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第二章三十五話 「クラティック・ウォンスター」




<side クラティック>


―――クラティック・ウォンスターが本屋をやっている理由を、知っているだろうか。

彼女が人と話すのが苦手だから、静かな場所が好きだから、勉強や運動などがあまり関係のない仕事に入りたかったから、などと言った理由がある。

だが――今、聞いているのは、そういう理由ではない。

なぜ、彼女は人と話すのが苦手なのか。

なぜ、彼女は静かな場所が好きなのか。

なぜ、彼女は勉強や運動などがあまり関係のない仕事に入りたかったのか。

今、聞いているのは、それだ。

もっと根本的で、原因で、元凶で、クラティックが本屋になりたいと思った、その理由の理由。

人の感情や心情、思考や思惑、潜入観や概念などには、必ずそうなった理由、というものがある。

クラティックは一体、過去に何があって、どんな体験をして、どんな経験を積んで、本屋になりたいと、そう思ったのだろうか。


              △▼△▼△▼△▼△


―――クラティックは、富豪か貧困かで言うと、富豪寄りの家庭に生まれてきただろう。

父のアーティスティル・ウォンスターは立派な魔法研究会社の社長を務め、母のデザイルファン・ウォンスターは絵画や人形などの芸術的の人気作家であった。

妹が二人、クティック・ウォンスターとラティック・ウォンスターはまさに対極と言った感じで、勉強が得意で真面目なクティックと、運動が得意で怠惰なラティックという、二人合わせて文武両道な妹だった。

その中でクラティックは、両方の才能があった。

事情があったためクラティックは小卒だが、試験で満点を取るのは当たり前、成績で全て二重丸なのも当たり前、それで家族から褒められるのは一番嬉しい。

小学校の体育の授業で、やる種目を全て制覇するのは当たり前、何もかもで一位を取るのも当たり前、それで家族から褒められるのがやはり一番嬉しい。

―――ここまでの話を聞けば、クラティックがかなりの幸せな人生を送ってきたのだと、そう思うはずだ。

実際、それは間違っていない。

クラティック自身も本当に幼い頃は幸せだったと思うし、今の本屋職業生活もいろいろと苦戦しながらも、楽しく過ごしているはずだ。

だが、だからこそ、ここで一つ、疑問が浮かぶだろう。

―――そんなに才能があるなら、富豪寄りな家庭なら、本屋以外の職業に就けば良かったのではないか、と。


              △▼△▼△▼△▼△


―――とある春。

クラティックが七歳、小学校の入学式。

今朝、両親と可愛い妹たちに心配されながらも見送られたクラティックは今、小学校の入り口の門の前で、仁王立ちしている。

そして、クラティックは大きく息を吸い―――


「初めまして小学校!!クラティック・ウォンスターです!!これからよろしくお願いします!!!」


―――と、見事なお辞儀を見せながら、大声で叫んだのだった。


              △▼△▼△▼△▼△


―――明らかに場違いで、明らかに違和感で、明らかにおかしいのに、クラティックはなぜかその後、自慢げに門の前で再び、仁王立ちをしている。

どうだ、初日から礼儀を見せてやったぞ、的なことが書いてありそうな自信満々な表情をしているクラティック。

その反面、周りの生徒は何がなんやらと、明らかに困っている様子である。


「……?」


―――そしてクラティックは、周りの生徒が困っている表情をしていることにか、もしくは拍手喝采でも起きる予定だと思っていたのか、周りを見渡して不満げな表情をしている。

それに比例するように、周りの生徒も困った顔を増していく。

ちなみに、クラティックは門の前で仁王立ちしているため、学校に入りたくても、彼女の前を通るか近くを通るか声をかけて退いてもらうかしか選択肢がない。故に、誰も門に近づくことができずに、更に困っている表情が増していく。

刻一刻と入学式開始の時間が迫る中、入学式初日から大多数が遅刻になるのではないかと、何人かの生徒が現実逃避気味な思想を浮かべそうになっていると―――


「ちょっとそこ退きなさいよ、あんた」

「お姉様の言う通り、そこを退きなさいと命令します、あなた」

「お姉様方々の言う通り、そこを退いてくれると嬉しいです、あなた様」


―――そんな三者三様の声が、クラティックに話しかけてきた。

クラティックはおおっ、とどこか期待を浮かべた表情をしながら、声のした方を向く。

するとそこには――赤髪、青髪、緑髪の、三色の髪の色をそれぞれした少女たちがいた。


「おおっ、おおっ!やっと私に話しかけてきてくれる人がいたか勇者たちよ!」

「茶番は面倒だわ。それよりも退きなさいって言ってるでしょ、あんた」

「お姉様の言う通り、茶番は面倒と告知し、再びそこを退きなさいと命令します、あなた」

「お姉様方々の言う通り、茶番は面倒なのでしない方が嬉しいです、あなた様。後そこを退いてくれると嬉しいです、あなた様。」

「すごい特徴的な喋り方!?」


―――やっと自分に話しかけてくれる人が現れた、とクラティックは期待が込められた言葉を発する。

すると返ってくるのは、上から赤髪、青髪、緑髪の少女という順番で、明らかにどこか癖があるような喋り方だ。

それに対し、クラティックは一番上の赤髪はともかく、他の二人が癖がありすぎるのではないか、という意味合いを込めながらそう叫ぶ。

そこには若干、自分に話しかけてくれる人はこれほどの変な人たちしかいないのか、と言った焦りも含まれていた気がするが、その三人の反応は―――


「何よ。なんか文句あんの、あんた」

「お姉様の言う通り、文句があるのかと質問します、あなた」

「お姉様方々の言う通り、文句があるのならできるだけ言わないでいてくださる方が嬉しいです、あなた様」

「いやだから特徴的……あれ、お姉様ってことはもしかして姉妹?」

「そうよ。てか今気づいたの、あんた」

「お姉様の言う通り、今、その事実に気づいたのかと質問します、あなた」

「お姉様方々の言う通り、今、気づいたのですかと問い」

「一人一人の発言が長い、遅い!省略とかできないのかこの姉妹!?」


―――先程と全く同じの、上から赤髪、青髪、緑髪の少女がそれぞれ放つという、特殊かつ超長超遅(ちょうちょうちょうち)の会話だ。

クラティックはその一言一言の長さと話す速さの遅さに唾を飛ばしながら文句を言うが、少女たちはどこ吹く風。

クラティックにあっちに行けという手振り身振りをしながら、再び口を開き言葉を放つ。


「そんなもんどうでもいいのよ。はいほらさっさと退いた退いた。こっちは急いでんのよ、あんた」

「お姉様の言う通り、あなたの文句は全てがどうでもいいと告知し、瞬時に退くことをお勧めします、あなた」

「お姉様方々の言う通り、文句は聞いたら気分が落ちるので別の誰かに放ってくれると嬉しいです、あなた様。そして自分自身たちは急いでいるので、速くそこを退いてくれると嬉しいです、あなた様」

