輝きを求めて ♯.21
漂う腐敗臭を例えるなら、腐った生ごみだろうか。
もっと適切なたとえがあるのかもしれないが、そうとしか言えないのは俺が生きてきてこれまで金属とも肉体ともとれない物体が腐っていく様を目にしたことも、その時に発生する臭いを嗅いだこともなかった。
鼻を摘み、動きを止めてしまう俺たちの中で唯一ボルテックだけが攻撃の手を止めることは無かった。
「ちょっと何なのよこれ。臭すぎるんですけどー」
「目が、開けてられないッス…」
鼻をつまんではいるものの文句を言うだけアイリはそれでもまだ何とか戦えるだろう。しかし、リントは目を瞑ってしまっている。それでは戦うことなど出来るはずもない。
「我慢し――ゴホッ、ゴホッ」
咽せた。それも盛大に。
喋ろうとして息を吸い込んだ途端、臭いが口を通り入ってきた。どうにか嗅がないおこうとしていたにもかかわらず、それでも鼻をつく異臭からは逃れることが出来なかったらしい。
「ボルテック、これじゃ戦えないぞ!」
「うん。これは予想以上だね」
驚いている素振りは見せるものの、あまり影響を受けているように見えないのは予めこうなると予告できていたからだろう。
むしろ、予測できていたなら先に言っておいて欲しかった。前もってこうなると解っていればたとえほんの僅かだとしても心構えというものが出来ていたはずなのだ。
「けどその分効果も確かみたいだよ。見てごらん」
チャクラムを投げながらボルテックがそう促す。
俺はその言葉の通りにレッド・ムシャに注意を向けると腐敗の魔法薬が降りかかった部分を中心にその鎧の表面がドロドロに溶けて爛れているのが判った。
「あそこを斬りつけるのか」
俺の持つ攻撃手段である剣銃は銃形態よりも剣形態の方が威力が高い。それは近接武器の方が優遇されているというわけではなく、純粋に俺の持つ剣銃の基本の姿が剣形態の方だからというだけだ。
「何が心配なんだい?」
「あの爛れってのが魔法薬が効いている証拠なんだよな」
「おそらくね」
「そんな場所を斬り付けても大丈夫なのか?」
「どういう意味だい?」
「腐敗の効果がこっちの武器にまで影響しないかどうかが気になるんだよ。それにさっき言ってただろ。俺たちに掛からないように気を付けろって。そう注意したってことはプレイヤーにも影響があるってことなんじゃないのか」
「……その可能性があったというだけだよ。まあ、これを見る限り何も問題がないとは言い難いようだけどね」
そう言って攻撃の手を止め、自身のチャクラムを俺に見せてきた。
傷一つないそれは硬い鎧を幾重も斬りつけたとはとても思えないほどに綺麗なままだった。
「攻撃すること自体は問題ないってことか。ん? それなら何も問題ないってことになるんじゃないのか」
「僕が言っているのはこっちさ」
と指差したのは目を瞑りアイリの陰に隠れているリントの姿。
「まさか、リザードマンの彼に影響が出るとはね。いやはや、全くを以って想定外だよ。もしかするとリザードマンという種族は他の種族に比べて感覚が鋭敏になるのかもしれないね」
などとしみじみ言うボルテックに俺は言葉を失くしてしまっていた。
腐敗によってこちらの攻撃が効きやすくなったのは喜ばしいことだが、そのせいで被く少ない戦力であるリントが戦えなくなってしまったのだとしたら本末転倒もいいとこだ。
「どうするんだよ?」
「んー、慣れてもらうしかないね。まああと数分もこの臭いの中にいれば彼の鼻も麻痺してくることだろうさ。それまで僕たちで堪えればいいってことさ」
「非道いな、アンタ」
「仕方のないことだよ。僕は彼にあう臭いを防ぐ装備品を持っていないのだからね」
