境界事変篇 23『強化プラン』
「頭を上げてください」
「はい」
「座ってください」
体を起こした榊がどこか思いつめた表情をしていることに気付いた麹町は彼女に目の前の椅子に座るように薦めて再度机の上に置かれた榊のノートPCの画面に視線を落とした。
そこにはGM05の設計図のようなものが表示されているのだが、知る人が見れば細部が現在運用されているものとは違っていることに気付くだろう。実のところこれは榊が密かに進めていたGM05の強化プランの一つであり、いくつも試作した中で唯一シミュレーションにまで漕ぎ着けたものでもあった。
「以前に教授が作ったプログラムを私なりに解析して組み上げてみたのですが」
何故かそこで言い淀む榊。
失敗したということはその態度からも明らかだが、問題はその段階だと麹町は一つ問い掛けてみる。
「うまく機能しなかったというわけではないのですね?」
「はい。実は…」
とノートPCの画面を切り替える。
全体図として表示されていたGM05の設計図から各部に分割されたより詳細が描かれたものになった。
「概要としては教授が作成したプログラムを全身に適応させてこちらの攻撃がシャドーマンに通じるようにしてみたのですけど…」
再度言い淀む榊。
じっと設計図を見つめている麹町は一度目を伏せて目線を机を挟んで座る榊へと向ける。
「設計図だけを組んで終わりなどということは榊君に限ってないのでしょう?」
「それは、その…」
痛いとこをを突かれたと榊が息を呑む。
「まだ実証実験をするまでには至っていないので」
「ほんとうにそうなのですか?」
ちらりと麹町の柔和な視線が向けられる。
常に物腰柔らかく温和な性格の麹町であったがその実、妙に勘の鋭いところがあった。嘘を言って講義をサボった学生は必ず見破られることも珍しくはなかったが、反対に体調不良をおして参加した生徒には誰よりも早く療養するように告げたりしていたのだ。
嘘を見破るなどと言えば大袈裟だが、後ろめたさから隠し事をしようとする何かに気付くことのできる人物だった。
「すいません」
先程よりも勢いよく榊が頭を下げて謝る。
「これを見てください」
親に叱られた子供のようにバツが悪そうにする榊は、どこか確実に見せることになるだろうと考えていたとある映像を再生することにした。
そこに映されたのはGM05がシャドーマンの形をした的と対峙している様子。場所は何の変哲もないただ四角く広いだけの部屋。
「この映像は、何かの実験ですか?」
「はい。先程の設計図にあった新型GM05の性能実験です」
「誰が動かしているのですか?」
「私が作ったシミュレーション用のプログラムを使っています」
このGM05は進藤新が装備しているものではない。仮想世界であることを逆手に取って無人で動くようにと作られたある意味で誰のものでもない仮の肉体に装備させる形で起動させていたのだ。高性能なAIを搭載することで無人であっても戦えるようになる可能性はあるが、現状、人の代わりとなって臨機応変に実戦に対応できるような代物はない。しかし機能テストだけならば話は別だ。加えて実際に人がいるわけではないことから多少強引なことも遠慮なく試すことができる。
「始まります」
およそ三十秒ほどして無人のGM05がシャドーマンの形をした的に向かって攻撃を仕掛けた。
最初に行われるのは格闘戦。無論的は動かずに無人のGM05が一方的に殴っている形になるのだが、問題を浮き彫りにするための実験の結果を想像するにはこれだけで十分だった。
ものの数分も経たないうちに無人のGM05の動きが著しく悪くなったのだ。
この時の状態をモニターしているデータによればGM05が攻撃を行うたびに自傷するかの如く攻撃を行った箇所にダメージが蓄積されて、段階的に性能を低下させていく。
原因は明らか。
GM05が自身の攻撃で生じる反動を吸収しきれていないから。
装備しているのが人であれば躊躇するほどの威力も動かしているのが機械的なプログラムだから止まらない。
映像の中でシャドーマンの形をした的が破壊された。
それと同時にGM05もまた動きを停止させる。その腕は著しく破壊されており、指は折れ、腕が変な方へと曲がってしまっている。肉体を覆う装甲さえも見るも無残な状態になり、無事なのは攻撃を行っていない部分だけとなってしまった。
「以上です」
停止したGM05を映した場面で動画の再生が終わる。
己の失敗を恥じるかのように目を伏せた榊に麹町はただ一言「なるほど」と告げるのだった。
「原因は何と考えているのですか?」
