拡張するセカイ ♯.12
俺の攻撃がマッドベアに効くことを証明することができてからは戦闘はとんとん拍子で進んだ。
ダメージを与えるために連撃を要する俺はカルヲとグームが作り出した隙を見つけては攻撃を仕掛けていった。
単純なダメージソースだけで言えば俺たちの集団で一番の攻撃力を有しているのはベルグ。たった一人で泥の防御を弾き飛ばし、与えた衝撃が消えてしまう前にもう一つの打撃を行っているからだ。
続いては意外なことにこの俺。一撃一撃のダメージが低い半面、連撃を繰り出し剥き出しになった本体に剣銃を突き立て即座に離脱する。それをくり返すのがマッドベアとの戦闘における俺の基本的な戦法となった。
一撃が確実なダメージを与えられているグームとカルヲは良くも悪くも安定している。基本的にNPCの攻撃力はプレイヤーよりも低いらしく、その強みは安定性ということになるのだろう。
マッドベアは三本目のHPバーに突入した時に姿を丸く変え防御力を高くした。防御を崩させるまでにそれまでよりも長い時間を要したものの、攻撃力が低下したことにより、俺たちの優位性は変わらなかった。最後の四本目のHPバーに突入した時はそれまでの変化が一度に巻き起こる。
その身体は肥大化し、丸くなった泥を纏った胴体は防御力をを高めたまま、攻撃力を増長させた時と同じように牙と爪が伸びた。
最初に見た動物の熊の様相はもはやどこにもない。
モンスター然とした異形の怪物が俺たちの目の前に現れたのだ。
「まだやれるか?」
疲れを見せ始めたカルヲとグームにベルグが問い掛ける。
プレイヤーであるベルグはこのくらいの戦闘で疲弊したりはしない。実際に体を動かしているような感覚があろうとも現実の身体はどこかで座っているか横になっているかのどちらか。精神的な疲弊はあろうとも肉体的な疲弊は決して起こり得ない。
「誰に訊いてるってんだぁ」
「私もまだまだ戦えます」
騎士団の鎧を纏う二人は肩で息をしながらも戦意を失うことなく構える直剣の切っ先はマッドベアへと向けられたまま。
「行くぞ。これが最後だ」
俺がそう告げた言葉にカルヲとグームは僅かに首を傾げた。
マッドベアのHPバーが見えているのはプレイヤーだけでNPCである二人には見えていないようだ。その為か戦闘が終わりに向かっていることを俺たちとは違い感覚だけでしか知覚できないのだろう。終盤になるに連れ意欲を増していく俺たちは彼らの目からどのように映っているのか。
気になったことを訊ねる暇もなく、マッドベアが俺たちに向かってその尖った爪を持つ腕を振り回した。
取り囲んでいる俺たちに攻撃の暇は与えられない。
それでも、一定の動きをくり返すばかりでは次第に動きを見切れるようにはなってくる。
腕を振り抜いた後。攻撃を終えた一瞬の間。攻撃から防御に転じる僅かな隙。それらを逃さずに攻撃を仕掛けていく。
慣れ、というのは驚くもので、マッドベアが最終形態になった頃には俺たちがマッドベアの攻撃を直撃することはなくなり、負うダメージは攻撃を避けたり防御したりする際の余剰ダメージのみ。
致命的な危機が訪れることなく戦闘はもう一段階終盤へと向かう。
半減したマッドベアの最後のHPバーは俺たちプレイヤーの目には確かな光明として映る。問題だと感じるのはただ一つ。戦闘が終わりに向かっていると感じられつつも、今この瞬間もマッドベアの動きに蔭りは見られないことだった。
明らかな疲弊を表に出し始めたカルヲとグームに入れ変わるように俺とベルグが前に出た。
精彩を欠く二人ではいつか取り返しのつかないダメージを負ってしまうかもしれないとの判断から出た行動だ。
「このまま押し切るぞ」
「分かってる!!」
俺とベルグがマッドベアを挟み込むように立つ。
拳と剣銃。得物は違えど近接武器であることは変わらない。攻撃を当てるためには近付く必要があり、俺はさらに連続して剣銃で斬り付ける必要までもある。
となれば戦闘の主軸になるべきはベルグだ。俺が攻撃するチャンスはベルグが与える攻撃の狭間にしか無いと見るべきだ。
「こっちです」
マッドベアの注意を引き付けるべくヒカルが真っ先に飛び出していった。
「……任せて」
俺たちの後ろの方でセッカがメイスを掲げ、回復魔法を使う準備を整えている。連携の取れた動きを見せる二人は的確にマッドベアのヘイトを稼いでいく。そのお陰もあって俺とベルグは攻撃のチャンスを広げることができた。