臭いを防ぐと言えば最も一般的なのはマスクだろう。このゲームにもアクセサリの一つとしてそれは存在するのだが、大概が昔のヤンキー漫画に出てくるようなビジュアルとなってしまい、一部の好事家にしかウケない、所謂ネタアイテムの一つとして広まっているものだ。
ネタアイテムであるからこそ俺もそれを作ったこともなければ、手に入れたこともない。
この場に持っていないというのも自然なことだと言えるのだろう。
「何より腐敗の効果が切れた場合はまた同じ魔法薬を使用することになるんだ。是が非でも慣れて貰わないと困るというものさ。分かったかい? 二人とも」
ボルテックの言葉を少し離れた場所で聞いていたアイリは納得がいかないと硬く頷こうとはしないが、リントはそのことを理解したのか涙目になりながらも片目を薄く開け、深く頷いていた。
「では攻勢に出るとしようじゃないか。ユウ君もいいね?」
「ああ。リントが納得したなら俺が口を出すことじゃないからな」
「なかなか物分かりがいいじゃないか。アイリ君も見習ってくれたまえ」
「わかってるわよ。今はこいつを倒す方が先ってことでしょ」
「その通りさ」
レッド・ムシャの鎧の腐敗した箇所は爛れているからこそどこを狙って攻撃すべきかの判断は比較的簡単だった。
問題は拘束されていないが為にその攻撃の回避には今も最大限注意を向けなければいけないことか。
「とりあえずは一発、≪インパクト・ブラスト≫」
銃口から放たれる一筋の光弾がレッド・ムシャの腐敗した腕を穿つ。
この戦闘が始まって初となる俺が与えることの出来た明確なダメージだ。
「でもって≪ブースト・アタッカー≫」
攻撃強化の魔方陣が浮かび消える。
剣の形へと変わった剣銃を構え駆け出す。
双剣を操るアイリも、少し離れた場所でチャクラムを投擲しているボルテックも同様に腐敗を負うレッド・ムシャに向かって攻撃を再開し始めていた。
ここに来て腐敗のもう一つの追加効果がその効果を発揮していることに気が付いた。
身体が腐ってしまっていたことが相対的にその動きを鈍らせていたのだ。
「チャンスだよ」
その一言はボルテックのもの。
期せずして防御力はおろか攻撃力まで減少させることに成功した俺たちはそれぞれに持つ最大威力のアーツを発動させてレッド・ムシャのHPバーを減らしていく。
例に漏れず俺も≪インパクト・スラスト≫と≪サークル・スラスト≫を併用して攻撃を繰り出した。
アーツの連続使用は使用者のMPを凄い勢いで消費していく。
好機を捉え攻勢に出たのも束の間、俺たちの攻撃の手はそれぞれのMPが尽きるまでの間しか続かなかった。
「一旦回復をするんだ」
全員が揃って攻撃に出てしまった弊害が現れてしまった。
ほとんど間をおかずMP切れを起こした俺たちは慌ててレッド・ムシャから離れMP回復用のポーションを何本も使用し、念のためにと微かに減っていたHPも回復させた。
そして俺たちの回復のタイミングを狙ったかのようにレッド・ムシャに掛かっていた腐敗の効果も消えたのだった。
「さて、もう一度魔法薬を使えば先程と同じように戦えるはずだけど、リント君、調子はどうなんだい? そろそろこの臭いにも慣れたかな?」
「なんとかって感じッス。でもやれるッスよ。目も開けられるようになったッスから」
「うん。それならアイリ君と一緒に攻撃に参加してくれるかい?」
「任せてくれッス」
「俺とボルテックがまた魔法薬を使うんだよな?」
「そのつもりだよ」
「わかった」
ストレージに入れておいた腐敗の魔法薬の残りを取り出す。
「先に行くぞ」
剣銃を右手に、魔法薬を左手に持って走り出した俺を追いかけてボルテックが魔法薬片手に前に出た。
そして全員のMPの回復を待ってから揃って魔法薬の瓶をレッド・ムシャに向かって全力投球するのだった。
