ep.08 『危険な古代のロマン⑧』
眩い閃光が天高く消え去った後、そこには未だ健在な溶岩竜の姿があった。とはいえそれが最たる目的であったこともあり、無事を喜びこそすれ、攻撃の意思は浮かびあがってはこなかった。
「これで終わったんだよな?」
「だと思うけど」
いつしか隣に立ち並び心配そうに話しかけてくるハル。俺とハル、二人の視線が一箇所に集まっていた。
「どっちにしても一時休戦って感じみたいだ」
寄生竜とは違う白い煙を吐き出しながら穏やかな唸り声をあげる溶岩竜。それにゆっくりとした足取りで近付いて行くローズ。彼女は既に鉄扇を懐に仕舞い、不安と心配が織り交ぜられた視線を溶岩竜へと向けている。
「警戒するまでもないってことなのか?」
ローズは手を伸ばして溶岩竜の腕に触れる。硬い甲殻のざらりとした感触にどことなく表情を緩めているように見えた。
「ん?」
ハルはヘルムを外すことなく声を漏らし疑問府を浮かべている。
溶岩竜が微かな炎と火の粉と共に白色の煙を吐き出した。
『んんーーーー。まだ何か喉の奥に突っかかっているような』
初めて耳にする重低音の男の声。声の感じからして老年の男性ではなく熟練した四十代、あるいは五十代くらいの男のような印象を受けた。
「吐き出すのならば天に吐けば良い」
『む。そうだな。では――』
優しく慈しみが滲む声で告げたローズの言葉に従いそれは大きく息を吸い込んだ。
風の音がはっきりと聞こえるくらいに急激に吸い込まれていく大気。それは先程まで自分達に向かって放たれた息吹とは比べものにならないものであるように見えた。
『がああああああああああああああああああああああっっっっっ』
初めて、おそらくそれはここに至って初めて目にする本物の溶岩竜の息吹。
大気が啼き、大地が震え、炎が込み上げ、爆音が轟き、閃光が迸る。
眼前に映る、空をも割ってしまうかの如き一撃はほんの微かな黒い淀みをも焼き尽くした。
『うむ。すっきりした』
「それは何よりじゃ」
『で、だ。これはどういう状況だ?』
重低音の声の主、溶岩竜の澄んだ瞳がこちらに向けられた。
「そもそもはお主が寄生竜などというものに飲み込まれたのが原因じゃ」
『む? 寄生竜とな?』
「覚えてはおらぬのか? 実体を持たぬ黒い靄のような体をしたヤツのことじゃ」
『あー、いや、まったく心当たりがないんだが』
「何!?」
キョトンと目を丸くするローズ。彼女は溶岩竜に触れていた手を離し、腕を組み考え込む素振りをした。
「あのー、ちょっといいですか?」
『何者だ?』
「おれはハル。そっちにいるのがユート。おれたちはアンタと、いや、アンタに巣くっていた寄生竜と戦っていたんだけど」
『真実か?』
「然り。お主を救ったのはこの者共じゃ。なにせ我はお主を助けることを諦めようとしたくらいじゃからのう」
『なんとっ。そうであったのか』
ローズと同じように驚いた表情を浮かべる溶岩竜が静かに腰を下ろす。
「にしてもその巨体のままでは落ち着いて話しもできんのう」
『人化の術は苦手なのだが』
「丁度良い鍛錬だと思うことじゃ。ほれ、さっさとせんか」
『む。少し待っておれ』
溶岩竜の体を白色の煙が包み込む。煙が晴れなかから現れたのはまさに身の丈二メートル近い美丈夫という言葉が相応しい男。
「こんな感じでどうだ?」
などという男の問い掛けにローズは瞑目し、俺とハルは言葉を失っていた。
「どうした? 何かおかしいか?」
「何かではないわ。馬鹿者がっ」
「ぬう。何故だ!」
「ええい、自分の姿を見てわからんかっ」
ローズにしては珍しく語気を荒らげている。それもそのはず、人の姿をとった溶岩竜は困ったことにほぼ全裸だったのだから。
纏っているのは腰の布だけ。そのおかげで何とか正視に耐えるといえるだろう。
「あー、ハル。予備の防具とか持ってるか?」
「いや、俺の場合、全身鎧の防具ばかりだからなあ。そういう意味だとユートの方が持ってたりするんじゃないか?」
「昔も今も防具の予備なんてものは持ち歩いてないよ」
「意外だな。てっきりフィールドの状況に合わせて切り替えて使っているものだとばかり」
「そういう意味ならハルの方が別の防具を持っていてもおかしくはないんじゃないか?」
「いやあ、おれくらいになると大抵一つの防具で殆どの気候対応ができるからな。それに一つの防具を中心に強化していったほうが性能が上がりやすいし」
「それ、俺にも言えると思うんだけど」
「確かに」
などと無意味に思える会話をしている俺とハルを置いて、溶岩竜の男とローズは仲良く言い争っている。
