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75話*「原罪」

 射し込む光は暖かくて明るい。

 なのに真っ黒な鬼と傍に立つ人の存在が空気を冷たくする。


 震える身体を抱きしめたまま魔物の壁から顔を出すと、壇上と向かい合う団長さん達。みなさんの額からも汗が流れていて、ルアさんの口が動く。


「お前が……ランを落とした……?」


 確かめる声は怒気と戸惑いを含み、青水晶の瞳は揺れている。けれど剣を握りしめると、反論するように声を張り上げた。


「あいつは足を滑らせて落ちたんだぞ! あの場にいなかったお前がどうやって落とすんだ!?」


 滅多にない焦りを見せるルアさんに驚きながらも考える。

 確かにナナさんのように目撃することはできても、離れてる人を落とすことはできない。まして、いなかった人が……。


「いたぞ」


 涼しい声に、一瞬考えていたことさえ忘れる。

 壇上に目を移すと、黒い炎を帯びたノーマさんは微笑んだ。


「あの日、私は南の『福音の塔』内にいたし、キルヴィスアとコーランディアが話していたのも落ちたのも見ている」

「な……!」

「もっとも、二階からだがな。それでも“落とす”のは簡単だ」


 くすくすと笑いながらノーマさんは指を鳴らす。

 その音に彼の足元で地面が波紋を描いたように見えると、口元を手で隠したキラさんが眉を顰めた。


「『地紋波じもんは』か……」

「モモカ以外なら誰でもできるだろ? そして、よく転倒していたヤツだからこそ事件性はないと判断された」

「兄上……バナナの皮でも滑ってたしな」

「雨の日は特に酷かったね」


 怒りよりも羞恥が勝っているのか、セルジュくんは両手で顔を隠し、キラさんも溜め息をついた。ケルビーさん達も顔を背けていることに、コーランディアさんがかなりのドジっ子だったのがわかります。魔法で落とすという単純な方法さえ疑われないぐらい。

 でも、ルアさんは苦虫を噛み潰したように言った。


「たとえ事件性を疑われても……教本同様……揉み消したんだろ?」

「宰相という立場を利用した悪逆無道……とんでもない犯罪者ですね」


 吐き捨てるかのように言ったお義兄ちゃん同様、他も鋭い目を向けた。それはなんの効果もないとノーマさんは笑う。


「ははは、沈めるために宰相になったんだから利用して当然」

「てっめぇ、何があってこんなこと考えやがった!?」


 苛立ちがピークに達したようにケルビーさんが怒声を上げる。そんな彼を横目に、ルアさんが嫌々に口を開いた。


「モモカが……誕生式典に現れたときに「違ぇよ!」


 彼らがいなかったときに聞いた話をするが、眉を吊り上げたケルビーさんは遮る。ノーマさんを指した彼はいっそう声を荒げた。


「最初のキッカケだ! 掻き立てた何かがなきゃ、普通国潰しとか考えねぇだろ!? いったいいつからそんなバカなこと考えやがったんだ!!!」


 言われてみればそうだ。

 この事態を起こそうとしたのはわたしが誕生式典で現れてから……と言ってたはものの、国を沈めるために宰相になったのなら別のキッカケが必要になる。それこそ二十年も前にあった“何か”で。


 反響した怒声が自然と消えた室内は静寂に包まれる。

 唯一命令を待っているかのように動かない魔物が喉を鳴らしているが、わたし達はノーマさんを凝視していた。炎が帯びた右手を口元に持ってきた彼は静かに呟く。


「最初か……まあ、転機になったのは二十八年前だろうな」

「に、二十八年前!?」


 予想外の返答に、つい声を上げてしまった。

 焦るお義兄ちゃんがセルジュくんの前を遮ると、慌ててわたしも身を屈めるが、頭の中はグルグルしている。


 ちょっと待ってくださいよ! 二十八年前ってこの中じゃキラさんしか生まれてませんよ!! ノーマさんだって……えっと、確か今三十八だから……十歳!!?

