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想いを拳に



 風牙と刈谷が殴り合う最中、影斗は震える体を必死に動かし、野上由佳(よしか)の傍に寄る。

 彼女は影斗に気づくと、結界越しに腕を伸ばすが、弾かれてしまう。


「大丈夫……ですか……おれが、助けますから……」

「ごめんなさい……ごめんなさい……また、守れなかった」


 嘆く野上由佳は、目から青い光の粒を流す。それを見た影斗は、拳を握り結界を殴りつける。

 何度も、何度も、拳が結界に弾かれ、焼けるように痛んでも殴り続ける。


「やめて……あなたが傷ついてしまう」

「お、おれはまだ……助けてくれようとしたあなたに、お礼してないんです」


 影斗は拳の痛みに耐え続ける。歯を食いしばり、思わず涙がこぼれる。しかし、結界を殴る手は決して緩めなかった。


「おれたちが……もっと早く気づいていれば、こうはならなかった……!」


 野上由佳はそんな影斗の様子を見て、後悔の念を口にした。


「……違うの。気づかないのは仕方のないことだった。私は気づけばあの男に化け物にされていた。町を彷徨っている時は、ほとんど意識がなかったの。この家にいる時だけは唯一、私が私でいられた。怒りに任せて何度も子どもを守ろうとしたけど、私が化け物になってしまうから、誰も振り向いてはくれなかった」


 影斗はその話を聞いて、冷や汗をかいた顔のまま無理やり笑みを作る。


「化け物でも、傀異でも、あなたはおれを守ろうとしてくれたんです。だから今度はおれが助けたい」

「っ……」


 影斗は息を整え、自分にできるありったけの傀朧を拳に込める。

 風牙のように上手くはできないが、それでも風牙の真似をして、拳に傀朧を纏わせる。

 風牙は至らない自分を認めてくれた。まがいなりにも努力していることを認めてくれた。

 強く、強く、強く、強く――――――イメージする。

 絶対にこの結界を破る――――――そんな光景をはっきりと思い浮かべる。


「……ありがとう」


 野上由佳は震える声で影斗に礼を言った。


「このおおおっ!!」


 その時、影斗が振り上げた拳が、結界にめり込み、結界を突き破る――――――。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「私はね! 野蛮なことは嫌いなんだよ! なのに!!」


 刈谷の猛攻は、俺の体に確実にダメージを与えていた。

 身のこなしも、体の使い方も、俺よりも熟練している。怒り狂いながらも的確に俺の急所を狙ってくる。

 刈谷の戦い方は、シンプルなボクシングスタイルだった。素早いジャブとストレートを軸に、フックやアッパーで的確に一撃を狙ってくる。俺は次第に防御で手一杯となり、追い詰められていく。


「面倒なことを持ち込みやがって!!」

「!!」


 刈谷が言葉を吐いた瞬間、わずかな油断を見せる。俺は顔面を狙ってきた拳を躱し、伸び切った腕が戻るより早く懐に潜り込む。傀朧で強化した拳を腹に叩き込み、刈谷の動きを止める。


「どうだこのゴミクズ野郎!!」

「……ゴミクズ? 私はガキに価値を与えているんだ。弱くて惨めで何もできないただ奪われるだけの存在に、私は数億円の付加価値を付けることができるんだよ!」


 刈谷は吐血しながらも、ニヤリと笑った気味の悪い笑みのまま、大きく腕を振り上げて挑発してくる。俺は怒りに任せ、刈谷に突進する――――――。


「かはっ……!」


 しかし、突進した俺の腹部に、綺麗にアッパーが入ってしまう。深くまで入り込んだ拳が俺の体を吹き飛ばす。

 しまった――――――まんまとやられた。激しい鈍痛で、俺の意識が揺らぐ。

 刈谷は満足げに笑うと、俺の傍まで寄って来る。動けない俺を見下すと、俺の体を蹴り上げ、そして右手を踏みつけると、じりじりと足を動かす。


「よくわからないなぁ。怒っているの? じゃあそんな君に、僕の素敵な美学を教えてあげよう」

「ふざっ……けんな……!」


 刈谷は俺の眼前で目を見開くと、早口でまくし立て始める。


「これでも私は子供が好きなんだ。なぜなら、さっきも言った通り付加価値が付くからだ。臓器を売る、変態共に売りつける、それもいい。実は日本人は外国人に高値で売れる。なぜかって、平和な世界で育った分、絶望する(・・・・)からさ。その表情が変態どもにとってはたまらなく良いらしいよ。でも、僕はそんな馬鹿な性的欲求者どもよりも、もっと絶望を利用できる。裏社会で最も高い価値を生むのは傀朧さ。傀朧を制する者は、今後の世界情勢を左右すると言っても過言ではないと思っている。特に、子供の想像は人間の中で最も豊かで機敏、絶望すると最高の純度で抽出できる。だからこそ生きたまま傀朧を生み出す検体として飼い、精製した傀朧を結晶化してエネルギー物質として売り出す。それが僕の持続可能な完全無欠のビジネススタイルだよ」