そして一頻り話を終えると溶岩竜の男は人化した時と同じ煙を全身に纏った。
「こんなもんか」
「うむ。それならば、まあ、良いか」
煙から出てきた溶岩竜の男が着ているのはファンタジー系に出てくる軍人が着ている制服のようなもの。この時の俺は知らなかったが、それはこのゲームの世界設定において過去に滅んだ国で使われていたデザインと同様であるらしい。
「改めて、我の名はベリル。そこのローズと番なる竜だ」
「つがい?」
「人族の言葉で言うならば、夫婦じゃな」
「なるほど。――えっ!?」
頷き、驚く。思わず振り返ったハルの顔も今の俺と同じようなものだろう。
「ってことはローズは自分の夫を殺すことを認めようとしたってことか?」
「何を驚く? 竜にとって自分の意思を失い、ただ暴れることなどまさに魂が穢れる愚行じゃ。それを止めるために消滅しか方法がないのであれば、至極当然のこと」
「まじか」
「其方らにはあまり馴染めぬことかもしれんのう」
「そりゃあ、まあ」
「はっはっは。気にするでない。元よりその寄生竜とやらにやられた我が下手を打っただけのこと。仮にそうなっていたとして、ローズはおろかお前達のことも恨みはせぬよ」
快活に、そして豪快に笑い告げるベリルに俺は戸惑うことしかできなかった。
「して、もう一度聞くが。ベリルよ、寄生竜という存在に聞き覚えはないのだな」
「ああ。そもそも他の存在に紛れ込む存在を竜などと呼称が与えられるなどと」
「遺憾か。だが事実じゃ。それは我も確認しておるし、何より、その名を見ることのできるこの者らが嘘を言っているとは思えん」
「ま、疑っちゃいねえよ。だがなあ。竜ってのはもっと高潔なものだろう?」
眉間に皺を寄せて唸るベリルに俺とハルは顔を見合わせる。
ベリルが感じているように、俺にも寄生竜は竜としての矜持など微塵も持ち合わせてはいないように思えた。だがその名称には確かに竜とあった。つまりこの世界における竜の一種であることは疑いようがないのだ。
「寄生竜が何処から来て、どうやってベリルに取り憑いたのかは分からないけどさ。何の手掛かりもない今、ここで考えていても埒は明かないか」
「だな。俺は寄生竜を倒した時にドロップアイテムの一つも無かったし。ハルはどうだ?」
「おれも何も。そもそもあの体で何が落ちるっていうんだよ」
「不定形なモンスターは他にもいるだろ。幽霊系のヤツとか」
「そういうヤツからもドロップアイテムは少ないな。せいぜいそのイメージに違わない骨とか、布とかそんな感じだった思う」
それらの例に倣い今回も何か手に入る確率はあったのかもしれない。けれど現状何もないのが事実なのだから考えても意味が無い。それに再戦することはほぼ不可能に近いのだ。
「して、これで其方らの目的は果たされたことになるのかの」
「あー、多分?」
「うん。クエストは完了しているみたいだから。大丈夫だと思う」
「目的とな?」
「我は正気を失ったベリルを追ってここまで来た。この者らとはここで偶然会ったに過ぎぬよ。だが、今にして思えばこの出会いこそが僥倖だったのかもしれんの」
「なるほど。では我からも何か礼をしなければならないか」
そう言って自分の体を弄るように手を忙しなく動かすベリル。だが当然と言えば当然、ベリルは何も持っていないようだ。
「すまん」
「いえ、別におれは」
「そうじゃ。ベリルよ。お主、古い鱗や牙はどうしている?」
「んん? そんなもんそこらに適当に――」
「何?」
ギロリとローズがベリルを睨んだ。
「ベリル。前に我がお主に巣を片付けるように言ったこと、まさか忘れているのではないよの」
「あ、いや。そうだ。あそこ、巣の傍の洞窟、そこに集めてある。そのはすだ」
「なればそれをここに持って来い。人にとって竜の牙や鱗はそれなりの価値を持っているらしいからの」
「ほう。そうなのか?」
「え、まあ。竜と戦えるプレイヤー自体少ないし、それに竜自体が珍しいから」
若干声が上擦りながらもベリルに返事をした。
「だが、ローズよ。いいのか?」
「何がじゃ?」
「そこには我の物ではないものも混ざってあるはずだが」
暗にローズのものもある。そう言っているようだ。
「ん、構わん。それに此奴には必要となるじゃろうからの」
と俺のフードから顔を覗かせていたリリィの頭を優しく撫でた。
「わ、わたし?」
「然り」
「そいつは? 何だ? 見慣れない奴みたいだが」
「この子はリリィ。俺の仲間の妖精猫さ」
「妖精……竜の気配が混ざっているようだが」
「鋭いな」
苦笑する俺の前でローズの瞳が紅く光る。
「其方も此奴も随分と変わった道筋を辿っているようだからの。我の牙がその一助になるやも知れんのじゃ」