「あーもう、わかったわかったから!」


―――その永遠と続けられる長くて遅い話し方に、クラティックは半分ぐらいどうでも良くなりながら、面倒臭そうに答える。

実際、最初にクラティックに突っかかってきたのは向こうであるから、面倒臭そうに追い払うようにクラティックが答えたとしても、それは特に悪いことではない――反面、向こうは最初から退けと言ってきたから、話しかけられたときからそれをしなかったクラティックにも、一応非はある。


「はぁ……」


―――そんなことを考え、つまり面倒臭かったと結論をつけたクラティックは、見事に整列しながら進んだいく三人を見て、ため息を吐きながら、思う。

―――これはなかなか、楽しい学校生活になりそうだ、と。

その後に起こる悲劇を、彼女はまだ知らないし、予想もしていない。


              △▼△▼△▼△▼△


―――その後。

クラティックは校庭に立ってクラスの表を配っている先生たちに大声で挨拶し、指定された教室へと向かう間に出会った生徒たちにも全員に挨拶をし、名前も覚え、教室につき、バーンと大きな音を鳴らしながら扉を開き―――


「初めましてクラスの皆さん!私の名前はクラティック・ウォンスター!!一年間何卒、よろしくお願いします!!」


―――と、再び綺麗なお辞儀を見せながら、大声で挨拶したのだった。


「―――」


―――そのクラティックの挨拶に対し、教室の諸々は当然のこと、困惑の表情を浮かべるか突如の出来事に硬直するかの、どちらかだ。

一応先程のことから学んだのか、クラティックは顔を上げてしまうと周りが更に困惑すると覚え、お辞儀を見せたまま、不動になっている。

明らかに学ぶところが違うという突っ込みはよしてほしい。

そしてまた、校門のときと同じように刻一刻と、時間が進んでいく中――クラティックの背中を叩くものが、現れた。


「おおっ!?」


―――それに対し、とうとう自分に話しかけてくれるものが現れたのか、とクラティックは期待を込めた瞳をしながら後ろを振り向くと―――


「ってまたあんたかい、めんどく三姉妹の姉!」

「なんかとっても不快な総称をつけられた気がするんだけど、気のせいかしら?」


―――先程、校門でクラティックに話しかけてきた三姉妹のうちのおそらく長女であろう、赤髪の少女がいた。

結局、自分に話しかけてくれる人はこいつしかいないのか、とクラティックは、わかりやすく落ち込んだ風に俯いて――ふと、違和感に気づいた。


「……あれ?」

「……何よ?」

「特徴的な喋り方じゃないっ!?嘘、別人!?」

「本人よ!そんなに喋り方違ったかしら!?」

「だってあんたあの喋り方が本体でしょ!?」

「そんなことあってたまるか!!」


―――そう、その違和感とは、校門で出会ったときとは違う喋り方、だ。

大声で挨拶して周りが固まって話しかけてきたのが三姉妹ということまでは、門の前のときと全く同じ。

だが、違うのだ、根本的なもっと大事なところが違うのだ。

―――なんと、喋り方が特徴的ではない。


「絶対変わってるから!とっとと白状しろ!」

「本当に鬱陶しいわね!?というより早く退いてくんない?あたくしは早く自分の席に座りたいのよ!」

「一人称と喋り方合ってなさすぎじゃない!?」

「んなもんどうでもいいでしょ!?いいから退いてって!」

「むぅ……」


―――問い詰めても一人称と喋り方の合ってなさを訴えても、赤髪の少女は退けと言うばかり。

流石にもうこれ以上は無理か、とクラティックは赤髪の少女の言い分通りに退こうと右にずれて――ふと、そう言えば、と思ったことについて質問する。


「そ、退けばいいのよ退けば。じゃああたくしはこれで……」

「名前、なんて言うの?」

「……へ?」

「だから、名前、なんて言うの?」


―――クラティックの行為に、やっと言うことを聞いてくれたと思ったのか、赤髪の少女は満足そうに両手を腰に当てながらそう言うが――その表情が、クラティックがした次の質問により、固まった。

