第二章二十話 「奴隷」
<視点 奴隷の一人>
―――第一巨大王国ノヴァディースの地下にて。
死臭漂い闇夜のように暗く、誰もいないかのような静寂に包まれ、生きとし生けるものがいてはならないような地獄と言わんばかりの空間が、そこにはあった。
「――――」
闇夜のように暗いはずなのに、なぜか、自分は檻の中に閉じ込められている、というのはわかる。
床は冷たく、壁も冷たく、天井も冷たく、空気も冷たく、雰囲気も冷たく、自分の体も冷たく、檻の外ですら冷たく、自分の苦痛をさらなる苦痛へと押し上げる。
「――――」
誰もいないかのような静寂に包まれているはずなのに、なぜか、無数の慟哭のようなものが反響して、自分の苦痛をさらなる苦痛へと押し上げる。
「――――」
その慟哭が、叫び声が、泣き声が、悲鳴が、嘆きが、喚きが、聞こえて聞こえて聞こえ続けて。
そして――それが、自分の心の中で閉じ込めている本音だと、今さらながら気づく。――否、本当はもう、とっくに気づいていたのかもしれない。
ただこの空間を、この静寂を、この暗闇を、信じたくなくて、現実だと思いたくなくて、気づかないふりをしていたという方が、正しいのかもしれない。
「――――」
果たして、この地獄のような空間に、人は何人いるのだろうか。
もしかしたら自分一人なのかもしれないし、複数人いるかもしれないし、意識がここにあるだけで実は自分はもう死んでいて、幽霊になっているかもしれない。
わからない、否、わかりたくない。考えれない、否、考えたくない。
「――――」
ただ、わかることは――子供が四人、自分の側にいるということだ。
おそらく攫われたか、売られたか、捨てられたかのどれかであろう、子供たち。
暗いが故、表情は見えないが――纏う雰囲気から、感じる予感から、表情も心も体も絶望に染まっているであろうことは、わかる。
「――――」
子供が四人、そして自分が一人。三人寄れば文殊の知恵、なんて言葉がある。
普段、一人では考えれないようなことが三人集まれば考えつく、という意味だが――五人集まろうがそれ以上いろうが、知恵なんて浮かばない。
「――――」
――何も考えたくないのだ。
ただただ、そこにある絶望だけに身を任せて、もう後はどうにでもなれ。この後なんて、自分の知ったことではない。
どこかの誰かが何かをして、自分はどこかにいくか、捨てられるか、消されるか、殺されるか。
ここにいる四人の子供たちも、自分の行く末も、何も知ったことではない。
それは――諦めである。
「――――」
――何もわかりたくないのだ。
ここがどんな空間で、どんな意図でここにいて、どんな結末が待っているか、何もわかりたくないのだ。
今のことなんて知らない。後のことなんて知らない。ただ――幸せだった過去を、思い出して、幸せを感じていればいい。
他は何もわかりたくない。それもまた――諦めである。
「――――」
ただ、過去の幸せを思い出すと、最後に――最悪な結末を、思い出してしまう。
平凡ではあったが幸せを感じていた家庭。平凡ではあったが美味しかった食事。平凡ではあったが清潔感が行き渡っていた部屋。
平凡ではあったが仲の良い同僚もいて、楽しく働けていた自覚のある職業。
平凡ではあったが仲が良くて、それぞれの意見を尊重できていた兄弟。
平凡ではあったが絆が深くて、お互いの考えをわかり合えていた姉妹。
平凡ではあったが優しくて面倒見が良くて、自分のことを優先して考えてくれていた両親。
平凡だったが、それと同時に幸せでもあった――はずなのに、なぜ、自分はこうなっているのだろうか。
「―――」
一体、どこの何で道を間違えたというのだろうか。
泣き喚きながら、そして同時に祝福をもらいながら、生まれてきた。
言葉を喋るのも、歩き出すのも、物心がつく頃も平均的で、特におかしなところはなかった。
授業だってしっかりと受けたし、友達だってしっかりといたし、食事だってしっかりと完食したし、掃除だってしっかりと欠かさなかった。
真面目に過ごし、でもときどき悪ふざけをして、剣術も魔術もしっかりと習い、記述試験も平均より少し上な点数を毎回取っていた。
職業にもしっかりと就職して、サボらず働き、たまには上司からのお叱りを受け、同僚たちと世間話をして、楽しい日々を過ごしていた。
――一体、どこの何で道を間違えたというのだろうか。
「――――」
悲しいかな、答えは全く見つけられない。
家族にも友達にも同僚にも上司にも迷惑はかけていない。食事は朝昼晩全て完食してきた。掃除も欠かさなかった。手洗いうがいも欠かさなかった。宿題だってしっかりとした。剣術や魔術、その他の授業も全て真面目に受けた。友達の要望に合わせて日頃の態度も変えた。我儘も少しぐらいで済ませていた。――何もかも、真面目にやってきたはずだ。