「確かに、竜の魂の系譜に連なっているならば、ローズの欠片の影響は受けるだろうな」
「というわけじゃ。此方で勝手に決めて悪いが。ハル、其方にはベリルのものを。ユート、其方には我のものを授けるとするかの」
「わかった」
「おれも異論はないよ」
「というわけじゃ。ほれ、さっさと動かぬか」
ひらひらと手を振ってベリルを急かすローズ。驚いたことにベリルは再び竜の姿を取ることなく、両手を広げ空間に穴を開けてみせた。
「まさかアレを通って瞬間移動するってのか?」
「大地に根付く地竜だからこそできる芸当じゃな」
「ところでどのくらい持ってくれば良いんだ?」
「量と何を持ってくるのかはお主に任せるよ。ベリルならばそう意味の無いことはしないだろうからの」
全幅の信頼を寄せる様をまじまじと見せ付けられた気分だ。
それから三分も経たずしてベリルは再び穴を通って戻ってきた。
「そら。持ってきたぞ。これは其方に」
ハルの前にドサッドサッと複数の鱗と甲殻、それに爪や牙のようなものが積み上げられる。
「ベリル、お主……」
「ん? 足りてないか?」
「逆じゃ。まったく物の限度というものを知らぬ奴じゃ。だが、持ってきてしまったものは仕方ない。全て授けるとするが、ちょっと待っておれ」
ローズが無数の素材の上に手を翳す。次の瞬間、真紅の光がそれらを包み込んだ。
「何をするつもりだ?」
「お主の尻拭いのようなものじゃ」
暫くして光が収まり高く積み上げられていた素材はそれぞれ片手で数えられる程度にまで減っていた。
「ここからの加工は人の手に委ねるしかないが、問題無いかえ?」
「ああ。知り合いが何とかしてくれると思う」
「なれば重畳。受け取るがよい」
「ありがたく使わせて貰うことにするよ」
「それじゃあ次は其方だな。ローズのものも十分に持ってきてるぞ」
また同じ分だけ積み重ねられるのでは。そう考えて身構えた俺の眼に映ったのは意外すぎる光景。
「牙と爪が一つずつか。先程との落差が見受けられるが」
「うぐ。だってローズは自分の鱗とかはいつも砕いて棄てているじゃないか」
「む?」
「これでも綺麗なヤツを選んで持ってきたんだよ。それに、まだもう一つあるから」
最後に一つ。ベリルが取り出したのはローズの瞳と同じ真紅に輝く宝石。
「竜玉か。以前戯れに作ったやつが残っていたとわな」
「これなら我の量に匹敵するんじゃないか」
「然り。それに此奴には此方の方がちょうど良かったかもしれん」
「だろう。我もそう思ったんだよ」
「全く、調子の良い奴じゃ」
溜め息交じりに言ってローズはリリィを抱え上げた。
「え、ええ」
「緊張しなくとも良い。直ぐに済むはずじゃ」
ローズが竜玉を拾い上げそれをリリィの額にピタッとくっつけた。竜玉はその輝きを増して、次の瞬間には消え去ってしまっていた。
「終わったぞ」
「あ、あれ?」
「リリィ、何か変わったのか?」
「んーと、わかんない」
「えっと……」
「我が使った障壁を覚えておるか?」
「うん」
「それをイメージしてみるがよい。それで使えるようになっているはずじゃ」
「えっと、こう? うわぁ」
リリィを抱きかかえているローズまでをも覆い尽くす衝撃が出現した。
「上々じゃ。後は練習して自在に使いこなせるようになるのじゃな」
「うん。ありがとっ」
目を煌めかせるリリィを一撫でしてローズは俺の方を見た。
「牙と爪は其方の武器の強化に使えるはずじゃ」
「あ、うん。試してみるよ」
「さて、これにて仕舞いかの。ベリル。行くぞ」
「え?」
「いつまでも我らがこんな場所にいるわけには行かぬからの」
「そうだな」
再び白い煙がベリルを包み込む。するとそこには溶岩竜の姿があった。
「さて、次は我の番じゃな」
ローズの体を包み込んだのは真紅の炎。火の粉が散り、その向こうにいたのは大きく翼を広げた真紅の竜がいた。
「おー。すっご」
「綺麗だな」
「うん」
『なかなかに褒めてくれるではないか』
真紅の竜からローズの声がする。
『それじゃあ、行くとするか』
『ああ。くれぐれも遅れるではないぞ』
『天空竜たるローズの方が速いんだから無茶言うなって』
『それでも着いてくるのが番というものじゃ。違うかえ』
『はいはい。わかったよ』
ローズとベリル、二体の竜がそれぞれの翼を広げた。
風が吹きすさび、その巨体が宙に浮く。
『では』
『さらばっ』
短く言い残して二体の竜は空の彼方へと飛び去った。
「それじゃ、俺達も戻るとしますか」
「だな」
そうして、俺達は二体の竜とは反対の方向に歩き出した。




