ep.14 『黒い風』
崩壊する病院を駆け上がる。
廊下を全力疾走し、乱暴にドアを開け、階段を上る。
崩れてくる瓦礫を避けながら、足元に転がる瓦礫は蹴り飛ばす。
「ユウ! 遅れてるぞっ。早く来いっ」
振り返ること無く叫ぶハルは俺よりも数メートル先にいる。重い全身鎧を着込み、長い戦斧を携えて走っているというのにだ。
「ちょっと待ってくれ、何でハルはそんなに速いんだ?」
「パラメータの差だ」
短くはっきりと言い切るハルに対して俺は二の句が継げられないでいた。
「――っ!? だったら無理だろ」
「んなこと言っても追いつかれるわけにはいかないだろうが」
「分かってるって」
後ろから迫ってくるのは崩れ落ちてくる瓦礫だけじゃない。病院を壊し進む強烈な破砕音が絶えず聞こえてくるのだ。
地下を抜け、一階に出ても音は止まない。それどころかどんどん大きくなっていく。
何より困ってしまうのは一階に出たからといって即座に建物の外に出られるわけじゃないということだ。元から崩れていた壊せない瓦礫が道や部屋の扉を塞いでいて、目的の場所――今回の場合は出入り口だが――に辿り着くにはどこかの迷宮のようにくるくると回り道をしなければならない。
なのに迫る疫病鬼は瓦礫も壁もお構いなしに壊しながら進むのだから、あからさまにプレイヤー側が不利に思えてならなかった。
良かったのは進むスピードに違いがあること。
巨体を誇り不穏な風を纏う疫病鬼は未だ完全に目覚めていないのか、その足取りはゆっくりとしたもの。ギリギリ崩壊に巻き込まれない速度でしかない。だが、それでも歩幅はプレイヤーとは比べものにならないくらい大きい。プレイヤーがせいぜい階段を三段飛ばしで駆け上がるのと疫病鬼は普通の歩みとして五段飛ばして上がる。
それだけの差があればこそ、徐々に距離を詰められるのは仕方の無いことだった。
「次、右!」
先んじて進むハルに向かって叫ぶ。
手元に呼びだしたコンソール上に表示するこの建物の内部を自分が進んだ分だけオートマッピングされている簡易マップが有効になっていると知ったのは地下に続く階段を見つけたその時。常日頃ダンジョンやフィールドを探索する時のように簡易マップを出してみたら使用可能になっていたのだ。
それまでが一切見ることが出来なかったことからも、つまりここからが何かしらのダンジョンになったと思うべきなのだと気を引き締めたのを覚えている。
故に餓鬼というモンスターに対して微かな違和感を覚えたことも。
しかし、背後から聞こえてくる轟音にそんなことはすっかり頭から抜け落ちていた。
「あそこの窓。あれならもしかして……ユウ!」
「――! ああ、行けるかもな。任せろ<インパクト・ブラスト>」
走っている最中ハルが少し先にある窓を指差した。そしてその窓の割れ具合を見て、ふと気付いた。あれは自分たちがここに来たときよりも壊れているのではないかと。
解決できる疑問はすぐ解消するべきだ。たとえ間違っていても現状が悪くなることなどないのだから。
走る速度を落さないように気をつけながら引き金を引く。撃ち出された威力特化の弾丸は違えずに窓に向かっていく。そして殆ど間を開けずにその窓枠そのものを吹き飛ばしたのだ。
「ここから外に出るぞ」
「ああ」
本来の出入り口まではまだ距離がある。このままでは追いつかれるかもしれないという状況から脱するには別の出口を見つける、あるいは作り出すのは正しい手段だと思う。
お互い相手の顔を見ずに言葉だけで意思を伝え合い俺たちは障害物競走のハードルを飛ぶときのように、床から距離のある開けた窓の中へと飛び込んでいった。
「もっと離れるんだ」
