境界事変篇 17『急襲』
暖色に纏められて賑やかな装飾が施された空間はそれまでに足を踏み入れたことのあるどこのクローズネットよりも非現実感が強い。しかしこの非現実感には覚えがある。ハロウィンの時期の商店街が持つ雰囲気がそれだ。
クローズネットにて実体化されるデータもただのファイル形式ではなく、どこかの童話の本のような装丁が施され乱雑に置かれた本棚に並べられている。
『何かが居そうな雰囲気はあるか?』
「色んなものがありすぎて、この感じだと全然分かりませんよ」
直接脳裏に聞こえてくる円の声に悠斗は困ったという感情を強く込めて答えた。自分の目で確かめるのが最も確実だと周辺の探索を目的に少し歩き回ってみるも、どこが変でどこが通常通りなのか悠斗には全く判別がつかない。それどころか荒らされた結果なのかどうかも分からない周囲の有様に不謹慎にも何か出てくるのだとしたら早く出てきて欲しいとさえ思わずにはいられなかった。
何かが隠れていそうな物陰というものは多くみつけられる。本が収まっている棚の後ろ、ただの装飾であろうお菓子のモニュメントの近くなど。適当にアタリを付けて確認してみるがそこには何もなく、誰もいない。
侵入者がいたということが完全に過去のものとなり、現在はただ荒らされた痕跡だけが残っている状態なのかもと考え始めた頃。それまで静寂に包まれていた空間にまさにハロウィンの商店街で流れているような音楽が聞こえ始めた。
「円さん!」
『どうした? 何かあったのか』
すかさず名前を呼ぶ。
だが返ってきたのは突然名前を呼ばれたことに困惑しているような声だった。
「まさか聞こえていない?」
悠斗がハッとしたように警戒心を高めて身構える。音楽が鳴り始めた原因が確実にこの空間にあるはずなのだ。
慎重に、それでいて大胆に。それまで以上のスピードで周辺の探索を進める。
想像していたよりも広い空間でも終わりはある。明るい絵柄の壁紙が貼られた子供部屋のような壁が現れて立ち止り見上げた天井はどんなに目を凝らしてみても見えてはこなかった。
『聞こえているか? 悠斗のいるクローズネットをサーチしてみた結果、間違いなくそこに何かがいるらしい。発見できそうか?』
「いえ、俺からは何も……」
聞こえてきた円の言葉を道標にして再度目を凝らして周囲を見る。それでも怪しいところを見つけ出すことは叶わずなお一層の困惑が押し寄せてきた。
「どうすればいいですか?」
誰かを見つけ出すことができないまま諦めてここから立ち去ることは避けたい。それでも現場にいてもなお手掛かり一つ見つけられていない悠斗が頼るのは円を置いて他に居なかった。
『もう少し待ってくれ、見えない”何か”を探し出すツールを作る』
「はい! ――っ!?」
活路ができたと声を弾ませる悠斗に突然何かが襲い掛かった。
まったくな無防備な状態で強く頬を叩かれて吹き飛ばされてしまったのだ。
『悠斗!?』
作業の合間にクローズネットの様子を見ていた円が突然吹き飛んだ悠斗に驚き声を上げた。
『もしかしてこちらの会話が聞こえている? いや、あるいは驚くほど勘がいいのか』
持ち込んでいたモバイル端末のキーボードを叩く速度が上がる。
「痛ぅ」
そんな中、悠斗は自身の頬に手を添えて立ち上がった。
『悠斗、無事か?』
「なんとか。ゲームとは違うのが幸いでした」
クローズネットではゲームと違い体力ゲージがない。どれだけ攻撃を受けても、どんなに致死量のダメージを負っても実質的には問題ない。この世界、自己を破壊されなければ倒されることはないのだから。
「っても、このままだと一方的に攻撃を受けるだけになってしまいますよ」
『わかっている。正体は視認できていないがこれより敵を”デミ”と仮定する。戦え!』
「はい! ヘンシン!!」
悠斗の姿が変わる。
微細な鱗が敷き詰められて全身を覆い、体にピタリとくっついた鎧となり、頭を覆う兜が顔を隠す。腰には抜き身の剣銃が銃形態で装着される。それまでと違うのは手首と足首に向かって白銀色をしたラインが伸びていること。
何もない虚空で空気が震えた気配がした。
「やっぱり、何かがいるのは間違いないみたいだな」
表情険しく警戒心を強めるも仮面のような兜に隠れて見えない。無表情で身構える悠斗を見えないデミは確実に狙っていることだけはわかった。
