34.収穫祭と決心
キンッ!
鋭い金属音が、鍛錬場に響き渡った。
ミアの模擬剣による渾身の一撃を、あっさりと弾き返すクルード王。
…ここは、ハインツ公城の中にある衛兵の鍛錬場。
今日はここを貸し切って、クルード王による剣術の訓練が行われていたんだ。
「やぁっ!とぉっ!」
「ふんっ!踏み込みが甘いっ!」
ミアが鋭く飛び込んで突き出した剣を、クルード王は少し身体を動かすだけで軽くかわしてしまった。
しかも、すれ違いざまに足をかけ、引っかかった姉さまはバランスを崩してしまう。
その隙を逃さず、お父様はスッと近寄ると、姉さまの背後から首筋に剣を突きつけた。
「…そこまでです」
ベアトリスの一声で、決着が付いたことが告げられた。
…もちろん、お父様の勝利だった。
鍛錬場の側に座ったまま、その様子を見学していたぼくと…隣に居たエリスは、決着が付いたことを確認して、小さく拍手をした。
「二人とも凄かったね!カレンもそう思わない?」
「う、うん。そうだね…」
無邪気に拍手をするエリスの横で、ぼくは落ち着かない気分を抱いていた。
世間でも有名な…一流の剣術の腕を持つ父親。そんな父親に、才能だけで喰らい付く姉。
それに対して、自分はどうであろうか…
汗を拭きながら悔しがる姉さまに、良かったところと悪かったところを指摘するお父様。
そんな姿を見せつけられて、ついに…ぼくは我慢出来なくなったんだ。
「…やる」
「えっ?」
「ぼくもやるっ!」
突然のぼくの言葉に、驚きの表情を浮かべるエリス。
そんな彼女を横目に、ぼくは壁に立てかけてある木剣の中から、一番軽そうなものを手に取った。
ぼくの行動に驚いたのは、エリスだけではなかった。
「カレン、お前…大丈夫なのか?」
「あんた大丈夫?無理しなさんなよ?」
心配してるんだか、からかってるんだか、わからないような言葉をかけてくるクルード王とミア。
だけどぼくは…そんな言葉にめげることなく、ポケットから取り出したリボンで髪の毛を後ろに縛った。
よし、これで準備万端だ。
「お父様、お願いします」
「あ、ああ…」
戸惑いながらも…ぼくが剣を構えたのに合わせて、こちらも木剣を手に取るお父様。
ぼくだって、有名な剣士であるお父様の子供だ。
それに…今まで二人の訓練をこうやって横で見てきたから、感覚は掴んでいる。
やれば…出来るはずだ!
そう思って剣を構えると、「やあーっ!」と叫びながら、ぼくは剣を振るったんだ。
…だけど、次の瞬間。
ぼくの意識は暗転していた。
久しぶりの、『禁呪』発動だった。
やっぱり『禁呪』が発動しちゃうんだ…がっかり。
しばらくして意識を取り戻したぼくを、見下ろしながらケラケラと姉さまが笑っていた。
くっそー、なんとか自分を変えたいと思ってたのに…
本当に悔しい。無念。
エリスが心配そうに額に濡れたタオルを押し当ててくれてるのが、これまたなんとも情けない。
「あーあ、やっぱりだめだったか…」
そう呟くぼくのことを、お父様は…何故だか優しい目で見つめていたんだ。
「よし、今日の授業はここまで。二人ともお疲れ様」
「「おつかれさまでしたー!」」
「ところで二人に話があるんだが…」
ぼくが完全に息を吹き返し、一通りの授業が終わったタイミングで、お父様が改めてこう口にした。
「ん?なーに?」
「もしかしたら気付いてるかもしれんが…もうすぐ『ハインツの収穫祭』の時期なんだ」
「あっ…」
ぼくは思わず声を出してしまった。
そうだ、すっかり忘れていた…
もうすぐハインツ公国最大のお祭り、『収穫祭』だ。
ミアはタオルで汗を拭きながら、お父様に問いかけていた。
「『収穫祭』と言えば、今年もあたしに出番があるわけ?」
