2:辺境伯の大叔父
「……どこかで修行でもしていたみたいじゃないか」
アミィの腕は細いながらしっかりと筋肉が付いている。
あまりに意外すぎてオズワルドは、「はしたない!」と怒る事を忘れてしまって普通に疑問を口にした。
「家を抜け出して身分を隠してこっそり街で働いていたんですよ。食べ物や必要品を買うために」
「伯爵令嬢がか!?」
「孤児院育ちの元平民ですもの。労働に抵抗はありませんわ」
「……必要な物も与えなかったという事か。伯爵家は!」
オズワルドはギリ、と歯軋りをした。
「私の意地ですね。できるだけ伯爵家の世話になりたくなかったのです。こちらから『ください』と言えば、品物と一緒に嫌味がついてくるのが当たり前でしたので」
「酷いな……成長期の子供に……。まさか服まで自分で調達していたんじゃ」
「自由に使っていいのがありましたから、そこまでは。庶民の服は買いましたけど」
(虐げられていた割には怯えもなく堂々としていると思えば……。生活力が高すぎるからか。これは腰を据えてもっと詳しく聞かなくてはならないな)
そう思案していたオズワルドだったが、いきなりドアを開いて「おい、オズ! 嫁さんがくるんだって!?」と言いながら入ってきた老年の男の姿に脱力する。
「カイマールおじさん。ノックくらいしてくださいよ」
「おお、悪い悪い。うっかりしてた。あ? そこの可愛らしい嬢ちゃんが嫁さんなのか? もう来ていたのか。それよりどうしておまえの執務室で、立たせっぱなしなんだよ! 夫人の部屋か応接間に案内するもんだろ!」
「うっ……。その通りです。挨拶に通してもらっただけで、晩餐の後に時間を作って話をしようと考えていたのですが、想定外が起こりすぎてつい……」
「ごめんな嬢ちゃん、気の利かない婿さんで」
「カイマールおじさんこそ名乗ったらどうですか」
いささかムッとしたオズワルドがつっけんどんに言う。
「ああ、俺はこいつの爺さんの弟のカイマール・ソロイドだ。こいつの大叔父になる。よろしくな」
「……アミリシアと、申します……」
人懐っこい笑顔の老人はオズワルドによく似ている。目を見開いて彼を凝視していたアミィは、思わずカイマールに近づこうとしてふらつく。
「おっと、危ない!」
年齢に似合わない俊敏さでカイマールがアミィを支えた。
「あ……申し訳ありません」
「ほら、立ちくらみだ! どこに座らせる? 応接室に連れて行こうか?」
「いえ、俺の妻です。俺がエスコートします」
急いでアミィの側まで来たオズワルドはカイマールから彼女の体を受け取り、「大丈夫か?」と肩を支える。それでもアミィの瞳はカイマールを捉えて離さない。
「ソロイド将軍……ですよね。きちんとご挨拶もせず失礼致します」
「おお、“元”だがな。嬢ちゃんみたいな若い子にも、名が知られているなんて嬉しいねえ」
「……ソロイド様……」
彼の名を呼ぶのに感情が乗ってしまった。二人が訝しげな顔でアミィを見た。そんなアミィをオズワルドは横抱きにする。
「きゃっ!?」
「妻の部屋に連れて行きます。おじさん、また後で」
「おう、いつもの客間にいるぜ」
ひらひらと手を振るカイマールは楽しそうな笑顔だった。
「あ、歩けますから……降ろしてください!」
婚約者だから問題ないのだろうが、恥ずかしくてアミィは抵抗する。
「こら、暴れるな。慣れないヒールで歩きづらいのだろう?」
彼はアミィが立ちくらみではなく、高いヒールの靴のせいでふらつくのを見逃さなかった。
「……でも、重いですし……」
「筋肉質だと覚悟していたからな。そうでもない」
オズワルドは正直に言う。
(そこの正解は、『君は羽のように軽いよ』が定番なのでは?)
しかし恋愛小説みたいな、そんな歯の浮くような台詞を言いそうにない男だ。それにしても初対面の婚約者に対して少し配慮が足りない。これでは『覚悟して抱き上げたけど思ったよりは軽かった』である。
自分の夫になる男は状況判断はできそうだが、乙女心はからっきしらしい。
(ん? 私に乙女心なんてあったかな?)