そう、クラティックは彼女の名前を、彼女はクラティックの名前を、お互い知らないのだ。


「……むぅ、早く教えてくんない?」

「―――。」

「……ねぇ、だから早くって―――」

「―――アイノ・ロイゼフォーチよ。」


―――そして、クラティックが質問してから束の間、硬直していた赤髪の少女に、クラティックは急げ急げと早まらせる。

すると、激突に、突如に、クラティックの言葉を遮って、赤髪の少女――アイノ・ロイゼフォーチは、クラティックの方をしっかりと向いて、目線を合わせて、名乗った。

それに対し、クラティックは―――


「……そっか。私はクラティック・ウォンスターね。アイノ、覚えとくから。」

「別にどうでもいいわ。後あんたの名前は知ってるわよ。散々叫んでたし。」

「……てへ。」


―――小学校で初めてできた友達、ということで、表情は普通を保っているが、内心はとても嬉しかったのだ。


              △▼△▼△▼△▼△


―――と、黒板に書かれた指定された席に座りに行ったアイノを見送り、クラティックも自分の席に座ろうと、教室を歩いていく。

クラスのほとんどはもうクラティックの方には注目していなく、どうやらクラティックがアイノと話している最中に、他の諸々はクラティックに対し興味を失ったらしい。

若干寂しいな、とも思いつつ、黒板に書かれた一番前の一番左という、目立たないような目立つような席に、クラティックは歩いていくと―――


「んひゃあ!?」


―――突如、後ろから誰かに抱きつかれ、ついでにその両手で胸を揉まれ、大きな叫び声を上げてしまった。


「ちょ、ちょっ!?」


―――誰かの指がごそごそと動き、クラティックの未熟な性感帯を刺激する。

クラティックはその刺激に若干狼狽え、何秒か好き勝手にされた後、攻撃が少し緩んだところで後ろを振り向く。

すると、そこにいたのは―――


「……誰?」


―――三人、身長も顔つきも髪の色も違う、少年たちがいた。

一人、おそらくクラティックに後ろから抱きついてきた張本人であろう人物は黒髪で、身長もクラティックと同じぐらいの、三人の中で一番平凡な見た目の少年。

一人、少年と呼んでいいのかわからないほどの巨体に、右半分が灰色の髪、左半分が黒髪、そして隠そうともしていない筋骨隆々の体の少年。

一人、三人の中で一番小さく、そこら辺にある机と同じほどの大きさで、赤髪、青髪、緑髪、黄髪、橙髪、桃髪、紫髪の虹色の髪を持つ少年。


「ってすごい特徴的だなこの人たち!?」

「んですかなんですか、その特徴的な人たちの中に僕も入ってるみたいな言い方は。他の二人と僕を比べりゃあ、僕がどんだけ平凡かわかると思うんですけどねぇ。」

「オぃオぃ、そりゃあねぇぜオめぇよ。いきなり初対面の女子に抱きつくやつぁ平凡かっつぅのかよォ、オめぇ。」

「いやはや皆さン仲がいいデスねエ。僕ちゃんも混ざりたいけどその隙がないぐらい、仲がいいデスねエ、ほンとに。だからこそ、混ざりたいって思いが湧き上がるンデスよねエ、ほンとに。」

「やっぱ特徴的すぎるよね!?」


―――見た目からして、クラティックに抱きついてきた少年以外はかなり特徴的な見た目だなと、そういう意味合いを込めクラティックは驚愕の叫びを発する――と、そのクラティックの発言に対し、三者三様の返事が返ってくる。

一体、クラティックの叫びをどう読み取ったのか――上から黒髪の少年の言葉、そしてそれに突っ込むように放たれた筋骨隆々な巨体の少年の言葉、そしてまるで自分はなんの関係もない傍観者ですと言っているかのような、虹色の髪を持つ少年の言葉である。

クラティックは、その三者三様の返事に、喋り方に――特徴的すぎるが故、再び驚愕の声を上げるしか、なかった。


「てか、急に抱きつかないでくんない?後、胸揉むのもやめてよね!?」

「んですかなんですか、なんであなたに僕の行動が制限されなきゃいけないんです?僕は自由を追い求める人なんですよ、えぇ。」

「オぃオぃ、オめぇらさっきからぁ二人だけで話進めてんじゃぁねぇよォ。」

「いやはや皆さン初日から大騒ぎデスねエ。いいデスよいいデスよオ、こういう生活を僕ちゃんは求めていたンデスよオ、ほンとに。」

「あーうるさいうるさい、一人ずつ会話しよ、ね!?」


―――とりあえず、教育も兼ね、クラティックは一番話が通じそうな黒髪の少年に、その少年がクラティックに行ってきた行為に対して注意をするが――制限をするなだの、自由を追い求めるだの、なんだの。

随分と自己中心的発言兼小学生が放つような言葉ではないことに、クラティックは驚愕の叫びを――上げる前に、他の二人が先に言葉を発する。

巨体の少年は先程のように、クラティックと黒髪の少年に対する突っ込みを、特徴的な喋り方で。

虹色の髪を持つ少年もまた先程のように、自分は関係のない傍観者として、三人のやり取りに感想らしきものを、特徴的な喋り方で。

うるさいというより鬱陶しいその三者三様の返事に、クラティックは少しでも話を通じさせるようにしようと、一人ずつ会話をしよう、と言葉を発したが―――


「いや、ていうかもう話さなくていいから!はい、散った散った!!」


―――そもそも、こんな特徴的がすぎるものたちと会話をしよう、としている時点でおかしいと気づき、会話すること自体を諦めた。

その十中八九、正しい反応と言われるであろうクラティックの言葉に、その少年たちは―――


「んですかなんですか、せっかく人が話に来たのに碌な会話もしないで散れ散れと?自己中にもほどがあるんじゃないですか?」

「あんたが言うな!」

「あ、僕の名前はシト・クアイゼルです。」

「聞いてないし!?」


―――黒髪の少年が急に被害者ぶって文句を言い、ついでと言わんばかりに名乗り―――


「俺様もついでに名乗っとくがぁ、ダージ・アトケンヴァズだ。」

「だから聞いてない!!」


―――巨体の少年が、黒髪の少年に便乗するかのように名乗り―――


「僕ちゃんはテュース・ローロードデスよオ。いやはやあなたはなかなかに冷たい反応を取るンデスねエ、ほンとに。」

「だから聞いてないし、てか誰のせいでそんな反応取らされてると思ってんの!?」


―――虹色の髪を持つ少年が更に便乗し、ついでにまたもや被害者ぶって文句を言った。

それに対しクラティックは、この三人と話せば誰もが感じるであろう苛立ちと、この三人と仲良くなってしまっていいのかという憂鬱の二つの感情を、入学初日から感じたのだった。


              △▼△▼△▼△▼△


―――その後、担任の先生が来て自己紹介をし、教室から出て名前の番号順で並び体育館へと行き、入学式が始まり、大半が校長先生の長い話で終わり、入学式が終わり、何枚かお便りの紙を貰い、アイノと少しだけ話し、帰路につき、家へと帰ってきたクラティック。

初日からかなりの怒涛の展開が続き、明らかに疲れてた表情で帰ってきたクラティックを迎えたのは―――


「お姉ちゃん、おかえり!」

「あ、ラティック……ただいま。」


―――クラティックの妹の一人、ラティックであった。

まだ五歳な彼女は、昼寝でもしていたのか床の上に寝転んでいて、上半身だけ上げて、クラティックの方を見ている。

運動が得意が故、人一倍は体力がある彼女だが――最低限の動きで生活を済ませたいのだと、ラティックのその様子から見て取れる。

本当に怠惰だな、と思いながらも、自分におかえりの挨拶を言ってくれたことに、愛らしさが湧き―――


「ん〜、さっきまで寝てたのかこんにゃろ。」

「わふっ……だって眠かったんだもん、しょうがないでしょ。」


―――その態度に文句を言いながらも、クラティックはラティックを優しく抱きしめる。

だけでなく、隠すことなく開き直っているラティックの態度に更に愛着が湧き、クラティックはラティックの柔らかい頬を、摘んでこねる。

それに対し、特に文句を言うこともなくされるがままなラティックに、クラティックは更に悪戯がしたくなったが―――


「……何やってるんですか、二人とも。」


―――突如、後ろから聞こえてきた声により、クラティックが更なる悪戯をすることはなくなった。

相手が年下にも関わらず、ギクリ、とクラティックは体を少し震わせながら、後ろを見ると―――


「……ただいま、クティック。」

「はい、とりあえずおかえりなさい。」


―――そこには、クラティックのもう一人の妹である、クティックがいた。

ラティックと同じ五歳であるが彼女とは違い、勉強が得意で真面目な彼女は、基本的にはこう言ったおふざけにも少し厳しいところがあるため、クラティックはとりあえず話の論点をずらそうと、ただいまの挨拶を言う。

