境界事変篇 09『撃破』
クローズネットへと繋がっている通路は現実の距離をものともしない。扉の中へと飛び込み抽象的なデジタル然とした通路を滑るように通り抜けて光の向こうへと飛び出した。
開かれた出口は化け蜘蛛とGM05がいる空間の上空。
大型プール施設にあるウォータースライダーを滑り落ちるかの如く電脳の道を滑り飛び出したその先で悠斗は満身創痍のGM05と、彼にとどめを刺そうとするかのように接近している化け蜘蛛の狭間に降り立った。
「な、なんだ……?」
閃光が弾けるように突然出現した悠斗を見て進藤は困惑し、即座に身構える。それは悠斗が敵か味方かまだ判断が付けられないからであり、状況は化け蜘蛛も同じだというのに、悠斗に対して警戒心を剥き出しにするのではなく、自身に漲る力を振るべき獲物がもう一体現れたと歓喜するようにその矛先をGM05から変えてみせた。
「あ、危ない!」
助けなければと思っても体は動かない。破壊されたGM05が機能していないというわけではなく、彼の体が言うことを聞かないほどのダメージを受けているからだ。できることと言えば掠れた声で叫ぶように注意を促すことだけ。
化け蜘蛛が乱入者の意図など微塵も気にしないと言わんばかりに殴りかかる。
GM05の装甲をいとも容易く破壊する拳。その威力は幾度となくその身で受けた進藤が一番強く理解していた。
想像される無残な光景。
が、それが現実になることはなく、悠斗は自身に向けられた拳を軽く叩いて力の流れを変えることで易々と受け流してみせたのだ。
それと同時に「ハッ」と短い掛け声を発して体を捻り、バランスを崩した化け蜘蛛の背中を軽く殴り付ける。
倒れこそしなかったとはいえ化け蜘蛛は数歩前のめりになるように動き、背中を曲げた前傾姿勢になって停止した。
攻撃が躱されるとも、反撃を受けるとも想像すらしていなかっただろう化け蜘蛛が到底言葉とは認識できない声で叫び声を上げて再度悠斗に襲い掛かる。
進藤が装備しているGM05とは違い、どこか生物的に見える装甲を纏った悠斗は繰り返し振るわれる拳を受け止め、受け流し、化け蜘蛛の全ての攻撃を捌いていく。
「ふっ」
一通りの攻撃をいなした直後、またしても短い掛け声を出して悠斗は化け蜘蛛の腹に目掛けて思い切り拳を打ち込んだ。
ドンっと単なる打撃音とは思えないほど重く大きな音が響いて化け蜘蛛はよろめき後ずさる。
GM05を装備した進藤が容易くも追い込まれた相手を悠斗は平然と追い詰めていく。
その様、その姿、その存在。進藤にとっては正体不明の乱入者でしかない悠斗という存在が何もかもが不明な状況を覆していく様子を進藤の視界の共有で見ている異常課の面々もまた同じように困惑の感情に飲み込まれていった。
「な、なな、なんなんですか? あれは?」
進藤が助かったかもしれないと安堵する間もなく、化け蜘蛛を圧倒していく謎の存在を前に篠原は無様にも平静を見失ってしまっていた。
「まさかGM05と同じ? いや、そんなことがあるはずがない。だとしたらあれもシャドーマンだというの? 篠原君、乱入者の侵入経路を探って。それと同時に乱入者の解析、アクセスポイントの割り出しも!」
「は、はい」
浮かぶ可能性を一つ一つ丁寧に否定していく榊は思い出したように指示を出す。
進藤に背を向けて化け蜘蛛と向かい戦っている乱入者に対する敵味方の判断を決めかねている榊は乱れる映像を一瞬たりとも見逃してたまるかと見つめ続けている。
「駄目です。侵入経路は不明。アクセスポイントも割り出せません」
「そんなっ」
「解析も正体不明な防壁によって阻害されてしまいます」
今にも泣きだしそうな声でされた篠原の報告を受けて榊はより一層乱入者に対する警戒を強めた。
「いつでも進藤君が離脱できるように準備。あの二体から目を逸らさないで」
自分と篠原に向けて告げるとモニターの向こうで悠斗が化け蜘蛛を大きく蹴り飛ばした。
緊張感が強くなっていく異常課とは対照的に、戦闘の様子を見ている高坏円事務所では安堵と感嘆の息が漏れていた。
「驚いたな。正直、ここまで圧倒するとは想像もしてなかった」
