1:初めましての婚約者
よろしくお願いします
「お初にお目に掛かります。アミリシア・ブロールンでございます。不束者ですがよろしくお願いします」
「ああ、オズワルド・サイデルフィアだ。よろしく頼む。アミリシア嬢」
「アミィで結構ですわ」
「そうか、では俺の事もオズと呼んでくれ」
「はい、オズ様」
アミィは礼を終えて顔をあげ、改めて婚約者を観察する。
__オズワルド・サイデルフィア。
三カ国に接した東の辺境伯当主。彼の母親は彼が十ニ歳の頃に病死。父親は異民族との紛争時に受けた傷が元でニ年前に死亡。成人したての十八歳にして辺境伯を継いだ青年である。
赤銅色の髪に琥珀色の瞳はこの帝国では珍しい色合いで、隣国の血を入れた辺境伯家ならではだ。
「……急な婚姻話でさぞ面食らっているだろう」
オズワルドが眉を下げる。
「はい。レミス第三王子殿下による縁結びと伺いましたが、社交界に姿を見せない私が、サイデルフィア辺境伯の婚約者に選ばれた経緯が不明で戸惑っております」
「そうだよなあ、全く……いや、俺も面倒で丸投げにしたのが悪かったんだが」
「私が条件にぴったりだと書面にあったので、家中でもちょっとした騒動でした」
「あいつ、命令書だけで済ませやがったのか……」
オズワルドが苦虫を噛み潰したような顔で吐き出した。王子を“あいつ”呼ばわりできるのも、彼が貴族学校在学時の同級生であり、友人である気安さからだろう。アミィは婚姻にあたりそのくらいの情報は得ている。
「……聞かせていただけますか? その条件を」
初対面とはいえ、すでに正式な婚約者である。アミィは遠慮せずに問う。気まずそうな表情でオズワルドは頭を掻く。
「……まず、最近のサイデルフィア家は、結婚相手を選ぶのに苦慮していると知っているか?」
「いいえ、そうなのですか?」
「考えてみろ。ここは小競り合いの続く国境。更に大型魔獣の棲まう国内最東の湿原森を有している。そんな危険地に令嬢を嫁がせたい貴族なんかいない」
もうアミィの淑女の笑みは消え「ああ、なるほど」と素の顔で頷く。地位も歴史もあるサイデルフィア家の事情を初めて知った。
「俺の母も祖父の妻も隣のジェイメル王国から輿入れしている。隣国三カ国の中では国交が安定しているから、当然政略的な意味もあった」
「……ああ、二代続けて外戚を得たから、“オズ様の相手は国内で”との王家の思惑ですか」
「その通りだ。父も祖父も嫁選びが難航してな、昔みたいに親戚筋で“国境を守ってやる”なんて気概のある女性もいなくなった。これは中央貴族の安全な生活の様子が地方に伝播したせいだ。王家は王命による結婚を良しとはしなかったしな」
それはアミィも聞いたことがある。どこかの国の王が勝手な王命を出しまくった結果、反感を買いすぎて革命が起こり大変な事になったらしい。それが教訓として他国にも伝わっている。
「だが王家だって自分たちの好ましくない婚姻は裏で潰す。まあ支配者ならその程度は当たり前だがな」
アミィはオズワルドの言葉の続きを引き取る。
「……つまり、可もなく不可もない家柄のブロールン家が王家に選ばれたと」
ブロールン伯爵家には第三王子が仲介者の形で、サイデルフィア家との婚姻を求められた。“アミリシア嬢”と名指しだった。姉のリーゼロッテは跡取り娘だからそこは配慮されたのだろう。
婚家として敬遠される辺境伯家とは云え格上である。ブロールン伯爵にとっては庶子アミィの婚家先として文句のない相手で、すんなり決まった。『貧乏人か老人に』と悪意を持っていた夫人には“残念でしたね”だ。
「それでも不思議です。他にも相応しい家はあったはずです。ブロールン家の次女は引きこもりで、社交界デビューも出来なかった教養のない恥晒しとのうわさが囁かれていました。そんな問題娘を辺境伯に宛てがうなんて、一体何が決め手だったのでしょうか」
「それに加えて、しょっちゅう屋敷を抜け出して、街で平民と遊びまくっているとあったぞ」
「引きこもりと矛盾してないですか」とアミィが首を傾げると、「全くな」とオズワルドは笑う。
「だから貴族らしい生活を嫌がって社交界では見かけないって話になっている」
「それなら余計に配偶者として相応しくないじゃないですか」
「でも、うわさは所詮うわさだ。そうだろう?」
