第二章二十二話 「モモン・プロローム」
<視点 モモン>
―――モモン・プロロームの今の気持ちを一言で表すなら、“再び”だ。
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――モモン・プロロームは、第四巨大王国リレジルーナの、至って平凡の家庭で生まれてきた。
父親であるディグニー・プロロームは至って平凡の社会人で、母親であるハンフニー・プロロームは至って平凡の家事担当。
兄であるクレリト・プロロームや弟であるクラフト・プロロームもいたし、姉であるリーシー・プロロームも妹であるリーナー・プロロームもいた。
――だが、全員が全員、至って平凡であった。
そんな中で、もちろんモモンも平凡――では、なかった。
喋り始めるのも歩き始めるのも考え始めるのも、授業の進歩も、剣術も魔術も、料理の作り方の覚え方も、掃除の丁寧さも、何もかもが平凡ではなかった。
だがしかし、モモン自身は自分の人生しか生きたことがないため、自分の人生しか身を持って体験したことがないため、自分のことは全て平凡だと思っていた。
後で生まれてくる、弟と妹の成長速度が遅くて、自分は平凡だと思っていた。
学校の友達も全員理解が遅いとか、全員納得が遅いとか、全員成長が遅いとか、そう思ってきて――自分は平凡だと、思っていた。
同じ職業の同僚も、小学校の友達のみならず、中学校と高校の友達も。
自分を平凡で、自分以下の人間を成長が遅いと、そう思っていた。
だから――あの悲劇が、生まれたわけだ。
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「――ちょ、え!? ちょっとあなた!? モモンが! モモンが! もう本を読み始めてるわ!」
「え、は!? まだあいつは二歳だろ!?」
――それは、モモンが二歳のとき。
一年ほど前に喋られるようになり、半年ほど前に歩けるようになり、当時は好奇心旺盛であったモモンは、部屋の探索をし始めた。
だが、部屋の探索といっても、赤ん坊がするような探索ではなく――部屋の隅々までしっかりと見て、何があるかを一つ一つ確認して、温度や湿度まで測って、物一つ一つの素材が何かを考察する、など。
――二歳で、だ。
そのように、モモンが母親の部屋を探索していると、ふと、気になるものが目に入ってきたのだ。それが、本である。
「おわっ、本当に読んでる!?」
「ね、すごいでしょ!? てかすごいわ! この子は天才よ!!」
「よし、なんか家庭教師でも雇うか!」
「ええそうね! この子の将来が楽しみだわ!!」
その本がどう言った内容だったか、今のモモンは全くに等しいほど覚えていない。
だがしかし、当時のモモンの興味を惹くもの――女の子らしい可愛いものや恋愛系ではなく、理科や算数などの、理系のものであったのだろう。
それを見て、その異様な光景を見て、両親二人は騒いでいた。天才だとか、家庭教師を雇うだとか。
今思えば、確かにモモンはまだ二歳で、理科や算数などの理系だと思われる本を読んでいたのだから――かなりの、というより前代未聞ほどの異例だと思う。
そして当時のモモンは、その両親二人に対し――
「パーパ、マーマ」
「なんだ!?」「なにかしら!?」
「うるさい、しーっ」
「「申し訳ありません!」」
――本を読む邪魔をするなと、集中力の妨げになると、そういう意味合いを込めて、うるさいと注意した。
その日、偶然母親の部屋の前を通りがかっていた兄が、「とーちゃんとかーちゃんが赤ん坊に頭下げてる!?」と異様な光景を目にしたとか。
それとついでにその日から、モモンが本を読むとき、両親二人がいつも微笑ましそうな目を向けながら見る、ということが多くなった。
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――その後も、モモンは驚愕的で飛躍的な成長を、見せ続けていた。
「モモン? 何してるの……って、食器洗ってる!?」
モモンは常に、家族全員の行動をしっかりと観察していた。
故に、母親がいつも大変だと、それも理解していたのだ。
いつも朝昼晩の料理を作って、いつも食器洗いをして、いつも洗濯物を洗って干して畳んで、いつも全員の部屋と廊下を掃除して、いつも兄や姉の面倒を見て、いつも父親と夜、子育てに取り組んで。
だからモモンはそんな母親の、いつも大変な母親の、少しでもの助けになるために――食器を洗っていた。――四歳で、だ。
