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59.気合いのビンタは理解されない

 一週間でドレスを仕立てるだなんて無理なんじゃないかと焦っていたのだが、そこはさすがプロの仕事のようで、着用を決めていた一着を優先的に素早く用意してもらえた。


(姉様はこういう時に財力を使うって言ってたな……あれか、追加料金ってやつかな)


 仕立てに行ったからには必ず間に合わせるというクリスタ姉様の言葉は本当で、昨日無事一張羅を手にすることができていた。


(今日は……アーヴィング公爵領に訪問だ!)


 洗顔を終えるとパンッ! と大きな音を立てて頬を叩きながら気合いを入れた。


「あぁっ! 駄目ですよお嬢様、そんなに強く頬を叩かれては……‼」


 洗顔用のお湯を用意してくれたミラが大きな声で制した。


「まだ化粧してないから大丈夫だろ?」


「お肌の調子を悪くしますので駄目です」


「そ、そうなのか。……ごめん」


 ジト目で抗議されたので、急いで手を頬から離した。


「ミラの言う通り、年頃の令嬢が顔に傷をつけるのはよろしくないですからね」


「レベッカ。何も傷つけてるわけじゃないんだ。これは気合いを入れてるだけでな」


「頬へのパンチがですか? 不思議な動きですね」


「不思議でも大きな意味があるんだぞ? 私にとってはゲン担ぎみたいなもんだ」


「ゲン……? 誰のことです?」


「誰をかつぐんですか……⁉」


 レベッカとミラがそれぞれ私に、とんでもないと言わんばかりの視線を向けてきた。


「誰もかつがないって……!」


 あわてて弁明するが、侍女達の追及が続いた。


「ゲン……初めて聞くお名前ですね」


「もしや、お嬢様のご友人ですか?」


 存在しない人間の話を始めた二人に、私はただ困惑していた。


(ゲンは人じゃないんだけど、じゃあ何って聞かれた時に上手く説明できる自信ねぇな……)


 なんとなくニュアンスで伝えることはできると思うのだが、言語化するは難しい。何よりも、この侍女二人を納得させることができない気がした。ひとまず曖昧な表現で濁そう。


「人の名前じゃないよ。ゲンかつぎは……まぁ、気合の入るカッコいい言葉だ」


「なるほど」


「わかりました」


「……うん?」


 説明という説明になっていないのだが、なぜか頷かれてしまった。そのまま追及をされなかったので、私は一人首を傾げた。


「……今ので納得したのか?」


「お嬢様からの説明と考えれば」


「私もレベッカさんに同じです」


「そ、そうか。……うん? うん」


 褒められていないのはわかったが、反論することではなかったので、微妙な心情で頷いた。

 話に一区切りついたところで、ドーラがドレスを用意しながら入室した。


「お嬢様。支度を始めましょう」


 こうして私は、いつも通り三人の侍女によって丁寧な準備をしてもらうのだった。




 勝負の一張羅である赤いドレス。

 思い返せばここまで鮮やかなドレスを着るのは初めてのことだった。


「……派手過ぎか」


 気持ちを入れようと赤いドレスにしたはいいものの、いざ赤髪の自分がドレスまで赤いとなると、変に目立ちすぎてしまう気がした。お店に行った時はデザインで見ただけだったので、好みのものだと思って選んだ。しかし、実際着て鏡の前に立つとまた印象が変わってくる。

 不安を抱きながら、後ろで控える侍女三人にそっと尋ねてみた。


「変じゃないか?」


「どこが変なんですか! この世にお嬢様以上に赤いドレスが似合う方はいらっしゃいませんよ!」


「とてもお似合いですお嬢様。赤いドレスとはいえ、フリルが一切ない上品さの際立つデザインかと。派手ではなく、魅力的なドレスですよ」


「言いたいことは二人が全て言ってくれました。お嬢様らしい、領地訪問にはふさわしい正装かと」


「皆……」


 ミラ、レベッカ、ドーラの順で口々に褒め言葉で背中を押してくれた。それが嬉しくて不安が一気に消え去った。もう一度鏡に視線を向けて自分の格好を確認すると、段々自信を持てるようになった。


(そうだ……これは一張羅なんだ。似合わないわけがない。ビビッてどうするんだ)


 自分でも気が付かないうちにどうやら緊張していたようで、必要以上に不安を感じてしまった。今こそ頬を叩いて気合いをいれたいが、化粧後なので脳内で済ませることにした。


「ありがとう、ドーラ、レベッカ、ミラ」


 三人に感謝を告げたところで、屋敷の外から馬車の音が近付いてくるのが聞こえた。




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