オズワルドはしっかりとアミィと目を合わす。が、すぐに視線を外した。
「……いや、これでは話が進まないな。… …俺がレミス殿下に示した条件はただ一つだった。家で不遇な目に遭っていて、この婚姻によって保護してあげられる令嬢をお願いした」
「はあ!?」
予想外で、アミィは思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「それで殿下が調査して探してきたのが君だ。ブロールン家のアミリシア嬢は庶子で、本邸と隔離されて住んでいる。使用人すら彼女の姿を殆ど見ない。掃除も洗濯も大物以外は自分でする。そして食事は適当で、丸一日与えられない時もある。どう考えても、継子虐めだろう」
「次女のうわさを、殿下は信じなかったのですね」
「不義の子を奴隷扱いしていたり、嫡男が不当に追い出されていたり、老夫婦が表舞台に出ないと思えば、実は殺されていたとかね。物騒な事件がたまにあるから裏を取る。殿下は不遇そうな君に目をつけただけで、ブロールン家を虐待疑惑の標的にしていたわけじゃない」
オズワルドはブロールン伯爵家だけの問題ではないと、慌てて弁明した。実家の不評判はアミィを傷つけたかと思ったのである。
アミィが伯爵家に引き取られたのは七歳の時だ。別邸に隔離して食事も一日以上抜いたりしていたのは、明らかな育児放棄とレミス王子に判断され、条件に合うと思われた。
そもそも伯爵令嬢として嫁に出す気ならもっと教育を施すべきだった。だがマナー講師と教師を雇ったのは十歳時の短期間。せめて姉同様、貴族学校に入れればよかったのに、同学年の異母妹をできるだけ隠したかった伯爵家の意向で通わせなかった。
つまり、元々アミィにちゃんとした縁談を用意する気は無かったという事だ。
名ばかりの“伯爵令嬢”の肩書きで、どこかの老貴族の後添えや妾として差し出すための存在である。
アミィも伯爵夫人のそんな思惑は理解していた。伯爵はてんでアミィに興味なかったから夫人の一存で将来が決まる。
伯爵に迷惑を掛けてもいいアミィが、呑気に「ひどい相手なら逃げるか」程度に自分の政略結婚を考えていたなんて、オズワルドの理解の範疇外だ。なんせまだ十七歳の少女である。
「……だから持参金は求めないでこちらから支度金を提示した。伯爵領の銀山は銀が尽きて、今新しく採掘中だけど結果は芳しくない。信用取引も断られるくらい資金繰りに苦労しているのに生活水準は下げないから、ブロールン伯爵家には結構な借金があるよ」
「存じ上げております」
そうなのだ。農業とか名産品とか領地改革にも力を入れたらいいのに、父親は鉱山に拘りすぎた。採鉱にも金が掛かるのを甘く見ているのではなかろうか。それに借りた金の金利はちゃんと理解しているのだろうか。
(ま、私は泥舟から逃げるから関係ないけどね)
これはブロールン家と縁を切るための婚姻だ。しかも王家のお膳立てときた。物理的にも元家族と離れられるので、これ以上の良縁は望めまい。
「……こちらから金を渡してやるんだ。君は絶対俺に寄越されると思ったよ。閉じ込められていた君はいつも肌の露出が少ない古めかしい大きめのドレスを着ていて、それは痩せているのを隠すためと報告を受けた。……まさか虐待の跡があるとか?」
オズワルドは思いついた疑念を口にした。
「いいえ、暴力と言えるものはありませんでした」
アミィは否定した。それから僅かばかり微笑む。
「……王家の調査も型通りでしたのね。情報は正しくありません。私は屋敷を抜け出していましたよ」
「え?」
きょとんとするオズワルドに「それに」と、いきなりアミィは右腕の袖をめくってみせる。意表すぎる行動にオズワルドは何が起こったか一瞬分からなかった。
「なっ!? 淑女が何をしているんだ!!」
慌てて叫んだがアミィは全く意に介する様子はない。
「ほら、見てください。別に痩せていないでしょう?」
オズワルドは仕方なく注目して、そこで気がついた。アミィは自慢げに力瘤を見せている。
(……令嬢の腕ではない)
「ね? 食べ物に困ってはいなかったんですよ。このタイプの衣装を好んでいたのは、この鍛えている身体をメイドにも見られたくなかったからです。だからなんでも自分でしていたんです」