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「モモン〜……あれ、どこに……っていたいた。そんなところで……なんか書き物してる!?」
もちろん、母親の毎日の大変さを見てきて理解しているなら、父親の毎日の大変さも見てきて、理解している。
いつも朝から晩まで会社で働いて、いつも休憩時間や自由時間は会社で貰ったであろう資料の後始末をして、いつも兄や姉の面倒を見て、いつも母親と夜、子育てに取り組んで。
だからモモンはそんな父親の、いつも大変な父親の、少しでもの助けになるために――会社から貰ってきたであろう資料の、後始末をしていたのだ。――四歳で、だ。
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「はぁ……今日も学校疲れたなぁ……ん、モモン、何……宿題してる!?」
父親と母親の毎日の大変さを見てきて理解してきて知っているのだから、兄の毎日の大変さも見てきて理解してきて知っている。
いつも朝早く起きて、いつも夕方ら辺に汗だくだくで帰ってきて、いつも帰ってきた後に宿題をして、いつも夜、いびきをかきながら寝ていて。
だからモモンはそんな兄の、いつも大変な兄の、少しでもの助けになるために――学校からの宿題であろうものを、解いたり書いたりしていたのだ。――四歳で、だ。
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「ふわぁ……モモンの癒しが欲しいよ〜……あ、いたいた! モモン……ん、その編み物……家庭科のやつ!?」
父親と母親、そして兄の毎日の大変さを見てきて理解してきて知ってきて感じているのだから、姉の毎日の大変さも見てきて理解してきて知ってきて感じている。
いつも朝早く起きて、いつも朝早く顔を洗って、いつも朝早く見た目を整えて、いつも夕方ら辺に疲労感溢れる姿で帰ってきて、いつも夜、可愛く寝言を溢しながら寝ていて。
だからモモンはそんな姉の、いつも大変な姉の、少しでもの助けになるために――学校から貰ってきたであろう糸や針などを、編んだり結んだりしていたのだ。――四歳で、だ。
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――そしてその後、モモンが五歳になって、弟が生まれてきたときも。
「モモン〜? どこにいるの〜?」
五歳になったときだって、モモンは常に好奇心旺盛であった。
すぐ見ないうちに、到底子供では到達できないようなどこかに行き、何か道具やら書き物やらを弄っている。
それ故に朝昼晩の食事のときは、常に母親であるハンフニーが、モモンを探さなければなかったのだ。
「……はぁ、全く。後はモモンの自室だけだけど……あの子、寝てるんじゃないでしょうね?」
ハンフニーはそう独り言を呟いているが、そんなことは決してないであろう。
そもそも、ハンフニーがモモンの寝ている場面に遭遇したことなど、零歳か一歳かの赤ん坊のときしかないはずだ。
故にハンフニー自身も、自分自身でそう呟きながら、あり得ないなと思っていたに違いないだろう。
「モモン〜……あ、いたいた」
「クラフト、ほれ」
「ぁ〜ぅ〜」
「ってクラフトのことあやしてる!?」
そして、その母親の驚愕の叫びの通り、モモンは弟であるクラフト・プロロームを、自室であやしていた。
絵本を読み聞かせ、言葉の意味を教え、ときには眠らせるようにあやし、頭を撫で続け、赤ん坊専用の布団に寝つかせる。
父親が毎日仕事で、赤ん坊をあやす暇がないとわかっていたからこそ、モモンは弟をあやしていた。
母親が毎日家事やらなんやらで忙しく、赤ん坊をあやす暇がないとわかっていたからこそ、モモンは弟をあやしていた。
兄も姉も毎日学校で、赤ん坊をあやす暇がないとわかっていたからこそ、モモンは弟をあやしていた。
――五歳で、だ。
ここまで見れば、ここまで聞けば、ここまで感じ取れば、ここまで想像すれば、誰だってわかる。
――決して平凡ではない、と。
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――そして、六歳で過ごす一年間の、最後の夜。モモンは明日から、兄や姉が通っている学校に、通うことになるのだ。
