特務魔法術師の弟子 ⑭
「良かったのかい?」
そっと開け放った戸口に背中を預けていたフレイアは、声を掛けてきた男に視線を送ると、形のいい唇に立てた人差し指を当てて見せる。
フレイアから示された仕草で、自らの配慮不足に気付いたハロルドは気まずそうに首を竦めた。
「何がだ?」
穏やかな目で静かに答えるフレイアの目線を、ハロルドが追う。
明かりを落とした暗い室内のベッドには、小さな盛り上がりが二つある。
呼吸に合わせて、ゆっくりと上下する毛布の盛り上がりは、ルナリアとフィオレだ。
“フレイアの”女中たちはフィオレの部屋を準備していたが、一緒のベッドで眠ることをルナリアが主張し、仕方ないなあ、という表情のフィオレが快く承諾した。
大丈夫かと案じて様子を見に来たハロルドと、フレイアも同じ気持ちだったのだろう。
まだ幼児といっていい年齢で、自分の命を奪おうとする本物の悪意と暴力に晒され、あまつさえ、自分の手で他人の命まで奪わさせられた。
ハロルドが初陣で初めて人間を殺めたとき、手の中に残る人の命を奪った感触と耳に残る断末魔に恐怖し、何日間も眠れずに精神が参ったことを思い出したのだ。
どうやら、娘たちは互いに支え合って、心のバランスを崩さずに居られているようだと安堵する。
ルナリアが行方不明になってからの数日間は生きた心地がしなかったが、こうして手元へ取り戻すことが出来た安心感に、ハロルドの眼差しも穏やかになる。
末っ子のルナリアは気性が強いくせに甘えん坊で、よく家族のベッドに潜り込んでいたものだが、フレイアに弟子入りした頃から一人で眠れるようになっていたのに、以前の甘えん坊に戻ってしまったか。
自立心を育むのに一人で眠るように指導すべきかと思うが、ここ数年は色々なことが起こり過ぎた。
色々なことが起こったとはいえ、立場を思えば環境が甘えを許さない部分も有る。
それは、ハロルドのウォーレス家も、フレイアのピーシス家も同じだ。
「マルキオ殿が納得するのかと思ってな」
「親父殿なら理解するさ」
何のことも無いようにフレイアは言う。
理解と納得は違うんじゃないか? と、ハロルドは考えたが、ふふん、と、フレイアは小さく笑う。
「納得は力尽くで、させれば良い」
フレイアの横顔に、ハロルドはドキリとした。
このガサツで文武に優れた従妹は、強気に笑う横顔が本当に美しい。
年甲斐も無く感じた胸の高まりを従妹に気付かれないよう抑えながら、ハロルドは子供部屋のベッドに視線を戻した。
「あっちの世界の話は、マルキオ殿たちに話すのかい?」
「必要無かろう。自力で勘付く奴が居るかもしれんが、言わなければ証明しようも無い」
フレイアは、フィオレを護ることに決めたようだ。
決めた以上は、フレイアなら徹底的にやる。
「そういうことなら、知る者の数は少ない方がいいな」
「無いとは思うが、その辺りはワールターにも口止めを頼む」
「分かっているさ」
戸口から動く様子が無いフレイアに片手を挙げて、ハロルドはルナリアの部屋を後にする。
王都の醜悪さを煮固めた有象無象のみならず、血族にまで情報を秘するとフレイアが言うのなら、ハロルドも、それに習うまでだ。
ルナリアの小さな勇者には、ウォーレス家がリスクを背負うだけの大きな恩義がある。
明朝にはハロルドの実父、前侯爵ハインズもレティアに着陣するだろう。
次期当主として力尽くで周囲を納得させる必要が有るのは、ルナリアも同じだ。
どうか、娘たちが“試練と洗礼”を乗り越えてくれるように、と、ハロルドは願った。
特務魔法術師の弟子⑭です。
このお話で、本章は最終話となります!
次回、新章、第7章スタート!