クティックも、それに一応、おかえりなさいと返してはくれたが―――


「で、もう一度聞きますけど、何やってるんですか、二人とも。」


―――それはそれ、これはこれというように、クラティックとラティックのやり取りを問い詰めんと、話の論点を戻す。

基本、この後は、楽しむのもいいですけど怪我はしないでくださいねと短い説教をされ、そしてそこで反省の意を見せなかったら、こちょこちょの刑に会う。

こちょこちょの刑に会いたくなければ、素直に反省の意を見せればいいだけの話だが――そんなことをすれば、妹に従順な姉、という評判がついてしまうのだ。

故に―――


「……あの、何してるんですか?」

「これが今の状況を打開する唯一の方法。」


―――クラティックは、クティックの動きを封じんと、クティックの体を抱きしめた。

クティックの、呆れを通り越して少し軽蔑的になっている視線を貰っているような気がするが、そんなことは所詮些細なこと。

クラティックは、姉という威厳を保つためなら、なんだってするのだ。


「だから、クティックは回れ右しておやつを取ってくるのです。」

「何がだからなのかわかりませんけど、私が姉様の言うことを聞くと思いますか?」

「様つけるぐらいなら聞いてほしいけど。」


―――その後、クティックはため息を吐きながらも、しっかりと回れ右をして、部屋の中央ら辺にある大きな机の上にある、飴やら煎餅やらの駄菓子が乗せられた皿を持ち、今度は回れ左をして―――


「隙あり!」

「ひゃわ!?」


―――床で寝転んでいるラティックに脹脛ら辺をくすぐられ、盛大に転倒した。

すると、クティックが持っている駄菓子たちも、その反動で散っていくわけで。


「ぼげふっ!?」

「あ、姉様……」

「やーいやーい、クティック転んでやーんの。」

「誰のせいだと思ってるんですか!?」


―――宙を回った大量の駄菓子たちが見事、クラティックに全て命中し、それを見て慌てたクティックを、ラティックが笑いながら馬鹿にする。

そんな微笑ましい光景――今思えば、それがクラティックの人生の中でなんの蟠り(わだかまり)もなく本当に楽しめた、最後の平和な光景だったのかもしれない。


              △▼△▼△▼△▼△


―――破、れた。

破れた、破れた、破れてしまった。

中央を境目に真っ二つにするように、破れた。

上下を均等に分けるように、破れた。

四角い形をいくつも作るように、破れた。

もはやなんの形かもわからないぐらい、破れた。

人間の裸眼では見ることが不可能なほど、破れた。

―――否。

その全てのどれもが、否。

破れたのではなく――破()れたのだから。


「はぁ……とてもスッキリしましたわ。」


―――その破れ散ったクラティックの試験用紙を見て、満足そうに声を上げたのは、金髪の美少女だ。

まるでお嬢様のような水色と金色が混ざったドレスを着て、まるで宝石のような銀色の瞳をして、まるで最高級の楽器のような高音を出して――まるでこの中で一番偉いというような、傲慢な態度で。


「そもそもあなた、生意気なんですのよ。この教室の中にはわたくしという一人の高貴な人物がいるというのに、自分が一番偉いみたいに目立って。今までも何回か、あなたが目立つ場面がありましたわよね。そのときはこの後挽回するからいいと、基本的に我慢していましたが……もう、我慢の限界ですわ。位も階級も家も育ちも環境も状況も親も家族も言葉遣いも姿形も清潔さも髪の輝きも瞳の綺麗さも肌の滑らかさも虫歯の有無も親からの愛も頭脳も運動神経も何もかもが違うというのに、なんでそんな素晴らしいわたくしを退けて、偉そうに目立つんですの?理解ができませんわ、本当に。」


―――試験用紙を破いたことへの謝罪もせず、彼女はクラティックを責め立てるように、クラティックに全ての責任があるとでも言うように、次から次へと言葉を捲し立てる。


「で、謝罪はないんですの?わたくしの許可も得ず、同意も得ず、賛成も得ず、権利も持たず、義務もなく、義理もないのにわたくしより偉そうに目立ったことへの謝罪は。ないんですの?」


―――謝罪をするべきはずなのは向こうの方なのに、自分は何も悪くないと、クラティックが全部悪いのだと、そう言うように、彼女はどんどんどんどん言葉を捲し立てる。


「しゃ、ざ、い、は?ないんで、す、の?」


―――今回の、小学校生活一ヶ月が経ったということで、今までの内容をおさらいしましょうという名目の試験は、クラティックは国語算数両方とも満点で、先程からクラティックにあれこれ言っているこの少女もまた、満点だった。

しかし――クラティックには、クラスの中で名前が一番綺麗に書けていたということで、国語算数両方とも十点、点数を足されたのだ。

それが地雷踏みとなったのか、それが彼女の自尊心を傷つけたのか、もしくは今までのこのような場面の積み重ねで、この少女がとうとう痺れを切らしたのか。

―――クラティックの背に蹴りを一つ入れ、それで前の机にぶつかり内臓を潰され血を吐いているクラティックを他所に、筆箱の中のいくつかの物をゴミ箱へと投げ捨て、挙げ句の果てに試験用紙を破いたのだ。