姿が見えないのならばと目を閉じる。
見えない相手を捕捉するときに使うのは視覚以外の感覚。嗅覚はあまり意味がない、味覚も論外。触れられれば苦労はないと触覚も違う。現状、最大限使えそうなのは聴覚。耳を澄まして相手の居所を探ると狙い通り何かが動く度に地面と足が擦れる音がした。
とてつもなく小さな音。
頼りにするにはかぼそい蜘蛛の糸。
掴むのならば自ら慎重に手を伸ばすしかない。
「そこ!」
剣銃を掴み、何もない虚空に向けて二発の光弾を放つ。
一発目はハズレ。
二発目は、何もない虚空に当たり白煙を立ち上げた。
「当たったみたいだな」
ニヤリと口角を上げて告げるとようやくそれは姿を現した。
壊れたモニターのように体表にノイズが混じり、腹を押さえた異形が悠斗を睨みつける。
「トカゲ? いや、姿を消していたのならさしずめカメレオンってところか」
デミが持つ能力はモチーフの生物をルーツにする。とはいえ現実通りの能力とはいかない。誇張、あるいは人がイメージする能力を備えているという意味ではまさにモチーフでしかないのだが。
ギギッと金属をこすり合わせたような金切り音を上げてデミカメレオンが再度姿を消そうと微かに後ろに下がろうとした。
「逃がすかよ」
後ろに下がっても横軸は同じであれば素早い攻撃なら命中させることもできる。が、放たれた光弾は誰もいない虚空を通り抜けて彼方に消えていった。
「何!?」
想像していたよりも早く姿を消したデミカメレオンに驚きつつ、消えたことで完全に見失ってしまったことに瞬時に意識を切り替えた。
攻撃ではなく反撃を意識して身構える。
「くっ」
それでもなお、見えない一撃は防御をすり抜ける。
正面からなら守られる、反撃されることを恐れてか背後から。
強く背中を打たれ前方に転がされそうとなるも右足を強く踏み込んで堪えて、すかさずに剣銃で水平に斬り付ける。
しかし当たらない。
すでにその場にデミカメレオンはおらず、代わりにまたしても背後からの衝撃が襲う。
攻撃を受けてからの反撃では逃してしまう。攻撃が来るのが背後からだと想定するのならば事前に剣銃の刃を立てて防御することはできる。だが、タイミングを見誤れば無意味に動きを止めるだけになってしまう。
案の定、遂に悠斗の防御は意味を成さなくなった。
背中を守れば腹を、腹を守れば背中を。腕を、脚を、守っていない至る所に攻撃を受け続け、果てには剣銃を持つ方の手首を強く打たれ落としてしまった。
拾うには屈まなければならない。
体勢を崩せば激烈な攻撃に晒されるのは必至。
「ちょうどいい。試させてもらうぞ」
足元に転がる剣銃は惜しいが、今取るべき戦い方は無手による格闘。
「そこだ!」
胸に衝撃が走った刹那、素早く拳を突き出す。
間違いなく拳を通して殴った感触が返ってきた。
「当たったみたいだな」
軽く手を振って相手の出方を伺う。
攻撃を受けることは仕方ない。その直後に自身の拳が当たりさえすればいい。良くも悪くもデミカメレオンの攻撃は悠斗を倒すに至らない威力しかないのだから。
「はあっ」
衝撃を受けた瞬間に強い蹴りを放つ。
両者の間に距離が生まれることは良くないと思いつつも、渾身の蹴りはデミカメレオンを大きく後ろに吹き飛ばしていた。
ノイズが走りデミカメレオンが姿を現した。
「さて、俺の言葉は通じているか?」
ゆっくりと剣銃を拾い声を掛ける。
「お前がここにいる目的、そしてその力を得た時のこと、話してもらうぞ」
まるで自分が警官になったように尋問する悠斗にデミカメレオンは答えない。言葉を話せないのではなく悠斗のことを無視をしているような感じだ。
「いいさ。それなら黙ってられないようにするだけだ」
姿を消さないデミカメレオンに向かって今度は悠斗が攻撃を仕掛けた。
拾った剣銃は腰の定位置に戻してある。だから繰り出すは拳。打突、蹴り、止めの強打。同じ人型であることの利点を最大限活かして適格な急所を狙う。
これまでに悠斗が戦ったどのデミよりも戦いに慣れていないのか、むしろそれを隠すために身を隠していたのかと思うほど一方的に悠斗が攻め立てていく。
声にならない声を出してよろめくデミカメレオンが地面を転がる。
