72.生まれた欲(ギデオン視点)
アンジェリカ嬢をレリオーズ侯爵邸に送り届けた、その帰り道。
(……良かった、成功したな)
アーヴィング公爵領の案内は、彼女の反応を見る限り楽しんでもらえたようだった。嬉しさを胸に屋敷へと戻ると、そのまま応接室へ向かった。
ひとまず保留にしていたテイラー嬢の対応を済ませた。模擬戦後、テイラー侯爵家に事実を綴った手紙を出した。
セバスチャン曰く、テイラー侯爵の到着は早かったようで、待たせることになった。
(あまり人を待たせることは好きじゃないんだが、今回ばかりは例外だな)
応接室で顔を合わせると、侯爵はすぐさま謝罪を述べた。深々と頭を下げていたが、その面持ちは憔悴しきっているように見えた。
(セバスチャンに急いで調べさせたが、大方正しいもののようだな)
テイラー侯爵家の財政状況が良くないという話は耳にしていた。どうやらその原因は夫人とテイラー嬢の浪費癖にあるようで、侯爵自身に落ち度はないという調査結果だった。
侯爵と話をした結果、テイラー嬢は当分の間謹慎させるということになった。アンジェリカ嬢との一件も伝えると、後程テイラー嬢と謝罪に向かうということだった。
話を終えると、そのままテイラー嬢を引き取ってもらうことにした。終始顔を合わせることはしなかった。
侯爵を見送ると書斎に向かった。
座ったところで、セバスチャンが紅茶を淹れてくれた。
「お疲れ様でした、ギデオン様。いかがでしたか?」
「ありがとう。そうだな……成功したと思う」
「それは何よりです」
改めて今日一日を振り返ってみる。
まずアンジェリカ嬢は、アーヴィング“公爵家”ではなく“公爵領”そのものに興味を抱いてくれたのが、何よりも嬉しかった。
領やへの思いを真剣に聞いてくれたり、騎士団の案内を喜んでくれたり……思い浮かぶアンジェリカ嬢の姿は、常に明るく笑ってくれているものだった。
(この見た目で剣を持ったら、圧が強すぎて怖がらせてしまうと思ってた。でも彼女は、見たいと言ってくれた……)
アンジェリカ嬢は、俺の瞳を怖くないと言ってくれた数少ない人。それでも剣を握る姿は、格段に恐ろしいものになってしまう自覚があった。
だから模擬戦に参加するのは予想外だった。アンジェリカ嬢を一人にするのも、もちろん失礼なことなので避けたかった。ただ、それ以上に剣を握る姿を見せるのが怖かった。
手加減できるほど器用な人間でもなかったし、きっとそれは誰からも望まれていなかったはずだ。
結局、副団長との模擬戦は本気を出して終わった。正直、アンジェリカ嬢のもとに戻るのが怖かったのだが、目を受け入れてくれた彼女ならと希望を抱いて動いた。すると、彼女がくれた反応は、希望をいとも簡単に上回るものだった。
「凄くカッコ良かったです。私は剣を握ったことのない素人なのですが、それでもギデオン様の剣さばきが素晴らしいものなのは見ていてわかりました。もう本当に一秒たりとも見逃せないほど、覇気のある勇ましい姿だったなと。とても素敵でした」
これは夢だろうか。
そう思ってしまうほど、まさか事細かに褒めてもらえるとは思わなかった。「素敵です」くらいの言葉一つもらえるだけで嬉しいと思っていたのだ。驚いてしまったが、間違いなくアンジェリカ嬢の言葉は胸に深く刻まれた。
そして、俺は完全に心を奪われた。
あの瞬間、自分にはアンジェリカ嬢しかいないと強く思ってしまった。それと同時に、欲が生まれた。
これから先も、彼女と共に生きたいと。
確定しそうでしない、どこかふわふわとしていた気持ちが、ようやくまとまった。
(いきなり婚約を申し込むのはな……驚かせてしまうかもしれない。……それに、まずは気持ちを伝えるべきだ)
自分の中で整理し、次の行動を定めた。
一息ついたところで、セバスチャンが手紙を持ってきた。
「ギデオン様。ヒューバート殿下よりお手紙が届いております」
「殿下から」
手紙を受け取ると、早速封を開けて読んだ。
(そうか、王家主催の夜会はこの時期か)
毎年夜会開催の報せはもらうものの、パートナーがおらず、声をかける勇気もなかったので、参加することはなかった。
(……いや、今年は一緒に行きたい人がいる)
叶うことなら、アンジェリカ嬢と行きたいと強く願った。
「セバスチャン。パートナー打診用の便箋と封筒を持ってきてくれるか?」
「こちらにご用意がございます」
「……さすが、仕事が早いな」
セバスチャンから便箋と封筒を受け取ると、早速書き始めるのだった。




