大国の宴
大広間には、各国の貴人たちが続々と集まっていた。きらびやかに着飾った女性と、その手を引く儀礼用軍服の男性。ちらほらと、民族衣装の要素を取り入れた装いも見られる。
今宵のアルテミシア王女は、柔らかな若草色に白い小花を散らしたドレスを纏っていた。自然豊かなクローティアの風景を表しているのか。リゲルには意匠どうこうを論じる才はないが、一国の王女として文句の付けようがない美しさだと思う。
膨らみを抑えたドレスは下へ自然と落ちる形で、耳と首元に携えた真珠は小ぶりなもの。一見地味にも思える装いは彼女の清廉さを引き立て、かえって輝きを増しているようだった。
隣に立つのはジリアン。王女よりもやや濃い緑色の上着は、似た色をした瞳にも映えて。首元や袖口にフリルをあしらった貴族らしい衣装は、彼の華やかな顔立ちにぴったりである。
そんな二人を、リゲルは離れた場所から見守っていた。
護衛は各国数名の出入りが許されているが、普段のように近くで護ることはできない。会の妨げにならぬよう、壁際で主人の姿を追うのみだ。
彼女が不吉な子ではないと証明するため、ずっとそばにいると決めた。祖父王との約束である一年が過ぎたとき、近衛でいることが許されないなら警備兵でも下働きでもすると言って。
だがそれは、こうして遠くから彼女を見つめることになるのかと、今さらながら理解する。
少し、歯痒いな……と。そんな思いが胸を掠めたことに、リゲルは遅れてはっと驚いた。
彼女に笑っていてほしいと思った。自ら不幸に飛び込むような縁談を選ぶのでなく、ただ心から笑ってほしいと。それが叶うのなら、外から見守る形で何ら問題ないはず。なのに――
十年を経て動き出した感情は、自分のものではないかのようで、少し怖い。これまでの常識を飛び越えて、捕まえていないと無邪気にどこかへ行ってしまいそうなのだ。
不慣れな感覚に戸惑い、伸びっぱなしの前髪の下で小さく顔を顰めたときだった。
流れていた楽隊の音楽が変わり、人々は談笑を中断した。大陸北部を統べる皇帝――ブロンテオン王の入場である。
高らかに抜ける金管楽器のファンファーレとともに、彼の人物は姿を現した。
目に飛び込んでくる鮮やかな真紅のローブ。首元には純白の毛皮。のぞく衣装には端から端まで金の刺繍がなされ、元の生地色が見えないほど。
大粒の宝石を散りばめた王冠の下、上質な絹糸のような銀髪がさらりと揺れる。纏うローブより深みのある、稀有な紅い瞳。
豪奢な衣装、それを食ってしまうかのような幻想的な容姿も含め、存在感がある人物だというのは間違いない。だが――
……これが、大国ブロンテオンの王?
