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29.星空の映る海

 

 夕食後、お風呂で火照った身体を冷まそうと考えたカレンぼくは、海風に当たるためにふらふらと一人で歩いていたんだ。


 そして、砂浜の近くまで来たとき…微かに歌声らしきものが聞こえてきた。

 歌声に誘われるかのように歩いていくと、そこには…流木に腰掛けて、歌を口ずさんでいるエリスの姿があった。


 彼女が歌っていたのは、昔からある『夜の海の歌』だった。

 その優しげなリズムが、風に乗って流れてくる。


 月や星の光に照らされてうっすらと確認できるエリスの姿に、なぜだかぼくは…思わず息を飲んでしまった。


 やがて…ぼくの気配を察したのか、エリスが歌を中断してこちらの方を振り向いた。

 だからぼくは、慌ててエリスに声をかけたんだ。



「あれ…?エリス、こんなところでどうしたの?」

「んー、なんだか今日は星空が綺麗だったから…ちょっと来てみたんだ。カレンは?」

「あ、うん。ぼくはお風呂上がりに涼もうと思って…そしたら歌声が聞こえてきたからさ」

「…そっか、それじゃあ私の歌が聞こえてたんだね」


 エリスはちょっとだけ恥ずかしそうに顔を伏せる。


 そんな…恥ずかしがるような歌声じゃなかったと思うんだけどなぁ。

 上手だったと思うし、個人的にはミスティローザの声より好きかも。



「カレン。立ち話もなんだから、よかったら座らない?」


 気を取り直したエリスにお招きしてもらったので、ぼくはお言葉に甘えて彼女の隣に腰を下ろすことにしたんだ。





 肩下まで伸びたエリスの髪の毛が、ふわりと風に舞った。そのうちの一部がぼくの頬を掠める。

 二人の距離の近さをみょうに意識させられて、ぼくはなんだか照れてしまった。

 だけどエリスは…そんなぼくの様子に気付くことなく、先ほどまでの自分の行動について説明してくれた。


「…トレーニングしてたんだ」

「えっ?」

「さっきの歌。あれはね、『天使の歌』を歌うためのトレーニングなんだ」


 へぇー、そうなんだ。


 ぼくは、そんなトレーニングは初めて聞いたので、少し驚いた。



 『天使の歌』とは、文字通り『歌う』ことで発動する…天使固有の魔法だ。エリスの説明によると、歌が上手なことが『天使の歌』には必要な要素らしい。


 言われてみれば、『天使』を題材にしたオペラでは歌を歌ってた気がする。

 あれは演出だと思ってたけど…本当に必要だったんだ。


 そういえばエリスは『天使』ではあるけど、未だに自分固有の『天使の歌』を見つけてないって言ってたっけ。


「だから私…ハインツここに来るまでは、毎晩こうして歌の練習をしてたんだ」

「へー、そうだったんだ。だからかな?エリスの歌はすごく上手だったと思うよ」

「えっ!?ちょっ…そんなことないよ。でも、なんかそう言われると照れちゃうな…」


 そう言うと、エリスは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。

 よっぽど歌を聞かれたのが恥ずかしかったのかな?

 少し気まずかったので、ぼくは別な話題を振ってみることにした。


「そういえばエリスは『天使の歌』って見たことあるの?ぼくはオペラでしか無いんだけど」

「私は…あるよ。私が見た天使の固有魔法『天使の歌』は、本当に不思議で凄い力だった。もちろん、その能力には個人差がすごくあるみたいなんだけどね」

「エリスが見たことある天使って…もしかして、エリスのお師匠様?」


 ふいに思いついたその問いかけに、エリスは微笑み返すだけで、明確には答えてくれなかった。




 …エリスは時々こうやって色々なことを秘密にすることがある。

 それはきっと、ぼくの知らない誰かのことを庇っているのだと思う。

 それはわかるんだけど…

 ぼくにはそれが、少しだけもどかしかったんだ。


 そう思ってしまうのは、ぼくのわがままなのかな?





