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51話*「二人の傍」

~~~~*~~~~*~~~~*~~~~



 雲が掛かる空に薄っすらと月が見える。

 昼間の暖かさは消え、肌に伝う風は冷たく、口を開けば白い息。中流貴族が住まう南西街は邸宅に張られた防音結界によって中の声は聞こえず、灯りが窓から漏れているだけだ。

 だが、黄薔薇部隊団長ナッチェリーナと部下数名が足を止めた家には一つの灯りもない。


「ロギスタン補佐、疲れて寝てるんですかね?」

「その場合、抜き足差し足、起こさぬよう頑張れ。骨だけは拾ってやる」

「ええぇっ!?」


 ムンクの叫びのような顔で悲鳴を上げる部下を余所に、ナッチェリーナは『ロギスタン』と書かれた表札を通り過ぎる。

 以前モモカが風邪を引いた際に張られていた結界はなく、玄関に手を付けるとロックが外れる音。他者の家も、施された魔力より自身の魔力が高ければ開けることが可能だ。容易に開いた扉と暗闇の室内に、ナッチェリーナ以外は顔を青褪める。


「だ、団長、怖いですよ~」

「入ったら二度と出れないじゃないですよね!?」

「主ら、騎士学校に戻って根性を叩き直してきたらどうだ? まあ、それだけ灰の魔力が落ちているという証拠でもあるがな」


 溜め息をつきながら臆することなく家に上がったナッチェリーナは灯りを点ける。

 靴があるのを確認すると一階と二階に部下を分け、リビングに足を入れた。綺麗に片付けられてはいるが、冷えた空気は何日も住民が帰ってないことを物語り、冴えない様子で室内を見渡す。すると、棚に置かれた肖像画を目にした彼女の目が大きく見開かれた。


「うわあああーーーーっっ!!!」


 突如聞こえた悲鳴に、ナッチェリーナは慌てて廊下へと飛び出す。

 見れば部下が四人。一人は腹を抱えたまま床に倒れ込み、三人は身体を震わせながら奥を凝視していた。しかし女の部下は歓喜しているようにも見える。

 不自然な状況にナッチェリーナも奥へと目を向けると、一人の男が佇んでいた。


 濡れた藤の髪から雫を落とし、上半身裸に黒のズボンと首元にタオル。そして鋭い灰青の双眸を眼鏡で隠していない──グレッジエルだ。

 足元まで濡れている男にナッチェリーナは呆れる。


「主……もしや、風呂に入ってたのか?」

「見てわからんとは相当ドアホだな」

「灯りも点けずにか!?」

「自分の家で何をしようが私の勝手だ。それより何しにきた?」


 淡々とした返答にナッチェリーナは溜め息をつくが、気を取り直すようにタオルで髪を拭く男を見上げた。


「夜分遅くに申し訳ないが、あるじの命で家宅捜査にきた」

「そうか。報告書に『問題なし』と書いて即刻帰れ」

「それでも政治部か!?」」


 補佐とは思えない台詞に全員が目を見開く。

 しかし、構うことなく拭き終えたタオルを籠へと放り投げたグレッジエルは左手を前に出した。灰青の双眸は鋭い。


「実際なんの問題もなければ今の私は一般市民。よって、不法侵入した貴様らを──吊るし上げる」

『うぎゃああああーーーーっっ!!!』

「っ!?」


 グレッジエルの手が握りしめられると、上階から悲鳴が上がる。

 間を置かず二階にいた部下達が失神状態で階段から転げ落ちてきた。ナッチェリーナは歯を食い縛り、両手に握り拳を作ると振り向く。


 だが、抑える気のない殺気と冷たい瞳を向ける非情な男に勝てる気がしない。

 義妹がいるいないではまったく異なる男にナッチェリーナは小さな息をつくと、後ろに控える部下達に命を出した。


「先に戻れ……捜査は中止だ」


 静かな声に、震える部下達は頷くことしかできなかった。



* * *



 静寂が戻ったロギスタン家に明かりが灯る。

 リビングのソファにはシャツと眼鏡を掛けたグレッジエルが腰を掛け、ペットボトルの水を飲んでいた。正面には壁に背を預けたまま立っているナッチェリーナがいるが、青の瞳は自身の隣にある棚に向けられている。

 モモカもいる家族四人の肖像画と、ガラスに入った白薔薇のプリザーブドに。


「やはり貴様もルア同様あの男を浮かべるか」


 淡々とした声に目線を動かしたナッチェリーナと、ペットボトルを置いたグレッジエルの目が重なる。だが、すぐナッチェリーナは逸らした。


「……青もか?」

「恐らくな。私も半信半疑だったが、モモの話と貴様らの様子からみて間違いないだろう」


 灰青の双眸は変わらず彼女を捉えている。

 だが唇を噛み締めている様子にグレッジエルは瞼を閉じるとソファに荒々しく背中を沈めた。その音にナッチェリーナは眉を顰める。


「……暴力を振るったことといい、帰国早々なんなのだ? 反抗期か?」

「やかましい。第一、無実の罪でモモが捕われたというのに機嫌よくいられるか」

「何故そこに薔薇園が含まれていない……」

「貴様が愚兄ルアよりもあるじを優先するのと同じだ。不仲な義兄妹め」

「ほう? その法則なら我は命令と休憩以外は何があろうとあるじの下は去らぬというのに、主は仕事と言って放棄したのだな」


 片眉を上げながらも、ナッチェリーナは口元に弧を描く。しばし黙っていたグレッジエルは眼鏡を上げると目線を合わせた。


「ストーカー女」

「主にだけは言われたくない」


 即答に沈黙が訪れる。溜め息をつきながらナッチェリーナは別のことを訊ねた。


「そもそも主、いったい何しにアーポアクへ行ったのだ?」

「…………人捜しだ」

「人? 他国との交易を殆ど遮断している国によく入れたもの……」


 すべてを言い終える前に放たれた殺気に、口を結んだナッチェリーナは義妹関係だと悟る。言葉を選ぶように彼女は口を開いた。


「……その人には会えたのか?」