 気持ち悪くて反吐が出る――――――俺は歯を食いしばり、刈谷の顔面を殴りつけようとするが、軽く躱されてしまう。しかしその時、刈谷の張った結界が破られた気配がした。それに気づいた刈谷は、殺気を結界の方へ向けると、俺から離れていく。


「待てクソ野郎……!!」


 まずい。俺の視線の先には、野上由佳の腕を取り、結界内から助け出そうとする影斗の姿があった。


「おっと。ちょこまかと動くなよ」


 刈谷はそんな影斗の背中を蹴り上げ、影斗の腕を掴み、後ろ手に拘束すると、膝を付かせる。首をかしげて目を細め、鬱陶しそうに影斗の足を見つめる。


「その子を離せ!!」


 野上由佳が影斗を助けようとするが、拳を振るわれて殴り飛ばされてしまう。


「言うことを聞かないこの足は、折ってしまおうか」

「やめ……」


 刈谷は涼しい顔のまま、影斗の足を粉砕しようと傀朧で強化した右足を大きく上げた。俺は何とか立ち上がり、刈谷に飛び掛かる。しかし、俺の方へ向き直った刈谷は恍惚の笑みを浮かべ、俺を嘲笑った。


「バーカぁ! 嘘だよォ!!」

「!?」


 俺は完全にカウンターを決められ、刈谷に蹴り飛ばされてしまう。刈谷は恐怖で震えている影斗を優しく撫で始める。


「怖い? 怖かった? 痛いと思った? あははっ! それだよ。その恐怖が、いい傀朧を生むんだ……」


 刈谷は影斗を立たせ、黒いグローブをはめた右手で首をがっしりと掴み、持ち上げた。


「か……は」

「さあ。その傀朧を私に寄越しなさい」


 刈谷の腕を叩き、必死にもがく影斗から、ゆっくりと傀朧が吸い上げられていく。


「やめろ……!」


 あのグローブだ。あのグローブが、傀朧を吸収する傀具だったのだ。さっき俺の拳を受けた時、拳に込めた傀朧がグローブに吸収されたから手ごたえがなかったのか――――――。


「ああ……イイよ……君を最初見た時にピンと来たんだ。君はなんて純度の濃い(・・・・・)傀朧を身に纏っているんだろうって。まるで概念核を持つ傀異(・・)のようじゃないか。人間一人からここまで純度の高い傀朧を生み出せる子供は、君以外に見たことが無い!」


 影斗の傀朧を吸いこみながら邪悪に笑う刈谷に、俺の焦りが増していく。先ほどダメージを受けた腹を無理やり傀朧で強化して立ち上がると、何とか影斗を助けようと歩き始める。


「ゆ……さ……い……」

「ん? 何だい。今は機嫌がいいから、お話に付き合ってあげてもいいよ」


 刈谷は首を掴む力をわずかに緩める。影斗はがっしりと刈谷の腕を掴み、キッと刈谷を睨みつけた。


「おれは……ゆるさない……」

「へえ。まだ抵抗する気があるの……なら、お仕置きしないといけないね」


 刈谷は傀朧の吸収量を増やし始める。

 しかし、それに呼応するように、影斗の中から爆発的に傀朧が増幅していく。


「お前みたいな……奴が……」

「何だこの量は……馬鹿な。吸収しきれない……!?」


 俺は爆発的に増幅していく影斗の傀朧に見覚えがあった。それは影斗のものではなく、先ほどまで戦っていた八尺様の傀異(・・・・・・)の傀朧そのものだった。

 なぜ、その傀朧を影斗が纏っているのかはまるでわからない。しかし、影斗の怒りに呼応するように溢れ出していく傀朧が、影斗の強い意思に反応し、腕を握る力を強化した。


「お前みたいな奴がいるから……!」


 ――――――ボキ。

 骨が粉砕される生々しい音が響く。


「ぎゃあああああっ!!」


 刈谷は影斗から手を離し、折れた右腕をだらりと垂らし、激しい痛みに震える。その隙に、俺は残った力を足に込めて、刈谷に飛び蹴りをかます。ごろごろと転がっていく刈谷の額には、脂汗が滲んでいた。


「影斗!」

「風牙……大丈夫?」

「お前こそ大丈夫なのかよ! この傀朧は……?」


 全身を青い傀朧に包まれている影斗は意識がぼんやりとしているようで、俺の顔を見つめて頭を抱える。


「うーん……」

「大丈夫か!?」

「なんか、あったかいんだ……」


 俺は影斗の背後で倒れている野上由佳に目を向ける。先ほどまで消えかかっていた彼女からはほとんど傀朧を感じられなかったが、こちらを見て何かを懇願するように手を合わせていた。女の霊は、もう〈八尺様〉ではない。〈八尺様〉としての傀朧を、すべて影斗に取られてしまった――――――そんな雰囲気だった。


