13
「台本ってこんなにあるのかよ。台詞なんて覚えらんねえよ」
自分の机の上に座った涼が、放課後の教室で文句を言う。
役決めから数日。学級委員の手によってクラス全員に、課題劇「美女と野獣」の台本が配られたところだった。
「涼より私の方が多いよ……こんなに覚えられるかなぁ」
「あなた方、お互いに推薦しておいて何を言ってますの」
嘆く二人の元に現れたのは、女子寮長の雪乃だった。
「寮長は何の役なんだ?」
涼が尋ねると、麻穂はパラパラと台本をめくって配役一覧を探した。
「わたくしはナレーターですわ」
麻穂が調べるより早く雪乃がそう言うと、涼は口をとがらせた。
「マジかよ。台詞覚えなくていいじゃんか。羨ましいぜ」
そんな様子を見て、雪乃は優雅に微笑んだ。
「あなたみたいな人間には、野獣役がとってもお似合いだと思いますわ」
「おい、どういう意味だよ」
雪乃の言葉に涼が片眉を上げる。
「そのままの意味ですわ」
火花を散らす涼と雪乃の間に割って入って、麻穂が「まあまあ」となだめるのであった。
その時ふと麻穂の目に入った配役一覧のページ。
野獣の元の姿の青年役――3年3組、高時祐真。
「りょ、涼。野獣の元の姿の青年役が、高時祐真だよ」
「げっ……まぁ、案の定か。いいとこばっか取りやがって、あいつ」
役の説明を受けたときから涼は、どうせ祐真がなるんだろうなと予感していた。
祐真と涼の仲が騒がれたのが静まってしばらく経つので、何を言われることもなかったのが幸いだった。
「噂によると、3組のほとんどの女子の推薦だったそうですわ」
女子寮を束ねる雪乃は、何かと噂に詳しいようだった。
麻穂は、偶然とはいえまた祐真と関わる機会を持ったことに、少し喜びを覚えていた。麻穂の口角があがったのを、涼は見逃さなかった。
「おい、麻穂。ニヤニヤしてんじゃねえよ。お見通しだぜ。高時と……」
「うわあああ! なんでもない、なんでもないから!」
涼の言葉を慌ててさえぎる麻穂。
雪乃はきょとんとした面持ちで、冷やかす涼と挙動不審になる麻穂を交互に見つめていた。
「涼、変なこと言わないでよ!」
小声で麻穂が怒鳴りつける。顔を赤くしているのは言うまでもない。
「あら嫌だ、あたし何か変なこと言った?」
こんなときに限って不必要に女の子ぶる涼。麻穂をからかうのが余程楽しいようだ。
「お二人とも仲がよろしいんですのね」
何の悪気もなく、雪乃が優雅に微笑んで言う。
二人がぎゃあぎゃあ騒いでいると、そこに学級委員・橘が現れた。
「涼ー、プレゼントだよ」
彼女は彼に小さな包みを手渡した。プレゼントという割にはあまりに飾りっけのない袋に、手ごたえのない中身だった。
「何だよこれ」
涼がそれを開封しようと手をかけた。
麻穂と雪乃は不思議そうに、橘は笑顔でそれを見守っている。
涼が袋に手を突っ込んで、中身を引き出す。
「あん?」
涼が掴んだのは自分の髪の色によく似た何かだった。
「これ何だ?」
橘はにこやかに言い放つ。
「カツラだよ」
涼は眉間にしわを寄せた。
「なんであたしがカツラをかぶんなきゃいけないんだよ」
「なんでって、あなた男役やるんでしょ。男装カツラは欠かせないわよ。ちなみに最近ではオシャレにウィッグって言うのよ」
涼は、いよいよまずくなってきたな、と目を細めた。
男役といっても髪を束ねる程度でお茶を濁すつもりだったが、短髪のウィッグなんてかぶってしまったらますます自分が男に見えてしまう。
彼の心中を察してか、麻穂も少し焦っているようだった。
そんな二人のことなど露知らず、橘が話を続ける。
「涼の髪の色に似てるやつを選んできたんだよ。ちなみにこれ、全部劇の経費で落ちてるから」
「すごい力の入れようですわね」
「うん! 涼と高時くん、学校でも話題の有名人二人がヒーローをやるんだから、やる気も出るよ。クオリティの高い作品を作りたいね」