なんとなく可笑しくなり、アミィはこっそりと笑った。
連れて行かれたのは広々とした辺境伯夫人の部屋。壁は綺麗な薄緑で落ち着いており、家具や寝具は白を基調として真新しい。
「俺はよく分からないから家令やメイド長に任せたんだが、内装は君の気にいるように変えればいい」
「とんでもございません! 私の為にありがとうございます!」
アミィの本心だ。実家のブロールン伯爵夫人の部屋より広いしとても綺麗だ。まだかすかにペンキの匂いもする。アミィを娶るにあたり、急いで夫人の部屋を改装したのだろう。
オズワルドはそっとアミィをソファーに下ろす。
「専属メイドを呼ぼう。着替えて少し休むがいい」
「……いえ、一人で着替えは出来ます。しばらくゆっくりさせていただきます」
伯爵夫人は足に合うよう靴こそ誂えてくれたが、服は「今ある中で十分見られるのがあるでしょう」と新調してくれなかった。自分で着替えられるドレスなので手伝いはいらない。
「分かった。湯あみの準備を頼んでおく」
オズワルドはアミィが放置子と理解しているから、彼女の好きにさせる。
「晩餐は大叔父もいるだろうけど、あの通りざっくばらんな人だから気負う事もないからな」
そう告げて部屋を出ていく婚約者の後ろ姿を見送る。ドアが閉じられると、アミィは早速ソファーに横たわった。こんな令嬢らしからぬ真似も許される。彼女はろくに躾けられていない伯爵令嬢なのだから。
(どうやら蔑ろにされるわけではなさそうね。逃げなくても良さそう)
それにしても、まさかカイマール・ソロイド子爵がサイデルフィア家の傍流だったとは。社交界では周知の事もアミィは教わっていない。
(懐かしい……。性格は昔のまんまだわ……)
目を閉じて若き日の彼を思い浮かべる。そうしていると眠たくなってきた。
「おまえの嫁取りの条件が“虐げられている不遇な娘”と聞いた時はふざけてると思ったが、どうだった? 初めて会ったんだろ?」
いつも泊まる客室でちゃっかりワインを飲みながらカイマールがオズワルドに尋ねた。
「意外にも健康でしたね。とても強かに生きていたようです。ろくに食事をさせてもらっていないと聞いていたのですが、ちっとも痩せていない。幼い丸顔で顔だけが普通に見えていたのかと思いましたが。殿下の調査も一通りだったんでしょう。彼女はここから隣国に逃げても平民として十分暮らせると感じました」
「へええ。で、どうするんだ。お望みの不憫令嬢じゃなかったようだが」
「今更。もう婚約は成立しています」
「おまえは納得しているんだな?」
「もちろんです。むしろこの厳しい土地に追いやられた彼女の方が気の毒です」
カイマールが態度を改め真剣な顔になる。そしてオズワルドに心情を吐露した。
「あのなあ、あんまりサイデルフィア領を卑下すんなよ。俺は国そのものよりこの地を守りたいがために国軍に入って出世したんだぜ。その跡継ぎが嫁取りに不利を被るなんて冗談じゃない」
「でも甘やかされた令嬢にサイデルフィア辺境伯夫人は務まりません。虐げられる実家にいるよりは安心させてあげたいと思うのは、傲慢だとおっしゃいますか?」
「……うーん。おまえの爺さんも親父も豪快なジェイメル女を嫁にしちまったからなあ。確かにここ二代の領内は安定していたけど、あれが辺境伯夫人の標準だと思ったら駄目だ」
「ええ、祖母も母もジェイメルの騎士の家柄から嫁いでいますからね。わざわざ隣国で見染めて連れ帰った事実婚の後、エルセイロ王の許可を得る周到さだ。これで俺まで前例に倣うと、サイデルフィアがジェイメルに鞍替えするかもと危機感を持ったのでしょうね」
「同じ学年のレミス殿下が、学校でおまえを派閥に入れたのは分かりやすすぎたな」
「こちらも腹の中を疑われたくないし、殿下は気持ちのいい男でしたからね。だから今回俺の結婚を王に命令されただろう彼が気の毒で、お任せしたのですが……」
「俺もざっくりブロールン家を調べたが、現時点では目立った問題はなかった。殿下もその辺の評判込みで選出したのだろうよ」
そう、ブロールン伯爵家はまだ没落する手前。アミィはそれを知っているのか感じていたのか。この婚姻は彼女が伯爵家と縁を切る、最良の手段となるのを理解してやってきている。
サイデルフィアからそれなりの大金を払ってやったのだ。伯爵家にすれば不良債権が思わぬ良縁を結んでくれたと大満足だろう。あとからアミィを通じて金の無心をしたところで身分はこちらが上だ。オズワルドが拒否して終わりである。
そもそもアミィが応じないだろう。元々彼らを家族と思っていない。アミィを切り捨てたつもりが、アミィが伯爵家を切り捨てたのだと気がつくのはいつになるか。
「せっかくの縁だし、上手くいくといいんですが」
「愛情に飢えてるかもな。大事にしてやれ」
「そうですね」
そんな会話が交わされていたのは、アミィの預かり知らぬ事。
愛情に飢えている? そもそもアミィは愛情はあやふやだ。
朧げに記憶にあるのは幼い頃に感じた温もり。あれがアミィに与えられていた唯一の愛情__母親のものだったのだろう。しかしアミィはそんな不確かなものに縋って生きてこなかった。衣食住さえあれば満足で、適当に人と関わっていればよかった。




