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15話*「カモーン」

 夜の冷たい風に混ざり、高級住宅街に不似合いな釘を打つ音が響く。

 高価な壺や絵画に、開花したオータムブリーズが飾られている二十畳ほどのリビングにいても聞こえる音に冷や汗が流れる。向かいのソファで優雅に紅茶を飲むキラさんに訊ねた。


「あのー……これって、意味あります?」

「あるから大人しいのだろ? 心配しなくていい。モモの木がその状態を維持しているだけで被害は最小限に食い止められている」

「…………私を災害か何かと勘違いしてないか?」


 頭上から不機嫌声を発するグレイお義兄ちゃんにキラさんは返答しなかった。が、いつもより三割増しの笑みだ。


 一時間ほど前、キラさん宅の玄関ドアを蹴り壊したお義兄ちゃん。

 物凄い形相で二階にいるルアさんの所へ制止も聞かず直行し、キラさんが魔法か何かでソファに座らせても動こうとする。困っていると、なぜか笑顔キラさんに抱えられたわたしはお義兄ちゃんの膝に乗せられた。

 キラさん見た目によらず力持ち~と思いながら、大人しくなったお義兄ちゃんにもビックリ。でも、恥ずかしいです。


 頬が熱くなっていると執事さんが入ってくる。

 どうやら玄関の修繕が終わったらしく、お義兄ちゃんと二人頭を下げると、キラさんは笑いながら玄関へ向かった。修繕費は当然お義兄ちゃんのお給料からです。


「まだ怒っているんですか?」

「当然だ。護衛を放棄した上にモモに切っ先を向けるなど……!」

「魔物退治もルアさんのお仕事ですよ。というより、なんで剣を向けられたこと知っているんですか?」


 黒い手袋に頬を撫でられながら首を傾げる。

 思い返せばルアさんに剣を向けられた時、キラさんはまだいなかった。だから知ってるはずないのに……他には。


「そういえば、お義兄ちゃんにソックリな鷹さんを見ましたよ。その子にも助けられました」

「……そうか、後で上等な餌をやっておこう」

「? お義兄ちゃんの知り合いですか?」

「優秀な知り合いだ。おかげでルアが切っ先を向けたことも、モモに、ひ・ざ・ま・く・ら、してもらったことも知っている」


 す、すごいです! お義兄ちゃんの読心術は動物も可能なんですね!! 顔はすっごく怖いですけど!!!

 でも強調された膝枕を思い出し、頬がまた赤くなる。が、お義兄ちゃんの顔が倍怖くなり肩が跳ねた。


 な、なんでこんなに機嫌悪いんですかね。切っ先云々より膝枕に怒ってる気がします。確かに膝枕の格好にはなりましたけど……膝枕膝枕を……“してもらった”?

 妙な言い方が引っ掛かると、今お義兄ちゃんの膝に乗っているのが恥ずかしくても嬉しいことに気付く。それが正解だと頭で電気が輝くと膝から降りた。


「わかりました! お義兄ちゃんも膝枕ですね!!任せてください!!!」


 瞬きする義兄に、自分の両膝を叩きながら笑みを向ける。


「わたしので良ければいつでも良いですよ! カモーンで……お義兄ちゃん?」


 元気に言ったのに、お義兄ちゃんは顔を伏せ、手で額を押さえた。んきゃ、間違えた?

