境界事変篇 26『廃病院の戦い』
窓の外は薄暗く、建物の中にある明かりは天井にある備え付けの蛍光灯だけ。それすら全てが点灯しているわけでもなく、半分以上が切れているか今にも消えかかっているかのように明滅している。
薄暗い施設の内装はまるで病院のよう。しかも使われなくなって時間が経った廃病院だ。それが持つ独特な雰囲気も相まって随分と不気味に感じられた。
「想像していたよりも広いな」
GM05を纏う進藤が最初にこの廃病院に足を踏み入れた場所は正面入り口。しかも初めから内側に転送されていたために締め切られた扉は背中越しにあった。
この空間、監視カメラを管理するために作られたとは到底思えないような内装にどうしても強い違和感が拭いきれない。
『進藤君聞こえてる?』
「はい。大丈夫です」
それでもいつもと変わらないもの。それは頭に直接聞こえてくる榊の声。本来断絶されているクローズネットであっても通信が繋がるようにとGM05に組み込まれたプログラムが正しく機能している証だ。
「そちらも僕に見ているものは届いていますか?」
『ええ。問題なくモニターできているわ』
「だったら教えてもらえませんか? ここは本当に監視カメラが繋がっているクローズネットなんですか?」
『はい。間違いないはずです』
榊に変わり篠原が答える。
自分が聞いた段階で既に確認はしているはず。篠原の腕に疑う余地はないことから間違いではないのだろう。だとすればなおのことここの光景は奇妙だ。
「誰の趣味なんだろう?」
敢えてそうしているのならばこの空間を作った人の趣味ということになる。普通のネットワークでも定期的にメンテナンスをする必要があるようにクローズネットでもメンテナンスは必要。その際作業がしやすいようにそれぞれ空間に特徴付けることはあっても、ここまで薄暗く不気味になっていてはホラー好きでもなければ好んで寄り付きもしないだろう。
「とりあえず探索してみますね」
『気を付けなさい。どこに敵が潜んでいるか分からないのよ』
「はい」
GM05の銃装備GM05Sを取り出し構えて進む。
スパイもののゲームよろしく物陰に身を隠しながら進む進藤はまず自分のいる一階の探索を開始した。
耳を澄ましても物音はせず、ここにいるのは自分だけだと言われているかのよう。
歩く足音だけが木霊する。
角を曲がるたびに銃口を向けるもそこには誰もいない。
「ここもダミーか」
道すがら見つけたドアを開けようとするもビクともしない。どうやら見た目では扉があるが実際にはそこに何もなく、ある種ここのドアは全て壁の装飾でしかないみたいだ。その結果、これまでそれなりに進んできた進藤であったが、一度としてドアを開けることすらできなかった。
とはいえ部屋が無いのならば探索の手間が省けると素早く見切りをつけて先に進む。
そうして一回りして元の場所に戻ってきたわけだが残念なことに一階には何もなかった。唯一、二階に続く階段を見つけていたことから駆け足でそこまで赴き榊たちに向けて「二階に行きます」と報告をして階段を上り始めた。
一般的な総合病院の様相を呈しているこの空間では階段の長さに非常識さは感じられない。
数十段の階段を上り終えて二階に出ると、そこもまたさほど一階と変わらない景色が広がっていた。
「誰だ!」
廊下の向こうで何かが動いたような気配を感じ取った進藤は素早くGM05Sの銃口をそちらに向けた。
発した自分の声が反響する。
しかしそこにいた何かが移動するさいに聞こえてくるはずの足音は一切聞こえてこなかった。
『進藤君どうしたの?』
「誰かがいたような気がしたんですけど、僕の勘違いだったみたいです」
『貴方がそう感じたのだとしたら、警戒しておいた方がいいわね。こちらでも内部の探知を試してみるわ』
銃口を下げて警戒を解こうとする進藤に榊がいった。
モニターを見つめている榊が手振りで篠原に指示を出す。
異常課からでは直接そのクローズネットに干渉することはできない。できるのならば直接進藤が現場に赴く必要はないのだ。それでも作成されたクローズネットの情報を探ることはできる。それは現状作成されたクローズネットの情報はすべて報告されているからできること。だからこそ進藤が件のクローズネットに突入した段階で該当する報告書に検索を掛けているのだが、どうも当たりを見つけられない。