第四巨大王国リレジルーナ国立中央学校という、言わば優秀校というやつである。若くして優秀な学生が集い、授業や教育に手慣れた教師たちが集う優秀校。
四ヶ月に一回ほどの頻度である試験も高得点ばかりで、第一巨大王国や第二巨大王国に見劣りはするものの、第三巨大王国の中央学校よりは優秀と言われている、恐るべし小学校。
そこに、モモンが通うことになるのだ。
「――――」
明日、学校の入学式ということで、祝・人生初の入学式という名目の祝いで、遊んだり歌ったり踊ったりを家族全員で行った、その後の夜。
モモンは明日のことについて、自分のベッドの上で深く、考えていた。
「――――」
――学校とはどのようなものなのか、と。
そこに行って、何か不便なことはないだろうか、と。
そこに行って、一体どれだけの疲労を感じて帰ってくるのだろうか、と。
そこに行って、どのくらいの量の宿題が出されるのだろうか、と。
そこに行って、友達や仲間はできるのだろうか、と。
悩みも不安も心配も何一つ尽きることなく、モモンの頭の中を埋め尽くす。
「――――」
今、それを思い返せば、モモン自身が平凡ではなく少し頭の回転が速く回る子供であったから、そんな悩みや不安や心配が出たのだろうと、理解できる。
頭の中に出てくる悩み一つ一つ、不安一つ一つ、心配一つ一つは無限と言っていいほど出てきて、無理と言っていいほど消化が不可能で、無知と言っていいほど解決策が浮かび上がらない。
「――――」
そう、ずっと悩み続けて、何分、何時間経ったのか。ふと、モモンの自室の扉がコンコンと、控えめに叩かれた。
「……誰?」
「あたしよ、モモン。入っていい?」
「どうぞ」
そして控えめに扉を叩き、モモンの自室に入ってきたのは、姉であるリーシー・プロロームであった。
彼女はモモンに了承を得たら遠慮なく扉を開け、部屋に入り、そのままモモンが寝ているベットまで来て、そこに腰をかけた。
「――――」
「――――」
リーシーは何か用があって、モモンの自室に来たはず――なのに、ずっと無言だ。
リーシーの用事がなんなのかわからないなら、モモンも喋れることがないため、必然と無言になる。
無言同士、無口同士。さすがにこのままでは気まずいとモモンは考え、口を開こうと――
「……ねぇ、モモン」
――したところで、リーシーが先に口を開いた。
「……何?」
「あたしのこと、好き?」
「……は?」
そして、口を開いたリーシーが放った言葉は、質問は、モモンが全く予想だにしていないものであった。
来るなら、明日は楽しみかとか、学校は不安かとか、私の日頃の学校の生活を伝えようかとか、そう言った学校もしくは明日関連の話かと思っていた。
なのになぜ、好意がどうのこうのの話になるのだろうか。
「……好きだけど」
「あたしも好きよ」
「……何が言いたいの?」
「んー?」
とりあえず、モモンは質問への言葉を嘘偽りなく返した。そして返ってきたのは、姉からの、おそらく嘘偽りがないであろう答え。
これはもはや夜這いの類では、などと今の年齢では絶対に考えてはいけないものすら出てくるモモンであったが――そんなことは口が裂けても言えないため、何が言いたいのかと、質問する。
するとリーシーはなんとなく、楽しそうな声を出し――
「人のこと好きになれるなら、学校楽しめるよってこと。悩んでたんでしょ、明日のこと」
「っ……」
――またしても、モモンが予想だにしていない答えであった。
「じゃ、おやすみ」
「あ、ちょっと……」
「ん、何よ?」
予想だにしていない答え。まさかの悩んでいたことが実は隠せていなかった。そして変化球でそれを応援された。
と、モモンの脳ですら処理量を超える衝撃の展開を続けられ、体も声も心も、硬直していたモモン。
するとそれをどう見たのか、リーシーはおやすみと一言だけ口にし、そのまま部屋を去ろうとした。
それをモモンは――伝えたいことがあったため、なんとか硬直していた体と声と心を動かして、リーシーを止める。
「……ありがと、ね」
「どういたしまして」
悩みを解決してくれたこと、励ましてくれたこと、一応好きと言ってくれたこと、そして何より、それを直接問わず間接的に言ってくれたこと。
それらの感謝をモモンは伝え、リーシーもまた、どういたしましてと言葉を述べた。そしてその後、モモンは、非常に良く眠れたのだった。
――今思えば、リーシーとのこのやりとりも、自分が平凡だと思った原因の一つかもしれない。