一拍の間を置いて麹町が穏やかな口調で訊ねる。
榊は隠し立てすることなく正直に話そうと「おそらく」と切り出した。
「今のGM05がプログラムに適応できていないことが問題なのだと思います。それにより自身の攻撃で自傷してしまっていたように…」
自身の予測を榊が告げていると麹町は何気なく椅子から立ち上がった。
「教授?」
自然と見上げる形になった麹町が送る視線に榊は言葉を詰まらせてしまう。
「教授は原因はそうではないと考えているのですか?」
「さあ? どうでしょうね」
あの視線には覚えがある。それは榊がまだ彼の生徒だった時代、与えられた課題を終わらせて提出した次の日、教授室に呼び出された時に向けられたものと同じだった。
麹町は時に自らが出した問題に対して返ってくる答えには明確な正解や不正解を言わない。もちろん全くの的外れであったり、答えがある問題で間違えた場合は違うと評するが、そうではない場合、それこそ答えが無数にあるような問題に関しては常に正誤を問わず、生徒に対して何故そう思ったのか、何故そうなったのかという説明を求めるのだ。
説明ができないのならば理解できていない。
例え麹町が持つ知識では間違いだと感じたことも、それが例え遠回りに正解に向かうものでさえ一通りの説明を要求してくる。その問答の中で生徒は自身の間違いに気付くこともあれば、更に理論を発展させることもある。
義務教育における勉強とは違う教授のさじ加減で如何様にも評価することのできる大学という場所だからこそできること、というよりも麹町という人物だからこそできることだった。
「榊くんは優秀ですね」
「え?」
「だからこそ、優秀ゆえの落とし穴に嵌ってしまう」
にこりと微笑みながら告げる麹町に悩む榊はどう返したらいいのものか分からなくなった。
今も榊が麹町の生徒ならばここで模擬回答のようなものは与えたりしないだろう。しかしそうではないからこそ麹町は自分なりに出した正解のヒントを告げることにした。
「どういうことですか?」
「あなたはどこかでこれはテストだから最大限の性能を試そうと思ってしまっているのではないですか? それではいつまでもあなたが思い描く完成に達することはないでしょう」
「そんなことは――っ!?」
はっきりと告げられたことを否定しようとして榊は無理矢理に言葉を飲み込んだ。
「教えてくださいませんか? 私が何を間違ってしまったのか」
今大事なのは自分のプライドではなく現実。目の前の問題を解決するための手段なのだ。
「追試です。三日。その間にあなたなりの回答を持ってきてください。問題は自身の間違いを自覚すること、そしてこれを作り上げること、でどうですか?」
一瞬師の顔になり、僅かな悪戯心を潜めた子供のような顔をする。
「そんな時間私には…」
「では、明日一日だけ待ちます。できますか?」
「わかりました」
頑なに自分で考えさせようとする麹町がこうなるとどうあっても話さないことを知る榊は渋々ながらも彼の言う追試を受け入れることにした。
「ああ、そうだ」
ノートPCを畳み、部屋から出ていこうとする榊を呼び止める。
「これをどうぞ」
机の引き出しから取り出した小さなメモリーカードを手渡してきた。
「以前にあなたに渡したプログラムの改良版です。奇しくも私も実物を目にする機会がありましたのでね。これでもそれなりに使える代物になったと自負していますよ」
受け取ったメモリーカードを握りしめたまま自分の手を見つめて立ち尽くす榊は何とも言い難い表情で麹町を睨んだ。
どういう意図でこれを渡してきたのか。その真意が読み取れないまま、あてつけのように「ありがとうございます」と告げて足早に教授室から出て行くのだった。
カツカツカツと榊が歩く足音が廊下に木霊する。
余程苛立っていたのかすれ違う学生たちは怯えたように榊を避けて道を開けていた。
大学を出て近くの喫茶店に寄り、渡されたメモリーカードをノートPCに差し込んで中身を読み込む。
そこにあったのは確かに以前のプログラムをより精度の上げたものだったが、それよりも榊の目を引いたのは麹町なりに作り上げた”化けなんとか”を倒した存在の解析図だった。
「どうしてこれを教授が?」
それの精度は不明。
しかし明らかに自分が掴んでいる以上の情報が記されている。
この情報を麹町はどうするつもりだったのか。ただ自分の好奇心に駆られて解析しただけなのか、異なる目的があったのか。聞いたところで答えてくれるかわからないとはいえ、彼の真意を測ることはいち技術者の立場ではなく、警察組織に属している者として知らねばならない。そう強く感じるのだった。