そして今、クラティックはその少女から、いろいろと罵詈雑言を浴びさせられている状態。


「……逆にここまで何も言われないとなると、なんだかこっちが気まずくなりますわね。」


―――そんな少女の言葉を聞きながら、クラティックは今の状況の残酷さについて、考える。

―――なぜ、周りはこの状況を見ても、何も言わずに黙っているか。

そんなのは、単純明白な簡単な理由である。

クラティックを助けたところで、なんの得もないから。

このクラスの女子の大半――というよりほとんどは、この少女の味方だ。

ならば、そのクラスのほとんどの女子たちに抗ってまで、クラティックを助ける人がいるだろうか。

―――否、いるわけがない。


「……ほら、さっさと何か喋ってくださいまし。わたくしが全面的に悪い、みたいになるのは勘弁ですわよ。」


―――いるわけがない、というのは――少しだけ、優しく言った言葉だ。

周りの状況を、本当に率直にそのまま言うならば――むしろ、クラティックの姿を見て、面白がっているものがほとんどだ。

周りの声なんて何も聞きたくないクラティックの耳に、三人の少年の笑っている声が、聞こえる。

おそらく、入学当初に出会った、あの特徴的な三人だろうが――それだけでは、ない。

めんどくさいことは起こさないでよ、と気怠げに言っている教師の声が。

クラティックの姿を見て、無様だの惨めだの哀れだの言いながら嘲笑いの笑みを溢している、何人かの少女たちの声が。

クラティックの姿を見て、もっとやれだのまだまだこれからだの言いながら悪い方向に乗っている、何人かの少年たちの声が。

この中で聞こえない声と言えば、あの特徴的な三人の少年たちと同じく、入学当初に出会ったアイノの声ぐらいであるが――彼女は今の状況を、どう思っているのだろうか。


「……いい加減に何か一言喋らないと、頭蓋骨踏みつけますわよ?」


―――小学校に入学して、初めて友達だと思えた相手。

喋り方は特徴的で、でも見た目は可愛くて、でもでも一人称と喋り方が合っていなくてそこがまた面白おかしくて、そして三姉妹で集まると更に面白おかしくなって、この一ヶ月間もクラティックとよく話して、よく言葉を交わして、よくお互い笑い合って、よくお互い励まし合った彼女は、今、この状況を―――


「はぁ……これだから平民は。―――この第一巨大王国ノヴァディース出身の大貴族の娘、ランフィルノート・レゼリフォン・アルトゥニーの言葉を散々無視するなんて、底が知れますわ。」

「が、あっ!?」


―――と、考えようとしたところで、頭にものすごい痛みと何か熱さを感じ、クラティックの意識は落ちた。


              △▼△▼△▼△▼△


―――その後、クラティックは自分の部屋で目が覚めた。

目覚めた瞬間、クラティックが起きるまで待っていたのか、ベッドの隣にいた妹二人が、泣きながらクラティックに抱きついてきた。

それで、本当に心配させてしまったのだな、とわかる。

そして―――


「……そっか。」


―――妹二人からいろいろと話を聞いた後に、クラティックはそんな声が出た。

曰く、突如として戸が強く叩かれ、床に寝転んでいたラティックが流石に何かを感じ取ったのか、何事か、と玄関に行き扉を開けると、クラティックをお姫様抱っこして、クラティックの私物や鞄を背負って運んできたアイノが、そこにはいたそうだ。

それでアイノは、事情はいろいろあって話せないけど、クラティックをしっかりと休ませてあげてほしいと、そう言って去っていった、と。

故に、クティックとラティックの二人は、学校で一体何があったのか、事情を知らないわけだが―――


「……大丈夫、だよ。特になんにもなかった。」

「姉様……」「お姉ちゃん……」


―――この妹二人を自分の事情に巻き込むなど、クラティックはできなかったが故、事情についてなんて、話せなかった。


              △▼△▼△▼△▼△


―――その後、クラティックは妹二人と、夜遅く帰ってきた両親に心配されながらも、学校へと登校して行った。

アイノに、恩を言わなければならない。

どういう気持ちで、どういう心理状況で、どういう思惑で、どういうことで、アイノはクラティックを、運んできてくれたのかも、聞かなければならない。

故に、とりあえずクラティックは、学校に行かなければならないのだ。

そして一日目、学校に行き、階段を登り、クラスに入ると。


「あら、また来たんですの、平民。」


―――そうランフィルノートに言われ、鳩尾(みぞおち)を強く蹴られ、倒れたクラティックの頭が教室の扉に当たり、クラティックの意識はそこで途絶えた。


              △▼△▼△▼△▼△


―――その後、保健室に運ばれたクラティックだったが、保健室の先生は今回のことについては何も触れずに、治癒魔法かけ終わったからさっさと帰れと言われ、その日は泣く泣く、クラティックは家へと帰った。

そして二日目。

次は昨日のような失敗をしないため、クラティックは教室に着くと、扉をそーっと開け、周りを見た。

しかし、ランフィルノートはどこにもいなかった。

故に、これは今しかないと思い、教室に入ると―――


「ほわっ!?」


―――刹那、自分の足から、着ていたズボンの感覚がなくなった。

何事かと思い、声を上げながら下を見ると―――


「あ、きゃっ!?」


―――ズボンは足首まで下ろされていて、ズボンがあるはずの場所にはその代わり、クラティックが今日適当に履いてきた、黄色の鳥がたくさん描かれたパンツが写っていた。


「んですかなんですか、予想してた柄と全然違うんですけど!?」

「オ、オぅ……なんかぁあれだなぁ、突っ込みに困る、ってやつか……?」

「いやはや青春デスねエ、ほンとに。……なンだか、言葉に困りますねエ、ほンとに。」

「っ……!」


―――そして突然がすぎる事態に困惑していたクラティックの耳に入ってくるのは、その三人の声だ。

入学当初以来、喋ることがなかったが故、聞くことがなかったその声は――見た目も喋り方も性格も特徴的な、少年三人組の声。

名前はもう覚えていないが、その三人の声には、懐かしい嫌気が蘇ってくる――が、それが薄れるぐらい、今のクラティックを羞恥心が包んでいた。

クラティックは急いで下ろされたズボンを履き直し、後ろを向いて―――


「ちょ、急に何すんの!?」


―――と、明らかに苛ついている声で言った。

普通のときに履いているパンツなら可愛いが故、どうにか自慢やら逆に見せびらかすやらで上手くその場を乗り越えられるが、今の適当に履いてきたパンツは、柄が柄だから、羞恥心が加算されるだけだ。