掌底を打ち出すベルグが泥の防御を崩し、もう片方の手で衝撃を伴う打撃を与えた。
仰け反る様によろめくマッドベアのHPバーがガクンッと大きく減少する。
ヒカルが作り出すものよりも大きな隙を作り出したベルグに続き、俺がマッドベアの懐へと飛び込んだ。
「ハアアアアアア!」
連撃に次ぐ連撃。
斬り開かれる泥の奥に見える本体に渾身の一撃を放つ。
俺とベルグの攻撃によって残すところ半分となっていたマッドベアの最後のHPバーが瞬く間に減少していった。
これで戦闘が終わる。
そう確信したのも束の間。俺の目の前にいるマッドベアが最後の力を振り絞る様に咆え、砕け散っていく泥の中で真っ黒な本体である巨大な熊が現れその牙を剥き出しに飛びかかってきた。
攻撃を終えたばかりの俺に回避など出来るはずもない。
もしかするとHPが全損させられるかもしれないと思わせるほどの迫力が黒に染まるマッドベアからは感じられる。
ここまできて負けるのか。
そんな未来が脳裏を過ぎったその刹那、俺とマッドベアを遮る様に銀色の直剣が一筋の閃光のように飛来し地面に突き刺さる。
「ヘンテコ剣士! それを使え!」
技後硬直が解けたその瞬間、俺はグームの声に反応するように投げ込まれた直剣を左手で勢い任せに引き抜き、そのまま体を回転させるように直剣を振り上げた。
それはまるで回転する独楽の如く、マッドベアの顔を下から切り上げる。
元々HPの殆どを失い暴走気味に襲いかかったに過ぎないマッドベアに最後の一撃がヒットすると残ること僅か数ミリだったHPバーが瞬く間に消滅した。
舞い散る粉雪のように俺に降り注ぐマッドベアを構成していたであろう断片。それが眩く輝くガラス片のようにキラキラと宙に舞った。
「ユウ! 無事ですか?」
駆け寄ってきたヒカルの顔は心配のし過ぎで疲れきっているように見えた。
俺は安心させるために、大丈夫、と告げ、ヒカルの後に近付いてきたグームに銀色の直剣を返した。
「二刀も使えるみたいだな。ヘンテコ剣士」
「見よう見真似だけどな。ってか、そのヘンテコ剣士ってなんだよ?」
「お前の事だ。その変な武器に突然別人と見紛うくらいの動きを見せたこと。充分ヘンテコだろ」
腰の鞘に銀色の直剣を収める。
金属と金属がぶつかる短い音が俺たちの緊張を解く。
溜め込んでいた息を吐き出したセッカが思い出したように問い掛けた。
「……ゴブリン達はどうなったの?」
「あいつらが村まで出てきて襲うようになったのはマッドベアが人里近くまで出てくるようになったからだ。マッドベアが消えた今、ゴブリン共は元の住処に戻るだろうさ」
辺りを見回しながらグームが答える。
「そもそもマッドベアが住処から出てきた理由はなんなんですか?」
「確かめてみるか?」
戦闘で得た経験値を確認していたベルグが買い物に誘うみたいに気軽に訊ねた。
皆の視線を一視に受けるベルグは言葉を続ける。
「その元の住処ってのもここからそう遠くはないんだろ? だったら行ってみれば分かることだ」
モンスターの分布は予め設定されていることが殆ど。イベントなどの特別な事情が無い限り一定の場所で狙ったモンスターと戦うことが出来るようになっているのだ。それらは公式で発表されているものではなくプレイヤーの有志が作り上げた攻略サイトに記されているものでNPCが知識として知っているとは到底思えない。だとすればそれらを知っている理由は経験則からくるなにかなのだろう。
「マッドベアの住処はこの先です」
そう言って先陣を切ったのはポルト村に住むグームではなく偶然俺たちと一緒にここに来ることになったカルヲだった。
この辺りの土地勘があるのはグームだけだとばかり思っていた為に迷う素振りすら無く歩くその姿は意外に思えて仕方ない。しかし実際にそう感じているのは俺一人だけらしくグームはそれが当然のような顔をしてついて来ているし他の皆はそんなこと微塵も気にも留めていないようだった。
カルヲに案内された先に見えてきたのは生息していたマッドベアの名にふさわしい沼地。
黒く濁った沼の周辺には数種類のモンスターらしき足跡がうっすらと残っている。そして、モンスター以外の足跡と生活の痕跡も残されていた。