「会えた。が、意味はなかったかもしれない……何しろこの国にもいた過去があったのだからな」

「? なんの話だ」

「その様子だと貴様は何も知らないようだな」


 ペットボトルの水を飲み干した男の呆れ顔に、ナッチェリーナは不愉快そうに眉を顰める。


「先ほどから主の言っている意味がわからぬ。何故そこで我が出てくるのだ?」

「何故? 貴様の部隊がモモを見張っていたからだ」

「なっ!?」

「なんだ、それも知らないのか」

「どういうことだ!?」


 大きな溜め息をつきながらペットボトルを持って立ち上がったグレッジエルに、慌てて壁から背を離したナッチェリーナが詰寄る。その顔には焦りと困惑の色が見え、額からは汗が流れ出していた。見下ろすグレッジエルは一息つく。


「二年ほど前からモモの周りをウロチョロする輩がいてな。最初は良からぬ噂からくるカスかと思ったが、数が増えると同時に見張りだと気付いたんだ」

「それが……我の部隊だと?」


 震える声を聞きながら台所へと向かったグレッジエルは水晶に手を付け、ペットボトルの中を水で洗いはじめる。シャカシャカと音を鳴らしながら話を続けた。


「素人が混じっていたせいか、騎士団かそれ以外か判断し兼ねていたが、ルアとの接触以降現れていないことから内部の者だと確信した」


 青薔薇キルヴィスアのことを国内外問わず知る者は少ない。

 知っていたとしても見た目が緩いせいか、ずぼらな男と見られるだけだろう。だが、同じ騎士団。特に団長と、団長に近しい者なら当然知っている。彼がどれほど危険な男か。

 洗い終えたペットボトルを逆さに置いたグレッジエルは手を拭くと眼鏡を上げた。


「キラ男とルアの推測から黄、緑、紫が浮上し、藍薔薇が調査したところ素人は別所、他は──黄薔薇部隊だ」


 鋭い灰青の双眸がナッチェリーナに刺さる。

 手で口元と腹を押さえる彼女の顔は青く、呟きのような声が聞こえた。


「我は……知らぬ。確かに護衛でピンクは何度か見たことあるが……そんな命を出した覚えは……そもそも何故ピンクを……いや、それより我以外で部下を動かせるのは……あるじと……まさか!?」


 息を呑むナッチェリーナにグレッジエルは何も言わず沈黙が訪れる。

 チクタクと時計が回る音だけが響き、喉を鳴らしたナッチェリーナは背を向けた。立ち去ろうとする足に制止が掛かる。


「早まった行動を取るな。ヤツの行方が知れない今、貴様が動くのは得策ではない」


 家族の肖像画を見つめながら言い放った男にナッチェリーナは振り向く。

 その瞳は先ほどのグレッジエルのように細められ、ぎゅっと手を握りしめていた。


「いつもの我ならば……主が言うように動きはせん。だが……我らは自由だとピンクが教えてくれた」


 静かな声と共に出た名にグレッジエルの視線が彼女に移る。その目が合うと彼女は続けた。


「我はの王以外には縛られず、自由に空を翔る『虹霓薔薇(団長)』……国竜の一人だ。信じる先は自分で確かめ決める」


 真っ直ぐな青のサファイアは強い。

 十代とはいえ、一団長の眼差しに数秒目を見開いていたグレッジエルだったが、溜め息をつくと瞼を閉じた。その口元には笑みがある。


「……モモの毒に侵されたか。ドアホめ」

「主が一番侵されておると思うがな……そんなピンクから伝言だ。『飯はちゃんと食え』!」


 睨みながら、ビシッとグレッジエルを指すナッチェリーナに眼鏡が上げられた。


「ドアホめ、それがモモの伝言なわけがないだろ! モモは敬語だ!!」

「ぐっ、ならば言ってやろう! 『お義兄ちゃん、ちゃんとご飯食べてくださいね』!! どうだ!!?」

「全然萌えん」

「うおおおーーいっ! 人にこれだけの羞恥をさせておきながらなんてヤツだ!! この変態シスコンめ!!!」

「やかましい、ツンデレ。そして今すぐモモに聞き返してこい。『自宅謹慎の上に料理もできない私はどう生きればいい』と」

「誰かーーっ! コヤツに飯を持……って、我しかおらぬ!?」

「よっし、小娘。あんパン買ってこい。あと『おいしい森の水』一箱」

「我をパシリに使う気か!? さっきも言ったが自由な我はああああっっ!!!」


 先ほどの暗い空気とは一変。悲鳴と怒声が混じり合った声が南西街に響き渡るが、結界を張った各邸に届くことはなかった。

 黄薔薇隊員が食事を運び入れるのを見届けたナッチェリーナが玄関に立つが、その顔には疲れが見える。


「なんて人使いの荒い男だ……ウチの義兄()の方がマシだ」

「私とて貴様のようなヤツが義妹など御免だ……私には……」


 眼鏡を上げるグレッジエルの手には赤紫のストールと折り鶴が握られ、ナッチェリーナもしばしそれを見つめた。同じ義兄妹ではあるが事情も想いも違う。けれど、二人の傍に今『兄妹』はいない。


 礼を取ったナッチェリーナがロギスタン家を後にすると室内は静寂が包む。

 一階の灯りを消したグレッジエルはスリッパの音だけを響かせながら二階へと上がる。黄薔薇部隊を入れてしまったせいか、すべての扉が開けられ舌打ちを鳴らした。


 その内の一室。

 木彫りでできた果物の『桃』のドアプレートの部屋に足を入れると、開いたカーテンから顔を出した月が照らす。


 薔薇と蝶のシール、本棚には絵本と薔薇図鑑。窓の前には勉強机、すぐ横にはベッド。

 小物を飾った棚に目を向けると、床に金色の杯型をしたトロフィーが置かれていた。ストールと鶴を強く握りしめるグレッジエルだったが、足がよろけ、ベッドの上へと倒れこむ。


「魔力が……足りないか……くそ……父さ……ん……母さん……モモ……」


 息を荒げながら静かに瞼を閉じた先にあるのは遠く懐かしい過去。

 だが今、その過去は朧気で、暗闇しかない世界が彼を襲った──。