「こんんの……クソガキ共がぁぁ!!」


 立ちあがった刈谷は、混乱を払拭するかのように、怒りに任せて俺たちに向かってくる。その左手にはナイフが握られており、確実に俺たちを始末する意志が感じ取れた。


「お願いがあるんだ。おれのこの傀朧、使って欲しい」

「えっ」

「この傀朧の使い方、なんとなくわかるんだ。おれ、多分風牙に渡せると思う」


 影斗は力強く俺の顔を見つめてくる。

 なぜ影斗が八尺様の傀朧に包まれているのか、なぜそれを俺に渡せるのか。原理はさっぱりわからなかったが、今はどうでもいい。俺の傀朧はもう底を尽き欠けている。だから、影斗を信じることにした。


「ああ。後は任せろ(・・・・・)


 俺が突き出した拳に、影斗が拳を合わせる――――――すると、莫大な量の傀朧が俺に流れ込んできた。

 俺の脳裏に、野上由佳の記憶が流れ込んでくる。悲しさ、悔しさ、寂しさ―――そんな、辛くて苦しい感情の中に、守りたいと思っていた温かい家族の記憶があった。


「そうか。あんたは……」


 俺は野上由佳の、子どもを思う温かな気持ちを確かに感じ、拳を握りしめる。


「悔しかったよな。辛かったよな。あんたは、自分が化け物になっても、あいつに誘拐される子どもを必死に守ろうとしたんだな」


 刈谷がナイフを振り上げ迫る中、俺はそっと目をつむる。


 ――――――この思いを。

 ――――――この力を。

 ――――――あの男を倒すために使う。


「俺は……負けねえ!!」


 目を見開いた瞬間、莫大な傀朧を纏った俺は、凄まじい速度で刈谷の左肩を蹴り上げた。ナイフが回転しながら宙を舞い、背後の木の幹に刺さる。


「がっ!!」


 防ぐ隙など与えない。一撃で刈谷の肩が粉砕されると、奴はよろよろと後ずさりする。


「んが……が……」

「てめえは絶対に許さねえ……覚悟しろ!!」


 俺は影斗からもらった傀朧を全身に巡らせ、感覚を研ぎ澄ませていく。

 今なら、何だってできるような気がする。風のように疾く、疾く――――――俺の動きは、時を止めたかのように速くなり、意識だけがはっきりと目の前を映し出す。


 ――――――功刀流闘術、凪疾風(なぎはやて)


 限界まで強化された俺の体は、凪いだ空間を突き抜ける風になる。

 停止した世界で、俺の意識だけがはっきりと動いていた。俺は刈谷に向かって突き進む。憎悪に染まった醜い表情のまま停止した刈谷を睨むと、拳を構えた。


「これが……お前が虐げたすべての人の怒りだ……!!」


 殴る。殴る。殴る――――――停止した世界の中で、俺は刈谷の全身に拳を叩き込む。瞬く間に数百発の拳を叩き込むと、素早く背後に回り込み、十メートルほど距離を取った。

 まだ足りない。この邪悪な男を懲らしめるには、もっと強力な一撃が必要だ。右足に傀朧を込めると、体を捻ってその時が来るのを待つ。


「……凪、解除」


 ぐちゃ、という体が弾ける音と共に、停止した時間が動き出す。


「ふぎゃあああああ」


 刈谷は何が起こったのかわからず、情けない声を上げて俺の方へ吹っ飛んでくる。


「功刀流闘術、烈火風巻(しまき)!!」


 飛んでくる奴の体に合わせ、溜めた回し蹴りで刈谷を上空へ吹き飛ばす。刈谷の体は勢いよく舞い上がると、ほどなくして落下し始める。あれだけダメージを与えても、刈谷の意識はあのグローブのおかげでまだはっきりとしているようだ。


 俺は残された傀朧のすべてを、拳に集約する。奴の被害に遭ったすべての人の思いを、拳に乗せるように。


 功刀流闘術の神髄―――孤独に修行に明け暮れていた時、祖父が唯一、直接伝授してくれた技があった。これまで一度も上手くできなかった奥義(・・)。なぜだかそれが、今ならできる気がする。

 ――――――腰を落とし、静かに息を吐くと、全身の傀朧と向き合う。

 圧倒的な破壊のイメージ。〈強化〉想術を昇華させた必殺技、それが功刀流闘術奥義、〈覇汪牙(はおうが)〉だ。

 空気が渦巻き、傀朧が電撃を帯びたようにビリビリと唸りを上げる。天の怒りのようなその一撃の準備に、影斗が声を大きく張り上げ、俺を呼ぶ。


「風牙!!」

「おう! 任せとけ!!」


 刈谷の落下地点ギリギリ、奴が落ちてくる瞬間に合わせ、俺は拳を突き出した。


覇汪牙(はおうが)ぁぁぁ!!!」


 拳から練り上げた傀朧が放たれる――――――それは青い雷となり、刈谷に向かって突き進む。その余波は周囲の地面を抉り、木々をなぎ倒し、すべてを飲み込んで破壊する――――――!


「!!!」


 近くにいた影斗と野上由佳に、凄まじい風圧が襲い掛かる。雷のように変貌した莫大な傀朧が爆ぜ、周囲が青い光に包まれた。


「どうだ……ざまあ……みろってんだ……」


 俺は全ての力を使い切り、激しい疲労に耐え切れず、体を落とす。

 視界に映った、影斗が近づいてくる様子が揺らぎ、そのまま意識を失った。



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