 とんでもない年月に、それこそ何があったのか知りたいような知りたくないような気持ちになる。顔を出すと団長さん達も唖然としているように見えるが、その中で呟きを漏らす人がいた。


「二十八年前……アイツは……きて……兄上が落ちるのを二階……っ!」


 ブツブツと何かを言っていたセルジュくんは突如息を呑んだように大きく翠の目を見開く。すると、動揺した様子で遮っていたお義兄ちゃんを退けた。


「待てよ! そのキッカケってまさか「“クリミナル”」


 抑制のある声と胸元の光が遮ると、拳を握った鬼の片手が振り下ろされる。

 慌ててお義兄ちゃんがセルジュくんを抱え、他の団長さん同様跳んだことで避けることができた。叩きつけられた床には大きなヒビが入り、傍にいた魔物は圧死している。ぶるりと震えていると呑気な声が響き渡った。


「ん? モモカがいないな」


 ビクリと肩が跳ね、頭を引っ込める。

 誰もわたしを抱えてないことで気付いてしまったのか、ノーマさんは苦笑した。


「道理で静かだと思った。なんだあいつ逃げた……はずはないか。隠れん坊か? 好きだなあ」

「モモ、逃げろっ!」


 くすくす笑う声とは違い、酷く焦ったお義兄ちゃんの声に慌てて走る。

 直後、さっきまでいたところに拳が振り下ろされた。鼓膜が破れるかと思うほどの音と風圧に押され、浮いた身体が宙で転がる。


「きゃあああぁぁーーーーっ!!!」

「モモっ!?」

「お、見つけたか?」

「レオパルド!」

「ローボ!」


 わたしの悲鳴に、省エネではない巨大なオオカミさんとヒョウさんが鬼の両手に食いついた。二匹より少し大きい鬼はなんの悲鳴も上げず、引き剥がそうと振り回す。


 幸い魔物の死骸がクッションとなったわたしは軽く頭を打っただけでしたが、脳が揺れていて起き上がることができない。薄っすらと目を開くと、魔物の壁の間にできた隙間からノーマさんが見ているのに気付く。けれどすぐ、宙に佇むお義兄ちゃんに視線が移された。


「グレッジエル、大切な姫君は傍に置いておかないと取り返しのつかないことになるぞ」

「くっ……!」

「挑発にのんな宰相!」


 薄笑いする彼に、お義兄ちゃんは歯を食い縛る。

 今にも飛びかりそうな義兄をセルジュくんが抱きついて止めていると、ジュリさんがわたしの元へ駆け寄ってくるのが見えた。直後、ドンッと何かが落ちる鈍い音と震動が伝わる。


 目に映るのは、天井まで噴き上がった青い飛沫。

 傍には宙に浮いたルアさんがいるが、太陽で輝いていた綺麗な琥珀の髪も白のコートも、降り注ぐ青い雨を被っている。特に握りしめる剣は自身のマントのように真っ青に染まり、目も据わっているように見えた。


「本物のバケモノだな……青薔薇」


 呟きと同時に口笛を吹いたのはノーマさん。

 よく見れば、わたしの傍で膝を折ったジュリさんも、床に着地したオオカミさんとヒョウさんに乗るケルビーさんとキラさんも、お義兄ちゃんも目を瞠っていた。その顔はどこか恐怖しているようにも見え、セルジュくんに至っては震えながらお義兄ちゃんの背中に顔を埋めている。

 どうしたのだろうと目線を動かす前にノーマさんの声が届いた。


「人間相手ではないとは言え、躊躇いもなく刎ねるとは……」


 意識がはっきりする言葉にジュリさんを見る。

 口元に手を寄せた彼女は左右に頭を振るが、目の端で捉えてしまった。さっきまで天井近くにいた角を生やしたモノの頭が床に転がり、青い海を作っているのを。


 結界でも張っているのか、真下にいるノーマさんに飛沫はかからないが、その額からは汗が流れている。全員が言葉を失う中、ルアさんは濡れた髪をゆっくりとかき上げた。


「魔物もどきに加減するわけねぇだろ……特に黒は嫌いなんだ……」


 静かな声はとても低くて冷たい。

 “黒”に過剰反応を起こした身体は震え、宙に佇む人に目が向く。一瞬重なり合った瞳に心臓が跳ねるが、青水晶に曇りはなく、口元に小さな弧が描かれた。青い噴水に切っ先が向けられる。


「モモカ、以外はな」


 振り上げた剣と同時に飛びかかる彼に、わたしは大きく目を見開いた。

 両手を動かすノーマさんの胸元の光が強くなると、青い噴水を噴出したまま両手は動きだす。素早く飛び回る彼を捕まえようとする光景に、どこからか苦笑する声が聞こえてきた。