故に、明らかに苛ついているとわかるような声が出たのだが、それを浴びさせられている当の三人は―――


「んですかなんですか、たかが布一枚露わになった程度で、なんでそんな怒ってるんですか?」

「オぃオぃ、恥ずぃのはわかるがぁ、ぼーっとしてたぁオめぇも一応、悪かぁあるだろォが。つぅか、俺様はなんっもやってねぇしなぁ。」

「いやはや僕ちゃんだってなンにもやってないデスけどねエ。まア少しは落ち着いてくだサイよオ、ほンとに。冷静になれば今まで見えなかったものが見えてくる、なンて言うじゃないですかア、ほンとに。」


―――なんの反省もしている様子がなく、そうあっけらかんと、答えたのだ。

黒髪の少年――確かシト、と名乗っていた少年は、パンツという布一枚が露わになった程度で、何をそこまで苛ついているんだと、クラティックを責め。

巨体の少年――確かダージ、と名乗っていた少年は、ぼーっとしていたクラティックにも責任はあると、そして自分は何もやっていなく見ていただけなのだから責められる筋合いはないと、クラティックを責め。

虹髪の少年――確かテュース、と名乗っていた少年は冷静になれ、とやはり傍観者気取りでクラティックを落ち着かせるような言葉を発し。

その反省が感じられない言い様に――流石のクラティックも、怒りが頂点に達し、何か文句を言ってやろうと―――


「……え、さっきのパンツ何?ちょーださくない?」


―――しようとして、その声が聞こえたが故、止まった。


「なんか、お子ちゃまって感じだよね。もう小学生なのに。」

「うん、わかる。もうちょっと、なんか、ね。」

「ださいというより、あれ履いてて恥ずかしくないのかな、って感じ。」

「だよねぇ。」


―――聞こえ続けるのは、クラティックのパンツに対する嘲笑だ。

黄色の鳥がたくさん描かれているという、小学生なのにお子ちゃまのような柄、ださい柄、そんなのをつけてて恥ずかしくないのか、それに対する共感など――クラティックの心を、抉るものしかない。


「っ、っ……」


―――故に、クラティックはその場にいることが、耐えられなかった。


              △▼△▼△▼△▼△


―――その後、クラティックは家に帰り、そのままずっと家に引き篭もっていた。

妹二人の心配する声や、両親からの励ましの声や夕飯置いとくねという気遣いなどが聞こえたが、クラティックはそれを全て無視して、ひたすらずっと、泣いていた。


「―――。」


―――自分はもう、あの場にいても孤独な存在でしかないのだろうか。

ランフィルノートに暴力をされても、クラスメイトは誰一人としてクラティックを助けようということをしないどころか、クラティックの姿を見て、馬鹿にして、嘲笑って、見下していた。


「―――。」


―――自分はもう、あの場にいても面倒な存在でしかないのだろうか。

朝、教室に来た瞬間、ランフィルノートに蹴られ気絶したというのに、保健室の先生は気怠そうにさっさと帰れと言い、次の日にも、クラティックを心配するものは誰一人としていなかった。


「―――。」


―――自分はもう、あの場にいても不快な存在でしかないのだろうか。

ズボンを脱がされ、たまたま履いてきた下着一つで、クラティックはあそこまで言われなければいけないというのか。

そして、あのクラティックのズボンを脱がした張本人の少年三人は、誰も責められないのか。


「―――。」


―――もう、嫌だ。


              △▼△▼△▼△▼△


―――翌日。

昨日、そうは言ったものの、だからこそ、ランフィルノートに初めて暴力を受けたあの日に、何も言わず黙っていたアイノは、クラティックのことをどう思っているのか、聞きたい。

味方になる価値も得も義務も義理もないのに、わざわざ学校からクラティックの家まで来て私物や鞄――ランフィルノートに捨てられたはずのクラティックの私物もなぜか全て鞄の中にあった――を持ってきた真意を、聞きたい。

住所はおそらく担任の先生から聞いて、学校が終わった後に寄り道程度で来たのだろうが――それでも、それでも、それ、でも、聞きたい。

鞄を持ってきてくれたことに対する感謝も、伝えなければならない。

面倒をかけさせてしまったことに対する謝罪も、伝えなければならない。

だから――クラティックは冷め切って少しだけ傷んでいたような気もする夕食を完食し。

―――服装も揶揄われないようにしっかりと選んで着こなし。

―――何か物を奪われたり取られたりしたらたまらないため最低限の装備で。

そして、家族に心配させないため見つからないように、家を出た。

その後、走る。

早く会いたいから、早く聞きたいから、早く伝えたいから、そして時間も結構、走らなければ間に合わなそうだから、走る。

そして、門を通り、入り口に入り、階段を登り、教室の扉を開け、周りを見て―――


「……え、あの子まだ学校来てんの?」「え、ほんとに?」「なんで来てるんだろ。」「目障りだよね。」「ランフィルノート様に無礼してるんでしょ、目障りというより不快だって。」「ていうかよく来れるね。」「あんなに変な姿何回も見せてんのに。」「あー昨日のださいやつか。」「あと蹴られてなんか、血出してなかった?」「うわ、私そういうの無理なんだけど。」「気持ち悪い。」「生々しいって言うんでしょこういうの。」「てかなんで来たんだろ。」「謝りに来たのかなランフィルノート様に。」「いや遅い。」「許してくれないでしょ。」「許しを乞え〜。」「時間が時間じゃん。」「確かに、もうすぐで遅刻だし。」「走って来たのかな?なんかたくさん汗かいてる。」「あ、ほんとだ。」「えーあんま近づかないでほしいかも。」「汗臭そうだよね……」「ちょっと苦手かもそういうの。」「てかさ、それに比べたらランフィルノート様って清潔だよね。」「そりゃそう。」「確かに汗臭いとか思ったことないかも。」「肌綺麗だしね。」「水が滴るいい女。」「逆に汗が光って見えるよね。」「それに頭いいしね。」「運動神経もいいし。」「完璧やな。」「宿題出し忘れたこともないんでしょ。」「試験の前の復習用紙全部やってきたんだね……すごい。」「天才!」「天使!」「天智!」「てんじょーてんか!」「てんかむそー!」「なにそれ。」「知らん。」「ランフィルノート様!」「ラン「フィルノート様!」」「ラ「ンフィ「ルノート様!」」」「ラ「ン「フィ「ル「ノー「ト「様!!」」」」」」」「ラン「「フィル」ノー」ト「様!!!」」「「「「ラ「「ンフィ「ル「「ノート様!!!」」」」」」」」」