「どう?」
と問い掛ける榊に篠原は表情を険しくして首を横に振った。
「どういうこと?」
「わかりません。提出済みの報告書を確認してみても今進藤さんがいる場所についての情報が見つからないんです」
「確認って、どうやってやっているんですか?」
「それは…」
異常課にいる人の中で唯一の部外者である悠斗が自身のPCと向かい合っている篠原に訊ねた。それに答えていいものか分からずに言い淀む進藤の代わりに一連の問答を見ていた三雲が答える。
「該当の場所、施設、クローズネットが搭載されている機器などの条件を当て嵌めることで検索しているのですよ」
「だったら、まだ報告されていない場所、とか?」
「いいえ。そんなのあるわけが――」
ないと言おうとした榊を遮るように閉め切られていた異常課のドアが開いた。
「失礼します」
現れたのはブルドーザーの事故現場で別れたはずの間宮だった。
「悪いわね。今は貴方の相手をしている暇はないの」
一瞥することもなく榊が引き返すように促すも間宮は意も介さずずかずかと近付いてくる。
「何?」
じろっと訝しむ視線を向ける榊に間宮は持っている鞄の中から小さなメモリを取り出した。
「彼の言う通りです。あのクローズネットはまだ報告されてはいません」
「どういうこと?」
「そもそも公開すらされていないものなのです。何せあれはとあるプログラムの実験場として作られていますからね」
「とあるプログラムとは何ですか?」
三雲が榊に変わり問い掛ける。
「詳細は話すことができませんが、そうですね。とある監視プログラムの試作品とだけ」
にやりと不敵な笑みを浮かべる間宮に三雲は微かに顔を顰めた。
「なるほどね。出所は貴方のとこだったってわけ。通りで趣味が悪いわけね」
「おや、不評ですね。本来は誰も足の踏み入れるような場所じゃないのですから、あの雰囲気はぴったりだと思うのですが」
「どうでもいいわ。それで貴方は何をしに来たっていうの?」
横道に逸れそうになる話を切り上げて榊が振り返り訊ねる。
「お困りだと思いましてね。こちらを持って来たのですが、不要でしたか?」
間宮が親指と人差し指で摘まめるくらいの小さなメモリーカードを見せてくる。
「それは?」
「このクローズネットの設計図です」
「どうしてそんなものを――なんて、聞くだけ無駄ね」
「でしょうね」
「それで、何が目的なの?」
苦笑して肩を竦める間宮はどうせ答えないと分かっている榊はさらに質問をぶつける。
「純粋な善意ですよ?」
「冗談でしょ」
「信用がありませんね」
「自分の行いを振り返ったらどうかしら?」
「これは耳が痛い」
暖簾に腕押しとはこのことかと思うような会話を余所に事態は動く。
進藤のいるクローズネットを映しているモニターから一発の銃声が轟いた。
咄嗟に異常課の面々の視線が一斉にモニターに向けられた。
「何が起きたの?」
モニター内では戦闘は発生していない。榊が声を掛けたのも今ならまだ会話ができると考えたからだ。
しかし返答はない。
「進藤君。返事をしなさい!」
『は、はい』
ようやく応答があったことに榊が安堵すると同時にモニターの映像の一部が切り替わる。それまでGM05の一人称視点のみだったそこにGM05の姿さえも映し出す三人称視点が追加された。
「何が起きたの?」
落ち着きを取り戻した榊が改めて問い掛ける。
『シャドーマンがいました』
進藤の言葉を受けて榊は篠原に直前の映像を確かめるように指示を出す。
『たぶん、上に逃げたんだと思います』
榊たちの言葉を待たずして進藤は駆け出した。
既に発見していた階段を目指して走り進藤はそれを一気に駆け上がった。
一人称視点の映像が大きくぶれるその横で、GM05を映した映像は一定の画角で走るその姿を映し出している。
「何か見つかった?」
「いえ、映像には何も」
「そう」
進藤がシャドーマンを見つけたと報告した時の映像を目を皿のようにして見ている篠原は首を横に振った。それでもと幾度となく映像を巻き戻して再生してを繰り返しつつ、該当の瞬間を拡大してまで確認しているがやはりそこには何も映っていない。
「もしかしてその場にいる進藤君にしか見えていないのだとしたら」
思い出されるのはこの事件で浮上した可能性。それが事実で、こうして映像には映らないのもまた犯人によるものだったのなら。