「そうだ、ミアには精霊の加護の受け手である『青年』役に、今年もなってもらう。それで…肝心の『精霊』役のほうなのだが…」
そう言いながら、お父様がぼくのほうをチラリと見てきた。
…言いたいことは、だいたい予想できる。
「出来ればカレンに、その…『精霊』役をやってもらいたいとは思っておるのだが…まぁ、無理はせんでいいから」
やっぱりそうだった。
去年もぼくに『精霊』役の相談があったんだけど、そのときはきれいさっぱりお断りしたのだ。
だけど…今年は少し状況が違っていた。
ぼくは少し考えた。
確かに断るのは簡単だ。
これまでもそうして…この手のものは全て断ってきたし、お父様もそのことに関しては分かった上で、ダメ元で聞いて来たのだろう。
…だけど、今回は少し違う。
ぼく自身の考え方が変わってきていた。
今までのままじゃいけない…
変わっていかなければいけない。
そう、強く思うようになっていたんだ。
特に先日の…エリスがルクルトと話しているのを見て動揺してしまったこと。あれはよろしくなかった。
ぼくはあのとき…エリスに「依存」してしまっている自分に気づいたんだ。
どうやらぼくは、自分でも無自覚のうちにエリスのことを頼りにしていたらしい。
…そうでなければ、あのときあれだけ動揺した理由がわからない。
あのときぼくは…たぶん、頼りにしていたエリスが、自分以外の誰かと楽しそうに話していることに不安を感じたのだ。
…そうとしか思えない。うん、そうに違いない。
だからぼくは、もっと自立しなければならなかったんだ。
自分一人で、いろいろなことができるようにならなければならなかった。
そうしなければ、いつまでたってもぼくは…エリスがいないと何もできない人になってしまう。
それだけは、絶対に嫌だった。
そういう意味では、今回の話は良いタイミングだった。
これをぼくがちゃんとやり遂げることが出来れば…自立したことの証明になるのではないだろうか。
だからぼくは…意を決して、クルード王に返事をしたのだった。
「お父様…。ぼく、やるよ」
「…ん?カレン、いま何と?」
「だから、ぼくはやるよ。収穫祭で『精霊』役を…やる」
ぼくの言葉に、お父様と姉さまは驚きの表情を浮かべていた。
「カレン…本気か?」
「あんた、大丈夫なの?人前に出るんだよ?」
「うん、大丈夫。ぼくは…覚悟を決めたんだ。『精霊』役を、立派に務めてみせるよ」
胸を張ってそう宣言してみると、なんだかやる気が湧き出てきた。
心底驚いている二人を見ているのも、なんだか清々しい。
今回の件は、ぼくにとってもターニングポイントだ。
きっとやり遂げてみせるぞ!
…それにしても、エリスはぼくのこの決意のことをどう思ってるかな?
そう思ってエリスの方を見てみると…
彼女は、話についていけないといった様子でポカーンとしていた。
あ、そうだった。
エリスは収穫祭のことを知らないんだった。
こうして、ぼくの気合は…あっけなく空振りに終わったのだった。
その日のお昼。
ぼくたち三人は、お城の中庭にある小さなベンチで昼食を食べることにした。
今日のお昼はサンドイッチだ。ベアトリスがお茶を給仕をしてくれている。
サンドイッチを頬張りながら、ぼくはエリスに『収穫祭』について説明した。
「あのね、エリス。収穫祭っていうのは、文字通りの収穫記念のお祭りなんだけど…その説明をするには、少しだけハインツのことを説明しないといけないんだ」
ぼくの話に、サンドイッチをほおばりながらコクコクと頷くエリス。
んー、なんだか小動物みたい。
「まず、ここハインツはね、土地が痩せてて農作物が育ちにくい環境なのはエリスも知ってるよね?
