境界事変篇 20『コーダー』
この二者の初顔合わせはなんとも微妙な空気に包まれていた。
三雲に呼び戻されて異常課の研究室へと戻ってきた榊たちを招き入れたのは椅子に座り和やかに話をしている三人の男たち。一人は言わずもがな三雲であるが、それと向かい合うように座っている間宮とは別にもう一人見知らぬ男がいる。進藤や篠原は間宮の事さえ知らないが榊はこの最後の一人にだけ見覚えがなかった。
「紹介します。榊君は面識があると思いますが彼は間宮白兎さん。クローズネット計画を進めている、いわゆる国のお役人というやつです」
「ちょっと変な紹介をしないでくださいよ」
「失礼しました。国のお役人、確か部署の名前は…」
「国家新基軸情報空間新設監査室です」
「また長くなったんじゃないですか?」
「ええ。ですので略称を絶賛考案中です」
三雲の紹介に合わせて困った表情を浮かべる間宮に何となく彼の日々の苦労が垣間見えたような気になった進藤は榊が自ら名乗り会釈するのに合わせて軽く頭を下げていた。そして二人の後ろに立つ篠原もまた慌てて「どうも」と言い頭を下げる。
「そして彼の隣に居るのが」
「内田元三です」
「初めまして」
立ち上がり握手を求める内田に対しては榊が代表して手を握り返した。
「内田さんは政府側が運用しているクローズネット内での試験戦闘員。ある意味であなた方と同じでしょうか」
間宮が告げたその一言に榊たちは息を呑んで立ち尽くしてしまう。
「あなたがGM05を運用している進藤新さんですね」
「あ、はい。そうですが」
「なるほど」
相手を変えて進藤と握手を交わす内田は進藤のつま先から頭のてっぺんまでをじっとり観察して再度さわやかな笑みを浮かべた。この笑みの意味を唯一察することができたのは間宮だったが、内田は間宮の制止すら間に合わないスピードでとんでもないことを提案してきた。
「どうです? 一度私と戦ってみませんか?」
「はい?」
「何ですって?」
目を丸くする進藤の隣で榊が内田に訝しむ視線を向ける。
まるでそれこそが目的だったと言わんばかりにはっきりと告げた内田は掴んだままの手を引き寄せて進藤の顔に自分の顔を近づけてきた。
「あなたと私、どちらがクローズネットを護るるに足る力を持っているのか気になりませんか。それに現状を正しく把握するためにも良い提案だと思いませんか?」
「なぁっ」
愕然としているのは篠原で声を出しそうになったのを自ら口に手を当てることで強引に押し止めた。榊は冷静に内田の心情を読み取ろうと試み、進藤は目の前の相手の本心を探ろうとして真っすぐ視線を送り続けていた。
内田の発言は間宮にとっては既に把握されていたものであるのか半ば諦めた表情を浮かべて口を閉ざしたまま。
自然と三人の視線は自分たちの上司である三雲の元に向けられることになった。
「何故と訊ねても?」
三人に変わり三雲がその理由を問う。
「単純なことですよ。互いの力を把握しておきたいと思っても不思議なことではないでしょう。何せ……我々の”それ”とあなた方のGM05は別の物なのですから」
内田が見ているのは目の前にいる進藤ではなくその奥にいる榊だった。巧妙に隠してはいるもののどこか野心めいたものがちらりと覗いた。
「独自技術を開発したとでも言いたそうね」
腕を組み傲岸不遜の物言いで返す榊に内田は平然と「そうだ」と返してくる。
「あの世界で戦える力はいつまでもあなた方の独占状態というわけじゃないということですよ」
「そう…”動ける”ではなくて”戦える”なのね」
内田の言葉を受けて榊は何か納得したというように頷く。
「いいわ。その模擬戦を受けましょう。進藤君、準備をしなさい」
三雲の了承を得ないまま榊が提案を受け入れたことに進藤と篠原は驚いているが、彼女の呟きに何か思い当たることがあったのか三雲はただ深く頷き言葉もなくわかったと示していた。
「榊さんいいんですか? その、こんな勝手に模擬戦なんて」