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――そしてその次の日、小学校へは悩みも不安も心配も何もなく、ルンルンとした気分で行くことができた。
実際、小学校は楽しかった。勉強や授業は簡単だったし、体育や家庭科などの少し特殊な授業も面白かった。
それに、同級生たちに好き好きと言えば友達は自然と集まってきた。さらに、先生からもできがいい生徒とよく褒められた。
――そんなこんなで充実した学校生活を送れていた、ある日。
「……あれ?」
いつも通り学校に登校し、門を潜り、下駄箱で靴と上履きを変えようと、自分の靴箱を見ると――自分の上履きがなかった。
「え? あれ? どこに行ったの?」
昨日の下校時は、確実に靴箱の中に入れたはず。
さは、誰かに隠されたか、とでも思ったが、モモンの友達の中にそんな陰湿ないじめをする人はいない。――友達の中には。
「ど、どうしよ……先生に言えばいっか」
そこで、さすがは頭の回転が速いモモン。
職員室に行き事情を説明し、探すのを手伝ってもらい、なかったとしても借りればいいと、そう一瞬で思いついた。
その後、即行で職員室へと行き、頭の想像通りの展開を起こした。
この事情について、先生たちは納得してくれないかもしれない――と思ったが杞憂だった。
曰く、日頃から優秀なモモンのことだから嘘をつくわけがないと、先生たちは皆、そう言って信頼してくれた。これぞ、日頃の行いである。
「ふぅ……よかったよかっ、た?」
そして上履きを借りて、ついでに捜索もお願いして、同級生や友達がいる教室へと向かい、階段を登り、教室についた――結果。
「おーらおら、今度はちゃんと捕まえろよ!」
「わかってるって!」
「ほら、こっちこっち!」
モモン特有の、桃色の花柄模様が側面にたくさん描かれた可愛い上履きが、教室の中の何人かの男子たちに、投げられていた。
モモンは最初、何が起こったのか、何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、刹那の間、理解ができなかった。
――ただ、理解はできずとも、口は勝手に動いていて。
「ちょ、ちょっと!? それ私の上履きだよ!? 何してんの!?」
「ん?」
モモンの口は、やはり理解ができていないため、何をしているのかと疑問を放った。
そのモモンの怒声を聞いたら、その男子三人は、モモンの方を向き――
「ああ? 何、これ俺たちの上履きだよ?」
「そうだそうだ。勝手に勘違いすんなよ、ばーか」
「てか、お前上履き履いてるじゃん」
「違うの! これは、先生たちに借りたの!! それは私のだから!!」
「なんで?」
「横についてる桃色の花柄模様!! それ、お姉ちゃんからつけてもらったものだもん!!」
――即答とも言える速さで、モモンの口出しを否定した。
確かにモモンは上履きを履いているが、これは先生たちに借りただけ。
ついでに、モモンの上履き特有の桃色の花柄模様が側面にたくさん描かれているのだから、証拠も根拠も出揃っている。
それに対し、まだ反論を述べるところ――さすがは小学一年生、餓鬼である。
「返してよ!!」
「やーだよ」
「そうそう。てか、ぶつぶつこーかんって知らないの? これ欲しかったら、俺たちにも何かくれよ」
「なっ……じゃあ、なんでもするから!!」
そしてモモンはついつい、禁断の言葉を放ってしまった。
「じゃあ、裸になれよ」
「……は?」
そして禁断の言葉である、なんでもするを放った結果、返ってきた要求が――それであった。
「は、裸!? なんで!?」
「いいから裸になれってー」
「そうだそうだ。裸見せやがれ!」
「見せろ見せろ!」
「っ……」
そのときのモモンは、姉から貰った大事な上履きのためならと、かなり切羽詰まっていたのだろう。
それ故に顔を真っ赤に染めながらも、恥じらうように目を瞑りながらも、着ている服を脱ごうと――
「やめなさい!!」
――したところで、モモンの後ろの教室の入り口から、女性の怒声が響き渡った。美しい声色だけど、どこかしっかりとした怒声――モモンたちの教室の、担任である。
彼女の後ろに、同級生にしてモモンの友達が何人かいることから、おそらくモモンの友達がこの騒ぎを見て呼びに行ってくれたのだろう。
「人のものを取っておいて、相手にして欲しいことを押しつけるとはなんですか! その上履きをモモンさんに返しなさい!」