橘のやる気を見て、麻穂と涼は主役の自分たちがやる気半分であることを申し訳なく思った。
涼が手に取ったウィッグを見つめていると、雪乃がとんでもない提案をしてくる。
「片岡さん。せっかく買ってきて下さったんですし、今つけてみたらどうですの?」
「あ、いいねえ! 見たい見たい!」
橘が声をあげるものだから、周りのクラスメイトも集まりだした。何が始まるのかと皆物珍しげに、輪の中心にいる涼を見つめている。
「涼、どうするの?」
麻穂が小声で涼に耳打ちする。
涼は困ったように顔をゆがめた。
「私がかぶらせてあげるよ」
橘が背後に回り込もうとしたとき、涼はそれを片手で制した。
「待て。今男装姿をお披露目したら勿体なくないか? 本番の楽しみにしておこうぜ」
苦し紛れの提案だということは、この場では麻穂だけが分かっていた。
しかし意外にその意見は受け入れられ、
「そうだね、じゃあ本番まで取っておこうか」
「それもいいですわね」
と賛成の声が漏れた。
集まった人々も、それならばと納得してくれたようだった。
とりあえず一安心と、麻穂と涼は「ふぅ」と息をついた。
「麻穂、帰るぞ」
その場から早く逃げたいとばかりに、両は急いで机から腰をおろす。
麻穂も慌てて自分の机に鞄を取りに行った。
二人が廊下に出ると、そこにはまた人だかりが出来ていた。
「気に食わねえ野郎が居るぜ」
その中心人物をいち早く察知した涼は、「早く行こうぜ」と麻穂を促した。
「高時くん……?」
予想通りの配役に盛り上がる生徒たちに囲まれた祐真が、輪の中心にいた。
麻穂が彼を見つけると同時に、彼は人ごみの中から麻穂を見つけたようだった。
祐真は遠くからにこっと麻穂に微笑みかけた。
麻穂はそれが自分になされた笑みだということが分かって恥ずかしくなり、思いっきり顔を背けた。
祐真と二人で理事長に会いにいったあの日から、「自分を特別扱いしてほしい」と勘違いされたままだった。そんな彼が向けてくる笑顔は、特別なものを包含しているような気がしてならない。
「涼、早くいこっ」
祐真とこれ以上近にいると自分の頭がパニックになる。麻穂は涼の背中を押して下駄箱へ急いだ。
その夜の寮。
昼間に前兆などなかったのに、すっかり嵐の空模様だ。風が吹き乱れ、雷の音が段々近づいてくる。わずかに雨も混じっているようだった。
部活動も中止になり、生徒は皆早いうちに寮に戻ってきていた。
麻穂と涼の二人は、早速会議を始めた。
「さて、麻穂。どうするか」
「どうしようねえ……」
勿論議題はウィッグのこと。橘もまた面倒なものを持ってきてくれたぜ、と涼は頭を悩ますのだった。
涼の口調や仕草はとても男らしい。運動も女子以上に出来るし、背も高い。それでも彼を女の子に見せているのは、その長い髪だ。その艶やかな長髪は、後ろ姿からは完璧に美女を思わせる。振り返ってもやはり整った顔立ちだけれども、やはりその長い髪のおかげというところがある。
「ねぇ、涼。一回試しにかぶってみたら? 意外と男に見えないかもしれないよ?」
麻穂の提案に少し迷うも、ドアの鍵をかけカーテンをしめて、了承した。
涼は髪をいじりだした。
麻穂はその様子を隣で眺めていたが、涼が、
「恥ずかしいからあっち向いてて」
というので、机上の飾りっけのないカレンダーをただぼうっと見つめていた。
しばらくして涼が「出来た」と麻穂に声をかけたが、その声は妙に不安げだ。
「そっち向いてもいい?」
麻穂が少しドキドキしながら尋ねる。
「いいよ。俺、鏡見てねえからあんまよくわかんねえ」
麻穂は振り返って驚いた。
目の前には完全なる男の子が座っていたのだ。思わず口を半開きにしたまま彼を見つめてしまう。
「なんだよ、なんか言えよ」
涼が気まずそうに言う。
「なんか、直視するのが恥ずかしい……」
いつも一緒に居るルームメイトの本当の姿に、麻穂は思わず頬を両手で覆った。