窓の近くに着地した俺を手招きするハルは既に建物からある程度の距離を取っていた。
急いでハルの居る場所に駆けていくと、直後に一際大きな崩壊の音が轟いた。
「この崩壊に巻き込まれてくれれば良いんだけど」
と言ったのはハルだ。
いつもならば強敵との戦闘は自らその渦中に飛び込んでいくほど歓迎しているハルがこんなことを言うのは何故だろうと、俺は無意識のうちにその顔を見ていた。
「ん? どうした?」
「あ、いや、何でも無い」
慌てて視線を建物の方へと向けた。
俺たちが出てきた窓ではない窓から立ち上がる煙は火災によるものではないのだろう。瓦礫の崩壊や建物そのものの破壊によって生じる埃や砂埃が混ざったもので、それが巻き上がっているということは内部で今も何かしらの原因が生じているということ。
「音が近づいてきているな」
「そうだな」
「地響きも大きくなっているな」
「確かに」
建物の崩壊によって生じる地震のような揺れも少しずつ大きくなっていた。ここまで断続して揺れが続けば自然とそれが崩壊だけが原因ではないと解る。
「何か獣のような声も聞こえてきたな」
この唸り声が近くにいるただのモンスターのものとは思えない。となれば答えは自然と出てくる。
「…来るか」
徐々に警戒心を強めていくハルに釣られるように俺もまたガン・ブレイズのスイッチを押して剣形態へと変えていた。
いつ来るかわからない相手に銃口を向け続けるよりも剣を持ち待ち構える方が負担が少ないと判断したからだ。
「……ハル!! 下の方から黒い影が!」
「あれは、さっきのヤツの周りに漂っていたやつか。ってことは」
「ああ、間違い無く生きている」
ごうっと黒い風が窓も含めた全ての出入り口から拭きだした。窓、ドア、通気口、それこそ経年劣化による隙間に至るまで全てから。
「――っ、この風、まともに受けると――」
「ああ、拙いことになる気がするな」
警戒心を一気に強めた俺に軽い調子でハルが答える。
かなりの数の状態異常に耐性のある俺でも頭の中に警鐘が鳴り続けているのだ。俺よりもランクもレベルも高いハルですら兜の奥の顔が引き攣っているように見えた。
「本格的に戦いが始まる前に聞くけど、接近戦は避けるべきだと思うか?」
常に纏っている黒い風が状態異常を与えてくるのならばそれに当たらないような距離から戦う方が定石だろう。しかし、この時点ではそれが本当に正しいかどうかの確証は持てなかった。
「普通の相手なら俺もそう思うんだけどな。ユウも何回かは戦ったことがあると思うが、常に風や障壁を纏っているようなモンスターには遠距離攻撃が効き辛いんだ。だから普通は強撃や炸裂弾を使う。けど、今回はそれを検証してからのほうが確実だろうな」
「でもそれを検証するような余裕があると思うか?」
「どうだろうな。実際に相対してみなければはっきりとは言えないけど、ないだろうさ」
一呼吸置き真剣味を増して告げるその一言に俺はゆっくりと頷いていた。
「それから、竜化って言ったっけ、お前が変身するの」
「あ、ああ。それがどうかしたか?」
「確かその状態だとアイテムを使えないんだよな?」
「なるほど、そういうことか。まあな、飲んだり食べたりするのは使えなくなる。なにせ口まで隠れるからな。ハルみたいにさ」
「俺は口は開けられるぞ」
兜の口元を横にスライドさせる。するとその奥にある口が露出した。
「便利そうだな」
「実際便利だぞ」
この場に似つかわしくない笑みを見せるハルに不思議と場の空気が緩んだように感じた。
「ま、それはそれとしてだ。状態異常に掛かる危険がある以上はアイテムで回復できなくなる竜化は避けるべきってことか」
「そういうことさ。んで、お前はどのくらい状態回復薬を持ってきてる?」