脱帽だというようにソファに深く背中を沈めた大沢の言葉を隣にいる井上もまた同意だと頷いている。
「こう言っちゃあアレだが、コイツは素人なんだろ? それがどうしてあそこまで戦える?」
「だから言っただろう? 適任者がいるとね」
手品の種があるのならば明かして欲しいと訪ねる大沢に円はさも当然であると言わんばかりに答えた。
「悠斗はクローズネットのアバター関連技術の大元となった【ARMS・ONLINE】の古参プレイヤーなのさ。そして良くも悪くもこのような状況に慣れている、ね」
「どういうことだ?」
「かのゲームは製作者の手を超えて広がったいくつかの要素がある。正確には世界運営に導入されたAIによる仕業だと今ではわかっているのだがね。ともあれ人の手を介さずに組み込まれた要素というやつにこと相馬悠斗という人物は頻繁に出会ってきたというわけさ。その一つがあの変化。悠斗がゲームでは<竜化>というスキルとして使用し、クローズネットでは”ヘンシン”として発動しているものがそうだ。本来はビジュアルの変化とゲーム的な能力値上昇に過ぎないはずのそれが、悠斗が使えば特別な戦う力となる。クローズネットに適応するように私がプログラミングして使えるようにしたが、おそらく今ではあの能力そのものがクローズネットに適応していっているのではないかな」
悠斗がゲームで行う<竜化>では全身鎧を纏う状態へとなる。鎧はまさに竜の鱗や甲殻のようにびっしり全身を覆う。人の姿をした竜というものを表した姿なのだと悠斗自身が言っていた。
そして今、クローズネット内にて悠斗がヘンシンした姿は竜化した状態とはまた少し異なっている。より人の意匠が強くなったというべきか、指先や全身の関節等々アーマーの無い柔らかい部分は甲殻ではなくより微細な鱗が集合して一枚の布のようになっている。
脚や腕、頭と胴体などという部位に鎧は集中していることでよりヒロイックなデザインになったと言うべきか。それこそどこかの特撮番組に出てくるヒーローのようでさえあった。
純粋な格闘のみで化け蜘蛛を圧倒していた悠斗が程なくして武器を手に取った。自身の腰に直接張り付くように備わっていた武器は一振りの剣。これは悠斗がゲームで使っている武器をそのまま再現されたもので、ゲームで使える技が使えない代わりにそれに該当する攻撃を発動するためのギミックが内蔵されている。使い方を教えられる暇はなかったはずなのに、悠斗はまるで始めから知っていたというようにそれを発動して攻撃を行った。
「ハアッ」
剣の持ち手部分にあるトリガーを数秒間押してから化け蜘蛛を斬り付ける。おもちゃなどにある”長押し”の手順こそが件の攻撃の発動手順となる。指を放したその刹那に刀身に光が宿り、直後繰り出す斬撃の威力を高めていた。
ヘンシンして戦うこと数分。漠然と理解できた今の自分の姿とそれに対応した戦い方。そして自分が持つ武器。
ゲームの中とはいえ剣銃と名付けた長年愛用していた相棒がこうして自分の手の中にある。その事実がどんなに心強いことか。
慣れた重さ。
慣れた長さ。
慣れた使い方。
撃鉄部を起こして剣銃を変形させることでその姿を剣から銃へと変える。
威力を高めた攻撃の発動ではなく弾倉に装填された光弾を撃ち出すためのものへとトリガーを引く意味が変化した。
「ハッ」
正面から化け蜘蛛を撃つ。
数度の爆発が化け蜘蛛を襲うたびに後退を繰り返し、徐々に自分から離されていく。
体力ゲージに相当するものがない戦闘を舐めていたわけではないが、小さなダメージであっても確実に勝利に近づいていると分かるゲームとは違い、この戦いはどこが終わりなのか分からない。相手を倒すつもりならば確実にその息の根を止める攻撃をする必要があり、それはゲームでは必要のなかった戦闘術だった。
(何か…変だ)
圧倒的有利な状況であってもいっこうに戦局が決まる気配がないことに進藤は一人心の中で疑問を抱いていた。
乱入者である悠斗が手を緩めている気配はない。それこそ化け蜘蛛を倒そうという気概さえ感じられる。しかし決定打は打たない。刻一刻と時間が進むごとにこの違和感は拭いきれないほど強くなっていった。
