義賊無情 三
隼人と沙羅は、今日も満願神社にて大道芸をしていた。そんな彼らの周りには、三人の中年男と一人の若い女がいる。いかにも興味深そうに、隼人たちの動きを見ていた。
真剣な表情で、隼人は手裏剣を構えた。彼の視線の先には沙羅がいる。彼女は、大きな木に背中を付けて立っていた。
息を吸い、じっと沙羅を見つめる隼人。彼女までの距離は、ざっと二間半(約四・五メートル)だ。
狙いを定めると、隼人は手裏剣を投げた――
手裏剣は、沙羅の頭の一寸(約三センチ)ほど上に突き刺さっている。
おお、と声を上げる男たち。だが女の反応は違っていた。恐ろしい形相で、つかつかと隼人に近づいて行く。
「ちょっと白塗りのおじさん! 危ないでしょ!」
「えっ?」
戸惑う隼人。だが、女はお構い無しだ。
「芸をやるなら、もっと危なくないのを考えなさいよ! あの人に刺さったらどうすんの!」
言いながら、隼人に詰め寄って来る女。さすがの隼人も、苛ついた表情になった。だが、三人組が慌てて止めに入る。
「わ、悪いな芸人さん」
「こいつは島育ちで、何も知らないんだよ」
「そうそう、気にしない気にしない」
三人組は口々に言いながら、女を引っ張って行く。去り際に、そのうちの一人が二分金を放り投げてきた。
「取っといてくんな、芸人さん。騒がせたお詫びだ」
そう言って、浪人風の男が笑みを浮かべながら手を振った。
「何だったんだ、あいつらは……」
思わず首を傾げる隼人。だが、横にいる沙羅はくすりと笑う。
「なんか、変な人たちだったね」
「ああ。本当、江戸にはおかしな奴が多いな。でも、気前のいい客だったぜ。二分もくれたよ」
そう言って、二人は笑い合った。
・・・
その頃、宗太郎たち三人は町外れで、お八をなだめていた。
「お八、いい加減にしろよ。奴らだってなあ、あれが商売なんだ。俺たちが文句を言う筋合いじゃないんだよ」
宗太郎がどうにか説得しようとするが、お八の機嫌は治らない。
「だってさ、人に手裏剣投げてんだよ! 危ないじゃない! 手元が狂ったらどうすんのさ!」
お八に詰め寄られ、宗太郎は困り果てた顔で下を向く。すると今度は、健次と竹蔵がなだめに入る。
「まあまあ、落ち着けってばよう」
「そうだよ。なあ、みんなで団子でも食いに行こうじゃねえか」
そう言って、二人は強引にお八を引っ張って行く。お八はぶつぶつ言いながらも、素直に付いて行った。
その夜。
ひとけの無い林道を歩いて行く一人の男がいた……竹蔵である。彼は江戸に来たついでに、過去に世話になった人たちに挨拶廻りをしていたのだ。
その挨拶もようやく終わり、宿への道を歩いていた竹蔵。
しかし、彼は足を止めた。さっきから、何者かに後をつけられているような気がする。だからこそ、ひとけの無い道へと誘いこんだのだが。
竹蔵はゆっくりと周りを見回し、口を開く。
「おい、さっきから付いて来てる奴……俺に何か用か?」
その言葉の直後、一人の男がぬっと姿を現した。黒い着物に身を包み頬被りをしている。着物ごしにも、痩せた体をしているのが見て取れる。また、頬被りから僅かに覗いている髪は白い。
「おめえ、竹蔵だな……昔は世直し小僧と名乗って、仲間と一緒にあちこち荒らし回っていただろう」
顔は頬被りで隠しているが、その声は老いた男のそれだ。竹蔵は思わず眉をひそめた。
「世直し小僧? 知らねえな。他の誰かと間違ってるんじゃねえか?」
「嘘つくんじゃねえ。調べはついてるんだよ」
言いながら、男は懐から短刀を抜いた。
「悪いが、死んでもらう」
そう言うと、男は低い姿勢で身構える。一方、竹蔵は静かな表情で睨み返した。お八の前で見せる軽薄な雰囲気は、完全に消え失せている。
「お前、何を考えてるんだ……俺は人殺しは嫌いなんだよ。お前じゃ俺には勝てない。さっさと失せろ」
「そうもいかねえんだ。いったん引き受けた以上、殺らねえ訳にいかねえ」
言うと同時に、男は動いた。
前転し、一気に間合いを詰める男。と同時に、短刀を突き出す――
竹蔵は、短刀の切っ先をすっと躱した。だが、男の動きは止まらない。次の瞬間、男はくるりと一回転した。まるで独楽のように足を軸にして回る。