「中級が三セット。上級が一セット。ハルも同じだろ」
アイテムの等級によって携帯できる上限数は決まっている。例外もあるが基本は全てのアイテムがそうなっているのだと復帰した後にストレージにあるアイテムの数の表示が変わっている時に調べて気付いた。
初級と付いているものが五セット、中級が三セット、上級が一セット。一セットは十二個。
つまり現在所持しているのは状態回復薬の中級が三十六個、上級が十二個。初級とそれに届いていない初心者用に値する一般的に低級と呼ばれているものは持ってきていない。この二つは回復できる状態異常の種類が限られているし、回復できる確率も低い。一つ使っても回復できる保証がない以上は使うだけ無駄とすら言えるアイテムだった。
「となれば状態異常の種類にもよるけど、お前が竜化するのにはそれが意味が無いと判明した後か状態異常回復薬を使い切ってからにするべきだ」
「分かってるよ」
ハルの注意を素直に受け入れて、真っ直ぐ建物を見た。
横揺れが収まったかと思えば次には縦の揺れ。
その揺れが病院の建物の下部を壊し、内部を崩し、まるで蟻地獄に飲み込まれていく小さな蟻のように、その建物自体を飲み込んでいく。
崩れた建造物の中、そして黒い風が渦を巻く中から現れたのは厚い雲が太陽の光を遮る世界の元に現れた災厄そのもの。
筋骨隆々とした肉体に鋭く尖った牙と額にある二本角。
無手ではあるが纏っている黒い風そのものが武器。
「完全に覚醒したって感じだな」
吹き付ける黒い風を受け、ハルが苦笑交じりに言った。
咄嗟に自分の視界の左端にあるHPゲージを見た。そこに無かったはずのアイコンが追加されているのではないかと疑ったからだ。
結果は何もない。状態異常を受けなかったのか、それとも自分の耐性が上回ったのか。たった一度の検証では確かなことはわからない。
「来るぞ!」
疫病鬼がゆっくりと前進し始める。
一歩一歩大地を踏み締めるそのたびに、大地そのものを侵食するかの如く黒い染みが広がっていく。疫病鬼が歩いた後には丸い黒い斑点が残る。時間が経っても消えないそこからはほんの僅かな黒い煙が立ち上り薄い靄となって空中に消えた。
「俺が先陣を切る。<爆斧>」
腰を低く戦斧を構え大きく前に出たハルは勢いを付けて突き出した。
黒い風を斬り裂き疫病鬼の体にその切っ先が届いたかと思った瞬間、アーツによる爆発ではない不意の衝撃がハルを襲った。
「ぐっ、だがこの程度の衝撃っ」
衝撃の正体は疫病鬼が纏う黒い風が収束した塊がハルの背後から衝突してきたことによるもの。
プレイヤーが使う風の魔法の一つである<ウインド・ハンマー>のように、凝縮した黒い風の塊がハルの体を打ち付けたのだ。
しかしそこは全身鎧を纏った重戦士であるハル。
僅かに後ろに下がっただけで衝撃に耐え、返す刀で戦斧の刃を叩きつけていた。
「そのまま抑えててくれ。<インパクト・スラスト>」
硬い筋肉の鎧には威力特化の一撃が適している。
誰に言われるまでも無くそう判断して俺はそれを放った。
「ならば、次は俺だ<爆砕斧>」
疫病鬼を斬り裂く俺の一撃の直後にハルが放った爆発が疫病鬼を飲み込んだ。
黒い風を吹き飛ばすかの如く巻き起こった爆発を俺たちは一歩離れた場所から眺めていた。
追撃を与えるのではなく安全な攻防を念頭に置いた行動は、俺の初見のモンスターと戦うときの常套手段である。
「ダメージはそれなりに出るみたいだな」
何より最初の攻撃の結果は注意深く見るべき。そう考えているハルが確かな手応えに兜の奥の顔に喜色を滲ませ呟いていた。
「とは言えまだ一本目だ。油断はできないぞ」
「わかってるさ」