「あちらさんは既に上の了承を得ているのでしょう。それに勝手にというよりも元々そのつもりでここに来たのでしょう」
嫌味を言うように零すと内田と間宮はそれぞれ異なる反応を見せた。誤魔化すように視線を逸らす間宮に反して内田はまるでその通りだと言わんばかりに含み笑いを浮かべている。
「ということみたいよ。わかった? 篠原君」
「は、はい」
「貴方達のオペレーターはどうするの?」
「我々にそんなものは必要ありません。組み込まれたAIが詳細な戦況分析を行ってくれますから」
「ああっ!!??」
自信満々に告げる内田の発言に間宮は慌ててその口を覆うとするも間に合わず制止することができなかった。
「AI?」
「あー、申し訳ないのですが今の発言は忘れてもらえませんか?」
素直にオウム返しするように聞き返してた篠原に間宮が困り顔で言ってきた。
「もちろん、いずれは技術開示することにはなっていますから。今だけの話ではあるのですが」
「わかりました」
ある種の情報秘匿であるそれも互いの立場ならば理解できると三雲は淡々と受け入れた。
「私達はいつものやり方でやらせてもらうわよ」
「ええ。そうでなければ戦う意味がない」
「余裕ね」
「結果はすぐに出ますよ」
静かな言い争いをみせる二人を中心に漂い始めた重々しい空気を破るかのように三雲が立ち上がる。
「とはいえ、ダイブする場所くらいは必要でしょう。隣の個室をお使いください」
「ありがとうございます」
会釈と共に謝辞を述べて間宮は内田を引き連れて三雲に指定された部屋へと向かう。残された榊たち三人は模擬戦に向けた準備を進め、彼らと同時に異常課に戻ってきた他の職員たちはそれぞれ普段の仕事に戻り始めていた。それでも再び間宮たちが戻ってくることになるだろうと秘匿性の高い作業に取り掛かりはしなかったが。
「進藤君、準備をして。篠原君も速く!」
「は、はい!?」
慌てて自分の席に戻り篠原がキーボードを叩き始める。
鋭い榊の視線に促されて進藤もまた仮想世界に赴くべく準備を始める。
「こちらは準備完了です。いつでも行けますよ進藤さん」
「了解」
真剣な面持ちに変わり進藤は静かに仮想世界へと向かう。
「模擬戦闘はいつもの訓練空間で行います」
「了解です」
旅立つ直前三雲に告げられた場所は既知の場所であり慣れ親しんだ場所であることに微かな安堵を覚えて心穏やかに進藤の意識は仮想世界に現れた。
そして即座に進藤の体はGM05を装備したものへと変化する。
鋼鉄の鎧を纏った進藤が広い空間に立つと両手を開いたり握ったりを繰り返して体の感覚を確かめた。
「いきます」
いつも通り仮想世界も現実と同じように動けることを把握してこの場にいない榊たちに告げた。
ゆっくりと顔を上げる。
自分と対岸に位置する場所に佇む人影。それがこの世界で活動するための体となった内田なのだろう。GM05の視界を通して進藤が見ている景色が榊たちがいる異常課に設置された大型モニターにも映し出される。
「あれが彼らが作り出した鎧」
三雲が眉間に皺を寄せながら呟く。仮想世界の内田の見た目はGM05によく似ている。人工の鎧を纏った人という意味では同義の存在ながらその鎧からは機械的ではなく生物的な印象を受けた。
「間宮さんからデータが送られてきました」
「モニターに映し出して」
「はい」
それは一つの設計図。秘匿された情報がその大半を占めているのか概要となる三面図とその名称しか記されていないものだった。
「随分とケチな情報ね」
「名前は”コーダー”っていうみたいですね。どんな意味があるんですかね?」
「ちょっと前で言うプログラマーみたいなものだったとは思うけど」
それだけではない気がするとじっと設計図を見つめる榊を真似するように篠原も真剣な眼差しでモニターに表示された設計図を見た。
「なるほどそれがGM05。実際に対峙してみると中々のものを感じるね」
コーダーとなった内田が現実の時と変わらぬ声で話しかけてきた。
「それが貴方の…」
「コーダー。それが今の私です」
「コーダー」
