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12話*「精霊風」

 紫の双眸を大きく見開く料理長さん。

 震える両手で顔を覆い、首を左右に振っている様は何かに怯えているようにも見える。ケルビーさんも他のコックさんも動揺しているが、わたしはそれ以上だった。


 料理長さん(この人)は今、“異世界人”と言った。

 養親もお義兄ちゃんもノーマさんも知らないと首を振った“わたしのこと”を。動悸が激しさを増し、汗を流すわたしが口を開く前にケルビーさんに遮られる。


「ガキ、悪ぃけど、ジュリのとこにメシを頼むわ」

「え?」

「なんかジジイがヤバそうだし、代わりに昼食の指示を出さねぇと」

「あ、大丈夫で……あ」


 他のコックさんが料理長さんを連れて行くのを見て呼び止めようかと迷う。けれど、突然のことに自分もまだ混乱しているのがわかり、手を引っ込めた。立ち上がったケルビーさんも料理長さんの背中を見ていたが、一息つくとトレイを差し出す。


「じゃ、よろしくな。ジュリにはまた夜に行くと伝えてくれ」

「は、はい! ごちそうさまでした。お仕事、頑張ってください」


 笑顔で言うと、神妙な顔をしたケルビーさんに頭を撫でられた。

 そんな彼の背を、トレイを持つ両手を震わせながら見送ったのは秘密。



* * *



 目が点ながらも足は進んでくれるようで、気付けば西塔へ向かう渡り廊下を終えようとしていた。それにしても東と比べて人が多い。殆ど作業で引き篭もっているせいか、人混みと視線に酔いそう。


 視線は例の『魔病子』。

 どうもこの国か世界かはわからないが黒髪と瞳は珍しいようで、すぐにバレてしまう。道を開けるように過ぎて行かれるのは少し悲しが、お義兄ちゃんと同じ政治部の人は小さく手を振ってくれます! 昔カルガモの親子をしてましたからね!! 有名人です!!!

 そこで頭に乗る隼ルアさんが人混み嫌いなのを思い出す。


「ルアさーん、大丈夫ですか? ルアさーん?」


 反応のない隼ルアさんに不安が襲うが、考えれば鳥とお話なんて変ですから内緒って意味ですよね。心遣いに感謝感謝。


 西塔に入ると、壁に押し花で作った絵や朝顔が庭園まで道案内するかのように伸びていた。こうやって訪れる人を楽しませるのも仕事のひとつなので勉強になります。わたし全然してませんからね。


 導かれるようにアヤメの彫刻が施され、半開きになった扉が見えてくると顔を覗かせた。

 東庭園は入ってすぐ薔薇のアーチ、西庭園は藤棚がお出迎え。見頃の藤に感動していると隼ルアさんが慌てて頭から肩に移り、謝りながら大池に足を進めた。中央に架かったアーチ橋から開花の準備をはじめるアヤメや蓮を横目に渡り切ると、紫の腕章をしたメイドさんに出迎えられる。


「いらっしゃいませ。ようこそ『蔓庭園ビニャハルディン』へ」

「こここここんにちは! あ、あのあのっ!!」


 ニーアちゃん以外のメイドさんとあまり接点がないせいか、緊張で上手く話せない。そんなわたしに首を傾げていたメイドさんは両手を叩いた。


「東庭園庭師のモモカ様ですね」

「ふんきゃ!」

「お嬢様のお食事をお願いしたとケルビバム様からご連絡いただいております。どうぞこちらへ」

「ふ、ふんきゃ……」


 突然自分の名を言われ心臓が大きく跳ねたが、微笑むメイドさんに奥へと案内される。先に連絡してくれるなんて、ケルビーさん良い人です。


 ついて行きながら立入禁止区域に入ると、東とは違う青色屋根のチビ塔に近付く。蔓植物でできたカーテンの木陰には休憩スペースがあり、メイドさんの『少々お待ちください』に足を止めた。