答えがあるなら、それは――
「……っ」
――運が、悪かった。ただただ、運が悪かった。
こうなる運命だった。こうなる宿命だった。
回避できたかもしれないが、いつも通り真面目だったため、そうなってしまった。
運が悪かった。運が、悪かった。運が、運だけが悪かった。運が、運だけが、悪かった。運が、運が運が運が、運が、運が運が、運が運が、運が、運が、運が運が運が運が運が、運が、運が運が、運が運が運が、運が運が運が運が、運が運が運が運が運が、運が運が運が運が運が運が、運が運が運が運が運が運が運が――
「……ぁ」
――運が、悪かった。
「……っ、ぁ、ぁ……」
――運が悪かった。ただそれだけで、こうも人生が変わる。
金と桃が混ざったような髪をした、妖艶な体つきの、美人――モモン・プロローム、彼女は思った。
運で、人生が変わるなんて、そんなの――
「理不尽、だよね」
「……ぅん……ぇ?」
――と思おうとしたら、聞いたことのない可愛い声が、モモンの耳に――否、この空間全体に響き渡った。
「わかるよ、そういうの。私だって、小学生の頃……少しだけ優秀だからって、いじめられてたし」
「ぁ、ぇ?」
「だから、似たもの同士。……あ、神感で言いたいこと感じ取っただけだからね? 別に、超能力者とかじゃないからね?」
「ぇ、ぇ、え?」
その可憐な声が発せらるたびに、その声が少しずつ、モモンの元へ近づいてきていると、わかる。
ふと、顔を上げると――モモンのみならず、周りの子供たち四人も、檻の外の、他の檻の中にいる人たちも全員が全員、その声の方向をずっと向いていた。
そして――
「ぁ……」
「あ、いたいた……って裸!? ちょ、奴隷って服剥ぎ取られてんの!?」
――檻の前に現れた、金髪で小柄な、純白の鎧を着た少女。
彼女は、檻の前に来てモモンの姿を見ると、その小さな可愛い両手で、恥ずかしそうに顔を覆ってしまった。
――そんなこと、しないでほしい。まるで、そんなの、自分が見てはいけない姿をしているみたいな――
「……ぁれ?」
――と、そこで、先程の彼女が言った言葉を、モモンは思い出す。
――って裸!? ちょ、奴隷って服剥ぎ取られてんの!?
「……へ?」
奴隷なんて言葉は、どうでもいい。
確かこの国では、奴隷を作るというのは犯罪として見做されていたはずだが――そんなことよりも、その前と後に発せられた言葉である。
裸、服が剥ぎ取られている。つまり――
「ぁ、きゃっ!?」
――自分はずっと、裸であったのだ。
△▼△▼△▼△▼△
<side ルーディナ>
――第一巨大王国ノヴァディースの地下――奴隷監禁場は、碌な整備もされていなく、碌な電気もついていなく、碌な人影も見当たらなかった。
臭いは死臭だらけだし、見た目は基本、埃やら汚れやらシミやらで染まっているし、聞こえる音は何もない。
電気も明かりもついていなければ、見張りや門番などもいなかった。
故に、ルーディナの神感で人の居場所を感じ取り、神香や神耳などを上手く利用していかなければ、ルーディナですら迷いそうな――そんな場所であった。
「……うげ」
と言っても、全く見ない生きとし生けるものは、人間のみ。
埃やらシミやらに屯している蝿や蚊、寄生虫。天井からの雨漏りが原因であろう水溜りの水を飲んでいる、鼠の群れ。原型が止まっていない何かの死肉を食らっている、汚い鳥、など。
――ルーディナのような、年頃の女の子が見たら、嫌悪感を覚える生物ばかりが、集っている。
「……なるべく、意識しないで行こ」
そんな嫌悪の生物たちはルーディナに不快感と吐き気しか与えないので、なるべく意識しないように、監禁所の無駄に入り込んでいる迷宮のような道を、彼女は疾走していく。
「――――」
走って走って、曲がり角に当たったが故、少しスピードを落として曲がり、走って走って走って、なぜか上に続いている道を、左右の壁を使って上手く交互に跳んでいきながら登り、走って、綱渡りのようになっている鉄格子を慎重に渡り、走って走って走って走って走って、壁に少しだけ開いている、小さな穴をしゃがみながら潜り、走って走って、そこで少し止まって――
「――――」
――自分以外の人間、動物、鳥、魚、虫と、他生物の視線を借りられる能力、神眼を使い――監禁所に囚われているはずの奴隷たちがどこにいるか、探す。
「――――」
ルーディナは今回、効果範囲を監禁所のみに絞っている。
それ故、候補として出てくる視線は――先程の嫌悪を覚える生物たち、排水溝の中で彷徨っている水虫や小魚など。そして――
「――いた」