~~~~*~~~~*~~~~*~~~~



 ぽかぽかな頭が揺れる。

 薔薇園が燃えて一週間。なんの進展もなく千羽鶴だけが増える一方で、やっと眠れるようになった頭が揺れる……揺れる~揺れふら~振り子のように~わたしは揺れる~。

 そんな歌を脳内で歌っていると声が聞こえた。


「やっぱ……一緒で……」

「……だよ……い……ろ……おいっ、モンモン!!!」

「……セルジュく……ん?」


 大きな声に瞼を半分開けると、ボンやりとした先に綺麗な翠の瞳が見える。手で瞼を擦るとナナさんのような金髪が牢でも光るセルジュくんがいた。

 綺麗~と、笑みを向けると彼の顔が青くなり、肩を揺す振られる。


「なんだよ! 牢に入りすぎてどっか脳がおかしくなっちまったのか!? 元からおかしいけどよ!!!」

「ふんきゃ~失礼ですね~今日の~朝ご飯当番は~セルジュくんですか~」

「お前……快適に牢屋生活送ってんな。抗議行ったオレがバカみてー……」

「スんません。まだ夜の八時の上に飯もないんスよ」


 大きな溜め息をつくセルジュくんの後ろからメルスさんが顔を出すが、二人の表情は険しい。上体を起こすと首を傾げた。


「どうかしたんですか?」

「それを説明する前に着替えろ。服、持ってきたから」

「え? え? 着替えって……どっかに移るんですか?」


 いつもの作業服を渡されると牢から出ようとする二人の背に訊ねる。振り向いた二人は互いを見合うと溜め息をついた。


「移送……つーよりは、脱獄かもしんねーな」

「だだだだ脱獄はダメですよ! ねぇ、メルスさん!?」


 とんでもない話に慌てて緑部隊所属でもあるメルスさんを見る。けれど、いつもなら苦笑が返ってくるはずの彼に笑みはなく、真剣な瞳を向けられた。


「残念ながら今は無事な人を護るのが仕事なんス。スんませんけど急いでください」

「ぶ、無事な人って……な、何があったんですか?」


 尋常ではない空気に動悸が激しく鳴り、震える両手で服を握りしめる。金色の髪を荒々しく混ぜたセルジュくんが細めた翠の瞳を向けた。



「何が、なんてオレらも聞きたいけど、出ればわかる………最悪な状況がな」



 低く静かな声が牢屋に響くと寒さが駆け上り、ベッドの下に置かれた鶴の山からフクちゃんが顔を出す。


 青の瞳は、わたしを見つめていた────。







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