コーニッツ・ムーア制圧戦 ⑪
「コーニッツとムーアを殺すな、だと?」
「そうだ」
領主執務室のソファーにお師様と並んで掛けたハロルド様が重々しく首肯する。
向かい側のソファーでは、地の底から響いてくる地鳴りのような低い声でハインズ様が唸り、マルキオ様は無言ではあるものの全身から猛烈な怒気を発散している。
にもかかわらず、お師様だけは平然とソーサーを持った片腕を背もたれに回して、ゆったりとティーカップを傾けている。
私とルナリアは、と言えば、それぞれハインズ様とマルキオ様の膝に乗せられていて、激高したお二人が暴れ出さないように鎮静剤の役目を与えられている。
お二人が怒って立ち上がったら、膝の上の私たちが転げ落ちちゃうからね。
執務室のベンチソファーって、なぜ、大きな3人掛けなのか理由が分かったよ。
甲冑姿のハインズ様とマルキオ様が並んで座ると、それだけで窮屈なぐらいなんだよ。
4人の間に置かれている私たちは緊迫した空気に冷汗を浮かべて硬直しているのに、ハインズ様たちの本物の殺気に晒されても堂々と受け止めているハロルド様は、やっぱり立派な御当主様なんだなあ。
そよ風に吹かれているような態度のお師様は、別格っぽい。
「儂を止められるだけの理由を提示できるのだろうな?」
「“融和派”を一網打尽に滅ぼすためだと言えば、納得するか?」
「一網打尽だと?」
激怒しているお二人の発していた圧力が緩む。
「去年の年の瀬だったか。私たちがムーア領の奴隷商人を討った件を覚えているか?」
「お前が皆殺しにした、王都方面からの“荷”を運んできた連中だったな」
「そうだ」
マルキオ様から目を向けられたお師様が頷く。
「あの連中が扱っていた“荷”―――、“商品”には、自領の女子供だけでなく、他国人が含まれることが分かった」
「なっ、―――まさか!?」
ハインズ様の目が私に向けられる。
私の肩に添えられていたマルキオ様の手に、力が入る。
「フィオレ。お前はエクラーダ王国から攫われてきたのか?」
「・・・分かりません」
労わるような声音のマルキオ様の問いに、私は首を振った。
「分からんとは、どういうことだ?」
「・・・私、半年前より以前の記憶が無いんです」
「記憶が・・・無い・・・だと?」
愕然とするマルキオ様が零した言葉に、お師様がティーカップをソーサーごとテーブルへ置いた。
「半年前、フィオレが意識を取り戻したとき、フィオレは襤褸一枚だけを着ていて、骨と皮だけのガリガリにまで痩せ細っていたそうだ」
目を見開いたマルキオ様が、ごくりと息を飲む。
「水さえ飲めれば、1ヶ月やそこいらで、人間はそこまで痩せたりせん」
「確かにな」
険しい顔でハインズ様も同意する。
「フィオレが覚えている最初の記憶は、ムーアの町の路地裏だったそうだ」
「ふむ・・・。大まかな時期と状況は合致するようだな」
「ムーアごときが単独でエクラーダにまで手を伸ばせると思うか?」
「有り得んな。大方、王都の“融和派”とコーニッツが組んでのことだろう」
ハインズ様が鼻で笑い、マルキオ様も大きく頷く。
「私たちも、そう見る」
「もしや・・・。そういうことか?」
何かに気付いたマルキオ様がハロルド様を見る。
「“融和派”が執拗に国境緩和を主張する理由は、これだと私は睨んでいる」
「奴等は他国と結んだ人身売買網にリテルダニア王国を組み込むつもりか」
「現時点では推測の域を出ない。しかし、放置することは出来ん」
険しい表情のマルキオ様が深く頷いた。
「“融和派”の人でなし共め・・・!」
吐き捨てるハインズ様のこめかみに、くっきりと太い血管が浮き上がっている。
「だから、殺すなと言っている」
「吐かせるのだな?」
目が座っているマルキオ様の問いに、目が座っているお師様がニィと口角を引き上げる。
暗殺部隊の指揮官が体験した「大人の時間」を、コーニッツ一族とムーア一族の主要人物たちも体験することが、この瞬間、確定した。
絶対に、簡単には殺して貰えないと思うよ。
「そういうことならば、致し方あるまい」
「已むを得んな」
気勢を削がれたマルキオ様とハインズ様が深々と溜息を吐いた。
マルキオ様が、ご自分の膝の上を覗き込む。
「なあ、フィオレよ」
「・・・はい。お爺様」
「その・・・。お前が目覚めてからの出来事を、儂にも聞かせてはくれんか」
私が目線で問うと、お師様が頷く。
「・・・はい」
私はマルキオ様に頷いた。
路地裏で目覚めた朝から後の出来事を、私は問われるままに包み隠さず話した。
時折、質問を投げ掛けながら、お二方は私の身の上を最後まで聞いてくださった。
時に驚き、時にギリギリと歯ぎしりをし、話を聞き終えたマルキオ様は、壊れ物を扱うように私を優しく抱きしめた。
「よくぞ、生き抜いた」
「うむ。わずか5歳の身で大したものだ」
「その苦境の中でルナリア様とマークス様まで救ってくれたか」
「儂からも、心より礼を言うぞ」
私を見下ろすハインズ様の目も柔らかな労わりに満ちていた。
お師様はじっと目を閉じていて、ハロルド様は静かに目を伏せている。
ルナリアはハインズ様の腕にしがみついて、また肩を震わせている。
ハインズ様もマルキオ様も、私を受け入れてくださったことが、私にも理解できた。
目頭が熱くなって、視界が歪む。
ほんとうに、私、ここに居て良いんだね・・・。
「・・・は・・・い・・・」
安心したら、私の涙腺が決壊した。
ウォーレスの人たちなら、私でも信じられると肌で感じられた。
ぽろぽろと零れ落ちて止まらない私の涙にマルキオ様が大慌てし、マルキオ様の慌てっぷりを見たお師様がまたしても大笑いし、ハインズ様とハロルド様が泣き止まないルナリアを奪い合いして大騒ぎになった。
戦争フェーズ⑪です。
作戦の目的が共有されました!
次回、出陣前夜! 衝撃の事実が判明する!