――目の前が鉄格子で閉ざされている視線を、見つけた。
その鉄格子――否、檻の向こうにも、いくらかの人たちが囚われていて、中にはまだ幼い子供や赤ん坊、年老いた老人なども囚われられている。
そして今、ルーディナが借りている視線の側らには――四人の、明らかに痩せ細っている子供たち。この視線は、十中八九――
「――奴隷、だよね」
――監禁所で囚われている、奴隷たちであろう。
それを特定した故に、ルーディナはその視線に近い他の生物たちの視線を、片っ端から借りて行く。
それはつまり、ルーディナに到達するまでの道筋を、その生物たちの視線で確保する――という、若干の裏技のようなものだ。
囚われている奴隷たちから、その近くで排泄物に屯している蝿や蚊、その蝿や蚊などを虎視眈々と狙っている鼠、そしてその鼠が視界に入っているが全くの興味を持っていない、汚物で覆い尽くされた鳥――そして、その鳥を見ている、自分。
「OK、確認終わり。……あそこの曲がり角を曲がったら、か」
神眼を切り、ルーディナは、自分の目の前に鳥がいることをしっかりと確かめる。
そしてルーディナは、その鳥が向いている方向を向き――そこに、曲がり角があることを確認した。
「……でも、えらい静かだな」
曲がり角を確認し、そこへと突っ走って行こうとしたところで――ふと疑問を持ち、止まる。
ルーディナの言う通り、そこにはたくさんの奴隷たちがいるはずなのだが――とても静かなのだ。
その静かは、人間の声や動きの掠れた音が聞こえない、とかではない。
――雰囲気や、人間そのものから出てくる感情のようなものが全く聞こえず、そこにいることを確認できない、というのを意味する。
ルーディナは今、神感を発動しているため、どんな些細な雰囲気や感情でもしっかりと確認ができる。
だが、それすらも発動しない、ということは――
「……そんぐらい、絶望してるってことか」
――そんな些細ですら出さないほど――否、出せないほど今の現状に絶望して、何もかも考えれないということだ。
「――――」
これはルーディナが行っても、ルーディナが声をかけても、誰も反応してくれないのではないかと、そう不安に思った――そのとき。
誰かはわからないし、どういった反応なのかもわからないが――はっきりとした明確な絶望が、神感で伝わってきた。
「……そっか」
その神感から感じ取れた絶望の中身は――どうして自分はあんなに幸せだったのに、今、こうなっているのだという、現実逃避気味の絶望だ。
そしてそれがどんどんと膨れ上がり、そして――
「――――」
――運が悪かったから、と、その絶望を出した人物は結論づけたらしい。
「――――」
ルーディナはそれを聞き、感じ取り、自分の過去と比較して、その絶望具合が伝わるからこそ、ゆっくりと、奴隷たちが監禁されている檻の方へと歩いていく。
すると、ルーディナが檻の前に突如として現れたことが原因か、動揺や驚愕、不安や心配などがいくつも感じ取れるが――そんなことは、どうでもいい。
「――――」
ルーディナは、運が悪かったと結論づけた人物を探し出し――その感情が最奥の檻から出ていると、発見した。
そしてその人物へと少しずつ近寄っていき、その人物から、新たに出てくる感情――
「理不尽、だよね」
「……ぅん……ぇ?」
――運で人生が変わるなんて、そんなの理不尽だ、という感情の続きを、ルーディナは口にする。
すると、その考えを持っていた人物であろう声が、相槌と疑問声を放つ。
「わかるよ、そういうの。私だって、小学生の頃……少しだけ優秀だからって、いじめられてたし」
「ぁ、ぇ?」
ルーディナが言った通り、ルーディナもまた、小学生の頃、この世界は理不尽だと感じていた。
だから、その人物が出した感情とルーディナの過去の体験は、似たもの同士。
「だから、似たもの同士。……あ、神感で言いたいこと感じ取っただけだからね? 別に、超能力者とかじゃないからね?」
「ぇ、ぇ、え?」
似たもの同士と神感で読み取ったという伝えたい項目を告げ、その人物の近くで聞くと意外と可愛い声を聞きながら、奥の檻へと行き――
「ぁ……」
「あ、いたいた……って裸!? ちょ、奴隷って服剥ぎ取られてんの!?」
――金と桃が混ざったような髪をした、妖艶な体つきの美人を見つけ――彼女の体が裸であったのを確認し、咄嗟に両手で顔を覆った。
いやはやなんたるラッキースケベ――というのは置いておいて。
ルーディナは今、奴隷は全員服が剥ぎ取られているのか、と驚愕を露わにした声を上げ、ついでに心の中でも繰り返した。そして――
「ぁ、きゃっ!?」
――裸を見られたことへの羞恥心からか、場違いな可愛い声が、監禁所の中で響き渡った。