「「「……はーい」」」
こうして、先生の介入により、どうにかこの場は納められた。
――自分では止めるという判断すら思いつかなかったのに、先生はあの男子三人を最も容易く止めたところから、これもモモンが自分を平凡だと思った、一つの原因であろう。
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――それからの小学校での日々は、大きないじめとまでには発展しなかったものの、先程のような陰湿ないじめが、モモンの身には多数、起こった。
だが基本はそれを起こすのは同級生の男子であり、同級生の女子や友達、先生たちは皆、モモンの味方であったため、すぐに収まる程度のものばかりであった。
しかしその少しずつの積み重ねが、モモンに心的負担を溜まらせた。中学校でも高校でも、なんなら仕事の職場でも。
モモンの味方は多かったため、毎回毎回小さなことばかりであったが――モモンの優秀さや魅力、長所やその見た目の可愛さなどに嫉妬したであろうものたちは、モモンに毎日と言っていいほど、小さないじめを続けていた。
だがモモンが折れることも、なかった。モモンはこれでも人一倍どころか人十倍ぐらい、精神の耐性が強い。
そこもまた平凡ではないところだが――それ故に、モモンが折れることはない。
家族に相談することもなく、学校生活も職場での仕事も全体を見通せば、いいことの方が多かった。
そんな、ある日だ。――あの悲劇が、起こったのは。
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――その日のモモンは、十八歳。
高校を卒業し、職場で働き始めて、先輩や同僚ともまあまあ仲良くなり、もうすぐで一年が経とうとした、ある日。
「……あ、おはようございます、先輩」
「お、おはよ。今日も一日がんばろねー」
「はい」
どこか陽気な雰囲気を感じさせる、金髪で体に刺青を入れた、後ろ結びが似合う、職場の女性の先輩。
なぜこの普通の社会人がするような仕事に入ったのか、と聞きたくなるぐらいの意味のわからない見た目であるが、どうやらそれには深い歴史があるらしい。
とまあそんなことはどうでも良く、その先輩と挨拶を交わし、普段通りやるべき資料の後始末や整理などの至って平凡な仕事に当たろうと、自席に着こうとすると――
「あ、そだ、モモンちゃん?」
「ん、なんですか?」
「なんか、社長さんが呼んでたよ?」
「え……」
――先程の挨拶を交わした先輩から、社長からの呼び出しがある、と情報を聞かされた。
まだ一年も働いていないため、社長とは面談のとき以外、話したことも見たことも意識したこともなかったが――どうやら今日は会わなければいけないらしい。
若干の憂鬱な気分になりながら、ついでに緊張もしながら、情報をくれた先輩に感謝を述べ、モモンは社長室へと向かうため、階段を登って行った。
「よいしょっと……着いた着いた」
仕事帰りのおっさんのような台詞を言いながら、社長室の扉の前へと着くモモン。
そこでコンコン、と扉を叩こうとするが――果たして本当に入るときはそれでいいのか、とモモンの思考が待ったをかける。
「……礼儀正しく、だからね」
だがそこでさすが、頭の回転が速く、思考の回路が整っているモモン。
扉をコンコン、と控えめに叩いた後、「失礼してもよろしいでしょうか?」と声をかける。
そして扉の向こうから「良いぞ」と返ってきたのをしっかりと確認し、「失礼します」としっかりと言い、いざ行かんと扉を開け、入っていくと――
「……え?」
――大統領でもいるのではないか、と感じさせるほどの大きな机の奥にある、王座のような椅子に座り堂々としている社長。
そして――その机の前に、血だらけで倒れている、秘書の姿があった。
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「え? ……え?」
――その突然の光景に、頭の回転が速く、思考の回路が整理されていて、脳の循環が素晴らしいほど蠢くモモンも――さすがに理解が追いつかない。
「ふむ、来たか来たか、来たのだな」
「あ……え、その、ブルガルダス、社長、これ、は……え?」
「む? 見ればわかるわかる、わかるだろう。私が座っていて、秘書が死んで死んで、死んでいる。ああ、殺したのは私だぞ?」
「っ……」
そんな、モモンですら理解が追いつかない光景。