篠原に映像の解析を続けさせた上で榊は同じ異常課の技術者に異なる角度で映像の解析を依頼したのだった。
そんな最中、映像のブレが収まった。どうやら進藤が廃病院の三階に到着したらしい。
『周辺を探索してみます』
報告を上げて慎重な足取りで進みだす。
この階層にある部屋も全てがフェイクのようでドアに手を掛けるも動く気配もない。
横道に逸れる必要はないのだと知りつつも念のために一つ一つのドアを開けようとして早々に切り上げて先を行く。
ここが病院の作りをしているからか、建物の構造はよくある総合病院を模しているように見えた。一階にあるのは受付や各科の診察室、部屋数が多い二階はおそらく入院用の部屋が並んでいたのだろう。そしてこの三階は二階と同じように部屋がいくつもあるがそれら全てが大きい。しかも複数の入院患者が一つの部屋を使う大部屋というわけでもなく部屋そのものが広い。他にも会議室らしき部屋や廊下の突き当りには手術室らしき部屋。
どれか一つでも入ることができれば良かったのだが生憎と進藤が手を伸ばした扉は全てイミテーションでしかない。
ぐるっと一周するかのように階段まで戻って来た進藤は一人で小首を傾げる。
自分の見間違いだったのだろうか。そんなはずはないと再び一歩踏み出したその時だ。自分が通り過ぎた手術室という赤いランプが設置されている部屋のドアがあった場所から大きな物音が聞こえて来た。
「そこか!」
瞬時に駆け出して手術室のドアに手を伸ばす。
先程は一切動く気配もなかったそれがどういうわけか何の抵抗もなく回すことができガチャっと鍵が外れた音までした。
一気に警戒心が膨れ上がっていく。
自然とGM05Sを握る手に力が入る。
「行きます」
再度報告をしてからドアを少しだけ開くと勢いよく蹴り開けた。
GM05Sの銃口を向けて室内を見回す。
そこは手術室とは名ばかりの一切道具も何もない伽藍洞の空間。
虚を突かれたように動けない進藤に部屋の陰から何者かが飛び出して襲い掛かってくる。
「な、なんだ!?」
咄嗟に目の前を撃つ。放たれた弾丸は誰もいない虚空を通り抜けて床で弾けた。
「あっ」
次いで衝撃が進藤を襲う。
奇しくも部屋から追い出される形になった進藤はそのまま後退して体勢を整える。
追撃に備える進藤の目にようやくそれがはっきりと映った。
全身を闇が包んだ細い人型のシルエット。間違うはずもない。それはシャドーマンだ。
黒い靄を漂わせているシャドーマンは部屋の中に戻ろうとはせずに進藤と睨み合いを繰り広げた。
「本当にいた…」
驚き交じりの声でそう呟いたのはモニター越しに進藤の見ているものを見ている篠原だった。
ここに来てようやくその存在を確認した榊たちはメモリーカードを受け取って貰えずに立ち尽くしていた間宮を無視して現状の対策を迫られていた。
自身が無視されていることを知り間宮は若干拗ねた。小声で「いいですよ」と繰り返し近くのPCを無断で操作し始めたのだ。
「何をしているのですか?」
「我々もお手伝いしようと思いましてね」
「それはどういう…」
その行動を見逃さなかった三雲に問われ間宮は悪びれもせずに告げた。
「間宮です。準備はできていますかな?」
『はい』
PCに備わるマイクに向かってそう問いかける間宮に若干籠った声が返ってくる。その声の主は以前間宮と共に異常課を訪れ、今日も彼と共にブルドーザーの事故現場に向かっていた内田のものだった。
「道はこちらで繋げます。出動してください」
隠そうともしないでそう告げた間宮を榊は横目で見ていた。
彼の言う道の意味を知るのは進藤がシャドーマンと対峙している廃病院三階の廊下の天井に奇妙な大穴が開いた瞬間だった。
大穴の中から飛来する一つの人影。それは内田がコーダーという装備を纏った姿だった。
「どうして?」
「お手伝いしますよ」
と疑問を口にする進藤にコーダー姿である内田が言った。
コーダーの手には進藤が持つGM05Sによく似た銃が握られている。細かな所に違いはあれどそれはどう見てもGM05Sをモデルに作り直した装備であることは誰の目にも明らかだ。
責めるようなジト目で向けられる榊の視線を感じた素振りもなく間宮はただ「倒せ」と命令を出した。
無言でコーダーが手に持つ銃の銃口をシャドーマンに向けた。
突然の乱入者に混乱しているのかシャドーマンは動かない。