「星が綺麗ね…」


 ふとエリスが、空を見上げながらそう口にした。


 海辺で見る星空は本当に綺麗で…少しだけど海に星が映っている様子から、まるで宇宙の中に二人で立っているみたいだった。



 …独特の、不思議な空間。


 その中で、ぼくの心境にある変化が起こっていた。

 今なら…色んなことが言えるんじゃないかなって。そんな気持ちになっていた。




 だからぼくは…今まで誰にも言えなかったことを、自然と口にしていたんだ。





「ぼくはね…」

「…ん?」


 しばらくの沈黙が続いたあと、ぼくはそう話を切り出した。

 エリスの自然な切り返しに促されるように、ぼくはさらに言葉を続ける。


「ぼくはね、ずっと怖かったんだ。こんな女装かっこうをすることが…ね」

「…えっ?『嫌だった』じゃなくて、『怖かった』の?」

「うん。ずっと女装をしていることで、その状態に慣れてしまうのが怖かったんだ。

 完全に受け入れてしまうと…なんだかもう戻れなくなってしまうような、そんな気がして」


 これこそが…

 ぼくが『女装』を嫌がっていた理由の本質だった。

 たぶんぼくは、このままずるずると受け入れて…流されていって…戻れなくなってしまうのが怖かったのだ。

 それは、言葉にできない類の恐怖だった。



「その気持ち…もしかしたら私にも少しだけ分かるかもしれない」

「えっ?エリスが?」

「うん。なぜならね…かつての私も、自然と流されてしまうことが怖かったから」


 そしてエリスは、漠然とした表現で…昔のことを少しだけ話してくれた。


 かつての自分は、決められた人生のレールの上に乗っていたこと。

 そんな…決められた運命に流されるのが嫌で、人生のレールから抜け出そうともがき苦しんだ日々があったことを。


「カレンの悩みとは、ちょっと質が違うかもしれないけど…

 なんというか、流されてしまうことに対するよくわからない恐怖っていうのかな?そういうのが昔の私にもずっとあったんだ。

 それが嫌で色々やってたら、こんなふうになっちゃったんだけどね」

「そっか…エリスにもそんな時期があったんだね。

 あ、でもね。ぼくも今は少し気持ちが変わったんだ。

 この前の一件で、あの女装かっこうにも使い道があるんだってことを理解したってのもあるんだけど…」


 そう、ぼくは変わったんだ。

 そしてそれは…ひとつの大きなきっかけがあったから。


「一番の大きなきっかけはね…エリスに『カレンがどんな格好しててもカレンだよ』って言ってもらえたからなんだ。

 あの一言に、ぼくは本当に救われたんだ。

 たとえこんな女装かっこうをしてても、ぼくはぼくであれば良いんだって…考えられるようになったんだ」

「カレン…」

「あの一言はね、ずっとぼくの心に引っかかっていた恐怖を、いとも簡単に吹き飛ばしてくれたんだよ。

 だから、今日はエリスにそのお礼を言いたかったんだ。

 エリス、ぼくの心の悩みを取り払ってくれて、ありがとう」


 言えた。

 …言うことができた。


 このときのぼくの心は、言いたいことを言えた満足感と、言い慣れないこと言った気恥ずかしさに満たされていたんだ。


 そんなぼくの右手を、エリスは優しく握りしめてくれた。

 突然のことに、ぼくはドギマギしてしまう。


「そんな…私は何もしてないよ。解決したのはカレン自身だよ。だから、胸を張っていいと思う」

「でも…」

「それに、実はお礼を言いたかったのは私の方なんだ。あのとき、私のことをかばってくれてありがとう」


 あの時って、ミスティローザの件のときかな?