「誰かがここにいた……のか?」
いまいち自分の直感に自信が持てないでいる。
沼地はNPCたちが生活をするのにも、プレイヤーがモンスターを相手にする際に野営する場所としても特別に適している場所ではない。なによりマッドベアというモンスターが生息していることを知るNPCは近付こうともしないだろう。ドロップアイテム目当てにマッドベアと戦おうとするプレイヤーもここで休憩するとは思えない。それだけにここにある人の痕跡というものが不自然に映って仕方なかった。
僅かだがモンスターが付けたものよりもはっきり見えるそれは明らかに最近付けられたもの。同一の形をした足跡がいくつもあるのはここにいた全員が同じ靴を履いていた証拠だろう。
「おい、ちょっと来てみろよ。この先に足跡が続いているみたいだぞ」
付近を散策していたグームが告げる。
その一言に誘われるように集まる俺たちにグームは巧妙に隠されている細い獣道を指示した。
「これって抜け道ですか?」
「としても使える道だろうな」
「……先に行ってみる?」
「さて、どうしたものか」
好奇心を抱き先に進もうと考えるセッカとは対照的にグームは深く考え込む素振りを見せた。
「グーム、何か気になることがあるのか?」
「少しな」
俺が問い掛けるとグームは近くの切り倒された木の幹に座り、
「これを見てくれ」
と、泥の付いた鉄の具足を見せつけるように足を上げた。
「団長の足をですか?」
「だから、グームだって言ってるだろ。そろそろ慣れろ」
「すいません」
「ってかカルヲも気付いてないのか?」
「何をです?」
「ったく、お前もまだまだだな。足跡だよ、足跡」
「……足跡?」
皆の視線がグームの足に向けられる。そして次にそのすぐ下にあるグームの足跡へと視線が移った。
「まさか――っ」
俺は誰の制止に応じるわけでもなく一人、走り出していた。
脳裏に浮かんだ直感を間違いだと証明するために。
自分の胸につっかえていた何かを取り除く為に。
草木を掻き分け獣道を進む。
踏み潰された雑草が俺の進むべき方向を教えてくれる。
全速力で駆け抜けると、次第に森の闇が薄くなり、太陽の光が降り注ぐ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
肉体的には疲労などしていないはずなのに俺は疲れ切っていた。
それでいて、頭は妙に冴え渡っている。
獣道を抜けた先に数名の男の集団を見つけた。何かが気になり俺はその集団から身を隠すように近くの草むらの陰に入った。
男たちは揃いのボロボロのマントを身に纏い、手には大きい鞄と装飾も何も無い簡素な武器。顔を隠すためかそれとも集団の揃いの衣装として使っているのか、薄汚れたフードを目深く被っている。
息を顰め、集団の動向を観察する。
何がこんなにも俺を惹き付けるのだろう。そう疑問に感じながらも俺は集団から目を背けることが出来ないでいた。
集団は今まさにこの瞬間、ここから離れて行こうとしているように見える。
居なくなってくれるのならばそれでいい。それでいいのだと思いながらも、俺は心のどこかであの集団がこちらに気付き何かが起こることを期待していた。
「ユウー。どこまで行ったんですか?」
俺が通ってきた抜け道から俺を呼ぶヒカルの声が聞こえてくる。
そして俺の期待通り、何かが起こった。
周囲を警戒し出す集団の男達の中の一人が俺が通ってきた抜け道へと歩を進ませた。
「動くなっ」
剣銃を抜き、抜け道へと行こうとしている男へ向けた。
「他の奴らもだ」
俺の出現に動きを止めた男たちの中の一人がおもむろに被っていたフードを外す。その下の素顔は今も俺の記憶に苦いものとして残っている。
あれはギルド会館を襲った騎士団の一人だ。
「お前は――」
「奇遇だな。こんなとこで会うとは思いもしなかったよ」
「何故ここにいる?」
「知りたいか? だったら聞き出してみろ」
男の一言が切っ掛けに他の男たちが一斉に武器を抜いた。
それぞれの武器の刃先は一様に俺に向けられている。そして、順番など関係ないというように男たちは俺に向かって攻撃を仕掛けてきた。
振るう武器はバラバラ。
しかし、気味が悪いくらい統率がとれているのは何故だろう。
「どうした? 粋がっているのは最初だけか?」
男の一人が俺を嘲笑うように告げた。
