えているだろうに」
一瞬耳を疑った。レニエ様がここまで辛辣なことを言うと思わなかったからだ。