―――そんな多数の声を聞き、いつの間にか、逃げるように廊下を疾走していた。

最初は、教室に入ってきたクラティックを責めたり軽蔑したり揶揄ったり悪口を言ったり嫌味を言ったりと、クラティックの心をしっかりと、そして大きく抉ぐるようなものばかりであったが――次第に、それは、ランフィルノートへの讃頌へと変わっていった。

それは、特段クラティックの心を傷つけるようなものでは、なかった。

それは、それ自体は、特段クラティックの心を傷つけるようなものでは、なかった。

でも、だからこそ、傷ついていなかったからこそ、それ以外の考えを思い浮かべることが、できてしまった。

―――人間の好意の一番下に存在する位は、“無関心”。

興味を持たない、関係を持たない、その相手がどうなっていようが、知ったことではない。

だったら。

もしも。

あのとき。

クラティックがランフィルノートに試験用紙を破られ、頭を蹴られて気絶した、あのとき―――


「っ……」


―――アイノが黙っていた理由が、クラティックにはなんの興味もないから、だったら?

―――アイノがクラティックや私物や鞄などを運んできた理由が、別に興味はないが、でも他に運ぼうとする人がいなかったので、仕方なくやったのだと、したら?


「っ、っ、……」


―――今までたくさん笑い合って、言葉を交わし合って、話し合って、励まし合って、教え合って、向かい合って、見つめ合って、過ごし合ったアイノがいるのは、事実。

でも――あのとき、アイノが黙っていたのも、また事実。


「っ、っ、ぁ……」


―――どの事実を考えればいいというのだ。

―――どの事実を信じればいいというのだ。

―――どの事実に向き合えばいいというのだ。

クラティックはまだ小学一年生なのに、なぜここまでいろいろと考えなければいけないのだ。

クラティックが何をした、何をやった、何をしてしまった、何をやってしまった、何をすることができた。

一体、今までの何気ない日々で、そんなにたくさんのやってはならないことをしてしまったというのか。


「っ、ぁ、ぁ……!」


―――クラティックには、味方がいないのだろうか。

頼れる人が、いないのだろうか。

信じられる人が、いないのだろうか。

―――家族に取り合ったところで、どうにもならないのは、目に見えてしまう。

担任の先生も保健室の先生も取り合うつもりはなかったから、校長に話してもおそらく無意味。

例え父が魔法会社の社長だとしても。

例え母が芸術的な人気作家だとしても。

ランフィルノートは、大貴族の出身だ。

魔法なんて世界にありふれているものの社長というのは、将来有望な大貴族の娘よりも、価値が高いものだろうか。

絵や人形がとてつもない仕上がりだとしても、それは将来有望な大貴族の娘よりも、価値が高いものだろうか。

―――否だ、否だ、否でしかない。


「っ、ぁぁ……!」


―――本当に、嫌だ。


「っ、ぁぁ……!」


―――嫌で嫌で嫌で、嫌でしかない。


「っ、ぁ、ぁ……!」


―――嫌で、嫌で、嫌、で、い、や、で―――


「……ぁ?」


―――何が、嫌なんだ?


「―――。」


―――考えろ。

クラティックは、今、何が嫌なんだ?

大勢に責めたり軽蔑されたり揶揄われたり悪口を言われたり嫌味を言われたりしたことが、嫌なのか?

否。

そんなことよりも、アイノに嫌われていたら、アイノに無関心対象とされていたら、の方が嫌だ。


「―――。」


―――ならば、それか?

アイノに嫌われているのが、アイノに無関心対象とされているのが、嫌なのか?

否。

それは嫌、というよりも、不安だ。


「―――。」


―――ならば、なんだ。

どうにもできないこの状況が嫌なのか?

否、それは流石に範囲が大きすぎる。

家族に話してもどうにもならないことが嫌なのか?

否、家族はいてくれるだけで少しでもない支えになるから、家族にどうにかしてもらう、という考えがそもそも嫌とかそういう話ではない、論外だ。

あの三人の少年たちが嫌?

もしくは、クラスメイトたちが嫌?

否、それならさっきも言った通り、アイノにどうのこうのの想像をしている方が嫌だ。


「―――。」


―――クラティックが求めているのは、おそらくはもっと概念的な部分なはず。

例えば、学校、宿題、勉強、運動、試験、人間関係――否、それもまだ具体的だ。

もっともっと抽象的、はっきりとしないが実在している概念。


「―――。」


―――だとしたら、もっと世界的に重要な部分だろうか。

世界、宇宙、海、大地、空、存在、生死、命など―――


「―――。」


―――。

―――生死?


「……ぁ、あ、はは。」


―――それだ。

そうだ、なぜ思いつかなかったクラティック。


「生き、てる、こ、とが……」


―――嫌、なのだ。

生きていることが、嫌なのだ。


「あ、はは、あはは……」


―――生きていることが嫌、というより死にたい、の方が正解に近いだろうか。

まあそんなものは、どうでもいい。

―――今、死ねば、これからは何も考えなくていいのでは、ないだろうか。


「あはは、あは、は、は……」


―――クラティックは狂ったような笑みを浮かべながら、周りを見渡す。

どうやら、目的も目標も決めず走って走って走り続けて、屋上へと到達したらしい。

上を向けば太陽の光と、雲がない青い空が。

横を向けば学校のすぐ近くに広がる王国の家々が。

下を向けばなんの変哲もない、白い床が。

なぜここで止まったのか、階段を駆け上がった記憶はないが、それほどまでに必死だったのか、わからないが――とりあえず、今のクラティックには好都合だ。


「はは、ははは……」


―――死ねばいい。

そしたら、考えることも不安を持つことも嫌に思うことも、人間関係も家族関係も何もかも捨てられて、楽になる。

なぜこの選択肢を最初から思いつかなかったのか、そんな自分を恨むほど、クラティックは死という選択肢を、信じていた。


「ああ……」


―――そしてクラティックは、屋上の端まで歩く。

死の残り時間を数えるかのように、ゆっくりとゆっくりと、歩く。

これまた都合のいいことに、屋上は背の低い塀で囲まれている。

屋上に来る人がそもそも少ないが故か、それともまだ作り途中が故か、わからないが、クラティックはその事実に歓喜の笑みを浮かべる。


「ああ、やっと……」


―――天が、クラティックに味方をしてくれているような感じだ。

いつの間にか屋上に着いていて。

屋上の塀は低くて、簡単に越えられるもので。

死という選択肢を、見つけられて。

そして、塀まで着いたクラティックは―――


「これで、やっと、楽に」

「なれるわけないでしょ!!」


―――塀を掴もうとした直後、その怒号とともにやってきた何かにより抱きつかれ、死ぬことはできなかった。


              △▼△▼△▼△▼△


―――クラティックの頭に浮かぶのは、数多くの疑問符だ。

今、何が起きた?