 まさかのハズレに戸惑っていると、顔を上げたお義兄ちゃんの両腕が伸ばされる。それは『おいで』の合図で近付くと、大きな腕が背中に回って抱きしめられた。


 心臓の音が聞こえる胸板に顔が埋まる。反対に、下ろしているわたしの髪と肩の間にお義兄ちゃんは顔を埋めた。冷たい眼鏡が首に当たり、耳に吐息がかかると全身が熱くなる。


「おおおおお義兄ちゃん!?」

「……キラ男の家(ここ)ではダメだ……家でしてくれ」

「ははははいいぃ~~~~っ!」


 吐息と声に耳から火が出そうになる。やっぱりお義兄ちゃんもカッコ良くてルアさんと同じ男の人で……男の……人。


 顔を横にすると、頬が触れ合い目が合う。

 四年間でもこれだけ近付いたのは出逢い以来。どうすればいいかわからず熱さと動悸だけが増していると、苦笑するお義兄ちゃんはまた肩に顔を埋めた。


「モモ……」

「んきゃっ!」


 自分の名前だというのに、甘い声に悲鳴を上げる。気にする様子もないお義兄ちゃんは髪を撫でた。


「私以外に『いつでも良い』とか言うんじゃないぞ。わかったか?」

「ふんきゃふんきゃ!」

「悪い子だ……ちゃんと返事をしろ」

「んきゃ!?」


 脳内が混乱しているせいか違う返事をすると首筋に唇が宛がわれる。意味がわからないわたしにとっては刺激だけが伝わり、心臓が大きく跳ねるように口を開いた。


「わわわわかりました! 約束します!! お義兄ちゃん以外には言いません!!!」

「……良い子だ」


 首筋から唇が離れると頭を撫でられる。

 笑顔を向けるお義兄ちゃんとは違い、わたしは既に瀕死状態で胸板に身体を預ける。当然、戻ってきたキラさんは瞬きした。


「なんだいなんだい。さっきまで地獄絵図だったのに花畑広がる気持ち悪い世界になって」

「貴様、喧嘩を売ってるのか?」

「お、それこそ灰くんだ。それと、くってり力が抜けているモモの木。そろそろ充電切れになるだろうから、我が家自慢のお風呂にでも入ってきたまへ」


 笑うキラさんに顔を上げると、もう九時過ぎ。

 お義兄ちゃんも頷いたため膝から降りると、全身が熱いままメイドさんと一緒にお風呂場へ向かった。


 ふんきゃ~、お水を被って身体を冷やしましょ~。



~~~~*~~~~*~~~~*~~~~



 よろけながらモモが部屋を後にする。

 春先とはいえ、なぜだか水を被りそうな気がして眉を上げると、向かいに座るキラ男が苦笑いした。


「メイドに手伝わせるから大丈夫だろう。それとも様子を見に行きたいのかい、義兄くん?」

「……吊るし上げるぞ」

「あっははは! 本当にキミはモモの木に関しては容赦ないな。興味を注がれるところではあるが今はいいだろ」


 紅茶を飲むキラ男を他所に、首元のストールを指に絡ませる。カップを置く音に無意識に顔を上げると、細められた赤の双眸と目が合った。ソファに背を預けた男は腕と足を組む。


「モモの木が今日、紫と緑に接触したそうだ」

「毒女はまだしも小ガキだと? あのガキは帰国しても殆ど城にはいないはずだろ」


 今の城の警備は遠距離である『黄薔薇騎士アマリージョロッサ』の仕事だが、城以外は防御が主体の緑の仕事。しかし団長である小ガキは魔法類の研究を副業にしているのもあって正門近くに研究室と騎舎を置き、城には滅多にこない。

 そんなヤツが……ノーリマッツ様に用でもあったのか?


 口元に手を当てているとキラ男が立ち上がる。

 見事に咲いたオータムブリーズを一本取る姿に、モモが必死になって世話していたのを思い出す。


「マドレーヌちゃんの様子を見た限り、彼女は関わっていないと思う。元々ウソなんてつけない子だからね」

「……あれだけ毒を吐きながらわからん女だ」

「女性とはそんなものさ。キミもどこぞの令嬢と付き合ってみたらどうだい? 色々経験「断る」


 即答すると冷えた紅茶を飲み干す。

 貴族令嬢達からやたらと恋文や夜会の誘いを受けるが、そんな暇があるぐらいなら書類を減らすのが先決だ。ノーリマッツ様が未だに独身なせいか危機感もないしな。

 しかし問題は私ではなくモモ宛に届く恋文。愛想が良く、誰とも仲良くなるせいか最近多い……まあ、握り潰して脅したが。


「権力だね……」

「なんのための高官だと思っている」


 花瓶に薔薇を戻したキラ男は呆れたが、瞼を閉じた私はモモとの出逢いを思い出す。それは私の人生の岐路になったと同時に大事な約束を交わすこととなった。そのために私は今ここにいる。

 眼鏡を上げながら立ち上がるとキラ男に目を移した。


「そろそろ戻る。くれっぐれもルアには注意してくれ。護衛から外したくともモモが頑なに拒むのでな」

「あっははは! もう一歩で大泣きだったからね。了解……と、言いたいところだが私も明日から出ねばならないんだ。どこぞの王子が途中下船なんてしてしまったからね、港町を統治している私に指令が出てしまったよ」


 苦笑いするキラ男に同情の目を向けた。

 すると硝子扉の先で、モモが右往左往しているのが見える。何かを言おうか言わまいか迷っている時の癖だと溜め息をつくと、モモに気付いたキラ男が笑う。


「しかし、モモの木は本当に面白いというか鈍いね」

「その純粋モモに『解放』や規定のことを教えただろ?」

「そのことについては謝るが、聞いてもなんの疑いもしない彼女はある意味すごいな。こっちはヒヤヒヤだというのに」


 そう言いながらも楽しそうな笑みを向ける男は普段金茶の髪で隠している首元を撫でる。その隙間から薄っすら見えるのは──橙薔薇のタトゥー。


「……面倒をかけて悪いな『橙薔薇騎士ナランハロッサ』」

「構わないさ、モモの木といると飽きないからね。帰りは誕生祭当日だろうが何かあれば鷹で報せてくれ。私も例の異世界人をあたってみるよ」

「頼む。私は紫と緑を調べる……モモ!」


 頷き合うと扉を開き、義妹を呼ぶ。

 案の定驚いた顔を見せたが、濡れた髪を撫でると膝を折り、目線を合わせた。


「私は城に戻る。何かあればキラ男かルアを叩き起こせ」

「お義兄ちゃん今からお仕事なんですか?」

「ああ、式典が近いからな。それと言いたいことを白状しろ」

「ふんきゃ!?」


 バレてないと思っていたのか大きく目を見開くが、残念ながら目も泳いでいる。『言いなさい』の目を向けるとしばし黙ったが、口を尖らせたまま呟いた。


「あの……今日……料理長さんに会って」

「料理長? あのジジイ、まだくたばってなかったのか」

「灰くん、少しは年上を敬いたまへ」


 溜め息をつくキラ男を無視し、モモの次の言葉を待つ──と。



「わたしを……異世界人を知ってるみたいなんです」

「「っ!?」」



 キラ男と二人、顔を見合わせると冷や汗と同時に眉を顰めた。

 これは本当に面倒が重なっていそうだ──。