再び充満する腐敗臭に顔を顰める俺たちと意を決したように身を硬くするリント。
それでも二度目だからだろう。即座に戦闘不能に陥るということは無く、それぞれの武器を思いっきり振るうのだった。
それから二本あるレッド・ムシャのHPバーの内、最初の一本目が消えるまでそれほど長い時間を要することは無かった。
全快まで回復させたMPの半分程を使ったくらいのことだ。二本目のHPバーに突入した途端、レッド・ムシャの本体の無い体の関節の辺りから黒い炎が噴き出した。
「腐敗が直っただと!?」
「落ち着くんだ。ダメージまで回復したわけじゃやないさ」
その黒い炎が鎧の腐敗部分を焼き修復するのが見えた。
驚きと戸惑いを声に出すとその後ろからボルテックの声が聞こえてきた。
「ユウ君、まだ魔法薬は残っているよね」
「あ、ああ」
「だったらもう一度使うんだ。いいね?」
「解った!」
硬直しかける俺を動かすボルテックの言葉にストレージに残っている最後の腐敗の魔法薬を取り出した。
レッド・ムシャの頭部目掛けて投げられた魔法薬の瓶が衝突し割れ粉々になって砕けていく。降りかかる魔法薬によって例の如く腐敗臭と共に白い煙が立ち込める。
「このまま押しきるよ」
MPを回復させるポーションの空き瓶がボルテックの手の中で消える。
同じように消耗したMPを回復させて俺たちは三度自分の持つ最大の攻撃を繰り出した。
腐敗も三度になればもはやその影響を受けていない場所の方が少ないくらいだ。例え炎で修復したとしても何もなかったことにはならない。あくまでそれ以上腐敗しないようにしたというだけなのだ。
それに関節部から噴き上がる黒い炎がたいした攻撃力を持ってはおらず、あくまでレッド・ムシャのHPバーが二本目に突入したことを表す演出的なものだったのも幸いした。
俺たちはMPの回復と攻撃を交互に繰り返し、次第にレッド・ムシャを追い詰めていった。
「まずいっ」
リントが慌てて叫ぶ。
完全に俺たちが優勢になった。そう思ったことが油断に繋がらなかったとは言わない。事実、その時の俺は事前に受けていた注意を忘れてしまっていたのだから。
意図せずに俺たちの立ち位置がレッド・ムシャを囲む形になってしまった。さらにはそれを合図にレッド・ムシャがこれまでに見せていない体勢をとった。
「避けるッス」
この声が俺に届くのと時を同じくしてレッド・ムシャの大太刀が全方位を襲う。
その剣の動きは俺の放つ≪サークル・スラスト≫によく似ているが、その威力は比べ物にならない。
離れていたボルテックは咄嗟に後ろに下がることで難を逃れることが出来たが、俺を含め前線に出ていた三人はそれぞれの武器を盾の代わりにして身を守ることでどうにかHPを残すことが出来たに過ぎない。それだって腐敗の効果を受けてレッド・ムシャの攻撃力が低下していなければ、耐えることなどできなかったかもしれないのだ。
「回復を!」
もはや指示ではないただの叫び声がボルテックの叫び声が発せられた。
俺たちは指示などされるまでもないとHPを回復させるためのポーションを使おうとストレージから取り出したが残念なことにそれが出来たのは俺以外の二人だけ。
俺にポーションを使う暇など与えてたまるかと言わんばかりにレッド・ムシャの大太刀が迫る。
回復できていない俺がこの攻撃を受けるわけにはいかない。
不格好でも何でも構わないと必死に回避に努め、どうにか大太刀の間を通り抜けると、その時の俺は既に壁際まで追い詰められてしまっていた。
「――くッ」
ここまでか。
そんな漫画のようなセリフが脳裏を過る。
しかし、俺を襲ったのはレッド・ムシャの大太刀ではなく、四度目となる腐敗の魔法薬による異臭だった。