「はぁ? いいから鏡貸してくれよ」
麻穂の机の上の鏡をひょいと取り上げて、自分の姿を改めて確認する。涼は「うわぁ」と顔をゆがめた。
「やべえ、これ完全に俺の小学生の頃だわ」
「男の子にしか見えないよね」
長い髪がなくなると首が太いのがよく分かるし、それにつながる太い鎖骨が浮いた胸板も、男らしさが引き出されている。
顔もいくら女顔とはいえ、長い髪がなくなると男性にしか見えない。
「困ったな……」
鏡から視線をそらし、涼が腕を組んで悩み出した。
「でも、すごく似合ってるよ。びっくりしちゃった」
真剣に悩む涼の横で、麻穂は興奮しながらそう伝える。
「涼の本当の姿が見れて嬉しいよ。すごくかっこいい!」
そう言って彼に前のめりになる。
涼は、麻穂は気楽だなと思いながらも、その言葉に満更でもない様子だった。
「ありがとな」
わずかに顔を背けていたが、顔がほのかに赤いようだった。
「せっかくだし、劇の当日一日くらい男の子の姿で過ごしてもいいんじゃないかな?」
「え?」
「今まで女の子で通してきたんだもん。少しくらい男らしくても、皆疑わないと思うよ」
麻穂の提案に、涼は少し考えた。
ここにきて二年と半年、立派に女として通してきた。たまには男に戻りたいという気持ちも、ないといったら嘘になる。
「……じゃあ、一日だけ男に戻ろうかな」
少し遠慮がちに、麻穂の提案を採用した。
その時、突然大きな雷が落ちた。大地を割らんばかりのけたたましい音だった。
途端に電気が消え辺りが真っ暗になった。
「きゃっ」
麻穂は肩を震え上がらせた。
一瞬で暗闇に落ちた室内。強風は窓を打ちつけ、横殴りの雨がシャワーのようだった。
「すげー雷。停電だな」
涼は冷静に、携帯の画面を開いて灯りを確保した。床にへたりこむ麻穂の傍までいって、彼女の周りを照らしてやる。
その時もう一発雷が落ちる。先程とは比べ物にならないくらい大きな、耳がおかしくなるのではないかとすら思える轟音と、フラッシュをたかれたような閃光。
「きゃあっ!」
麻穂が咄嗟に、傍にいた涼の腕に抱きついた。
涼はやれやれと彼女を見下ろした。
「こえーのか?」
「だって雷ここに落ちたら、火事になるんだよ?」
何を言っているのかさっぱりわからないとばかりに、涼は暗闇の中で眉根を寄せた。
「落ちるはずねえだろ。しかも火事って……どんだけの確率だよ」
またもう一発雷が落ちる。先程ほど大きくなかったが、麻穂を怖がらせるには十分だった。
麻穂は小さくなって涼の腕にしがみついている。
しょうがねえな、と涼は彼女に腕を貸しておいてやる。
しばらくすると館内放送が入った。
「只今雷の影響で館内が停電しています。非常電源に切り替わるまで、無闇に動き回らずその場で待機して下さい」
「ほら、非常電源に切り替わるってさ。もう少しで明るくなるぜ」
雷のオンパレードの中、涼がそう言う。
麻穂は窓が光る度に、涼に身を寄せていた。
それからしばらくすると、廊下や共同スペースの電気がついて、それから部屋の電気がついた。
麻穂がほっとして顔をあげると、そのすぐそばに、ウィッグをかぶって男に戻った涼の姿があった。
思わず赤面して彼の腕を放してしまう。
それは涼も同じだったようで、明るくなって麻穂の顔を近くで直視し、恥ずかしさにそっぽを向いてしまった。
しばらく二人の間に気まずい沈黙が流れた。
再び大きな雷が連続で落ちて、麻穂が小さく悲鳴を漏らすのを聞くと、涼はウィッグを取って髪を振りほどいた。
「女の姿だったら平気だろ」
そう言って自分の手を差し出してきた。
「うん……」と消え入りそうな返事をして、麻穂は遠慮がちにその手を取る。
涼の手は骨ばっていて大きい。それに比べて麻穂の手は小さくてすべすべとしていた。
お互いの手の感覚を感じながら、雷が収まるまで二人はそばにいた。




