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44話*「義兄妹喧嘩」

 木陰のあるベンチに座るわたし。

 濡らしたハンカチで腫れた瞼を冷やしていると、ルアさんが昼食を買ってきてくれた。木々の隙間から差し込む陽射しと吹き通る風の中で食べるサンドイッチは美味しいです。


 でも、悲しい話を聞いたせいか、食の進み具合は悪い。

 亡くなったといっても養親とは全然違うし、殺されたなんて元の世界のデレビでしか聞いたことない。何も言わなくていいと言ってくれたけど、ぐ~るぐる考えてしまう自分の悪い癖に暗雲が広がってしまう。


「モモカ……目が点になってるけど……もしかして、鯛昆布梅オニギリがよかった?」


 手を止めていたせいか、眉を下げたルアさんが顔を覗かせる。

 食べかけのオニギリを差し出され、我に返ったわたしは慌てて頭を振った。


「い、いえ! ハムカツサンドで大丈夫です!! と言うか、そんなオニギリあ……りました?」

「うん……食堂部に言えば作ってくれる」


 頷きながらオニギリを食べるルアさん。『くれる』と言うことは恐らくルアさん専用メニューですね。だいぶんおかしな味覚してますから。


 そんなオニギリを美味しそうに食べる彼の瞳は波のように揺れていた先ほどとは違い、真上にある晴天のよう。つまりいつもと変わらない。それだけで暗い雲が広がっていたわたしの心も晴れる気がした。

 変わらない彼がいるのに、わたしが落ち込んではダメだとお天道様に言われているようで自然と笑みを零す。


 それが突然だったせいかルアさんは数度瞬きする。

 でもすぐに同じ……ではない、綺麗な笑みを返してくれた。素敵笑顔に効果抜群だったわたしは急ぎハムカツに食い付くと、今度は首を傾げているのが横目に見える。

 彼の表情が柔らかくなる度に動悸が激しく、熱くなった頬を隠したくなるのはなんででしょう。


 顔を真っ赤にした状態で、ぐ~るぐる自問自答を繰り返していると、突然お義兄ちゃんの顔がポンと現れ、端正な顔が近付いてくるのが浮かんだ。そのときと同じ動悸と熱さだと正解が導き出される。

 つまり顔が良すぎるせいですね! それはどうしようもありません!! ノックアウトになる前に回避しましょう!!!


「顔……なの……?」


 謎が解け、スッキリしたわたしは満面の笑みでハムカツを食べる。

 その隣で顔を青褪めたルアさんが呟きを漏らすが、鼻歌を歌うわたしには届かなかった。



* * *



 昼食を終えると時刻は午後の三時。

 三時のおやつを我慢して中央塔から西塔に渡り、壁に飾られた押し花を辿るように『蔓庭園』へ向かう。けれど、相変わらず道を開けるように過ぎていく人々と好奇な目に、ルアさんに嫌な思いをさせている気がして落ち込んだ。すると、頭を撫でられる。


「人混み……好きじゃないから助かってる……それに俺がいるせいもあるかも」

「ふんきゃ?」

青薔薇おれも……あんまいい噂ないから」

「噂?」

「うん……一人部隊だから裏で騎士団を牛耳ってるとか魔物だとか……容姿はそれなりに知れ渡ってるから……俺が青薔薇ってわかるヤツはわかると思うよ」


 そんな噂、もとい騎士団のことも知らなかったわたしには初耳ですが、こんなボーッとしたルアさんに当てはまる方がすごいです。でも確かに“怖い”方を知ってると嘘のような真実のような話。

 それがなんだか可笑しくて笑ってしまうと、ルアさんは天井を見上げた。そのまま顎に手を当て深刻そうに呟く。


「むしろ……牛耳ってんのグレイだよな」

「ふんきゃ!?」

「団長相手でも容赦ないし……シスコンだし……あ、モモカが避けられてるのってあいつのせいじゃないか?」


 まさかのお義兄ちゃん説に否定したいですが、左遷だのなんだの聞いてきたせいで首を横に振れない。ごめんなさい、お義兄ちゃん。

 でも『シスコン』はあまり関係ないと苦笑いすると、ルアさんは首を横に振り、真面目な顔をした。


「それ一番重要……モモカ絡んだら俺も本気出さないと倒せない」

「お、お義兄ちゃん、そんな強くないですよ……多分」

「いや……魔力値を考えると紫薔薇にはなれたと思う。身体能力もそんな悪くないし……ホント騎士しろって感じだけど、モモカ限定しか働きそうにないから無理そうだな」


 おおーっ、お義兄ちゃんすごい褒められてます! 長くて器用な脚を持ってますからね!! 剣を持たせたら危ないかもしれませんが!!!

