153. イベントを控えて(前)
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クランの設立から1日が経過して、今日は7月26日の木曜日。
今日は『プレアリス・オンライン』にて初のゲーム内イベント、『強化遠征』が行われる日だ。
イベントの開催時刻は、夜の20時から23時までの3時間。
但し、このイベントへの参加中は『体感時間が48倍に拡大される』とかで、実際には144時間相当のゲーム体験ができるらしい。
この『体感時間を拡大する』というのは、実はゲームに限らず、VRが一般的になった頃からよく研究されていた構想のひとつだ。
実際、被験者の全身を『VRポッド』と呼ばれる精密機械の中に納めることで、仮想世界での『体感時間を拡大する』ことには、既に成功しているというニュースを幾度も見たことがあるわけだけれど―――。
とはいえ、それがまさか第4世代の『没入型VRヘッドセット』でも行えるものだとは、雫も全く知らなかった。
しかも『48倍』というのは、かなりの体感倍率であるように思う。
正直ゲームなんかに利用するよりも、まずは仕事や勉強などに活かすべき技術なのでは―――と、そんな風に思わずにはいられない。
「とりあえず、忘れないうちに参加登録をしておかなければいけませんわね」
皆で一緒に朝食を食べている最中に、梅が『強化遠征』に関してそう告げた。
ちなみに今日の朝食は一心の希望で和食にしてある。
メインは手作りの『焼きおにぎり』で、副菜には夏が旬の茄子を使った『茄子のおひたし』、野菜を増やしたいので汁物には『根菜の味噌汁』を用意した。
絵面的には地味だけれど、朝から充分な活力が得られる献立になったと思う。
和食はどうしてもメインの他に副菜と汁物を用意したくなるから、本音を言えば一品だけで済ませられる洋食のほうが調理は楽なのだけれど。
それでも6人分を纏めて調理すれば、個々の手間は大きく軽減できる。
もちろん九重が手伝ってくれるのも凄く助かるので、別荘に滞在している間は、積極的に和食を選んでみるのも良さそうだ。
「イベントの参加登録って、どこで行うんでしょうか?」
「天擁神殿の礼拝所にある、神像に祈ることで行なえますね」
九重が問いかけた言葉に、すぐに友梨がそう答えていた。
雫と友梨の2人は昨日『クラン』の設立を行った際に、ついでに『強化遠征』の参加登録を済ませている。
実際に体験済みだから、友梨もすぐに答えられるわけだ。
「私と友梨はもう登録を済ませてあるから、梅と一心と江理佳と九重は必ず今日の20時までに参加登録をしておいてね? うっかり登録し忘れて、丸6日間も会えなくなるなんて絶対に嫌だから」
「うむ、心得た。私も旦那さまと一緒に過ごせる機会を、失うのは惜しいからね。今日はログインしたら、すぐにでも登録を済ませておくことにしよう」
「忘れないように一緒に神殿へ行きましょう!」
「そうですわね、4人で行きましょうか」
「そうしましょう」
江理佳と九重、梅と一心の4人がそう言って頷き合う。
どうせなら6人で一緒に『遠征』に参加して、全力で楽しみたいから。彼女たちが登録を忘れないよう努めてくれるのは、雫にとっても嬉しいことだ。
「そういえば、お姉さまはもうお気づきになられましたか?」
「うん? 何のこと?」
「クランのことです。『天使ちゃん親衛隊』の所属人数が、昨日の夜の時点でもう早くも1300人を突破していたみたいでしたわ」
「……は?」
梅の言葉に、思わず雫は言葉を失う。
クランに所属できる上限は、確か『100人』までだった筈だ。
それなのに―――どうして1300人超え、なんてことがあるんだろう。
「雫お姉さま。クランに所属できる最大人数は、クランのレベルが上がると徐々に拡張されていくんです」
「あ、そうなんだ? そういえば『クランストーン』の説明文にも、消費することでクランのレベルを上げられる、みたいなことが書いてあったっけ……」
クランストーンはクラン設立時に必要となるアイテムなわけだけれど。
確か説明文には、消費して『現在所属中のクランを1つレベルアップできる』という効果も書かれていた筈だ。
「まさにそれですね。具体的には1レベル上げる毎に、人数上限が『10人』ずつ拡張されていくことになります」
「なるほど。だとすると、現時点で初期状態より、少なくとも1200人分は拡張されているわけだから……」
そこまで考えて―――雫は再び言葉を失う。
それはつまり、現時点で少なくともクランのレベルが『120』以上に達していることを意味しているからだ。
「れ、レベル、上がり過ぎじゃない……?」
「クランに所属してくださった皆様が、協力して下さいましたので」
にこりと微笑みながら、友梨がそう応える。
友梨の話によると、クランに新しく加入してくれた10人に1人以上が、自前のクランストーンを使ってくれているらしくて。
そのお陰でクランの所属人数が増えるよりも早いペースで、人数上限の側が拡張されているのだとか。
「ですからこの先も、クランのレベルや人数は増え続けていく一方だと思います。掲示板でも宣伝をしておりますし、たぶん今日中に3000人は超えるのではないでしょうか」
「さ、3000にん、かあ……」
『プレアリス・オンライン』のゲーム内で設立されている、他のクランのことを雫は知らないから。3000人というのが一体どの程度の規模なのかは、ちょっと想像しづらいものがあるけれど。
それでも―――決して小規模なもので無いことぐらいは、流石に判る。
友梨に勧められるままに、殆ど何も考えずにクランを立ち上げてしまったのに。こんな人間が『マスター』を務めていて、本当に良いのだろうか……。
「そうそう、雫お姉さま。『強化遠征』のことですが」
「……強化遠征がどうかしたの?」
「公式サイトの説明によりますと、『強化遠征』に参加するプレイヤーは最初に、イベント専用マップに複数用意されている、安全なエリアのいずれかに転送されるらしいのですが。
この際に同じクランに所属しているメンバーは、必ず同一のエリアに配置されるようになっているそうです。ですからイベント中は、クランに加入下さった皆様と協力体制を取ることができますね」
「おおー。もしかしたらイベントに備えるために、昨日のうちにクランを作ろうとしていたのかな?」
「はい、それが一番の理由ですね」
雫の言葉に、友梨が頷きながらそう答えた。
強化遠征イベントには『アイテムの持ち込みが一切できない』ことが、既に告知されているから。現地では様々な生産職の持ち主が、力を合わせる必要がある。
そういう意味で、同じ『クラン』に所属するメンバーという立場から、初対面の人とも協力体制を築けるのは、大きな利点だと言えるだろう。
「ふふ、『天使ちゃん親衛隊』という名前のクランに参加される方は、間違いなくその全員が雫お姉さまのファンでしょうから。彼らは雫お姉さまがお願いすれば、大抵のことは聞いてくださるでしょう。
―――というわけで雫お姉さまには是非、現地でクランメンバーが一致団結して行動する、その指揮を執る役割も担って頂きたいと思っております」
「ええ……?」
友梨の言葉に、思わず雫は困惑してしまう。
人とコミュニケーションを取ること自体は、別に苦手では無いけれど。
とはいえ―――大勢の指揮を執るような経験の持ち合わせなんて、全くと言って良いほどに無いものだから。雫としては、正直不安しか無かった……。
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