それだと言うのに、社長――アンガスト・ブルガルダスは、何も変哲のないような、当然の光景を目の前にしているような、そんな声でモモンに話しかける。
もしや気づいていないのではないか、とモモンが目の前の光景について呼びかけるが――平然とした返事どころか、自首すらした。
「な、んで……ころ、した?」
人の死体も、なんなら血や肉や骨ですら見たことないモモンに、その光景は衝撃が強すぎた。
故に、社長の前では使う敬語も崩れ、顔面蒼白になり震えた声で、モモンはアンガストにそう尋ねるが――
「ああ、もう必要がないない、なくなったからな」
――まるで、使わなくなった道具を捨てるような、そんな言い方で返答した。
「え、え、え……?」
「それで今日の要件だが、この使えない秘書の代わりに、君が私の秘書になるなる、ならないか、という提案だ」
「え、は……は?」
――意味が、わからない。何を尋ねているのだ、この社長は。目の前で秘書が死んでいて、そんな非日常的な光景の前で、今度は君が秘書にならないか、と。
――まるで、使わなくなった道具の代わりにこの道具をください、と提案するかのように。
「ふ、ざけ……」
「む? なんだ?」
「ふざ、ふざけ……ふざけないでよ!!」
そして、モモンは、そんなアンガストの前に、感情が爆発した。
「何、なんなの!? 使えなくなったから殺した!? は、は、は!? 意味わかんないんですけど!? だったら、せめて退職とかで済ませてあげてよ! それに、何!? 次は私!? 秘書が死んでるところ見て、使えなくなったら殺される可能性もあるかもしれないのに、その状態で、何誘ってんの!?」
「――――」
「何様のつもり!? たかが社長でしょうが! 王にでもなった気分なの!? 神にでもなった気分なの!? 世界で一番偉くなった気分なの!? なんで、なんで!?」
「――――」
感情が心情が表情が心が脳が、こいつは駄目だと、こいつは危険だと、そう叫んで、モモンに訴えようとしている。
しかし、モモンは止まらない。
ここはさすがモモン、と言うべきところだが――秘書含め、同じ職場の先輩や同僚、後輩たちのことは、しっかりと見てきた。
その頑張りも努力も才能も、精神も体力も、全て。秘書だって、社長のために自分のために家族のために、頑張って頑張って、頑張り続けていたはずだ。
――それを、使えなくなったから殺す。何様の、つもりだ。
「この人の! 名前覚えてないけど! 頑張りは!? 努力は!? 努力は報われるって言葉、知りませんか!?」
「つまり、君が言いたいのは……」
「秘書さんは! あなたのために、頑張ってきたんでしょう!? ね、そうなんでしょう!? あなたが一番近くで見てるでしょうが! それを使えなくなったから!? 使えない!? 使え、ない!? なんで、どうして、どうして!?」
「……私への誘いの返事は、断る、ということか」
「っ、!?」
感情の意のままに、暴言の嵐を、罵声の嵐を、アンガストへと浴びさせていると――ふと、アンガストからの言葉が殺気を帯びた。
それもとてつもなく、触れてはいけない禁忌ほどの。
「あ、ぅ……?」
「断る断る、断るのか。断ってしまうのか」
「や、ぃや……」
「断るのか断るのか、断るのかぁ。……ああ、断るのかぁ」
「っ……」
殺気が放たれてから、アンガストは断るという言葉しか、発していない。なのに、それだけなのに――どうして、こうも殺気が強まっているのだ。
この殺気は、一体なんなのか。というよりそもそも、この職場はなんなのか。こんな社長が支配しているこの職場は、なんなのか。
一体、何が起点となって。全体、何が起こっているのか――
「……断るなら、君もいらないな」
「っ、!?」
――と、モモンは思考を働かせようとしたら、アンガストから漂う殺気が、さらに強まった。
そして、刹那――モモンの視界は、闇に包まれた。
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――今でも、思い返せば涙が出てくる。
自分の家族は、どうしているのだろうか。自分の友達は、どうしているのだろうか。自分の同僚は、先輩は、後輩は、どうしているのだろうか。
あの職場は、なんだったのだろうか。あの後、自分はどういう経緯で、奴隷の身に落ちたのだろうか。
――社長は、アンガスト・ブルガルダスは、どうしているのだろうか。
「――――」
――モモン・プロロームの今の気持ちを一言で表すなら、“再び”だ。