そこは内田も戦闘要員に選ばれた人間だけあって明確は隙を見逃したりはしない。続けざまに引き金を引いて止むことのない弾丸の雨を浴びせる。
進藤は耳をつんざめく特徴的な銃声に顔を顰めながらこの銃撃の結果を見守っていた。
『もういいでしょう』
銃撃を止めた間宮の声に従って内田は攻撃を中断する。
放たれた弾丸はシャドーマンに向かっているもの以外にも床や壁、天井を砕いて白煙を撒き散らしていた。
風が吹くのでもなくゆっくりと晴れていく白煙の向こうでシャドーマンは仁王立ちしている。
「馬鹿なっ!?」
「進藤君、攻撃しなさい!」
驚愕する間宮を一瞥して榊も進藤に攻撃の指示を出した。
「はい!」
すかさずGM05Sで撃つ。
内田と違うのはマシンガンの掃射のようであった射撃ではなく、一発一発狙いを定めた射撃だったこと。
狙うのはシャドーマンの手や足。未だシャドーマンの接続地点や正体が判明していないために手加減をしたような攻撃だったが、それが裏目に出た。これまではそれで十分だったはずなのにどういうわけかシャドーマン手足を撃たれても平然としているのだ。
『体を狙いなさい』
「え、でも…」
『大丈夫。後のことはこちらで何とかするわ』
「わかりました」
三雲の顔を振り返りつつ確認して榊が告げた。
やむを得ないと了承した三雲の前で今度は間宮が内田に向けて後れを取るなと檄を飛ばしている。
偶然にも共闘する形になった進藤と内田は並んで撃ち続ける。
防御するでもなく一身にその銃撃を受け続けているシャドーマンは程なくして全身をボロボロになって膝から崩れ落ちた。
「やった」
喜ぶ間宮に反して異常課の面々はより強い警戒心を滲ませている。
これまでの経験から明らかにおかしいと感じていたからだ。
事実シャドーマンはまさしくそれが影であるかの如く霧散して消えた。
安全のためにと銃口を下げる癖のある進藤は射撃を行った体勢のまま動かないが、内田は自分の手柄を自慢するように消えたシャドーマンへと近付いていく。
「まだ危ないですよ」
「何を怯えているんだい? 敵はこうして倒したじゃないか」
残る黒い靄を蹴り払う内田に進藤は言い難い何かを感じていた。
「え?」
自分の直感をどう言葉にすればいいのか悩んでいる最中、部屋の中から黒い何かがコーダーを吹き飛ばした。
「あっ、ああぁ」
しこたま強く壁に打ち付けられた内田が痛みに悶え苦しんでいる。
それもそのはず、痛覚に減衰措置など施されていないクローズネットでは耐性を付けるために受ける訓練など比でもないような痛みと衝撃が襲いかかるのだ。
床に転がり悶えたままのコーダーを一瞥して進藤はすかさずその前に立ち塞がった。
そして暗い手術室に向けて再度射撃を開始した。
「な、何が起きたと言うのですか!?」
慌てて立ち上がった間宮は目の前で起こった現実が受け入れられないのか何度も何度も内田を呼び掛けている。
その内容はおよそ彼を心配しているものなどではなく、自分が失敗してしまうことを恐れているかのような口ぶりだ。
「くっ」
GM05Sの残弾が切れたその瞬間を狙いシャドーマンの攻撃が襲う。
床に寝ているコーダーを連れて回避することなどできないとその場から飛び退いた進藤はそれまで自身が立っていた場所が大きく抉られているのを目の当たりにした。
「この攻撃。ただのシャドーマンじゃない?」
進藤の呟きは入り口が破壊された手術室から姿を現したシャドーマンの全貌が真実だと答えていた。
黒一色のゴム人形のようだった身体が凄まじい変貌を遂げている。大きく開かれた口、赤く血走った目、鋭く尖った耳。胴体は筋肉が肥大化したように膨れ上がり脚の先には鋭い爪が伸びている。その中でも最も目を引くのは長く伸びた腕に備わる翼。いくつもの羽根に覆われた鳥の翼とも、昆虫の持つ羽とも違う。広がった皮膜によって風を掴み飛ぶための翼。
「化けこうも――」
「デミバットか!」
篠原の言葉を遮る間宮の大声。
強く机を叩いた彼が口にした言葉に榊は疑問を抱く。
「ああ、この状態のシャドーマンの呼称が正式に決まったんですよ。いずれ通達があると思いますが、総称を”デミ”。個体を識別するためにそのモチーフらしき生物の名を合わせて呼ぶことになりました」
視線で問い掛ける榊の疑問に答えた間宮は忌々し気にモニターに映るデミバットを見た。