現在の自分の名を告げた内田の言葉を進藤が繰り返す。この世界では自分は進藤新でありGM05であると自認することがラグなくGM05を動かせるコツであると考えている進藤であったが、内田の言い分はどこか違うように感じられる。
ある種の自己否定。内田元三という個人ではなくコーダーという存在であるという認識こそが正しくこの体を動かせる、そう言っているみたいだった。
「では、始めましょうか」
格闘家が試合を始める時のようにコーダーが慣れた構えを取った。それはボクシング選手の構えのようであり、警察にて柔道を学びそれを基軸としている進藤とはあからさまに違う。
「お手合わせ願います」
軽快なステップで飛び出してきたコーダーはすかさず鋭いジャブを放つ。
武器を使わず純粋な格闘技で雌雄を決しようというのならば望むところだと進藤は拳に合わせて的確なガードを行った。
「ふっ」
「…へぇ」
想定していたよりも重い拳に耐える進藤にコーダーが感心したような声を漏らした。
「では、これはどうです?」
プロ選手とまではいかないが熟練者の動きを見せるコーダーが苛烈に攻め続ける度にリングの上に響くブーツの擦れる音が聞こえてくるかのよう。実際はリングなどではなく何もない空間であり、コーダーの体を覆っているのは金属の鎧。足音らしい足音などすることもなくただコーダーの拳が身を護る進藤の腕を打ち付ける音が響くだけだった。
「進藤さん!」
一方的に攻められている進藤を見て篠原が思わずその名前を呼んでいた。
「落ち着いてダメージを確認なさい」
「えっ!? ダメージですか?」
GM05の様子は随時モニタリングされている。それはシャドーマンとの戦いでは当然のことながら訓練時にも同じこと。現在のGM05の状態。そこには両腕にダメージが蓄積されていること示されているが、それは篠原が考えていたよりも軽微なものだった。
「シャドーマン、そしてそれが変貌した”化けなんとか”に比べるとコーダーの攻撃は随分と軽いみたいね」
だとすればあの自信の根拠は何か。榊はその疑念を晴らすべく二人の戦闘を見続けていた。
「どうしたのですか? 噂に名高いGM05はその程度なのですか?」
一方的に殴り続けているコーダーがガードに専念している進藤を蔑むかのような口ぶりで言ってきた。
「私の攻撃に手も足も出ないじゃないですか」
身を護る進藤に一発たりとて拳が届いていないにも拘らずコーダーは自身の優位を疑っていないかのような言葉を発し、そのままキメのストレートを放ってきた。
進藤は避けないのではなく避けられないのだと思い込むほど慢心しているわけではない。けれど圧倒的に優位な状態ではその攻撃に付け入る隙が覗くのも無理はないのだろう。
ここに来て初めて護るのではなく回避して、体を滑り込ませて接近してみせたのだ。
「ハァッ」
拳を叩き込むのではなく相手の胸に平手を付けて全身を使って強く圧す。
コーダーが拳を突き出すのに合わせて真反対から加えられる圧力に自ずと進藤の手はその胸に深く食い込んだ。
「ぐがっ」
呻き声を上げて後ずさるコーダーが自身の胸を押さえて蹲る。
クローズネットで戦うことを想定している訓練だからこそ、痛覚はそれに準じたものに設定されている。だからこそ強く胸を圧されたことで受ける痛みと衝撃、それに合わせて肺に貯め込んだ空気が強制的に吐き出さされたことに対する苦痛をコーダーは、内田は現実以上に感じているのだった。
蹲ったまま動けないコーダーを見下ろすように立つGM05。
表情を隠す仮面のような頭部から向けられる無表情な視線を受けて内田は誰にも見えないコーダーの仮面の奥で屈辱の表情を浮かべていた。
(アイツらの攻撃はこんなもんじゃない。あれにはもっと体の内側から僕を破壊するかのような衝撃があった)
声に出さず心の内でそう呟き足元で蹲るコーダーを見下ろす。
僅か一発で模擬戦は終わってしまったと誰の目にもそう映る光景が繰り広げられているが、その中でも唯一コーダーに詳しい間宮だけが何一つ表情を変えないままモニターを注視し続けている。