「それと…私のことを友達って言ってくれてありがとう。本当に嬉しかったから…」

「ええっ!?そんなの当たり前だよ。そんなことでお礼を言うなんて、エリスに変なの」

「えへへっ、そうかな?」


 ぼくたちは、お互いの顔を見合って同時に吹き出してしまった。


 そして、そのときになってようやく…エリスは自分の手がぼくの手を握っていることに気付いた。

 どうやら無意識の行動だったらしい。

「あっ…」と声を上げながら、慌ててぼくから手を離した。


 ちょっとだけ流れる気まずい沈黙。


 照れ隠しのために空を見上げると、さっきまでと変わらない満天の星空がぼくたちを包み込んでくれていた。






「…こうやって星空を見ているとね、私は親友かのじょのことを思い出すんだ」

「…それって、エリスの師匠のこと?」

「うん。彼女と…大切な約束をしたのも、こんな星空の夜だったんだ」

「…」

「…ティーナ、元気かな。ちゃんと友達作ってるかな」


 エリスの独り言に、ぼくは何も返事を返さなかった。

 きっとエリスは、ぼくの答えを期待していなかっただろうから。

 だからぼくは、黙ってエリスの独り言を聞いてたんだ。

 少しだけ、エリスの親友のことが羨ましくなった。




「ふわぁ…。なんかいろいろ話してスッキリしたら眠くなってきちゃったね」


 しばらくして、エリスがあくびをしながらそう言ってきた。

 どうやらずいぶん長い時間、二人でこうしていたようだ。


「そうだね、もう結構遅い時間みたいだしね」

「うん。それじゃ今日は寝ましょうか。おやすみカレン」

「おやすみエリス。また明日」


 ぼくたちはお休みの挨拶を交わすと、一緒に別荘へと戻っていったんだ。




 こうして、ぼくたち一同のメルキュール海岸での夜は過ぎていったのだった。












 ------------------------











 翌朝。

 思ったより早く起きたミアあたしは、朝の海岸をのんびり散歩してみることにした。


 あーあ、昨日はヴァーミリアンおかあさまのせいで酷い目にあったなぁ。


 そんなことを考えながら海辺に出ると、そこではエリスが、一人でなにやら棒切れのようなものを一心不乱に振り回していた。


 あれは…踊り?

 いっちに、いっちに。

 なんか声まで出してるし。


 しばらく観察してみると、どうやら手に持った棒を剣に見たてて全身を動かす踊りのようだ。なかなかいい運動になりそうなのが分かる。


 あたしがぼんやりとその様子を眺めてると、エリスは一通り棒踊りのようなものを踊り終えたのか、動きを止めてふーっと満足げに息を吐いた。

 そのスキに、あたしは声をかけてみることにした。


「エリス、朝っぱらからなにやってんの?」

「うわあっ!」


 突然真後ろから声をかけられて、エリスはかなり驚いたようだ。

 …それにしても、あんまり可愛くない悲鳴だなぁ。


「びっくりしたー!ミアじゃない。どうしたの?」

「んー、別にぃ。散歩してたらエリスが変な踊り踊ってるの見かけたから、見に来ただけぇ」

「ちょっと…変な踊りって、違うよ!」


 エリスってば、えらくムキになって変な踊り説を否定してくるなぁ。

 んまぁ、否定したところであたしの中じゃあエリスは怪しい原住民の踊りを踊る人になっちゃったんだけどねー。


「じゃあそれなんて踊りなの?」

「ベリーのソードダンス」

「ビリーのブートダンス?」

「ち・が・う!ベリーのソードダンス!知ってる?」

「なにそれ?知らなーい」

「そっか…なんでもブリガディア王国の貴族の女性の間で一大ブームを巻き起こしたダイエットダンスらしいよ」


 そうして、エリスはこの『ベリーのソードダンス』について、聞きもしないのに詳しく教えてくれた。


 エリス曰く、この『ベリーのソードダンス』は…踊り子と称されるベリーさんって人が編み出した、剣を使ったダイエットのためのダンスだそうだ。

 なんでも、ブリガティア王国に居るエリスの親友が、体力増強のために教えてくれたものらしい。


 それって例の『魔法の師匠』のことかと尋ねたら、それとは別人なのだそうだ。

 バレンシアっていう名前の、赤い髪をしたグラマーなお姉さんらしい。


 へー、案外エリスも友達多いのかな?