再びモモンは、人に何かをやってくれと頼まれた。だが、その比が明らかに違う。
やらなければ殺すと言って殺気を漂わせるアンガストと、優しい微笑みで覆い尽くし、可愛い雰囲気を醸し出すルーディナ。
同じく金髪であるが、纏っている雰囲気が明らかに違う。だから――
「――――」
――今度こそ、モモンは失敗しない。
自分を常に平凡だと、勘違いしてきたことが。あの職場で、働き始めたことが。あの日、先輩から言われ、のこのこと社長室に行ってしまったことが。
アンガスト・ブルガルダスに、暴言や罵声の嵐を浴びさせてしまったことが。
――その全てが、モモンの犯した間違い。
「――――」
だから、今度こそは、絶対に失敗しない。
故に、ルーディナから託された――奴隷たちのまとめ役を、モモンが率いる。
「……ふぅ」
喋るのも、久しぶりだ。この監禁所にいる間は常に絶望であったが故、話すことも人の声を聞くことも、なかった。
久しぶりだから、緊張する。だが――
『かっわぁいい!!』
『お、よく返事ができました〜。偉いね偉いね〜』
『理不尽、だよね』
『わかるよ、そういうの』
『だから、似たもの同士』
――彼女の声を聞けば、自然と気持ちが収まってくる。
この気持ちが、ただの安心感なのか、それとも別のなにかなのか、モモンには今、わからない。
でも――勇気だけは、湧いてくる。
「……ぁ、あ、あ!」
――声が出る。不思議と、ルーディナを思い浮かべれば、ルーディナの声を思い出せば、声が出る。
「……あいうえお、あいうえお!」
――勇気が出る。ルーディナの可愛い笑顔を、ルーディナの可愛い声を、ルーディナの可愛い配慮を――ルーディナがしてくれた同情を。
それを思い出せば、思い浮かべれば、勇気が出る。
「……よし!」
――モモン・プロロームにはもう何も、怖いものはなかった。
「皆さん、聞こえますか! この監禁所全ての皆さんに対して、です!」
「――――」
奴隷監禁所にいる全ての人の視線が、何事か、とモモンに集まる。
子供四人の視線が、何人かの成人たちの視線が、何人かの老人たちの視線が、男女年齢関係なく、全て。
「私の名前は、モモン・プロロームです! 一応、皆さんと同じ奴隷です! いや、今日でそれも終わるはずです!!」
「っ……」
その奴隷終了宣言に、監禁所の中の誰かが、息を詰まらせたのがわかる。
そして他のものも本当か、と希望を持った視線をモモンに向けていくが――すぐ信頼を失ったかのように希望が失われ、全員が俯く。
「――――」
おそらく、モモンも同じ奴隷であったことや、どうせまた騙されるのだろうだとか、信頼できる要素がないところに――おそらく全員が、希望を失ったのだろう。
「それ、とっても馬鹿馬鹿しい!!」
「っ!?」
――だがモモンは、その奴隷全員の総まとめの考えを、馬鹿馬鹿しいと一蹴した。
「真面目に、頭働かせてみてくださいよ! さっきまで、皆さんと同じく絶望してた私が、いきなりこんな演説? 不可能もいいところです! そんなこともわかんない!? 馬鹿の集まりですか! 長年の奴隷生活で、考えれなくなりました!?」
「っ……」
そしてモモンは、奴隷全員に向かって――挑発するような、そんな言葉の嵐を浴びさせる。
「少しは考えやがれ! 考えないから、奴隷なんて身に落ちたんでしょうが!!」
「っ、うるせぇ!」
モモンは、さらなる暴言と罵声を続けるが――そこでどこかの誰かからの、反論が返ってきた。
声と言葉遣いからして――おそらく、成人の男性だ。
「んなことわかってんだよ……俺が、俺が悪かったんだろ。俺が考えれなかったから、こんな不幸になってんだろ!?」
「その通りです! やっと理解できましたか!?」
「っ、んだと!?」
「ちょっとあんた……それは酷くない!?」
「っ……なんか希望掴んだからって……調子乗んじゃねえぞてめえ!」
モモンの暴言や罵声と、奴隷全員の暴言や罵声がぶつかり合う。それは混沌に満ちた、破滅への道のり――ではなく、全てが、モモンの想像通りで。
「反論するぐらい、元気が出てきましたね!」
「んなわけねえだろうが!」
「最っ低!」
「こんの野郎!」
「ママー! あの女の人嫌い!」
「駄目よ、あれは見ちゃダメな類の……」
そしてその奴隷全員の声は、少しずつ、モモンへの恨みや憎悪が籠った声へと、変わってきた。
――当然である。
