第67話 プライド
「下らん」
迫るラモンを見て、メルファは心底がっかりした。
せっかく降りて姿を現してやったというのに、やることがこれか。
「何をするかと思えば……。結局、そういう反応しか見せないのか。ありきたりすぎて、つまらんよ」
メルファが見たかったのは、ラモンの絶望する姿だ。
無力を嘆き、悲嘆にくれるそんな姿だ。
誰も、自分に対して強い殺意を持って襲い掛かられても、面白いはずがない。
まあ、目新しさはある。
天使である彼は、敵意や殺意を向けられることはほとんどない。
人類は彼らを崇めるものだし、魔族とはそもそも関わらない。
だから、人間……それも、教皇国の人間が自分に歯向かうのは、新鮮味がある。
だが、面白くはない。
飼い犬に手を噛まれることを嬉しいと思える天使ではなかった。
「人間風情が、天使である俺に傷をつけられるとでも? 愚かしいにもほどがある。そんなことは不可能だ」
なかなかの瞬発力だ。
だが、ラモンは満身創痍。
メルファは身体をひねることで、その直情的な攻撃を避ける。
「そもそも、この俺に剣を向けるなど、不敬だろう。下等な虫風情が!」
「がふっ……!」
無防備な身体を思いきり蹴り上げてやる。
口から血を吐き出し、地面を何度も転がるラモン。
その際に手から剣を離してしまう。
倒れたまま何とかそれに手を伸ばそうとして……その手を踏みつけられる。
「ぎっ、ぐぁぁっ!?」
ギリギリと体重をかけて踏みつけられる。
骨がきしみ、激痛が走る。
「人間は愚かだ。俺の言うことを何の疑問もなく受け入れ、従う。そんな連中がいると思えば、お前のように感情的に行動し、死にかけるバカもいる。こんな種族が世界で繁栄していることが、不思議でならない……なっ!」
「――――――!!」
ボギリ、と嫌な音が鳴った。
メルファがさらに力を込めて踏みつけ、ラモンの腕が折れたのだ。
声にならない悲鳴を上げるラモン。
もだえ苦しむ彼を見て、メルファは高笑いした。
「くははははっ! ああ、いい声だ。このまま放っておけば、直に死ぬだろうし、止めは刺さないでいてやる。ゆっくりと死に近づく恐怖を味わうがいい」
楽しくて仕方ない。
自分に歯向かった愚かな人間が、誰にも看取られることなく、たった一人で苦しみながら朽ちていく。
ああ、死に際はどれほどの絶望を味わうのだろうか。
メルファは気になって仕方なかった。
「なに、聖勇者のことは心配するな。俺も魔族が嫌いだ。奴らが絶滅するまで、使いつぶしてやるさ。しかし、あれほどの力を持つ女だ。うまい具合に交配させれば、あれが死んだ後も俺の手駒に有能な奴が残る。全部使わせてもらうさ」
わざわざ言ったのは、ラモンの精神を傷つけるため。
しかし、すべてブラフではなく本気だった。
アオイの力は強い。
歴代の勇者の中でも、最強だ。
あれだけの力は、努力で身に着けたのではなく、先天的な才能だ。
そして、才能は子供に受け継がれることがある。
天使の魔法を使えば、それをより確実に行うことができる。
未来永劫にわたって自分たちの手駒を作るために、アオイを優秀な能力を持つ男と子をなさせる。
メルファの計画だった。
「……なあ、天使さん」
「なんだ、命乞いか? 無様にふるまって俺を笑わせたら、考えてやらんこともないぞ」
かすれた声で話しかけてくるラモンに、天使は嗜虐的な笑みを浮かべて見下ろす。
もちろん、生かすつもりは毛頭ない。
ただ、希望をチラつかせているだけだ。
アップダウンが激しいほど、感情は強く出る。
助かるかもしれないと思わせておいて、殺されれば、どれほどの反応を見せてくれるだろうか。
だから、ラモンがどのような反応をするのかを知るため、踏みつけていた腕から足を離せば……。
「くたばれ」
「ぎゃっ!?」
折れた剣の刃が、メルファの足に突き立てられた。
血を噴き出し、美しい彼の身体が汚れる。
今まで苦痛とは無縁だったメルファは、その激痛にもだえ苦しむ。
メルファがこんなにも余裕を見せていたのは、ラモンを見下していたこともあったが、彼が反撃できないと思い込んでいたからだ。
満身創痍で、放っておけば死に至るほど弱っている人間。
しかも、周りに武器はない。
ここから反撃をされるとは、微塵も思っていなかった。
だから、まさかラモンが折れた剣の刃を素手で握りしめ、自分の手から血が噴き出させつつ足に突き刺してくるとは、想像もできなかった。
「ぎひゃっ!?」
さらに、その勢いのままラモンは跳ね起きる。
刃を握ったために血だらけとなった手を固く握りしめ、メルファの顎を打ち上げた。
歯がおかしな嚙み合わせでぶち当たったことにより、何本も折れる。
口から大量の出血をして、メルファは倒れ込んだ。
もちろん、ラモンもそこまでが限界。
彼もまた倒れ込み、もはや動くことはできなかった。
「く、くひょ……人間風情がああああ! こにょ俺に血を……! 歯を……! お前ええええええええええ!!」
先に立ち上がったのはメルファ。
彼も重傷だが、死にかけているラモンよりははるかにマシである。
舌を一部噛んでしまったこともあり、うまく話せなくなっている。
目は血走り、鬼の形相でラモンに近づいていく。
彼の手に集まる魔力が膨大で、一人の人間を殺すには過剰なほどだった。
それほどの怒りが、ラモンに向けられていた。
メルファが怒りのままにその攻撃を行おうとして……。
「あぁっ!?」
バッと振り返る。
そこには、人間の軍勢が援軍として近づいてきていた。
もちろん、天使であるメルファがここにいるとは知らず、怨敵である魔王軍と戦うために。
近づいてくる人間の軍勢を見て、メルファは悩む。
このままラモンを殺すことはできる。
それを見られたとしても、天使に逆らったと言えば、誰もメルファを責めないだろう。
だが、今の自分の姿が問題だった。
口から大量の血を流し、歯は何本も抜けている。
美しい白い翼は倒れ込んだことで汚れてしまっている。
そんな姿を見せることは、プライドが許さない。
しかも、ありえないとは思うが、天使がこのような姿だと誤解されれば、信仰心が薄れることもあるだろう。
めったに人の前に姿を現さないことが、悪い方向に働いていた。
「くひょ……! クソクソクソ! 絶対に許さにゃいからな! お前は俺が! ありとあらゆる苦痛を与えてから殺してやる……! 覚えておけ!」
メルファはプライドを取った。
ラモンを殺さず、ありったけの呪詛を吐いて、彼はどこかへと消えていった。
人類軍が近づいてくることも、メルファに呪われたことも意に介さず、ラモンはただ泣いていた幼馴染のことを思い出していた。
「アオイ……」