「マジギレしたかと肝冷やしたじゃねぇか」

「少しは自制というのを覚えたようだね」


 解放精に乗ったケルビーさんとキラさんは一息つくと、恐怖など払い除けた顔で目先を見据えた。

 同時にオオカミさんとヒョウさんが勢いよく床を蹴り、また鬼の両手へと食いつく。飛び降りた主人達は、ルアさんに飛びかかる魔物を一掃していく。

 舌打ちしたノーマさんに、床に落ちたモノの口が開くと、黒い光のようなものが見えた。


「危ない!」

「クエレブレ」


 咄嗟に上げた声に反応したのはお義兄ちゃん。

 冷静な声に先ほども見た巨大なシロヘビさんが水柱から現れる。長い尾は床に転がっていたモノに絡みつき、わたし達がいるのとは反対の壁に向かって勢いよく放り投げた。宙を回転するモノの口からは黒い一線が発射されるが、天井や床に穴を開けながら壁をぶち抜くと、外へと落ちて行った。


 壁穴から入り込む大きな風に、ジュリさんの手に支えられながら上体を起こす。宙に立つお義兄ちゃんと目が合うが、すぐシロヘビさんの頭に乗り、魔物を蹴散らしに向かった。

 置いて行かれたセルジュくんが何もない宙でワタワタしているのを見ながらわたしは首を傾げる。


「お義兄ちゃんが拗ねてる」

「え?」


 瞬きを返すジュリさんに考え込む。

 お義兄ちゃんのムッスリ顔は大体機嫌が悪いとき。でも、今の顔はちょっと違う。例えるなら薔薇園に掛かりっきりで相手しなかった……拗ねてるときに似てました。でも、何故に今?

 疑問符を浮かべながら呟いていたわたしに、立ち上がったジュリさんはくすくす笑う。


「ふふふ、ケルビーもありますわね。特にわたくしが他の男と話しているときとか」

「わたし誰とも話してないですよ?」

「そのテは特に鈍いモモカさんでは難しいですわね……それより、やはり危険すぎますのでやめ「大丈夫です!」


 辺りに『水氷結界』を巡らせるジュリさんの手を掴む。

 驚いたように目を瞠る彼女に、立ち上がったわたしは息を荒げながら壇上を見つめた。


 オオカミさんとヒョウさんのおかげで、みなさんとノーマさんの距離は近くなった。それでもノーマさんは身体を捻らせるだけ、ルアさんの斬撃は魔物で防ぎ、動こうとはしない。

 何かの理由が考えられる一方、別々だと思ってた本と魔物は同じ力で働いてる気がした。


 理由はルアさんが言ってた『魔物もどき』。

 もし鬼が解放精なら、ナナさんのキツネさんのように赤い血が出るはず。なのに鬼が噴出したのは辺りを染める魔物と同じ青。その容姿も漆黒。なんでかはわかりませんが、ノーマさんの胸元が光ったときに動きが増したのはわかる。


「確か胸元には……」


 考えながら靴を脱ぎはじめるわたしに、ジュリさんと降りてきたセルジュくんがぎょっとする。

 そんな二人に人差し指を口に持ってくると、また魔物の死骸を壁に裸足で歩きはじめた。青い液体のせいでツルツル滑る床を慎重に、壇上へと近付く。


 すぐ横では激しい戦いが行われ、動物の呻きや悲鳴と一緒に青と赤の液体が落ちてくる。早鐘を打つ動悸を抑えるように胸元の青薔薇を握りしめると、頭の中で歌いはじめた。



*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*



 ちゃかちゃか進むよ どんとっと

 気ままな風にのって押されて

 どこまでも どんな場所でも


 その先にあるものを信じて

 どこでも誰がいても進むよ


 ちゃかちゃか どんとっと



*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*



 即興でもなんでも、怖いときは歌に限る。

 そうすれば恐怖も薄まるし、頭の中は歌詞で埋め尽くされて他は考えなくていい。震えが落ち着く身体に、端っこから壇上に上ったわたしは匍匐前進する。


 ノーマさんは四方八方からくる攻撃に手一杯なのか、歯を食い縛っていて頭上しか見ていない。反対にルアさん達は両手の相手をしながら魔物を蹴散らしてくれている。

 カルガモ隊長お義兄ちゃんに習ったように息を殺し、観察をはじめた。


 ノーマさんの足は数歩動く程度で大きくは動いていない。

 背後に魔物はおらず、胸元では黒い光。その光が強くなると床から魔物が現れ、両手の勢いが増した。揺れる黒いローブと一緒に光る物を確認したわたしは、意を決したように飛びついた。


「ちゃかちゃかどんとっとーーーー!」

「うわあっ!?」


 腕にしがみついたわたしに、ノーマさんはとても驚いた顔をする。

 それは戦うみなさんも同じで、後ろに大きくノーマさんがよろけると、ピタリと鬼の動きが止まった。わたしは黒光を発する物に手を伸ばすが、剣幕な顔つきをしたノーマさんに手首を捕まれ、投げ飛ばされる。