今、誰が来た?

今、自分はなぜ、死ななかった?


「あ、え?なんで……」

「なんでとかじゃないわよ!とりあえず生きてることを喜びなさい、あんたは。」


―――生きていることを、喜ぶ。

クラティックは、誰だか知らないが、さっきやっと辿り着いた自分の考えを否定する意見に、更なる否定を返そうと、その声のした方向を見て―――


「……ぁ、ぇ?」


―――見慣れた赤髪の少女の姿を、見た。


「何よ、あたくしじゃ不満があるって言うの?」

「ぁ、え、いや……」


―――合っていない一人称と喋り方を、聞いた。

赤髪の少女で、この声で、合っていない一人称と喋り方で。

そんなの、間違いなく―――


「アイ、ノ?」

「そうだけど。」


―――クラティックの、小学校で初めてできた友達、アイノ・ロイゼフォーチだった。

―――そしてまた、クラティックは数多くの疑問符を、頭の中に浮かべる。


「な、んで、止めて……」

「そこは助けてって言いなさいよ。」

「た、助け……?」


―――なぜ彼女は、クラティックの死のうとした行為を止めた?

―――なぜ彼女は、ここにいる?

―――なぜ彼女は、クラティックに抱きついている?

―――なぜ彼女は、助けた、などと言った?


「な、んで、た、助け、て……」

「なんでって……」


―――クラティックの最大の疑問は、それだ。

なぜ彼女は、クラティックを助けたのだ。

アイノがクラティックを助ける価値も得も義務も義理も、ない。

むしろ、ランフィルノートやその味方からどうのこうのと責められ、不利益を生む方が確率は高い。

なのに、彼女はなぜ―――


「友達を助けることの、何がおかしいのよ?」

「―――。」


―――。

――――――。

―――――――――。

――――――――――――友達。


「てか、死んで楽になんてなれるわけないでしょ?死んだら終わりよ終わり、そこで人生が終了。あたくしは、お母様からずっとそう言われて育ってきたの。だから死、しかも友達の死なんて、見たら止めるわよ。」

「―――。」


―――固まっているクラティックを他所に、アイノは常識と言わんばかりに、教育と言わんばかりに、言葉を紡ぎ続ける。

だが、クラティックのその内容は半分どころか全部何一つ入ってこない。

なぜなら―――


「……友、達……」

「そう、あんたは友達。……言っちゃなんだけど、あたくし、結構あんたのこと好きなのよね、うん。だから、まあ、その、ね、と、友達以上、こ、こ、恋人以下みたいな……」

「……友達、以上?」


―――友達、と、アイノの言われたからだ。

クラティックの脳は、未だに今の状況に追いついていない。

だが、人間の脳は、遅くても長くても、いずれかはその状況の、自分から見れる聞ける感じれる全てを把握する。

だから―――


「ぁ、ぅ……」


―――涙が、出てきたのだ。

昨日(過去)、もう嫌だと何もかもを拒絶し、泣き続けた昨日の悲し涙ではなく。

今日(現在)、信じていた人に、自分も友達だと思っていた人に、友達だと認めてもらった、嬉し涙。


「ア、イノ、ちゃん……」

「何……ってなんで泣いてるの!?あ、え、その、あたくしと友達嫌だった……?」

「そんなわけない!」

「ほわっ!?」


―――急にクラティックが泣き出してあわあわと焦っているアイノを、クラティックは無理矢理押し返し、押し倒す。

そして、なぜか頬が赤くなっているアイノを至近距離で見つめて、言う。


「アイノちゃん、大好き!」


―――直後、アイノの頬がもっと、赤くなった。


              △▼△▼△▼△▼△


―――クラティック・ウォンスターは小卒だ。

その後、生気を取り戻したクラティックだが、だからと言ってクラスメイトの態度が変わるわけではない。

そしてまた、生気を取り戻したクラティックだが、学校での記憶による恐怖が完全に消えるわけでもない。

故に、クラティックは家族に事情を話し、担任の先生に退学届けを出し、小学校を退学した。

転校もせず、退学をした。

一応、アイノからこれ読んどきなさい言われた何冊かの本を読んだり、魔法研究会者を務めているが故、頭のいい父親に勉強を教わったりして、勉強や運動は一通り覚えたが――やはり、家庭教育というのは難しい。

勉強運動両方の才能があったクラティックは覚えは速かったが開花はせず、普通の学力や運動神経を持つ人となった。

勉強や運動などがあまり関係のない仕事に入ったのは、そのためだ。

ちなみに余談だが、妹二人はそれぞれ、クラティックが通っていた学校とは違う学校へと通った。

故に、二人はおそらく、今もどこかで立派な職についていると思うが――まあ、それは余談だ。

本を読んで、家族と雑談をしたり食事を食べたりして、たまにアイノや妹たちと遊んで過ごしていたからこそ、賑やかな場所よりも静かな場所が好きなのだ。

静かな場所が好きになったのは、そのためだ。

後は、人と話すのが苦手になった理由、ということについてだが――これを深く言うのは野暮だろう。

勉強や運動などがあまり関係のない仕事、そして人と話すことが少なく、静かな場所での仕事――そして、アイノから貰った本をたくさん読んでいたが故、本屋になった。

だが、だからこそ、人と話すのが苦手で、でも友達という存在自体は好きなクラティックは―――


「私と、友達になってくれませんか?」


―――メリアのその提案には、どこか魅力を感じたのだった。





 やっと書き終わった三人の名前回。疲れた。


 これ予約投稿だから、合わせて六日やんかって思うかもだけど、実際は一ヶ月近くこの三人の名前回で過ぎてるからね?


 はい、読んでくれてありがとうございました!また読んでね〜。



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