直後、男のもう一方の手に握られた短刀が竹蔵を襲う――
だか竹蔵は、すんでの所でしゃがみこみ、男の刃を躱した。同時に、低い姿勢から体当たりを食らわす。
男は、膝のあたりに竹蔵の体当たりを食らった。抵抗すら出来ず、一瞬で倒される。
一方、竹蔵の動きは止まらない。即座に短刀を払い落とす。と同時に、男の体に馬乗りになった。
「おい、お前は誰だ? なぜ俺を狙った?」
尋ねる竹蔵。と同時に、着物の襟を掴み首を絞め上げる――
「わ、分かった……言うから話してくれ」
苦しそうに哀願する男。竹蔵は、男を睨みながら語りかける。
「いいか、下手な真似したら首をへし折るぞ」
「分かったよ。頼むから命だけは助けてくれ」
いかにも哀れみを誘うような声だ。竹蔵は腕の力を緩めた。
その時、男の手が動いた。何かを素早く、自身の口に放り込み飲み込む。
そして、にやりと笑った……。
「お前、何をしやがったんだ!」
竹蔵は怒鳴る。だが既に遅かった。男の口から血が垂れる……彼は即座に状況を理解した。
「お前、何しやがる!」
言いながら、竹蔵は男の口をこじ開けようとする。このままでは、男は死んでしまう――
だが遅かった。男は舌を噛み切っていたのだ。しかも、さっき口の中に放り込んだ物は、恐らく毒薬だろう。
「くそが!」
竹蔵は、急いで男の体を担ぎ上げた。この男は、ただのごろつきではない。間違いなく裏の人間だ。しかも、自分が世直し小僧であることも知っていた。
ならば、生かしておいて吐かせなくてはならない……自分たちを狙っているのが何者なのかを。
男の体を背負い、竹蔵は走る。だが、男は痙攣を始めた。激しく体を震わせながら、手足をばたばたさせているのだ。
腕力にはそれなりに自信のある竹蔵だが、担ぎきれずその場に落としてしまった。そして彼は悟る。男は、どうあがいても助からない。もはや手遅れなのだ。
その予想が正しかったことを証明するかのごとく、男はさらに激しく手足をばたつかせる。
直後、息絶えた――
「……」
複雑な思いを胸に、死体と化した男を見下ろす竹蔵。頬被りしていた手拭いを剥ぎ取ってみたが、全く見覚えの無い顔だ。しかも、老人と言っても差し支えない歳に見える。こんな老人が、なぜ自分を狙ったのだろう。
確かに自分たちは、かつて世直し小僧として江戸の町を荒らしていた。だが、殺生だけはしていない。殺し屋を雇うほどの恨みを買っているとは思えないのだが。
「お前、何だったんだ?」
竹蔵は、呟くように言った。もちろん、答えなど返って来ない。それでも、問わずにはいられなかったのだ。
自分たちは、何者に恨みを買っていたのだろうか……と。
宿に戻った竹蔵は、先ほどの出来事を二人に相談した。もちろん、お八が寝た後だが。
「何だと? 竹蔵、その爺さんの死体はどうしたんだよ?」
宗太郎の問いに、竹蔵はしかめ面を作った。
「どうしようもねえから、林の中に隠しておいたよ。しかし、あれでは見つかるのも時間の問題だな」
「口を割る前に自害するとは、とんでもねえ爺さんだな。で、これからどうするよ?」
健次の言葉に対し、二人は眉間に皺を寄せた。
「しかし俺たちの殺しを依頼するとは、いったい何者なんだろうな……お前ら、何か心当たりはあるか?」
そう言って、宗太郎は二人の顔を交互に見る。だが、二人とも首を振った。
「いや、ないな」
「ああ、俺もない」
二人の表情に嘘は無さそうだ。宗太郎は思わず顔をしかめた。
「仕方ねえな。出来るだけ早く江戸を離れよう。健次、船が出るのは三日後だったな?」
「そうだ」
「三日か……いいか、それまでは気を配るんだぞ。出来るだけ三人一緒に動くんだ」
「お八はどうするんだ?」
尋ねる竹蔵。すると、宗太郎は顔をしかめた。
「お八か……確かに、狙われる可能性はあるな。仕方ねえ、江戸を出るまでは四人で行動だ。いいか、目立つような動きをするんじゃねえぞ」
・・・
「本日の集会は、これにて終了となります。皆さま、わざわざお越しいただき、ありがとうございました」
いつものように、剣術道場に響き渡る声。と同時に、男たちが門から出て行く。その顔には、一様にほっとしたような表情が浮かんでいる。