射撃によって受ける衝撃に慣れ始めたのか、あるいはそれに自分を滅するだけの威力がないと判断したのか、徐々にではあるものの化け蜘蛛が反撃攻勢に移る。
バンっと弾けた火花を超えて化け蜘蛛が悠斗を殴り飛ばす。
この一撃だけで優劣が翻ったわけではないが、悠斗が圧倒的有利という状況ではなくなってしまった。
撃鉄を引いて1秒固定。それが銃形態での強い攻撃を発動する方法だ。素早く手を放して銃口を向けてトリガーを引く。威力を増した光弾が化け蜘蛛に命中し、それまでよりも強い衝撃と爆発、そして火花を撒き散らしながら化け蜘蛛を大きく吹き飛ばした。
「ん?」
そこでふと進藤は悠斗の様子に違和感を覚えた。追撃を行えば確実に倒せる状況だというのに何故か悠斗はその手を下ろして立ち止まってしまったのだ。
「何故だ? どうして攻撃しない?」
そうこうしている間に化け蜘蛛が起き上がる。
進藤の呟きは同期しているGM05を通して異常課にも聞こえている。それがたとえノイズ混じりの聞き取り辛い音声であったとしても聞く人が聞けば内容は伝わる。現に榊はその声を聴いて歪む映像の中に映る乱入者をじっと観察していた。
「まさか――」
倒れたままではいられないと近くの機械を掴み立ち上がり進藤は最後の力を振り絞り出現させたGM05Sを化け蜘蛛へと向けた。悠斗の使う剣銃のように攻撃が効かないことはわかっている。それでもとブレる腕をもう片方の腕で掴み必死に狙いを定めて人差し指に力を込める。
タンっと乾いた銃声が響き、放たれた弾丸は化け蜘蛛に当たりはしたものの、ダメージを与えることなくぽろっと床に落ちた。
後方から繰り出された無意味な銃撃に悠斗は訝しむように微かに振り返る。
GM05のように顔を完全に隠している仮面のような兜を纏った悠斗の表情はわからない。ただ、それでも構わないともう一度引き金を引いて進藤は叫んだ。
「戦え!」
またしても床に転がる潰れた弾頭。
ついにGM05Sが射撃の反動が堪えられないとその手から零れ落ちた。
「何を心配しているのか知らないけど、化け蜘蛛のリアルはおれたちが確保してる。だから、仮にもし何かが起きたとしてもなんとかできる! だから……躊躇うなっ!!」
全ての力を出し切ったというように、叫んだ進藤は掴む機械から指が離れてその場に倒れてしまう。それでも戦いの行方は最後まで見逃さないと顔を上げた。
進藤の声が届いたのかはわからない。
本来犯人に向けて確保済みだと伝えることが良くないことはわかっている。
けれどもし、ここから逃げ出すように化け蜘蛛がどこか別のクローズネットへ移動するのではなくログアウトするのならば直接逮捕できる。外部から強引に接続を切るという方法は通常のバーチャルネットならばともかく、現実感に制限を掛けていないクローズドネットではどのような影響が出るか分からないために憚られるが、それも最後の手段の一つだということが捜査官の間では共有されていた。
この進藤の言葉。その奥に込められた覚悟に最初に反応を見せたのは化け蜘蛛だった。まさか自分のリアルが割り出されると、しかも確保されている状況にいるとは想像もしていなかったのだろう。どこか逃げる先を探すような動きをして、それがどこにもないと分かった瞬間、破れかぶれと言わんばかりに倒れた進藤に向かって襲い掛かってきた。
ここで進藤を倒せば活路があるとでも思ったのだろうか。自分が倒されたとしてそれはあまり関係ないぞと笑みを浮かべて目線を逸らさない進藤の前に悠斗が立ち塞がった。
その手にある武器はいつの間にか剣の形へと変化している。
下から上へ。
薙ぎ払うように振り上げた刃が化け蜘蛛を大きく斬り飛ばした。
「あ……」
再度進藤を一瞥するように頭だけで振り返りすぐに前を向いた悠斗。
剣銃を水平に構えると大袈裟にも見せつけるようにトリガーを引いた。
一回。
二回。
三回。
前進しながら近づいてくる悠斗に化け蜘蛛は近くにある工場の残骸をがむしゃらに投げつけてくる。まるで子供が駄々を捏ねるかのような抵抗も空いた左手で降り掛かる火の粉を払うように軽々と払い除けた。