 メイドさんはさらに奥へと進み、静かな水音と鳥の声に辺りを見渡す。

 白の円形テーブルにラタン調チェアが置かれているが、チェアには十センチ程の水晶と、一メートル半程の黒い杖みたいな──。


「きゃああああ! お嬢様ーーーーっ!!」


 突然の悲鳴にトレイをテーブルに置くと声の方へ走る。

 甘い香りの葉とハーブ園を通り過ぎた先、蔓が巻かれた草むらで数人のメイドさんが戸惑っているのが見えた。近付くと、女の人が背中を向けた状態で全身蔓に絡まって……。


「ふんきゃーーーーっ!?」

『うわっ……』


 わたしも悲鳴と同時に駆け寄るが、女性が動くせいでいっそう蔓が絡まり、メイドさん共に戸惑う。隼ルアさんは近くの柵に止まると呑気に羽繕い。今朝といい、ハサミさんが大活躍です。



* * *



「本当に助かりましたわ。お恥ずかしいことに、なんの虫かと顔を近付けたら絡まってしまって」


 食事を終え、チェアに座る人は苦笑する。

 光は緑のカーテンで遮られているのに、腰ほどまである紫紺の真っ直ぐな髪を左手で後ろに流す様は輝いて見える。パールとリボンの付いたイヤリングを揺らし、白糸で薔薇の刺繍が施された紫のAラインエンパイアドレスを着ているのは、数分蔓と格闘し救助された女性。

 豊満な胸と谷間に、ささやかな自分の胸を叩いていると笑われた。


「ふふふ、モモカさんは面白いですわね」

「す、すみません!」


 謝るわたしを女性は楽しそうに見ながらカモミールティーを飲む。

 組んだ右脚には紫薔薇のタトゥー。カップを置く音に顔を上げると、綺麗な赤のガーネットの瞳と目が合った。


「改めまして。わたくし、西塔『蔓庭園』庭師兼アルコイリス騎士団第七紫薔薇部隊団長を勤めています、マージュリー・フィランラッソと申します。此度は助けていただいた他、愚鈍な赤男のせいでご足労をお掛けしました」

「い、いえ……」


 笑顔でサラリと何か言われた気がするが、わたしも自己紹介をする。


「は、はじめまして。東塔で庭師をしてます、モモカ・ロギスタンです。えっとえっと、ケルビーさんの恋人さんのジュリさんですよね?」

「ふふふ、やかましいハエ男などドブ池に捨てて構いませんわ。お祖母様からモモカさんのお話は聞いていたので、お会いできるのを楽しみにしていましたのよ」

「そ、それはどうも……」


 あっという間にケルビーさんが放置され、どうしたもんかと困っていると、隼ルアさんがわたしの頭に着地した。青水晶の瞳がジュリさんに向けられる。


『よっ、ジュリ……』

「まあまあ、美味しそうな焼き鳥が飛んでくるかと思えば青の君。ついに鳥になってしまわれましたのね、おめでとうございます」

『うん……なんの変わりもないな』

「ふふふ、会う度に変わるなら世の人は殆ど違う人でしてよ。おわかり? てんで御馬鹿な青の君」


 笑うジュリさんに、隼ルアさんは首を下げるとどこかへ飛んで行ってしまった。どうやら苦手タイプらしい。一緒に見送っていたジュリさんは視線をわたしに戻す。


「モモカさんは青の君とどういう関係で? あんな掴み所のない男を恋人にしても楽しくないですわよ」

「ここここ恋人っ!?」

「でも、朴念仁がいらっしゃいますから、恋人なんて一生許されないかもしれませんわね」


 突然の話にカモミールティーを吹き出しそうになるも、なんとか堪える。ちなみに“朴念仁”はグレイお義兄ちゃんのこと……お義兄ちゃん『虹霓薔薇』さんに嫌われてるんでしょうか。というか、ルアさんとここここ恋人とかっ!


「ふふふ、お顔を真っ赤にされて初々しいですわね」

「そそそそそんな! わたしなんかと恋人とかルアさんに失礼ですよ!! 歳だって違いますし!!!」

「あら、恋愛に歳も身分も関係ありませんわよ。わたくしも赤男より年下ですけど身分は上。それがプラマイゼロになってますから、問題なく蹴っては叩き落としてますもの」

「ジュ、ジュリさん暴力はダメ……じゃなくて! ルアさんは護衛してもらってるだけです!!」

「護衛? あの精霊風しょうろうかぜが?」


 数度瞬きする彼女から、まさかの妖怪発言。

 冷や汗をかくわたしに気にする風もなく、ジュリさんは杖を握ると左右に揺らす。


「青の君と藍の君だけはわたくし達と立場が違うせいか護衛と言われてもピンときませんわね」

「同じ『虹霓薔薇』なのに?」


 騎士団によっては貴族の護衛をするのも仕事らしいが、藍薔薇さんは特別枠だと聞いたので外して良いとは思う。でも、そこにルアさんも入っていることに首を傾げると、両騎士団とも領地や部下がなく、団長のみと聞かされた。