「今のうちに回復をしなさい!」
アイリが双剣でがら空きになっているレッド・ムシャの背中を斬り付けていく。
「こっちは任せるッス」
リントが動きを止めるためにとレッド・ムシャの足にトライデントを突き立て、
「速くするんだ」
とボルテックが自分の持つチャクラムを全て同時に投げていた。
三者三様とはいえそれぞれの持つ武器が放つがら空きの部分目掛けの最大級の一撃だ。それらの全てが防御力が低下しているレッド・ムシャの鎧の身体を貫き、HPバーを確実に減らしている。
「助かるっ」
俺の持つ中で最も回復効果の高いポーションを一気に飲んで、俺は剣銃を持つ手に力を込めた。
「まずは抜け出させて貰う! ≪アクセル・スラスト≫」
速度特化の一撃を使い俺はレッド・ムシャの腕を斬りつけながらその腕を足場にして跳び上がった。
「でもって、これでも喰らえ! ≪インパクト・スラスト≫!!」
空中で体制を整え、落下の勢いを味方につけた縦の斬撃を放つ。
肩から胴へ。
斜め一文字が刻まれそこから血の代わりに黒い炎が噴き出す。
そしてまるで断末魔のような声にならない悲鳴がレッド・ムシャの鬼面から発せられた。
「うわっ」
攻撃に全神経を傾けていたせいで着地に失敗してしまった。
弁慶のように立ったまま動かないレッド・ムシャの足元で俺は溜め込んだ息を吐き出す。
背中越しに感じられるレッド・ムシャの放つ威圧感が消えたのだ。
「終わったんッスか?」
「勝ったの?」
リントとアイリがそれぞれに問いかけていた。
ボルテックはそんな二人の様子を生暖かく見守りながらも帰ってきたチャクラムを器用にキャッチしてそれを元の場所に戻している。
そして動かなかったレッド・ムシャの全身が鎧の隙間や傷から噴き出していた黒い炎に包まれた。
「まるで送り火のようだね」
ボルテックが黒い炎に包まれる鎧武者という稀有な光景を眺めつつ呟いていた。
「送り火ッスか?」
「そうさ。肉体を持たない動く鎧。それはなんだか幽霊のようだと思わないかい?」
「実際そういう系統のモンスターなのよね」
「成る程ね。だから送り火、か」
幽霊だから鎧を動かしているのは呪いや怨念だというのだろうか。そしてそれを浄化するような炎だから送り火。
何となくだがボルテックの言いたいことが解ったような気がして、俺は剣銃を腰のホルダーに収め、じっとその炎が消えていくのを見守っていた。
「これで終わったのよね」
「そうだね。僕たちのクエストはここを抜け出すことが目的だけど、リント君は確か――」
「そうッスね。このモンスターの討伐が目的ッスから無事にクエストはクリアできたみたいッス」
俺の目には見えないがリントの目には多分クエストクリアしたことを告げる何かが見えていることだろう。そしてその際に受け取ることの出来る報酬も。
「クエストをクリアすることでどうなったのか、聞きたいのは山々だけどね。どうせ僕たちもここを出ればクリアになるんだ。どうだい? リント君も外まで一緒に行かないかい?」
「いいんッスか?」
「構わないさ。それにアイリ君が放してくれないと思うよ」
同じ戦闘を経たとしても俺たちより先にクエストをクリアしたリントがそのままログアウトするとでも思ったのだろうか。アイリはリントの腕をがっちりと掴んでいる。
「あー、そうみたいッスね。それじゃここを出るまで一緒に行かせて貰うことにするッス」
「では行こうか。折角倒すことが出来たんんだ。僕たちもクエストをクリアにしたいからね」
先に歩き出したボルテックに続いて俺も戦闘を行っていた区画を進む。
何もない壁だった場所に現れた扉を開けるとその先に広がっていたのは僅か数日の間目にしていないだけで懐かしく感じる自然溢れる光景だった。