いきなりよくわからない少女に、お前のせいでお前が奴隷に落ちたと、お前のせいでお前が不幸になったんだと、そう、真実を突きつけられたのだから。
「ほーら、どうしましたぁ!? その程度ですかぁ!?」
「この野郎! そう言ったこと、後悔させてやるぞ!?」
「どうぞどうぞ、来やがれください! 言っときますけど、このマント勇者様のですからね!? かったいですよ!」
「知ったことかよ!」
「あんた、いい加減ふざけんじゃないわよ!」
「ママ、あの人むかつく!」
さらなるモモンの暴言と罵声が浴びさせられると――そこらへんの檻から、モモンに一発でも入れるために檻を壊さんとする人が、何人か出てきた。
そして、その人たちに釣られてか、他の奴隷たちも少しずつ少しずつ、檻を壊さんとするものが増えていき――その数は、次第に全員となった。
「はい、そこで終了っ!」
「は!?」
そして、その奴隷たちの反乱により、檻の全て――おそらくかなり前からつけられていたので、かなり脆くなっていたのだろう。
檻の全てが壊れ、いざモモンに襲いかからんとしたとき、モモンはそう叫び、手の平でパチンと音を鳴らした。
その、いきなりの意味のわからない宣言――それにより奴隷全員が、困惑したような、苛立ちを含む声を上げる。
「それ、向ける相手違くないですか?」
「は、なに言って……」
「あなたたちが不幸になったのは、それをやった原因がいるから、でしょう? なら、それにその怒りをぶつけるべきです! ね、そうでしょう?」
「――――」
――これが、モモンの作戦だ。奴隷全員の怒りを最大限に溜め、そしてそれがいざ襲いかからんとなったときに、それを向ける矛先を変える。
だが、たったこれだけの言葉で変わるとは思わないから、モモンはさらに言葉を発するために口を開こうと――
「よし、ええと、みなさ」
「ぷっ、はは」
「ん……って、え?」
――したら、突如、目の前まで来ていた男が、笑い出した。
――それに釣られてか、他のモモン以外の奴隷たちも、急に笑い出して。
「ぷっ、はは、はは!」
「え、いや、あの」
「何、急に、降参? はは、ははは!」
「おいおい、それはねえぜ!」
「わー、情っけない!」
「ふ、ふふふ……ちょ、いや、あんなに、カッコつけておいて、降参とか! ははは!」
「な、なんで!?」
どうやらモモンの作戦を、本当に奴隷全員が襲いかかってきたから突如として態度を変えた情けない弱虫か何かと、勘違いをしたらしい。
その勘違いの一体何が面白いのか――その笑い声はどんどんと周りに感染していき、その規模はいつしか全員となった。
「あははは!」
「ぷっ、はは、は、はは!」
「ふはは……あ、ははは!」
「……なんでこうなった」
そして、死臭漂う闇夜のように暗く、誰もいないかのような静寂に包まれ、生きとし生けるものがいてはならないような、地獄と言わんばかりの空間。
――そんな場所に、場違いのような笑い声が、たくさん響いていた。
△▼△▼△▼△▼△
<side ルーディナ>
――さまざまな場所を探索し、冒険し、モモンはどうなったか、取り巻きは誰にしようかなどと、不安や心配を込めながらも、ルーディナが奴隷監禁所に返ってきた結果。
「ルーディナさん! 全員、あなたにつきます!」
「どうか我ら全員を、配下に!!」
モモンを筆頭に、子供も老人も男も女も関係なく全員が、ルーディナに向かって跪いていた。
それを見て、ルーディナは――
「何があった!?」
――突っ込まずには、いられなかった。
ということで今回、レイヴィン・バークアディスに続き、二人目の名前回です。
えーと、名前回はとりあえずそのキャラの過去何があったんだーを書く予定。
ただ、全員は書きません。書くキャラと書かないキャラまとめときますねー。
書くキャラ
ルーディナ・デウエクス
メリア・ユウニコーン
ディウ・ゴウメンション
フェウザ・ロトフゥイ
アークゼウス・ヴェルゼウ
エレサロン・ラーティキュス
ペアレッツォ・モンティーヌ
イ・エヴェン
クローディナ・バークアディス
アンガスト・ブルガルダス
書かないキャラ
今代国王
モモンの家族たち
魔界王陣営関係者全員
書かないキャラについてですけど、今代国王は大した面白みもないただの幸せな人生だし。
モモンの家族はモモンと被るし。
魔界王陣営関係者全員も、国王と同じくただの幸せな人生で面白みないし。
てわけで、以上、今回も読んでくれてありがとうございました! また読んでね〜。
……読んでよね?