「円さん。コイツの現実は解かりますか?」
『警察でもなければアクセスポイントを割り出すなんてこと中々にできないのだがな』
「それでも円さんならなんとかできるでしょう?」
『無茶を言ってくれる。だが、なんとかしよう』
円の返事に満足気に微笑み悠斗は起き上がろうとするデミカメレオンへと駆けだした。
「また消えるつもりか」
勝てない相手には逃げ出すのが一番とノイズを走らせてデミカメレオンが消えようとした。このノイズ、それまでも発生していたのだろう。万全な状態であれば高速で行われていた迷彩も幾度となく悠斗の拳を受け続けたこと展開に遅延が見られるようになったようだ。
『悠斗。これを使え』
消えられる前に攻撃を加えて停止させようと動いていた悠斗を円が呼び止める。
送られてきたプログラムが悠斗の手の中で実体を得た。
「これは?」
『言っただろう。見えない状態を何とかするツールを用意するとね』
小型の手投げ爆弾といっても形状は小さな缶ジュースのようなもの。
『使い方は単純だ。相手に向かって投げる――』
「わかった!」
円が言い終えるよりも先に悠斗は行動に移った。
消えてしまったデミカメレオンを音で探して、探り当てた場所目掛けて思い切り投げつけたのだ。
『違う!』
「えっ!?」
思わず出た間抜けな声。
実際、デミカメレオンに命中したツールは何も起こさず落ちて地面に転がった。
『あれは破壊して初めて効果が発揮されるものだ。踏み潰すのでも握り潰すのでもいいが、投げるだけでは無意味だ!』
「なんでそんな紛らわしいものを!」
『私が普通なものを作ると思うか?』
「思いませんよ」
なんとも場違いな言い争いをして悠斗は地面に落ちたツールに目掛けて剣銃の銃口を向けた。
トリガーを引き放たれた光弾がツールを撃ち貫く。
刹那迸る閃光。
夜が終わり朝日が昇るように辺り一面を照らす眩い光が消えていたデミカメレオンの姿を炙り出す。
「なるほど。そういう感じになるのか」
姿が現れたのならばまた消えればいいとデミカメレオンの体にノイズが走る。しかし、そのノイズは広がることなく搔き消されてしまう。
数回の迷彩を試みたところで失敗に終えてあからさまに狼狽えてみせた。
『悠斗』
「円さん」
『わかったぞ。そいつのアクセスポイント。そして誰が繋いでいるのかもな。聞きたいか?』
「いや、別に」
『ふっ。悠斗ならそう言うと思ったよ。だが聞け。アクセスポイントは私達がいる工場のメインコンピュータ、そいつの正体はその工場の副社長だ』
衝撃の告知にも悠斗は一切動じない。それどころか、
「だったらここで倒してもすぐに確保できそうですね」
などと言って喜んでみせたのだ。
「アンタの事情は知らない。興味もない」
淡々と、まるで死刑宣告のように告げる。
「だけど、その力はここで消す」
ぐっと強く拳を握る。
強く一歩、踏み出す。
剣銃のトリガーを引く。
一度、
二度、
三度と続けて。
「覚悟はいいな?」
剣銃を持つ手から全身へと光が広がっていく。
歩きながら腰の定位置へと剣銃を戻す。
「せいやっ」
攻撃が届く距離から全力で蹴り込む。
流星のごとき閃光が駆け抜け、閃光を伴った一撃受けたデミカメレオンはその身を一瞬にして爆発四散したのだった。
爆発の果て、戦いの一部始終を見ている存在がいた。
ヘンシンした悠斗の如く、あるいはGM05を装備した進藤のように、人が人を超えた姿をして。
「確かめさせてもらおうか」
籠ったマスク越しのような声でそう告げて、その人物は地面に突き立てていた大剣を掴む。
鋭い切っ先を爆発に向けて大剣に込められた力を解き放った。
爆発をかき消すように巻き起こるさらに大きな爆発。
突然のそれすらも見事に回避してみせた悠斗は力の出所を睨みつけた。
「誰だ!」
戦闘が終わってもヘンシンを解かなかったことが幸いして無傷に終えた悠斗は咄嗟に剣銃を構える。
「お前の存在がどのようなものなのか――」
爆炎を突っ切って歩いてくる存在。それはデミではありえなかった言葉が通じていた。
くすんだ銀色の体には悠斗の今の姿と同じように微細な鱗が鎧として纏わられている。
その身体と同じ鱗で形成された重厚な大剣を軽々と持ちあげてそれは駆け出した。
「見せてみろ」