~~~~*~~~~*~~~~*~~~~



 瞼を開けると見慣れない天井にまだ夢かと錯覚する。

 でもキラさんの家だったことを思い出すとカーテンを開けた。外はまだ薄暗く、星も見える。


 すると、庭に見知った人を見つけた。

 慌てて部屋から出ると、メイドさんに挨拶しながらカーディガンを貰い、サンダルを履いて庭に飛び出す。花壇に囲まれた先にいたのは──。


「ルアさん!」

「あ……」


 白のシャツとズボンに、青の長い上着を着たルアさんは灯りの中でも綺麗な琥珀の髪を揺らしながら振り向く。駆け寄ろうとするが手で制止をかけられ、わたしは立ち止まった。すると彼はゆっくりと膝を折り──土下座した。


「ふんきゃっ!?」

「昨日は……本当にごめん」


 夜明け前のせいか、響いてしまった声を慌てて手で押さえる。でも、彼の呟きのような言葉も確かに届いた。顔を少し上げた彼は白い息を吐く。


「魔物のせい……って言い訳するつもりはないけど……モモカを危険な目に遭わせた……怖かった……だろ?」


 口調はいつもと同じなのに地面に置いた両手は震えている。

 それは昨日の彼も自分だとハッキリ言われた気がして、瞼を閉じれば複雑な渦が巻いた。けれどすぐ目を開くと足を進める。


「怖かったですけど……でも……生きてますよ」


 声は震えていたかもしれない。でも届いたのか、青水晶の瞳を揺らす彼の顔が上がる。その前で膝を折ったわたしは地面にある両手に自分の手を重ねた。冷たい手を温めるように握ると笑みを向ける。


「どんな怖いことも辛いことも生きていれば勝ちです。そしてそれが悪いことだと謝ってくれる人に……許す以外の選択はありません。だからわたしは許します」

「…………そんなものなのか?」


 目を見開いたまま眉を落とした彼に、わたしは首を傾げる。

 だって、異世界トリップしても生きている限り何かをして還る方法があるかもしれない。嬉しいも哀しいも生きていないと味わえない感覚。


 それに『ありがとう』と『ごめんなさい』を言える人は素晴らしい人。自分の過ちなんて隠したくなるのに……ルアさんが本当に悲しんでいるのは顔を見ればわかるし、これで許さなかったら今度はわたしが悪者で頭を下げたくなりますと言うと、ルアさんは目を瞬かせた。


「モモカ……変」

「よく言われます!」

「うん……変……でも……それがモモカだな」


 両手を握り返す彼を見ると柔らかく微笑んでいた。

 その笑みに顔が熱くなると、いつの間にか背中に腕が回り抱きしめられる。お義兄ちゃんとは違う広さと温かさに動悸が増していると呟きが聞こえた。


「モモカ……ごめん。許してくれて…………ありがとう」


 優しい声に大きく目を見開くが、すぐ瞼を閉じると同じように抱き返す。寒い空の下でもその温もりが冷えることはなく、とても心地良い朝を迎えた。


 ──なぜか見知った鷹さんにルアさんが猛攻撃を受けましたが。







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