境界事変篇 11『お届け物です』
メモ通りに買い物を終えてパンパンに膨らんだスーパーの袋を両手に携えた悠斗はメモリーカードのケースに記されていた場所を訪れていた。
併設された大きな三つの建物が特徴的な百市大学。真ん中が開校当時から存在する本館で左が数年前に増設された別棟、右にあるのが本館と同じだけの歴史がある学生寮。
道から大学の敷地内を覗いてみると行き交う人たちの年齢感は悠斗とさほど違わないであろう十代後半から二十代前半の男女が多く見られるが、それよりも上の年代の人たちもまた見つけ出すことが難しいわけでもなかった。
「えっと、受け付けはあっちっぽいな」
間口は常に開かれているとはいえ部外者が誰も彼もと入れるわけじゃない。入り口には警備員が常駐しており、外部の者はまずはそこで手続きをすることになっているようだ。
「すいません」
「はーい。どうしました?」
警備員がいる正面の門の隣にある小さな建物の窓をノックする。すると扉が開かれて内側から年若く見える男性の警備員が現れた。
「えっと、”麴町研究室”っていう所にお届け物です」
「あー、はいはい。麹町さんの所にお客さんね。届け物というのはどれです? いえね、最近は物騒だからね、確認する決まりになっていましてね」
「あ、はい。大丈夫です。届け物はこちらです」
失くしてしまわないようにと念のために持ってきていた肩掛け鞄の中から硬質な透明ケースを取り出して警備員に手渡した。
「メモリーカード? 今時珍しいものですね」
「そうですね。でもこういう場所だと今でも現役なんじゃないですか? 物理メモリってのは案外セキュリティが高いですし」
「そういうものですかね」
「そういうものじゃないんですか?」
さすがにデータの内容まで確認するわけにはいかないのか、ケースの表と裏を見回しただけで変なところはないと判断して警備員はメモリーカードを悠斗に返す。
「問題ないですね。これ、ゲストパスです。見える所に付けて置いてくださいね」
「わかりました」
受け取った”GUEST”と書かれた名札に付いているクリップを鞄のベルトに挟んで取り付ける。
「そうだ。麹町研究室がどこにあるか教えてくれませんか?」
「麹町さんの研究室は本館の二階の一番奥の部屋です。あ、右側ね」
「右側の一番奥の部屋ですねわかりました」
お礼を告げて大学の構内へと入る。
すれ違う学生たちはそれぞれ何やら楽しそうだ。
一階の入り口近くに設置されたエレベーターを使えばすぐに二階へと行けそうだが、悠斗にとっては普段足を踏み入れない場所だからと物見遊山とばかりに歩いて二階まで行くことにしたのだった。
廊下を進み、階段を上る。
百市大学は大きな建物が三つという構成ではあるが、その実、建物の作りは複数の建物の集合体となっている。元は点在していたいくつかの棟を数年前に繋ぐ工事を行い一つの棟として改築したというわけだ。普通の校舎に比べると明らかに多い渡り廊下が存在しているのも百市大学の特徴と言えた。
日常からここに通っている生徒や勤めている講師ならば問題ないのだろうが、初めて足を踏み入れる悠斗にとってはこの複数の渡り廊下が曲者で、一口で本館の奥右側の部屋と言っても曲がる角を一つ間違えてしまうだけで別の場所に辿り着いてしまうという代物だった。
これならば素直にエレベーターを使って目的の研究室に直行していれば良かったと後悔してしまうほど。
上ってきた階段の壁に貼られていた見取り図をもう一度確認しようと来た道を戻ろうと踵を返した瞬間、焦った顔をして階段を駆け上ってきた複数の学生たちが悠斗の方を見た。
「君!」
自分が声を掛けられているとは微塵も思わず無視して壁にある見取り図の元へと行こうとした矢先、
「ちょっとちょっと、何してるのさ。遅刻するよ!?」
などと言って明るい髪が長い女生徒に腕を掴まれてしまった。
「えっ!? 俺は、その……」
「あ、わかった。まだこの建物に慣れていないんでしょ。わかるわかるよ。まるで天然の迷宮だもの。迷子になっちゃうわよね」
「いや、迷子って」
「みなまで言うなよ」
戸惑う悠斗を遮って女生徒は一人うんうんと何かを確信したように頷いている。
「ちょっと柚子、急がないと遅れるよ」
「はーい。すぐ行くから、先に行ってて」
「代返はしないからね」
「だいじょうぶー」
女生徒と一緒に階段を駆け上ってきていたもう一人の黒髪を肩くらいで切り揃えている女生徒が去っていくのを見送って目の前の女生徒が再度悠斗を見た。
「ほら遅れちゃうよ」
掴んだ手を放さずに悠斗を強引に引き連れたまま女生徒が駆け出す。
自分は学生ではないのだと言い出す間もなく、向かった目的地に到着してしまった。
新しい棟の外見とは反して意外なほど古風な引き戸を開けるとその先では講義が始まる寸前だった。
「マズっ、遅かった?」
一瞬遅刻してしまったかと慄く女生徒は隠れるようにその場でしゃがみ込み、並べられた机の陰に隠れるようにして最後尾の席に付こうとしてコソコソと移動を始める。