「は……やく」
息も絶え絶えに声を出すことすら困難であるかのような内田の声に間宮は正しく反応をみせた。
「解かりました。準備はいいですね?」
モニターの前からの間宮の問いかけに内田は答えない。その代わりとでもいうように深く頷かれたのだった。
そして数秒後、コーダーの様子が一変する。
感じていた痛みさえ忘れてしまったかのようにゆっくりと起き上がり、荒れていた呼吸もまた平常時のものへと回帰していた。
「あの、何か様子が変じゃないですか?」
「何が起きたの?」
立ち上がるコーダーの様子にそれまでとは違う何かを感じ取った榊は素早くキーボードを叩き模擬戦を行っているエリアにいる全員のスキャンを開始するのだった。
それは直接対峙している進藤にはさらに奇妙な光景に映る。
表情が読み取れない相手だというのにどういうわけか進藤の目には今の内田の目が虚ろなものになっているような錯覚を覚えたのだ。
一歩二歩とコーダーから離れて、静かに臨戦態勢を取る。武器はまだその手には無いとはいえ、先程よりも明確に攻撃の意志を握りしめていた。
ゆらりゆらりと歩き近づいてくるコーダーの基本的な戦闘スタイルはこれまで通り。だがその全身から感じ取れる印象はそれまでとは大きく違っていた。
一つ一つの攻撃の鋭さが増したとでもいうのだろうか。
同じジャブを防いでいるというのにどういうわけか適格にガードをすり抜けて拳がGM05に当たり始めたのだ。
「けど、ダメージはまだ…」
シャドーマンには及ばない。その事実に変わりはなく次第に攻撃に慣れてきた進藤は守るだけではなく攻撃を払い除けて反撃を試みるようになっていた。
互いの攻撃は時に命中し、時に外れ、致命的な一撃を与えられないまま一進一退の状況が続く。
「不気味ね」
戦っているコーダーの様子に榊が顔を顰めて呟く。
「不気味ですか? 確かにちょっと気持ち悪い動きだとは思いますけど」
「大体の想像はつくけど」
と立ち上がった榊は間宮や内田がいる部屋へと向かい勢いよくその扉を開けた。
突然の来訪に驚く間宮の襟を掴み上げて睨みつける。
「貴方、本気であんなものを使うつもりなの?」
「あんなものとは随分な物言いですね。GM05とは違い誰であっても戦えるようになるシステムですよ?」
「使用者の負担は無視して、でしょ」
言い切る榊に間宮が大きく驚く。
「まさか、あんな少し見ただけで」
「少しで十分よ」
投げ捨てるように手を放したことで間宮が座っていた椅子に戻った。
「忠告しておくわ。そのプランは見直しなさい。碌なことにならないわよ」
「何を根拠に――」
間宮が言い返そうとした矢先、モニターの中の戦闘に変化が現れた。
それまで互角立ち合いを繰り広げていたGM05の攻撃がコーダーを圧倒し始めたのだ。
「何故? どうして――」
コーダーが振り翳す拳は避けられ、代わりにGM05の拳が突き刺さる。
蹴り上げた脚は防御され、攻撃後の隙を的確に突いた蹴りがコーダーを吹き飛ばす。
「AIじゃ進藤君を相手することはまだ早かったみたいね」
「そんなばかな!」
起き上がり攻撃を仕掛けるも全て防がれていることが信じられないのか間宮は慌てふためき必死な顔でキーボードを叩き何やら操作し始めた。
何度となく榊がどうして、なんでと呟きながら操作する間宮を諫めようとするもその声は届かず、ゾンビのように何度倒しても起き上がるコーダーが不気味にモニターに映し出されている。
「ああ! それはまだ開発途中で――」
愕然とする間宮が見つめる先でコーダーがシンプルな形状をした剣をどこからともなく取り出した。さらにその反対の手には銃のようなもの。
その時、一つのモニターが異常を告げた。
それはコーダーとなっている内田の状態を確認するものであり、明らかに異常なバイタルが映し出されているのだった。
「進藤君。一秒でも早く彼を止めなさい」
『わかりました』
耳に取り付けたマイクでそう告げると力強い声が返ってきた。