「ふんきゃ!?」

「モモカ!」

「モモ!」

「第三章っ! 裏切りの竜は烈火に涙を落とす!!」


 わたしの悲鳴にルアさんとお義兄ちゃんが飛び出すが、鬼を出す本に吸収される魔物に遮られる。ジュリさんに受け止められたわたしは床に座り込むと、他のみなさん同様息を呑んだ。


 本から飛び出た胴体と両手は変わらない。

 でも、ルアさんが斬ったはずの角……鬼の頭が修復されていた。それどころかコウモリのような羽がつき、本と一緒に大きく羽ばたく。


『ギシャアアアァァーーーー!!!』


 聞いたこともない奇っ怪な声に身震いする。

 それでもキラさんとケルビーさんは二匹を従え、まだ動きが鈍い鬼の羽に食いついた。


「沈めろっ、クリミナル!!!」


 命令するように怒声を上げたノーマさんに、空飛ぶ鬼は勢いよく旋回する。

 その高速回転に跨がっていた二人は振り落とされ、引き剥がされたオオカミさんがわたし達の真上に落ちてきた。


「ジュリっ!」

「っ、シスネ!」


 二人の声が被ると、白い両翼を広げた巨大なハクチョウさんがわたし達を庇うようにオオカミさんの下敷きになる。同時にわたしを抱きしめたジュリさんはその場から離れるように跳び、セルジュくんに『水氷結界』を巡らせた。けれど、押し潰されたハクチョウさんとオオカミさんの衝撃に吹っ飛ばされ、彼女の背に瓦礫が当たる。


「きゃああああっ!」

「ジュリイィィーーーーっ!」

「ケルルン!」

「ダメだ、絵画ぐっ!?」


 床を転がりながら薄っすら目を開くと、自由になった手で殴られたヒョウさんがわたし達の元へ駆け寄ってきていたケルビーさんとぶつかる。瓦礫の中から顔を出したセルジュくんが魔法で高い地壁を創り受け止めたが、ヒョウさんの巨体に敵うはずはなく、一緒に出入口まで吹っ飛ばされた。

 その衝撃をショールで抑えるキラさんは鬼の張り手を食らい、割れた窓を突っ切って外へと落ちてしまった。


「キラ男!」


 お義兄ちゃんの声にシロヘビさんが外に向かって尻尾を伸ばすが、鬼の手に捕まる。そのまま勢いよく振り回されると、わたし達がいる壁に叩きつけられ、振り落とされたお義兄ちゃんは鬼の手によって壁に押し潰される。


「がっ!」

「お義兄ちゃんっ!」

「くそったれが!」


 悲鳴を上げたわたしに、ルアさんが押し潰す手首を斬る。

 ずり落ちる手首のように、口から血を吐いたお義兄ちゃんも力なく落ちてきた。


「お義兄ちゃん、お義兄ちゃん!」


 涙を流しながら身体を起こしたわたしは倒れ込んだお義兄ちゃんに手を伸ばす。

 でも、膝に倒れるジュリさんのように動く気配がない。それどころか、ヒョウさんもオオカミさんもハクチョウさんもシロヘビさんも消えている。それが主人の意識が途絶えた証拠にもなり、しゃくり上げながら鬼と戦うルアさんを見上げた。


「わたしが……ダメだった……んだ」


 雫と一緒に後悔の呟きが落ちる。

 わたしが考えもなしに突っ込んだから、ノーマさんが怒ってみなさんが……。


「あああっ、あ゛あ゛ぁっ!!!」

「ルアさん!?」


 伏せていた顔を上げると、鬼の手に捕まったルアさんが締めつけられ、呻きを上げていた。それでも青の瞳はわたしを捉え、口を開く。


「モモ……ガっ……逃げっあああ゛ぁ!」

「ルアさ……っ!?」


 締めつける音が増すと同時に、自分が大きな影に覆われていることに気付く。涙を落としながら見上げれば、彼を握っているのとは反対の手が真上で拳を握っていた。


「あっ……」


 見下ろす巨大な鬼に、金縛りにでも遭ったように身体が動かない。

 唯一動かすことができる目を落としても、微笑むノーマさんを映すだけだった。その口元がゆっくりと『じゃ・あ・な』と動いたのがわかると鬼の手が下ろされる。



「モモカーーーーっっ!!!」



 大きな悲鳴と一緒に何かが壊れる音がした。









 感じるのは大きな風。

 結っていた髪が解けるほどの追い風にまた天国かと錯覚するが、真上にいるのは鬼。でも、その鬼さえ塞ぐ大きなお腹があった。それは『造花庭園』でも見た黒褐色の硬いお腹。ギチギチ唸る声と羽音に混じった笑い声は特に響いた。