だけど…なぜかワイン用のぶどうだけは極上の品種が生育しやすい環境らしくて、しかも品質がすごく良いんだ。
だから、そんなぶどうで作るハインツ産のワインは、すごく美味しいって評判でね。おかげで、数少ないこの国の…貴重な名産品になってるってわけ。
それで、毎年秋にワインの原料となるぶどうの収穫と、ワインの製造が行われているわけなんだけど…
その収穫のお祝いと、芳醇なワインが出来ることを祈って行われるお祭りがハインツの『収穫祭』なんだ」
「へー、そうなんだ。『収穫祭』っていうと、農村で開催されるイメージなんだけどね」
エリスの言うことはもっともだ。普通『収穫祭』は村単位で行われる。
だけど…ここハインツの『収穫祭』は国家規模だ。スケールが違う。
「うん、そうなんだけど…ハインツの『収穫祭』は特別なんだ」
「そうそう!うちの『収穫祭』は凄いんだよ!」
突然ミアが話に加わってきた。
さすがお祭り大好き女。この手の話には黙っていられないらしい。
「ハインツの『収穫祭』はね、三日間に渡って行われる盛大なお祭りなんだ!なかでも特に有名なのが、最終日に行われる『精霊の儀式』さ」
「『精霊の儀式』?」
「そう。これはね、見目麗しき『精霊』が、この土地に迷い込んできた『青年』に、芳醇の象徴である『ぶどう』を与えて、以後の繁栄を約束するっていうストーリーの…ちょっとした演劇なのよ。そう、儀式という名の演劇なんだけど…
この『精霊』と『青年』ってのがね、基本的に王家の者が担当するしきたりになってるんだ」
「へぇ…でもまたなんで王家なの?」
「それがね、なんでもうちの祖先がその青年と精霊らしいのよ。ご先祖様がその…精霊に会って、芳醇の約束をこの地で取り交わして、そのまま結婚してこの地に根を降ろしたとかなんとか。まぁ、ウソくさいけどね」
「あはは、ミアがそれ言ったらダメじゃない。
…でも待って、それじゃあ、さっきクルード王と話をしていたのは…」
エリスはようやく状況を理解したようだ。
まじまじと…ぼくの顔を見つめてくる。
「もしかして、ミアが『青年』役で、カレンが『精霊』役をやるってことなの?」
「そう、その通り!」
「えええっ!?カレン、大丈夫なの?」
エリスが心底心配そうな表情を浮かべて、ぼくのほうにすっと寄ってきた。
んー、やっぱりエリスは優しいなぁ。
でもぼくは、この優しさに甘えてばかりいてはいけないんだ。
「…大丈夫だよ、エリス。これは…ぼくが越えなくちゃいけない壁なんだ」
「…はぁ、壁?」
「そう。だから、エリスは心配かもしれないけど、ぼくはきっと乗り越えてみせるから!」
決まった!言ってやった!
ぼくはドヤ顔を浮かべてそう言い放った。
「そ、そっか。なんというか…カレンが決めたのだったら応援するけど、私に出来ることがあったら手伝うから、なんでも相談してね」
多少戸惑いながらも、エリスはぼくに向かってそう言ったのだった。
よし、めげずにがんばるぞー!
「ところで、去年までは『精霊』役はどうしてたの?」
「あー、去年までは『青年』役はあたしで、『精霊』役は…お祭りの1日目にオーディションしてたんだ。だから、毎回知らない娘がやってたよ」
「へぇー、なんだか大変なのね」
そんな感じでぼくたちがエリスに詳しく三日間の『収穫祭』の説明をしていると、向こうのほうから手を振りながらサファナがやってきた。
「やっほー、元気?あなたたちのこと探してたんだ!」
「あ!サファナ!!聞いて聞いて!カレンが今年の『収穫祭』に参加するってさ!」
「ええっ!?」
サファナがその言葉を聞いて、ものすごい驚きの表情を浮かべた。
…そ、そんなに驚くことかなぁ?
「いやー、ちょうどそのことをカレン王子にダメ元で相談しようと思ってたのよ!
なんという偶然!良かったぁ!問題解決だわ!」
サファナは嬉しそうにそう言うと、そのまま小躍りしながら元来た道を戻っていってしまった。
一体なんだったんだろ?
…それに、ダメ元で相談?
…問題解決?
ちょっと言葉の意味はわからなかったけど、まいっか。
そのときのぼくは、サファナ言葉の意味を…さして気にすることなく、受け流してしまったんだ。
だけど…
のちにぼくは、そのことを激しく後悔することになる。
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後日。ハインツ公国において、『収穫祭』にまつわる二つの大きな噂がまことしやかに流れた。
一つ目の噂は…
今年の『収穫祭』に、『月姫』ミリディアーナ姫が…『精霊』役として参加する、というもの。
そして、もう一つの噂は…
『収穫祭』のスペシャルゲストとして、『光の女神』アフロディアーナが参加する、というものだった。