「ねえ! 何してんのさ。君も早く隠れて隠れて」
入り口で直立したまま動かない悠斗に女生徒は声を潜めてしゃがむように手振りで訴えてくる。
「いや、だから……」
「そこ。遅刻じゃないから堂々と入ってこい」
「は、はい!?」
今度こそ自分は学生じゃないと伝えられるタイミングだと喋ろうとしてまたしても遮られてしまった。
講師に声を掛けられて反射的に立ち上がり、ピンと背筋を伸ばして直立不動になる女生徒は既に席についている他の学生たちの注目の的となってしまっていた。
注目を浴びて恥ずかしそうになる女生徒は先んじて講堂に向かっていた先程の黒髪の女生徒の隣へと着席する。
「ほら君も……ん? 君は……?」
「あ、俺は――」
「まあいい。すぐに講義が始まる。適当に座りたまえ」
「え?」
講師に諫められるわけでもなく、むしろここから退室することの方が駄目だといわんばかりの空気に負けて悠斗は渋々行動の端の席に座ることにした。
何となく懐かしい空気をもう少しだけ味わいたくなったというのもある。とはいえテキストやノートの類は持ち合わせていないために始まった講義をただ耳を澄ませて聞いているだけしかできなかったのだが。
およそ一時間後。
講義は終わり電子黒板に記されていた文章がリセットされると講堂内は悲喜こもごもの光景へと移り変わった。今時珍しい紙のノートが使われていることもあるがメモが間に合わなかった生徒たちが口々に「待って~」や「駄目~」など悲壮感ましましに叫んでいるのが見えた。
「PCを使えば速いのに」
などと独り言ちた悠斗に近づいてきた講師が、
「うちの講義はPCのメモは使用禁止となっているんですよ」
悠斗の目の前まで来て声を掛けてきた。
「あっ」
「私の講義はどうでしたか?」
「いえ、その…」
どうやら悠斗が部外者であることがバレているみたいだ。であれば謝ることが先決と口を開こうとして、何度目かの制止を受けた。
短く切り揃えられた白髪にブラウンのスーツ。身形のいい老紳士という出で立ちだが、その顔をよくよく見てみると意外なほど若く感じられる。かなり高く見積もったとして四十代、もしかすれば三十代だと言っても通用しそうだ。
「私の部屋に行きましょうか。話はその後で」
「あ、はい」
怒られるかもと思いながらも用事を済ませてさえいない悠斗にここから逃げ出すという選択肢はなかった。
講師に先導されるがまま講堂を後にし、廊下を進んで講師の部屋という場所に向かう。
講堂が並ぶ棟の奥、なにやら実験室らしき部屋の隣に他に比べれば小さな部屋がある。
「ここです」
ポケットから取り出した鍵をドアノブの上に差し込んで錠を外して戸を開く。
見た目は洋風なドアだというのに、開け方は引き戸。誰を騙す目的で取り付けられたのかわからないドアノブを凝視してしまっていたのか、講師はふっと笑みを浮かべて、
「紛らわしいでしょう。元々この棟は昔の木造校舎をモチーフにして作られた建物でして、この部屋も見ての通りだったんですが、私の前任者が何を思ったのかこれを取りつけましてね。わざわざ外すのもあれだということでそのままにしているのです。そのせいで今でも何人かは間違えて押したり引いたりしてくるんですけどね」
「はぁ」
招き入れられるがまま部屋に入り、何気なく中を見渡した。
確かに古めかしい木造建築然とした様相ながら、それらが古いかと言われれば違う。あえて古く見えるように作られているだけで棚も壁も天井も何もかもがまだ新しい代物ばかりだった。
「おっと、気を付けてくれたまえ。そこにある本は中々に貴重なものでね」
慌てて避けるも少し体を動かしただけで別の本に触れそうになる。それもそのはず。この部屋にある大量の本は壁一面に作られた本棚から溢れ出し、部屋の各所に無造作に積まれているのだから。
「そこにある椅子にでも座ってくれ」
「はい」
「そうだ。何か飲むかい? まあ、お茶しかないのだけどね」
「あ、いえ。お構いなく」
「気にしないでくれたまえ。自分の分のついでだからね」
そう言って講師が急須にお茶葉を入れて湯を注ぎ始めた。
「んーと、湯飲みはどこに片付けたかなぁ」
講師が普段使いしている湯飲みはあるが、客人にお茶を振舞うための湯飲みが見当たらない。困ったものだと言いながら代わりになりそうなものを探していた講師が取り出したのは骨董品のような茶器だった。
「さすがにこれは無いよね?」
「そうですね」
「だよねぇ」
さらにゴソゴソと漁っている。
「お、随分と味気ない気もするが、これなら清潔だろう」
見せてきたのは十数個一纏めに売っている紙コップ。封が破られていることから以前使った残りなのだろう。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
無地の紙コップに注がれた透明な緑色をしたお茶を受け取って臭いを嗅ぐ。
「あ、美味し」
平然と飲む講師に釣られて一口含んでみると想像よりも香ばしい緑茶の程よい苦さと甘さが口腔内いっぱいに広がった。