動き回るせいで外れかかっているフードの下にもう一つ、あの時見た騎士団の男たちの中の一人と同じ顔が見えた。
集団戦になってしまったことにより剣銃を剣形態へと変形させて応戦するが、所詮多勢に無勢、次第に追い詰められていく。
四方八方が俺の敵。そう感じさせるほど俺の周りには俺に対する敵意が満ちていた。剣がぶつかる音やぬかるんだ地面を歩く足音、それらがまるでBGMの如く聞こえてくる。
疑念を、恐怖を振り払うように剣銃を振るう。
攻撃になっていない攻撃を繰り出す俺に男の一人が振るう剣の刃が迫る。目を瞑らずに迫りくる刃を見つめている俺の視界の端から別の閃光が差し込んできた。
その閃光が迫る刃を切り裂く。
甲高い音を立てて宙を舞う折れた剣の切っ先を俺は呆然と見ていた。
「無事か? ヘンテコ剣士」
颯爽と現れたグームが振り返らずに問い掛けた。
俺を庇うように前に立ち、襲いかかってくる男たちに睨みを利かせるその姿は俺が知るグームではないようにすら思える。
この時初めて前任の騎士団団長として多くの人を率いていたのだと信じられた。
「どうして?」
「話は後だ――って、お前ら何をしてるんだ?」
対峙する男の顔を見てグームは絶句している。その理由が分からずに俺は質問を投げかけるような視線を向けた。
「あなたこそ何をしているのですか? グレアム前団長」
先端を折られた剣を下げ疑問を口にする男に倣うように他の男たちも同様に武器を下げる。
グームの返答を待っていると抜け道があった草むらがガサっと揺れ、そこからカルヲがヒカルたちを引き連れ現れた。
「団長! 無事ですか?」
「おう、ヘンテコ剣士も無事だぞ」
「これはこれは、カルヲ団長。あなたまでも来ているとは一体何事ですか?」
フードを外した男の一人嘲笑したように問い掛ける。
「どうしてここに貴方がいるのですか?」
「何故とあなたが問いますか。解かりきっていることでしょう。あなたのせいで騎士団を追放されたからですよ、カルヲ団長」
「それは貴方が不当に武力を行使したからでしょう」
「不当、ですか。本当にカルヲ団長は私の行動を不当だと断言することができるのですか?」
「当然です。関係のない人を巻き込むような所業を不当と言わずになんと言いましょう。なによりも正式な命令もなく騎士団が戦闘行為を行っていいわけがないのです」
「ハッ。正しく危機感も抱けないような人が命令など。知っているのですかあなたが団長になってからというもの騎士団の中に不協和音が流れ始めているということを」
男の指摘にカルヲは言葉を失ってしまった。全員が全員心の底からカルヲを指示しているとは思えない。けれど、大きな命令違反をし始める人が出てくるとは思っていなかったのだろう。それだけに目の前に立つ男の言葉が胸に突き刺さったようだ。
「危機感、ねえ。お前が抱いている危機感ってのは一体何なんだってんだ」
「それは――そこにいる奴らの事ですよ。グレアム前団長はご存じないと思いますが、奴らは我が物顔で町を闊歩し、私たちの生活を脅かしているのです」
「らしいが、実際はどうなんだ?」
「半分は正しいだろうな」
話の矛先が俺たちへと変わる。
それに答えたのはこれまで沈黙を貫いていたベルグだった。
「半分? 半分だけのはずが無いだろう。あなた達が来たことで私は――」
「それはお前の責任だろう。上手くいかないことの全てを俺たちに押し付けるのは見当違いも甚だしいぞ」
「なっ――」
「そんなことよりも、お前らがここにいる理由を話せ。返答次第では」
睨みから凄みへと変わる視線を受け、男はビクッと体を震わせた。
黙り込んだままジリジリと後ろへ下がる男がその手で何かの指示を出す。すると他の男たちが何か魔法の詠唱らしきことを始めた。
緊張感が増すこの場で俺は次第に警戒心を強めていくなか、突然、俺たちの周囲に濃霧が広がった。
「……何も、見えない」
小さくセッカが呟く。
何処から発生したのかも解からない霧はいくら手で払ってみてもちっとも晴れることはない。体にまとわりつくような霧の中で何処に誰がいるのか把握しきれていない俺は動くことができずにいる。
暫らくして突風が巻き起こり、霧が晴らされていく。
視界が鮮明になったその時には既にこの場から男たちは去ってしまっていた。