一人覚悟を決めたその時、不意に彼女の携帯が鳴った。
「進藤君? 確か事件現場に行っていたのよね?」
着信相手の名前を見て独り言ちながら小首を傾げながらも応答する。
「どうしたの?」
『榊さん。僕たちと一緒にとある場所に行ってもらえませんか?』
「どういうこと?」
開口一番に用件を伝えてきた進藤に聞き返した。
電話の向こうから聞こえてくる説明を受けて榊は今自分がするべきことを天秤にかけた。一つは麹町から出た問題を解くこと。それはGM05を強化することに繋がり未来には必ず必要となってくるもの。そしてもう一つが目の前の事件を解決すること。工事現場の事故とだけ聞いていたそれが何故か様相を変えたと進藤が言ってきたのだ。
どちらも大事。しかし後者は自分がいなくても大丈夫なはずだと訪ねると返ってきたのは部下の代わりという何とも言い難いものだった。
「篠原君は大丈夫なの?」
『はい。今は休んでいますけど、これ以上は』
「仕方ないわね。わかったわ。現地で集合しましょう。住所を送ってくれる?」
『わかりました』
通話が切れる。
現場で体調不良を起こしたという篠原の様子が気になったものの彼も一端の警察官であり大人だ。自分の面倒は自分で見られるはずだと医者に診てもらうようにと伝えて、今日はそのまま休むように申し付けた。
ピロンっとメッセージの着信を確認してそこに記されている住所をマップに打ち込む。
目的地はいくつもの商業ビルが並ぶ地区。
ここから歩いて行けば数十分の距離だ。
「頭を冷やすのにちょうどいいかもしれないわね」
ノートPCを片付けて目的地へと向かう。
仕事がデスクワークであるがゆえに時間を見つけては運動することが趣味となった榊は久々の長時間のウォーキングを楽しんでいると程なくして目的地の周辺へと到着した。
「このあたりのはずだけど」
予想していたよりも早く目的のビルに辿り着いたことに早く来すぎたかなどと考えつつ目的のビルを探す。
似たようなビルばかりで遠目から見るだけでは目的地を絞ることはできないがマップを頼りにすれば間違うことはない。
いくつかのビルを素通りして進んでいると一つのビルのために男の人が二人立っているのが見えた。
「榊さん!」
「おう」
手を振っている進藤の隣に立っている大沢が榊を見つけて軽く会釈した。
「遅くなりました」
「いや、時間通りだぞ」
長年使っているために細かな無数の傷が付いた腕時計の文字盤を見せつつ大沢がいう。
「所でどうして私達はここに?」
このビルに来た目的が分からずに榊が問い掛けた。
「あー、ちぃとばかり確認したいことがあってな」
「ここで…ですか?」
「ああ。ここでだ」
大沢がきっぱりと言い切ったことで榊は「そうですか」としか言えなくなった。
そこを訊ねる前に事前の打ち合わせくらいはしておきたいと考えている榊だったが、大沢にそのつもりがないのならば仕方ない。
進藤ならば知っていることもあるだろうと視線を向けて尋ねるとはっとしたように口を開いた。
「あの、実はここには…」
「いいから、さっさと行くぞ」
代わりに進藤が説明しようと口を開くも大沢が慌ててそれを制止した。
「あ、あの…」
「大丈夫。報告は聞いてるから。ここに何があるかくらいは分かっているつもりよ」
慌てふためく進藤をフォローしながらも、だからこそ聞きたかったのだと言外に伝えた榊の態度に大沢は気付く素振りもなくビルの入り口へと歩き出した。
「待ってください!」
先に進む大沢を進藤は小走りになって追いかける。
一人残された榊は電気の付いていない部屋が多いビルを見上げて、どうしたものかと一人大きくため息を吐いた。
そんな榊が歩き出してすぐ、先に行っていた大沢と進藤が立ち止まった。
二人の向こうにビルの階段を降りて来た一人の男性が現れたのだ。
「お待ちしていました」
「君は確か」
人当たりの良さそうな笑みを浮かべて進藤たちを招き入れたその人物を見て、進藤がはっと何かに気付いたような声を出した。
「大沢さんお久しぶりです。それと、話は聞いていますよ。あなたが進藤さんでしたよね?」
「はい」
「改めてまして。相馬悠斗です」
「進藤です。それで彼女が…」
「はい。聞いてます榊さんですよね」
「え、ええ。よろしく」
変わらず笑顔で進藤と握手を交わす悠斗。
進藤に呼ばれて彼に代わって握手をする榊。
「よろしくお願いします」
向けてくる悠斗の満面の笑みを見て榊は何故か僅かな胡散臭さを感じていた。