満足そうに笑みを浮かべて自身の席に座る講師が書類と本に埋もれていたネームプレートを発掘して机の上に置き直した。
「改めまして。私は麹町吾郎と言います。この百市大学で電脳技術について教えています」
怒られるかもと戦々恐々しながら講師に連れられて部屋に入ったために戸に取り付けられていた表札を見逃がしてしまっていた。そのせいでこの講師が麹町当人であることも、ここが探していた麴町研究室であることも気付くことができなかったようだ。
「相馬悠斗です。高坏円事務所から届け物に来ました」
「はい」
「これです」
鞄から取り出したメモリーカードを机の上に置く。
「確認させてもらいますよ」
「はい。どうぞ」
硬質ケースからメモリーカードを取り出して麹町は自身のPCへと挿入する。いくつか操作して中身の確認を終えると、
「うん、依頼通りの出来ですね。問題なく受け取らせてもらいます。ちょっと待っていてください。受領書を作りますから」
机の中から一枚の紙を取り出して長年使用しているであろう万年筆でさらさらと何かを書き込んでいく。
じっと受領書が完成するのを待ちながら悠斗は思い出したように先程部外者でありながら講義を受けたことを謝るのだった。
「構いませんよ。君がいることには私も気付いていましたし、そもそも高坏君の所の従業員ということは知っていましたから」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。実際に君を顔を合わせるのは今日が初めてですが、高坏君から君の話はよく聞いていましたし、写真も見せて貰ってたので顔も知っていましたよ」
インクが乾くのを待って作成した受領書を折り畳んで封筒に入れる。差し出される封筒を受け取って、折り曲がらないように慎重に鞄に仕舞った。
「時に相馬君。今から少し時間はありますか?」
「はい?」
「よろしければこれから私の研究室に来て見学をしていきませんか?」
「いいんですか? こういうとこの研究って部外秘なものだと思ってたんですけど」
「勿論。ここで見聞きしたものは他言無用、守秘義務厳守でお願いしますが、相馬君の場合は高坏君にお願いされていることもありますからね」
「はぁ」
「彼女曰く君は見て置いたほうが良いとのことですよ」
「そういうことなら」
「それに今日は相馬君以外にもお客さんが来てますし二度手間にならなくて済みますから」
麹町の意図も円の意図も掴めないが、何となくここで断ることも憚られる。
わかりましたと答えて紙コップのお茶を飲み干すと麹町の案内の元、彼の研究室へと向かうことになった。
麴町研究室というのは彼が普段使っている部屋に併設された場所ではなく、その向かいの部屋の事を指しているらしい。それで表札は一つ。引き戸に取り付けられたドアノブといい、纏められた表札といい、麴町研究室は、あるいはその前任者が作った仕様はどれだけ事情を知らない人を騙すことを目的にしていたというのだろうか。
「こちらです」
研究室のドアを開けて中に入るとそこもまた大量の本が積まれた部屋だった。麹町の私室と違うのは数人の学生が大量の本や資料を片手に並べられたPCに向かっていること。
「あー、君!」
麹町と共に入ってきた悠斗を見つけて一人の女生徒が立ち上がった。
「せんせいと一緒にどっか行ったんじゃなかった? もしかして怒られて何か課題を渡された、とか?」
「伊豆君。彼はここの学生じゃありませんよ」
「えぇ~」
駆け寄ってきた伊豆という名の女生徒に真実を告げた麹町はそのまま研究室にある自分の椅子に座ってしまっていた。
「まさか、わたし部外者を入れちゃったの?」
「まったく。千尋はそそっかしい」
「だってだってだって、あんなとこに居たら誰でも迷子だって思うじゃん」
「思わないから、普通」
「が~ん」
伊豆の後から姿を現したのは先程出会った黒髪の女生徒。大きなリアクションを見せる伊豆とは対照的にややおとなしい印象がある。が、性格というか趣向は伊豆と似ているような気がする。
「何を騒いでいるんだ?」
「せんぱ~い」
やれやれといった様子で近づいてきた女性に伊豆が泣きついた。
「聞いてくださいよ」
「聞こえてたから。いつものように伊豆が先走っただけでしょ」
「その通り」
「くろこ~」
「井瀬に泣き付いても仕方ないだろうに」
漫才のような会話を繰り広げている女性三人を傍目で眺めている悠斗に再度近づいてきた麹町が声を掛けてくる。
「とりあえず紹介をしましょう。彼女が伊豆千尋君、その隣にいるのが井瀬黒子君。そして彼女がOBの榊咲君。そして彼が相馬悠斗君。今日は私の研究室の見学に来たのです」
麹町の話を聞いているのかいないのか。三人の姦しい声は止まない。
「ではさっそく見学を始めましょうか。こちらへどうぞ」
と三人を放っておいて麹町は悠斗を研究室の奥へと誘う。
古い木造建築の外観。使われている什器もまた古い木製の棚などを模している。そんな中、奥の部屋にあったのは複数の大型PCと起動しっぱなしの大型サーバだった。