録画された映像では見たことがあるが間宮がリアルタイムでその存在を見たのはこれが始めてだった。明らかな異物感とでも言うべきか、デミバットから感じる拭えない忌避感に強く顔を顰めていた。
「内田さん。いつまで寝ているつもりですか? コーダーのスペックなら問題なく対応できるはずです。できないのだとしたらそれは貴方の責任なのですよ?」
『わ、わかってます』
間宮の檄を受けたからではないだろうが、内田が奥歯を噛みしめて起き上がる。
そして手放していた銃を取りデミバットに向けた。
が、そこから弾丸は一発たりとも放たれることはなく、再度放たれたデミバットの攻撃がコーダーを床に叩き伏せていた。
「進藤君!」
『はい!』
内田の危機を察して走り出した進藤は勢いよくデミバットに体当たりを繰り出した。
GM05という鎧を纏ったことで質量を増している進藤の体当たりはデミバットを手術室に押し込めることに成功していた。
これで内田が起き上がるだけの時間作れた。そう考える進藤を嘲笑うかのように、足の爪を床に突き立ててブレーキを掛けたデミバットはまるで力士が子供を軽々と投げ飛ばすかの如くGM05を半壊状態の壁に投げ飛ばした。
ガラガラと音を立てて崩れていく残骸に巻き込まれていく。ここで追撃すれば致命傷を与えることもできたはずなのにそれでもなおデミバットの狙いは床に寝転がるコーダーだった。
「くそっ」
「まさかっ」
間宮がキーボードを叩き何かのプログラムを起動させようとしていたのを見て榊があり得ないと立ち上がった。
「止めなさい!」
自分の持ち場を離れても間宮の元へと向かった榊は自分の想像が間違っていなかったことを知り間宮の手を掴み制止した。
「手を放してください」
「貴方がそれを止めるのならね」
「貴女は彼等を見殺しにするつもりですか? わかっているのでしょう。クローズネットが仮想空間だとしてもそこで受けたダメージは現実にフィードバックされることを」
「だから言っているの。それを使ったら――」
「使わなかったら彼等に再起不能な影響が出るかもしれない」
「でも」
「これは彼等が無事に戻ってくるための唯一の方法です」
きっぱりと断言する間宮に榊は言葉を詰まらせた。
「それとも貴女には何か別の方法があるというのですか?」
鋭く向けられた視線に榊は無意識のうちに自身のデスクへと視線を向けていた。この場にその視線の意味を知る人はいない。だというのに榊は自分が責められている気分になっていた。
「何もないのだとしたら口出し無用です。それに私だっていつまでも同じだとは思わないでもらいたい」
余程自信があるのか榊の手が離れた瞬間に内田の了承を待たずして間宮はそれを起動する。
デミバットがコーダーの首を掴み持ち上げて今にもその首の骨をへし折りそうな光景は彼自らの手によって打ち破られた。
抵抗を見せればさらに食い込むデミバットの指の苦しさから普通の人間では到底しないような動きで自身を掴むデミバットの腕を殴ることで一時の苦しさと引き換えに自由を取り戻していた。
二者の間にできた僅かな距離をコーダーは蹴り押し返すことで広げていく。
強く首を絞められていたはずなのにコーダーは咽ることもなく平然とした様子で取り落としていた自身の銃を拾い上げる。
まるで内田自身が纏う機械的な鎧コーダーそのものになってしまったみたいに人間的な動き消えてただ与えられた命令に従順に従うマシーンのように動いた。
返ってくる反動など微塵も気にした様子もなく自己に影響が出ようとも構わずに攻撃を仕掛ける。
わざわざ拾い直した銃も効果が無いとみるや早々に破棄して肉弾戦に切り変えている。
デミバットに対しては的確な行動に見えるが、それが意味を成しているかは別。反動による自壊の怖れを無視したまでの攻撃もダメージを与えられてはおらず受けた、反撃によって損傷を負ったのはコーダーの方だった。
腕の装甲が割れ、体の鎧に亀裂が入る。
砕かれた鎧の一部が零れ落ち、剥き出しになる内田の体。
「そんなバカな」
と現実を受け入れられない間宮が椅子に崩れ落ちた。
外野のショックを知ってか知らずか、コーダーの鎧が破壊されたことで僅かではあるが内田は自我を取り戻し始めていた。
まるで朝起きる直前に見る現実と虚構の境界があやふやな夢を見ているかのように、自分のことではないように感じる現実は偶然にもプログラムによって痛覚や触感が遮断されていたためだ。