 包丁を持たせるとどこかに飛んで行くほど料理オンチな義兄が剣を持つのが浮かばず、またぐるぐる。するとルアさんの背にぶつかってしまい、謝ろうとするが、先を越された。


「……の前に、目の前の敵か」


 溜め息をついた彼の目線の先を見ると、歩いている殆どの人が立ち止まり、前からくる人を見つめていた。好奇ではない、憧憬の目で。

 小さなざわめきの中で響くブーツ音と揺れる金色のポニーテール。そして綺麗なサファイアの瞳を光らせながら現れたのは──ナナさん。


 堂々と真ん中を歩く彼女も数メートル先で立ち止まると、静かにルアさんを見据える。

 そんな彼女といつも一緒にいる人が見当たらず辺りを見渡すと、突然鞘を握ったルアさんと、懐から小型ナイフを取り出したナナさんが同時に飛び出した。周りが声を上げ逃げるように、わたしもぎょっとする。


「え、ちょっ、敵ってまさか……!?」


 確認の声を上げたときには既にナナさんが切っ先をルアさんに向けていた。

 慌てて止めようと手を伸ばすが、刃がぶつかる音に瞼を閉じるどころか手が引っ込む。けれどそれ以上の音は聞こえず、ザワザワとしたどよめきだけが包んだ。


 恐る恐る瞼を開くと、ルアさんは剣を抜かず、鞘でナナさんの切っ先を受け止めていた。

 互いに目を細めると後ろへ跳び、ナイフと鞘を納める。呆然としていると、変わらない表情を向けるルアさんと目が合った。


「あ……ただの挨拶」

「あ、挨拶!?」

「うん……前、見合いの席で殺気放つぐらいなら最初にぶつかっておこうって決めだっ!」

「見合いと言うな! それとピンクには言っておけと言っただろ!! 愚か者めが!!!」


 拳でルアさんにみぞおちを食らわしたナナさん。

 ナイフよりそちらの方が強い気がしていると、変わらず眉を吊り上げたまま両腕を組んだ彼女に睨まれた。


「ピンクも易々と手を伸ばすでない。これが戦場であれば死ぬぞ」

「そ、それならこんな場所でしないでくださいよ! 心臓停まるかと思ったじゃないですか!!」


 周りも安堵の息をついてるし、明らかに二人のせいです。

 涙目のわたしにナナさんは膝を折ったルアさんの背を蹴りながら考え込む。ジュリさんといい、女性団長さんは容赦ないですね。


「確かに大衆の前ではいかぬな。あるじに苦情がいってしまう。おい、青。そんなわけだから主は手を出すな」

「リンチ……されそうだから……ヤだ」

「ミンチ? あ、そう言えば今日の食堂部の新作はミンチパイだったらしいですよ。おやつなら季節のベリータルトだってプラディくんきゃああ~~~っ!!!」


 さっき貰った情報を話すと、数秒でナナさんがわたしとの間合いを詰め、両肩を激しく揺らす。その顔は真っ赤。


「きゅきゅきゅ休憩時間だからといって向かう気などないぞ! 母上のところにも行かねばならぬしな!! だがベリータルトは限定数があるのか!!?」

「にゃ、にゃいです~~!!!」

「ナナ」


 また揺さぶられるとルアさんの静かな声が響く。

 その声にナナさんも揺する手を止め、立ち上がったルアさんを睨んだ。同じように彼女を見つめる彼の表情も変わらないように見えるが、なんだか空気が違う。


「義母さんは……変わらずか?」

「……ああ、ふせっておる。だから紫のところへハーブを貰いにきたのだ」


 両手を離したナナさんからは僅かにラベンダーの匂い。

 その匂いが空気を変えてくれればと思うが、量が足りないのか、いっそう緊張感が増すだけで、周りも息を呑んだ。そんな中でもルアさんは『そうか』と呟き瞼を閉じると、すぐ細めた青水晶の瞳を向けた。