 ちなみにこのダンスは、毎日続けたら一ヶ月でくびれができるとかなんとか…



「へー、エリスもそんなのに興味があるお年頃だったんだね」


 そう言われて、エリスは返答に困っていた。別にダイエットしたいわけではないようだ。


「まいいや、せっかくだからあたしにも教えて!」


 とりあえずあたしは、『原住民の踊り』…もとい、『ベリーのソードダンス』に興味が湧いたので、退屈しのぎに教えてもらうことにしたんだ。







 いっちに、さんしっ。

 おいっちに、さんしっ。



「なんだ、簡単じゃんこれ」

「…」


 やってみて、素直な感想を言ったらエリスはほっぺたを膨らませてしまった。


 ブツブツと「私が覚えるのに1週間以上かかった踊りを、たった1回であっさりとマスターするなんて…才能センスって理不尽だわ」などと呟いている。


 むふふ、変なやつ!


「でもさ、慣れてるわりになんかエリスって動きがぎこちないよね」

「ほっといてよ!」


 そうしてしばらく二人で踊っていて…ふいにあたしは思ったことを口にしたんだ。


「なんかさ…」

「ん?今度はなに?」

「友達と朝からこんなことしてるってのも、なかなか良いよね」


 その言葉に、エリスは動きを止めた。

 私の顔をマジマジと見つめている。


 …あたし、なんか変なこと言っちゃったかな?


 そう思ってると、それまで黙ってあたしを見つめていたエリスが口を開いた。


「私って…ミアの友達?」

「え?うん」

「そっかー。えへへっ」


 そう言うと、エリスは嬉しそうにヘラヘラと笑い出したのだった。


 なんだろなー、変なの。


「よーし、だったら負けないぞ!」

「むむっ!?」


 かと思ったら、エリスがそう宣言して急にダンスのピッチを上げてきた。

 ちぇっ、ムキになっちゃって大人げないやつ!

 そう思いながら、あたしもムキになってピッチをあげる。




「朝っぱらから二人でなにしてるの?」

「それってもしかして、ベリーのソードダンス?にしては、なんか動きが早すぎて気持ち悪いんだけど…」


 そしたら、ふらっとやってきたカレンとサファナにそんなことを言われてしまった。

 二人から容赦無く浴びせられる、不審者を見るような視線…

 くっそー。さっきまで自分が取っていた態度を取られるなんて、なんだか理不尽だ。

 


「…まぁでも面白そうね。私も踊るわ!」


 お、サファナが喰いついてきたぞ。


「せっかくだから、カレンも一瞬に踊ろうよ!」


 カレンの弱点である…エリスからそう言われて、断りきれずにカレン(おとうと)も参戦してくる。



 そんなわけで四人で踊っていると…今度はクルード王おとうさまヴァーミリアン王妃おかあさまがやってきた。


「お前たち…なにやってるんだ?」

「ちょっとちょっと!これは『ベリーのソードダンス』っていう、由緒正しい腰のくびれができる踊りなんだよ?」


 そんなあたしの発言に、二人がガッツリ喰いついてきた。


「ええっ!?腰のくびれ!?なにそれ、私もやるわっ!」

「ほぅ、ソードダンスか…なかなか面白そうだな!わしも混ぜてくれ」



 結局6人で『ベリーのソードダンス』を踊り始めたんだ。

 そしたら…


「…みなさん、なにをされているんですか?朝ごはんの用意が出来ましたよ」


 最後は、朝食が出来上がったので呼び出しに来てくれたベアトリスに、冷たい目で見られてしまった。

 えーい!ここまできたら、一人だけ蚊帳の外なんて許さないぞ!


「なに一人で他人事みたいにしてるのさっ!ベアトリスも参加しなよ!」

「えっ?まぁ、ミア様のご希望であれば…」



 朝の海岸で、みんなで怪しいダンスを踊る。

 …なんというか、恐ろしい光景。





 なんだか最後はよくわからなくなっちゃったけど、こんな感じであたしたちの一泊二日のプチ旅行は幕を閉じたんだ。


 いやー、なんか楽しかった。

 また…みんなで行きたいな!

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