遠目ではあったが、王の優美な佇まいはリゲルにも見て取れた。無骨で荒々しい男に違いない、そう想像していたのに。
落ち着いた響きでとうとうと紡がれる王の挨拶へ、人々はうっとり耳を傾けている。まるで宮廷詩人の歌でも聴いているかのようだ。
リゲルが戸惑う間にも、夜会は和やかな雰囲気で進んでいく。そして、ついに身構えていた瞬間が訪れた。
「クローティア国第一王女、アルテミシアにございます。このような素晴らしい場にお招きいただき、大変光栄に思います」
アルテミシア王女がジリアンを伴い、ブロンテオン王へ挨拶をしに向かった。
リゲルは許される範囲で待機位置を調整し、様子を知ろうと耳をそばだてる。
近くで見たブロンテオン王は、いかにも優男という風貌で。四十歳を迎えたというが、三十そこそこにしか見えなかった。
彼は柘榴石のごとき瞳を細めて、アルテミシア王女へと微笑みかける。
「噂はかねがね。山西地域の国には、とても美しい王女がいらっしゃるとね。是非一度会いたいと思っていた。機会を得ることができて、こちらこそ光栄だ」
「勿体ないお言葉に感激いたしております」
「社交辞令ではないよ。こんなに麗しい姫君が、行事が終われば帰ってしまうだなんて本当に惜しい。さて……どうかな。このまま私の宮殿に住まうというのは」
戯れにしか取れない気軽さで、王は核心に触れた。
リゲルの身に、ぴしりと緊張が走る。おそらく愛想笑いを貼り付けているジリアン、完璧な淑女の笑みを崩さないアルテミシア王女自身にも。
会場を満たす明るい音楽が、やけに間延びした空虚な響きに聞こえてくる。猿ぐつわを噛まされているようなもどかしさに耐えながら、リゲルは彼らを見守る。
「世界を統べる皇帝陛下にそのようなお言葉をいただくとは、この上ない幸せにございます。……ですが私は、故郷クローティアに骨を埋めると決めております。故国を愛する想いも含めて王女アルテミシアという人間だと、どうか今後も変わらぬお付き合いをお認めくださいませんでしょうか」
「はは、残念だが振られてしまったようだ」
アルテミシア王女の返答を受けた王は、しかし朗らかに笑った。
リゲルは思わず目を見張ったが、そのまま他愛ない会話が続く。
結局、この対面は何事もなく終わった。真紅のローブを優雅に翻し、王は次の参加者との交流へ移っていく。
――邪推だった、か……?
近年勢いよく領土を拡げている大国の王。となれば、リゲルの個人的な因縁を置くとしても、「狙った獲物は逃さない」といった強欲なイメージが浮かび上がる。
アルテミシア王女への打診についても、もっと強く迫るだろうと予想されていたのだが。
◇
「なんだか、拍子抜けした気分だね」
リゲルがその日の業務を終え、臣下用に割り振られた部屋に戻ると、なぜか扉の前でジリアンが待っていた。夜会服は脱ぎ、柔らかなブラウスにガウンという寛いだ格好になっている。
立ち話もなんだからと、彼は自分の客室へリゲルを誘った。この国の王侯貴族は俺のことを護衛ではなく、話し相手だと思っているらしい……そんな考えがよぎるも、黙っておく。
リゲルも少し、誰かと話したい気分だったのかもしれない。部屋に入ると、ジリアンは銀の水差しから冷たいハーブティーを注いでくれた。
「王女殿下、震えていたよ。まあ、君は遠くて見えなかっただろうけど」
ソファーに足を組んで腰かけ、きれいな所作でグラスを口に運びながら。ジリアンは、独り言のようにそう言った。
彼の言うとおりリゲルからは見えなかったが、王女が震えるのも無理はない。相手が暴君であったなら、あの場で怒りを買う可能性もあった。
「僕も、殿下がブロンテオンに嫁ぐところなんて見たくない。断ってくれてよかったと心から思う。だが、あれは危険を知っての決意だったのだと、君に念押ししておきたい」
「……なぜそんなことを、私に?」
ジリアンはグラスを置いて大袈裟に溜め息をつくと、鼻白んだような表情を向けてくる。
「君は本当になんなんだい? 僕はそんなに鈍くない。とにかく、王女殿下の決意を無駄にしないでくれ。今日はこれほどあっさり先方が引き下がるとは予想外だったが、もし今後何かあったら僕らが全力で彼女を守るんだ。いいね?」
その言葉に、リゲルはただ、頷いた。彼の真剣さがわかったから。彼女のそばにいると決めた自らの思いについても、身が引き締まるような感覚を覚える。
それから、一見華やかなものにしか興味のなさそうな美貌の貴族令息が、なぜあれだけの剣の腕を持っているのか。その理由が見えた気がした。
「まったく、殿下はどうしてこんな男のことを気にかけていらっしゃるんだか……」
ぼやくジリアンを見ながら、なぜ彼は王女の前で素を晒さないのだろう、そんなふうに思う。
だが、それについては他人のことを言える立場じゃないか……と。リゲルは彼女の笑顔の眩しさを思い出し、淡金色のハーブティーを静かにすすった。