 目を丸くするわたしに、ガーネットの双眸を細めたジュリさんは水晶を見つめた。


「『虹霓薔薇』といえど、力の差はありますのよ。藍の君は戦闘以外の役目を担うので関係ありませんが、青の君は別次元ですわ」

「別次元?」

「そう。わたくし達、六人が挑んで勝機があるかどうか……それが奇跡と呼べるほど『青薔薇騎士』は強く恐ろしい」


 低い声に大きな風が吹くと緑のカーテンが揺れ、蓮の葉に乗った隼ルアさんが見えた。


「でも……それが青薔薇ですよ」

「え?」

「だって青薔薇の花言葉は『奇跡』や『不可能を可能にする』ですから『青薔薇騎士』に選ばれたなら、それだけすごい人ってことじゃないですか? 実際騎士のルアさんを見てると強いし怖いなって思いますし」


 隼ルアさんを見つめるわたしに、ジュリさんは大きく目を見開く。けれどすぐ瞼を閉じ、カモミールティーを飲むと微笑んだ。


「確かにそれを信じるのなら間違いではありませんわね。薔薇の花言葉なんて聞いたことなかったので、わたくし驚きましてよ」

「そうなんですか? ジュリさんだって紫薔薇の『気品』や『上品』がピッタリ当てはまってますよ」

「まあまあ、嬉しいですわ」

「ケルビーさんの赤薔薇だって『情熱』『愛情』で、紅色や黒赤になると『死ぬほど恋焦がれています』や『永遠の愛』ですから、ジュリさん大好きな彼にはピッタリです」

「まあ、おっそろしい。持ってこられたら焼却処分しないといけませんわね」

「ふんきゃっ!?」


 爽やか笑顔に、またしても冷や汗が流れる。

 本当に恋人さんなのか疑問を浮かべながらも庭師同士の話は弾み、ジュリさんの育てる水辺の花の他、いつか蔓薔薇と合わせようなど、嬉しい約束ができた。



* * *



 昼の三時を回ると、暗雲が広がっているのに気付く。

 雨量によっては育てているものに大きく影響するせいか慌てて立ち上がると、ジュリさんから手の平サイズの袋を手渡される。


「ハーブが入っていますわ。青の君、御馬鹿にも体調がよろしくないようですし、モモカさんも来週の大仕事がありますから休憩のお供にお持ち帰りください」

「ありがとうございます!」


 お土産に満面笑顔になると、一緒に出入口へと向かう。

 アーチ橋を渡り終えた頃にはポツポツ雨が振り出すが、藤棚のおかげで濡れず、アヤメの扉に辿り着いた。


「では、近々わたくしも薔薇園にお邪魔しますわね」

「はい! わたしもまたきます。あ、ケルビーさんが夜に行くと言ってました」

「まあまあ、雨と風の音で掻き消されてしまいましたわ。今、何か仰いまして?」

「ジュジュジュリさん!」


 心底大丈夫だろうかと心配するが、確かに強い雨と風に藤棚も揺れ、花弁が散る。天気予報がない国なので庭師としては困りもの。風使いのルアさんなら予想でき……。


「ふんきゃ! ルルルルアさんを忘れてました!!」

「あら、そういえば焼き鳥が見当たりませんわね」


 焼き鳥違うと慌てて首を振りながら呼ぶが、隼ルアさんが飛んでこない。まさか池に沈んだのだろうかと踵を返すと、ジュリさんの手に遮られる。その瞳は細められ、空を見上げ──る前に、突然大きな鐘の音が中央塔から鳴り響いた。


 それは正午の鐘ではない。以前、薔薇園に鳴った結界のような音。

 同時に雨と灰色の雲に交じって城を囲む存在に顔を青褪めると、ジュリさんは杖の水晶を撫でた。


「本当──掻き消したいほどの数ですわね」


 その低い声は以前聞いた人と同じで、数百以上の魔物を捉えていた────。







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