「…………“もう一人”は?」

「──っ、射落とす!!!」


 瞬間、地を這うような声を発したナナさんの足元で赤い炎の薔薇が円を描く。

 チリチリ燃える熱さと痛い火の粉に傍観していた周りも慌てて逃げはじめた。片手で炎を遮りながらナナさんを見れば、左中指に嵌めた指輪から弓が出て──


「ナ、ナナさんダメです!!!」

「「っ!?」」


 両手を広げ、後ろから彼女に抱きつく。

 二人は驚いたように目を見開き、洋弓も地面に描かれた炎の薔薇も消えた。静まり返った廊下で、ぜーぜーと息を荒げるわたしに、慌ててルアさんが駆け寄ってくる。


「「バカか!?」」

「ふんきゃっ!?」


 綺麗にハモった声に驚くと似た青の瞳が四つ、わたしを映す。

 冷や汗をかきながらルアさんはわたしの髪を、ナナさんは服をペチペチ叩きだした。え? え?


「手を伸ばすなと言ったばかりだぞ! 火を纏った我に抱きつくとは正気の沙汰とは思えぬ!! 主の方が我らの心臓を停める気か!!?」

「え、だって前、止める約束を……」

「飛び込みはヤバイって! モモカ怪我してないか!? 火傷の痕とか残ったら本気で最悪だぞ!!!」

「我らも灰に殺されるがな!!!」


 口喧嘩しながらペチペチ全身を確認する二人にわたしも何度瞬きしたかわからない。ともかく手を挙げた。


「えっと……勝手に出てすみません……あと……別に熱くなかったですよ?」

「「へ……?」」


 ピタリと止まり、目を点にする二人。義兄妹のはずなのにとてもソックリな反応に拍手を送る。

 確かに火の粉が出たときは熱かったですが、抱きついたときは特に感じなかった。息を荒げていたのは『止まって良かった』の安心からです。そうニコニコ笑うわたしに二人は顔を見合わせた。


「お前……加減できる義妹だっけ?」

「いや……『解放』する気でおったぞ……愚兄」

「ですよね『おーーい、ナナーーっ』


 敬語口調になったルアさんに鳥肌が立った様子のナナさんだったが、上空から聞き慣れた声が聞こえると大きく身体を揺らした。見上げると黒褐色の翼をパタパタ広げたホトノーマさん。その深緑の瞳は呆れているようにも見え、ナナさんは既に頭を下げていた。


『言いたいことはわかるな?』

「さ、騒ぎを起こして……申し訳ありません」

『まったく、義兄妹喧嘩も程々にしておけ。キルヴィスアを相手にしても得はないぞ』

「それ悪口だろ」

『お前もグレッジエルに黙っててもらいたいなら何も言うな。ほら、さっさと帰ってこい』

「しょ、承知した」


 笑うホトノーマさんを両手に抱えたナナさんはわたしとルアさんに頭を下げると、落ち込んだ様子で北塔へと姿を消した。


「ナナさん大丈夫ですかね……」

「まあ……多少怒られるだろうけど……ノーマはナナに甘いし問題ないよ……それよりモモカは本当に大丈夫なのか?」


 眉を下げるルアさんに、本当になんともないとわたしは首と両手を横に振る。その必死さが伝わったのか、一息ついた彼は頭を優しく撫でてくれた。


「悪くなったら言って……俺達のせいだし……まあ、さすがに『解放』されるとは思わなかったけど」

「ふんきゃ、ビックリしましたね」

「モモカの行動の方が驚いた……でもおかげでわかったよ」

「何がですか?」


 撫でる手が止まり、顔を上げる。

 静寂が包んでいた廊下はまた行き交う人が増え、わたし達を避けるように壁際を歩き、靴音とひそひそ声が響く。そんな広げられた中央で二人佇んで見つめ合っていると、彼の目線がわたしから後ろに移った。



「……ナナがなんで俺を嫌ってるか……ね」



 細められた青水晶の瞳は義妹ナナさんが去って行った北を見つめる────。







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