ゆっくりとした歩みから走りに変わる。
「ハアァッ」
次第に速度を上げて急接近した悠斗は動けない化け蜘蛛の前で立ち止まり、トリガーを引く度に光量が増した剣銃で思い切り斬りつけた。
さながらゲーム内で使っている必殺技のよう。
夜空に輝く三日月の如く弧を描いた斬撃が化け蜘蛛を両断する。
一瞬の間を置いて化け蜘蛛は内側から溢れ出るエネルギーの奔流に耐え切れず大きな爆発を起こし四散することでこの場から消滅した。
この時、起こった爆発によって吹き付けた爆風が工場内に積もった土埃を巻き上げて濃い灰色の煙幕を創り出す。
悠斗の姿が土埃に消え、気付けばうっすらと見えていたシルエットも曖昧にしか確認できなくなっていた。
「待って…」
刃先を下ろした剣銃の光が消えて煙幕の中に悠斗の姿が完全に消えていく。慌てて追いかけようと立ち上がろうとした進藤は四肢に力が入らずまたしてもその場に倒れ込んでしまった。
顔を起こすも既に悠斗はその場にいない。
全身から力が抜けてうつ伏せの格好で横たわる進藤に榊の声が届く。
『進藤君。戻ってきなさい』
ことの成り行きの一部始終を共に見ていた榊の声にはどことなく安堵の色が混じっている。
「わかりました」
ここに残っていても意味がないと返事をした進藤はログアウトして現実へと戻るのだった。
「あっ、ぐっ」
現実で目を覚ました進藤が体を起こそうとして酷い筋肉痛に似た痛みに苦悶の表情を浮かべる。
「進藤さん! そっか、現実でもダメージが」
「いえ、実際に怪我しているわけじゃないですから」
「だとしても平気なわけじゃないでしょ」
「そんなことより犯人はどうなりました?」
篠原によって強引に寝かされそうになるのを制止して進藤が榊に問い掛けた。
「まったく。起きて真っ先に気にするのがそれなのね。いいわ。教えてあげる。犯人は確保したらしいわ。目立った怪我らしい怪我も意識の混濁も確認されてないから、無事ということなんでしょう。つまり私達の予測通りに撃破したことによる強制切断の影響はないということね」
「よかった」
「でも、これだけの事件を起こした犯人なんですよ。進藤さんが気にするようなことじゃないですよ」
「えっと、そういうわけには。それにあのひとにも大丈夫だと言ってしまいましたから、気になって」
「ああ。そういえば化け蜘蛛を倒したあの人物はいったい誰だったんでしょうか?」
「さあ。少なくとも私達が知る誰かというわけじゃなさそうね」
話をしている間に体から痛みが消えて進藤は篠原の制止を遮り椅子から立ち上がって、そのまま榊がいるPCの前へと移動した。
「改めて。進藤君、ご苦労様」
「いえ、僕は何もできなかったわけですから」
「それは進藤君のせいじゃないわ。私のせいよ。見ての通り化け蜘蛛にはGM05が全く通用していなかったんだから」
「でも、どうして今回に限ってあのシャドーマンは化け蜘蛛になったんです? それにもう一人乱入してきて化け蜘蛛を倒した人のことも全然分かってませんし」
「そうね。それも調べなきゃいけないわね」
などと話しながらもキーワードを叩く榊の手は止まらない。
録画された映像。クローズネット内に残されたログ。手掛かりはまだ多く残されているはずのだと調査の手は緩めないでいた。
「手伝います」
「進藤君は休んでいてもいいのよ。まだ身体がしんどいでしょ」
「いえ、座っているだけなら大丈夫なので」
「そう。なら手伝ってもらうわよ」
「はい!」
隣の椅子に座り作業に参加しようとする進藤を榊は無下にすることができなかった。実際に戦った進藤が感じた無力感、それはGM05を作成した榊が覚えたものとは似て非なるものながら、じっとしていられないという思いは理解できたのだから。
「これから聴取が進んで化け蜘蛛のことが少しでもわかるといいんだけど」
「どうかしたんですか?」
「いえ」
言葉を区切り榊は誰にも聞こえないような小声で、
「私には使われるだけだった他の人と同じにしか見えなかったのよね」
と独り言ちるのであった。