最後に、ひときわ目立つ大柄な男がのっそりと出て行く。現物の鉄だ。鉄は首を回しながら、面倒くさそうな表情で出ていく。
だが、ぴたりと足を止めた。目の前に、一人の中年男が立っている。一見すると、大工の親方のような雰囲気だ。事実、この男の表稼業は大工である。もっとも竜牙会の一員でもあり、裏の仕事もこなすのだが。
「おう勘助、何か用か?」
鉄の問いに、勘助と呼ばれた男は神妙な表情で口を開く。
「もう知ってるかもしれねえがな、小平次のとっつぁんが死んだらしいぞ」
「んだと……」
思わず顔をしかめる鉄。一方、勘助は神妙な表情だった。
「とっつぁん、林の中で倒れてる所を見つけられたらしいぞ。酷かったらしいぜ……野良犬だの鴉だのに、あちこち食われてたそうだ。背中の猿の彫り物が無かったら、無縁仏として処理されてたんじゃねえか。まあ、珍しいことじゃねえがな」
「だろうな」
そう答え、ため息を吐く鉄。確かに珍しいことではない。この稼業に足を踏み入れた以上、野垂れ死にも覚悟していなくてはならないのだ。
自分もいつかは、そんな死にざまを晒すことになるのかもしれない。
「俺がこの稼業に足を踏み入れたのは、もう二十年も前の話だ……小平次のとっつぁんには、本当に世話になったよ」
しみじみと語る勘助。だが、鉄は勘助の思い出話に付き合うつもりは無かった。小平次が死んだとなると、やらなければやらないことがある。
「そうかい。だったら、線香の一本でも上げにいかないとな」
そう言うと、鉄は足早にその場を離れた。
出来ることなら、やりたくはなかったが……こうなってしまった以上、引き受けなくてはならない。鉄は真っ直ぐに小吉の元へとむかった。
・・・
「おい叔父貴、そいつはどういう訳だ?」
訝しげな表情で尋ねる市。だが、秀次の方は楽しそうに答える。
「すまねえなあ。まさか小平次の奴が返り討ちに遭うとは、俺も思っていなかったからよ。悪いが、今度の話は無かったことにしてくれ」
すまねえな、と口で言ってはいるが……秀次はへらへら笑っている。小平次が死んだのが嬉しいのか、市に十両を払わずに済んだのが嬉しいのか。
だが、市の方は笑えなかった。大切な話があるからと呼び出されたので来てみれば、まさかの中止の知らせだ。しかも、標的の小平次は仕事の最中に返り討ちときた。これでは踏んだり蹴ったりである。市の方も、小平次を仕留めるために様々な準備をしていたというのに。
市が個人で受ける仕事と、仕掛屋を通して受ける仕事とでは難度がまるきり違う。仕掛屋の場合だと、小吉という情報収集係がいる。さらには、中村左内という役人の手助けもある。大抵の場合、お膳立ては左内と小吉がやってくれていたし、逃げ道も確保してくれる。市は殺しにのみ集中していれば良かった。
しかし、一人仕事となるとそうはいかない。全ての準備を一人でこなし、仕事を終えた後は安全に帰る必要がある。市は確実に小平次を仕留めるため、時間を掛けてきっちり計画を練っていたのだ。
だからこそ、市は金にこだわる。一人仕事の時は、五両程度ではまず引き受けない。場合によっては、表稼業を犠牲にして数日もの間張り込まなくてはならないからだ。今回はさすがにそこまでの仕事ではないが、それでも小平次の動きにはそれとなく注意を払っていた。
しかし、全ては無駄になってしまった。
「市、お前には申し訳ないことをしたな。だがな、こういう時もある。お前だって分かるだろうが」
「まあな」
市はため息を吐きながら答えた。すると、秀次は懐から何かを取り出す。
「市、これで美味いものでも食って機嫌を直してくれや」
そう言うと、秀次は市に一両を差し出した。市は頷き、小判を懐に入れる。
市の本音を言えば、さっさと取りかかっていれば仕留められたはず……という気持ちはある。準備はしていたし、小平次の居場所も把握していた。後は秀次の命令を待つだけ、だった。
もっとも、今さら愚痴を言っても仕方ない。何より、依頼主である秀次の意向は守らねばならないのだ。市は立ち上がった。
「叔父貴、失礼するぜ」
「ああ。また仕事があったら頼むからな。」
そう言うと、秀次はにやりと笑った。