既に視認できるようになっている疫病鬼のHPゲージの減り方はアーツを二発続けざまに放ったと考えれば十分なものだった。
「だが、まだまだ足りないみたいだ」
再び警戒を強めハルが告げる。
暫くして爆発が収まり、その中から疫病鬼が平然とした様子でこちらに怪しく光る目を向けてきた。その目に秘められた感情は怒り、怨み、そして羨望。だが、その目は俺たち映ってはいるが、俺たちを見てはいない。
その奥にいる別の誰か、あるいは何かを見ている。そんな風に感じられた。
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
一段と黒い風を伴った咆吼が辺りの空気を振るわせ、俺たちの体を硬直させる。
(これはッ!? 威圧の効果があるのか)
「うらぁ!!」
気合いを込めて叫び、瞬時にその硬直から抜け出したハルは咄嗟に俺の前に出た。
動けない俺たちに疫病鬼がその拳を振りかざして来たのだ。
黒い風が疫病鬼の拳に集まり、拳よりも二回り近く大きな塊へと変貌させる。
「させるかぁ!!」
まるで巨大なハンマーを彷彿とさせるその拳をハルは戦斧の柄で受け止める。本来ならば柄の方が歪んでしまうほどの衝撃を受け止め、目の前に立つその背中が俺に語りかけてくる。何をしているのか、と。
「――っ、ハッ」
気合いを込めれば硬直が解けるというのはゲームシステム的には有り得ないことだろう。故にこれは俺にとってはハルを真似ただけのものだ。だから気合いを込めるという行為を正確に言うなら何になるのか、俺には到底わかり得ないことだった。それでも実際に効果があるのだから困る。疫病鬼の咆吼による硬直から逃れた俺は瞬時にハルの隣を駆け抜け、すれ違いざまにその脇腹を斬り付けた。
「チッ。やっぱりここまで近づくと掛かるか」
HPゲージの真下に浮かぶアイコンは二つ。一つは【毒】、もう一つは【麻痺】。
一度目の攻撃の時、俺はハルのアーツによって黒い風が散った中を狙った。そのため黒い風にまともに当たることは無かったのだろう。
しかし今度は違う。黒い風を纏ったままの状態の疫病鬼に自ら近づき、至近距離から攻撃を仕掛けた。
そうなると、ごく自然に黒い風を吸うしそれに身を晒してしまう。結果として何かしらの状態異常を受けてしまうのは当然だともいえる。
即座にストレージから一本の中級状態異常回復薬を取り出し使用する。その瞬間二種のアイコンが消え、自分の体から毒と麻痺が抜けたことを実感した。
「よかった。問題は無いみたいだな」
自分のHPゲージの下にあるハルのHPゲージを見てほっとした。そこにある俺の時とは違う複数のアイコンが消失していたからだ。
「ハルが受けたのは【火傷】に【凍傷】か。まったく、滅茶苦茶だろ」
本来それを与えてくるモンスターは相反する場所に出現する。だから一度にそれらを負うことは無かったのに、今回の相手はそれを与えてくるようだ。
自分が負った状態異常も含めるならば、それは状態異常を自在に操るプレイヤーと対峙しているも同然なようにすら思えてくる。
「竜化はハルが言うように出来ない、というか疫病鬼が相手だと向いていないか。相性が悪いにも程があるぞ」
文句を言いながらも俺はガン・ブレイズの切っ先を疫病鬼に向ける。
そして俺とハルが体勢を整えるのを待っていたかのように、疫病鬼は再びこちらに向かい歩き出すのだった。
自分が想像していたよりも鬼ごっこは速く終わってびっくり。
というわけで戦闘パートに突入からの令和の更新もスタートになりました。
さてさて、あまり間延びしないように心がけつつ、そろそろ展開に変化があれば良いなという次回に続きます。