「ひゃははは、ボクが正義の味方とか笑えるよね」



 さっき分身で聞いたときよりも嫌味が増してる。

 背後の壁を破壊し、二本の手と頭角で鬼を抑えるヘラクレスオオカブトさんに、わたしは涙を落としながら姿が見えない人を呼んだ。


「ムーさ……んっ!」

「…………ま、たまにはいいかな──カスコっ!!!」


 笑っていない、でもどこか柔らかな声が届くと命令が落ちる。

 その声に了承の轟きを上げたヘラクレスオオカブトさんは羽音を強め、勢いよく鬼を押し返した。握りしめられていたルアさんが開放されると、緑のマントを揺らすムーさんが風で包む。


「ムー……」

「ひゃは、相変わらずルっちーはしぶといね。まあ、下の男よりはマシか」


 息を荒げながら揺れる青の瞳を向けるルアさんに、ムーさんはくすくす笑う。けど、細めた紫の瞳を苦々しい顔をしたノーマさんに向けると、冷笑を浮かべた。


「ムーランド……!」

「何が『裏切りの竜は烈火に涙を落とす』って? 涙を落としたのはアンタだろ──『三段階結界トレス・エスカッシャ』」


 吐き捨てるかのように言いながら両手が広げられると、わたしとジュリさん、お義兄ちゃん、出入口付近で風が渦巻く。舌打ちしたノーマさんも両手を動かし、ムーさんに鬼の拳が迫る──刹那、数メートルほどの大きな炎矢が拳を射抜いた。


『ギシャアアアァァーーーー!!!』


 大きな悲鳴と青飛沫が散り、射抜かれた手が床に落ちる。

 同時に反対の窓の外に九つの火の玉が浮かぶと、中央に佇む九尾の背から一本の矢が玉に向かって放たれた。


「『炎獄火』」


 静かな声とは違い、矢が貫いた玉が爆発する。

 連動するように他の玉も爆発すると、数千にもなる矢が『王の間』に注がれた。渦巻く風に守られているわたし達を除いた魔物を、鬼を射潰していく。


「くそっ、ナナっ!」


 鬼を盾に防ぐノーマさんの声は憎々しさを含んでいる。

 そんな主人あるじだった人に、キツネさんに乗り、手には炎の洋弓。金色の髪と黄色のマントを揺らす女性、ナナさんは鋭いサファイアの瞳を向けていた。彼女の傍にはお腹を押さえるキラさんが笑みを浮かべている。

 血で汚れてはいるものの、無事だったことに安堵の息をつくと、炎矢と守っていた風が消えた。


 焦げ臭い臭いが風で飛ばされると、ジュリさんとお義兄ちゃんが目を覚ましたように身体を起こす。同じように出入口付近でもケルビーさんとセルジュくんが顔を出し、ルアさんも降りてきた。


 咳き込む彼に駆け寄るが、その目は壇上。胴体にいくつもの穴を開け、青い滝を結界で弾いている人に向けられていた。憤怒の形相をしたノーマさんの口が開かれる。


「お前達……絶対に許しは「おやめなさいっ、ノーリマッツ!!!」


 遮った声は怒声のはずなのにとても透き通っている。

 そしてルアさん達どころかノーマさんも大きく目を見開き、壁穴から頭を入れたキツネさんを見上げた。その頭から顔を出したのはナナさん。と、もう一人。


 結ってもいないのに、腰まである髪は支える彼女のように輝く金色。

 絹のような白のドレスとショールを風で揺らしながら、胸元にある青の宝石が光るネックレスを握りしめる小柄で綺麗な女性。


「母上っ!?」


 驚きの声を上げながら立ち上がったのはセルジュくん。

 当然わたしも驚くように彼を見ると女性を見直す。その顔色は真っ青ですが、瞳は確かに彼と同じ翠。つまり、ルアさんの……あれ? ちょっと待ってくださいよ? わたし、あの方見たことありますよ?


 思い出すのは誕生式典。

 突然現れたわたしに悲鳴を上げ、怯えたような目をしていた人。その方をノーマさんは確かニチェリエット……王妃様って。


「ひゃははは、やっぱご主人様の命には従うんだね」


 楽しそうな声を響かせながらヘラクレスオオカブトさんを消したムーさんが降りてくる。ベレー帽を手で押さえた彼は、息を呑んでいるようにも見えるノーマさんを見ると、静かに口を開いた。



「彼女こそノッちーが戦う理由……いや、すべてのはじまりを起こした────原罪ペカード・オリヒナールさ」







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