しかし全身の鎧が壊され、遂には頭を護っている兜が割れると内田の意識は完全覚醒に至り、無視できない恐怖が襲い掛かった。
「うわあああああああああああああああ」
半狂乱になり絶叫を上げて逃げだそうとする内田。だが、彼の体に残ったコーダーの欠片が未だその自由を許さない。
戦いたくないと強く願うも体は思う通りに動かない。
無意味な攻撃を繰り出し、デミバットによって行われる反撃で傷つく体。
クローズネット内で行われる戦闘によって再起不能となった人など存在しない。なぜならばそういう人は皆クローズネットとは異なる原因でそうなったのだというのが正式な報告がなされていたからだ。
公にはいない被害者になりかけている内田は幸か不幸かその意識を失った。気絶してもなおコーダーはこの世界に内田という存在を縛り付け、その肉体を酷使し続ける。
「だから言ったでしょう。すぐに彼を現実に連れ戻しなさい」
困惑というよりも現実逃避をする間宮に進言する榊は彼の目が焦点を定めていないことに気付き強くその頬を引っ叩いた。
「しっかりしなさい!」
自身を諌める榊の声にようやく間宮は内田の強制ログアウトを試みた。
「あ、あれ? そんな、どうして?」
何度既定のコマンドを撃ち込むも無謀な攻撃をしかけては傷付くコーダーはその場にあり続ける。起動した自立行動プログラムAIが間宮の指示を拒否しているとでもいうのだろうか。
戦闘で受けた破損により帰還プログラムが故障した可能性があると解かると間宮は一段と濃い絶望に青ざめていた。
「進藤君。大丈夫? 動ける?」
自分のデスクへと戻り進藤に声を掛ける榊。
数秒の間を置いて微かな呻き声が返ってきた。
『さ、榊さん』
「進藤君、無事なのね?」
『は、はい。GM05はまだ動けます』
自分の身ではなくGM05を気に掛ける進藤に苦笑しつつも心強いと榊は現状を手早く伝えた。
「無理を承知でお願いするわ。彼を助けて」
『わかりましたッ』
圧し掛かる瓦礫を押しのけて立ち上がった進藤は眼前に広がっている光景に息をのむ。伝えられていたよりも悲惨な現状にただ圧倒されていた。
既に体の殆どにコーダーの残滓さえ残っていない内田はデミバットの攻撃に晒されて全身をボロボロにしていた。
四肢は変な方向に折れ曲がり、体には大きな切り傷が深く刻まれている。
それでいて血が一滴も流れていないことがより強くこの状況の異常さを物語っていた。
「はあああああああ!!!」
叫び突進してくる進藤に気付いたデミバットは傷だらけの内田を真下に投げ捨てて踏み付けた。
両手を広げることで広がった翼を刃のように振るうことで迫るGM05を吹き飛ばそうとするデミバット。
咄嗟に止まり腕を体の前に構えることで防御する進藤だったが、先程壊されたコーダーのように腕の装甲が切り刻まれる。
「くうっ」
感じる痛みを堪えながらも前に出て進藤は体ごとデミバットにぶつかった。
全身を使って押し倒すことで内田から離すことには成功したが、今度デミバットの攻勢に晒されるのは進藤となってしまう。
ここでGM05とコーダーの違いが浮き彫りになった。デミバットの攻撃によって見るも無残に破壊されたコーダーに対してGM05は無数の傷を受けながらも装着者である進藤は守り続けている。デミが持つ特別な破壊プログラムに対する抗体は奇しくも攻撃に転用することはできないまでも自身の体を守る盾として機能を果たしていた。
「うわああああああああああ」
デミバットの体を掴んだまま進藤は階段のある方へと押し込んでいく。
そのまま倒れる様に下階へと向かい内田から離そうと試みる。
「ぐっ」
押し合いを続ける途中でデミバットの体が動かなくなった。しっかりと床を踏み掴む脚が撃ち込まれた杭のようにその体を固定していたのだ。
「ああ…」
短い進藤の悲鳴がする。
ふわりと体が浮いたかと思えばそのまま建物の内側の壁に向かって投げ飛ばされた。
ただの壁。
その先には何もない。
……はずだった。
GM05を装備した進藤の体は壁を砕き、窓ガラスを突き破り、虚空に投げ出される。
仮想空間であっても存在する重力に従って進藤の体は下階へと落下していく。
「進藤君!!」
脳裏に響く榊の声。
全身を襲う浮遊感は僅か数秒も経たずして経験したこともない衝撃へと変わったのだった。




